大きな壁
「…………」
「………………」
「………………ずるいです」
「……………………はぁ」
馬車に乗ってからこのやりとりしかしていない。
ぶすっと唇を尖らせているアリアを見て、ヘスティアはたまらずため息をついた。
「私も一緒の部屋がよかったです。どうして私だけ一人で……」
「あなた、年頃の女性なのよ? いくら外で身分を隠しているとはいえ、どこに目があるかわからないのに、あなたを男性と同じ部屋で寝かせるわけにはいかないでしょ」
「男性って……アルフォンスですよ?」
「あいつだって男よ!?」
アルフォンスをなんだと思っているんだと思わず突っ込んでしまった。
どうもこの国の人たちは彼を神聖化しているというかなんというか。
確かに彼は勇者ではあるが、その前に一人の人間である。
怒りや悲しみを覚えることもあるし、欲望に身を任せようとすることだってあるだろう。
もちろんそんなことはないと思いたいが、もし仮に間違いでも起こったらどうするつもりなのだと考え、ふと気がついた。
そうだ、アリアはアルフォンスが好きなのだ。
だからいっそその間違いが起こってもいい、くらいのつもりなのだろう。
そんなこと許せるはずがないと、ヘスティアは顔を歪めた。
「この旅行であなたとあいつが二人になることはないわ。あなたも、変な噂が流れないように気をつけなさい。今後嫁の貰い手がなくなるわよ」
「……どうしてそんな、ひどいこと言えるんですか」
なぜ当たり前のことを言ったのにひどいこと、なんて言われなくてはならないのだろうか?
アルフォンスはヘスティアの夫であり、彼と親しくするということはすなわち不倫である。
一国の姫が不倫相手なんて、双方にとって屈辱的なことでしかない。
だから気をつけるようにと伝えたのだが、彼女の中のなにかに触れたようだ。
その後はむっつりと黙ったままでいるアリアを横目で見つつ、ヘスティアもまた黙り込む。
あれこれ話しかけられるくらいなら沈黙の方がずっといい。
このまま例の村に早くつかないかなと思っていると、その願いが天に届いたらしく馬車がゆっくりと止まった。
「…………ここが、」
「……うん。魔界との国境を守る村、ティエーリだよ」
村と言われていたから、なんだかんだのどかな村風景をイメージしてしまっていたけれど、確かに思い起こせばここは戦場の最前線になる場所だ。
だからこそ守りを固くしなければならず、村の四方は高い石壁で覆われていた。
扉も固く閉ざされていて、そう簡単には進入できないだろう。
――人間なら。
「…………これなら魔族に入られてもおかしくはないわね」
「魔法を使える人間がいたんだけど、亡くなってしまってね。それからは結界を張れる人がいないんだ」
なるほど。
昔はいたけれど今はいなくなってしまった。
だからこの脆い装備のままここにあるのかと、ヘスティアは高い壁を見上げる。
アルフォンスが心配する理由もわかった。
ある程度力のある魔族が数人いれば、この程度の村なら三十分もあれば殲滅できてしまうだろう。
「こんなにボロボロで……壊れたりしないんですか?」
「壊れるんじゃない? 力の強い魔物が殴ったら、一発よ」
「そんな……怖いです…………」
そう言いながらアリアがアルフォンスへと抱きつこうとしていたのを察し、二人の間に割って入った。
「とりあえず中に入りましょ。村の様子がどうなってるのかも見ないと」
「そうだね」
「…………」
アリアから痛いくらいの視線を感じたけれどそれをまるっと無視して、ヘスティアはアルフォンスと共に大きな扉へと向かう。
警護であろう男性はアルフォンスから話を聞いた後、慌てたように近くにいた別の男性に話しかけた。
すると至る所がざわざわと騒がしくなり始め、二人はそっと顔を見合わせる。
「やっぱり勇者ってすごいのね」
「そう、かなぁ?」
しばらく待つと先ほど声をかけた男が走って近づいてきて、キラキラと輝く瞳をアルフォンスへと向けてきた。
「――勇者様! ああ、生きているうちにお会いできるなんて……なんて光栄なことでしょうか! それも我が村にお越しいただけるなんて……っ!」
「ありがとう。この村でなにか問題が起こっていることを聞いてね。それで――」
「我々王家の者が、勇者と共に参りました」
突然話に入ってきたアリアに、ヘスティアとアルフォンスは目を細める。
そんな簡単に身分を明かして大丈夫なのだろうかと身構えたが、アリアはなにも気にせず己の胸に手を当てた。
「私の名前はアリア・エーテルナ。この国の王女です。困っているみなさんを助けにきたのです」
「…………王女様?」
「ええ。王家はみなさんを必ず助けます。なにか困っていることはありませんか?」
微笑みを浮かべ手を差し出すアリアは、まるで女神の如き美しさだった。
男は束の間呆然としたのち、ハッと気づいたように腰を折る。
「こ、これは! まさかこのような村に姫様までお越しくださるとは思ってもおらず……! 光栄の極みです! ささ! 皆様お入りください!」
頰を赤らめながら中へと誘う男に従って、開き始める大きな扉を見つめた。
そう、ただ見つめたのだ。
この後ここでなにが起こるのか、この時のヘスティアは知らなかったのだから――。
 




