・エピローグ 2/5 - 天秤の起動者 -
「さて話を戻そう。君はイザヤ魔術院に進入し、そこで奇妙な光景を見たそうだね」
「ああ、過去のイザヤ学術院を見た」
「それこそが天秤の見せた夢だ」
過去の学校生活の夢か。
俺ならもっと楽しい夢を選ぶな。
「では、あれは誰の夢であったのか? 興味が湧かないかね?」
「ジュリオたちは本当に夢を見せられていたのか? あの日はいつも通りに見えたぞ?」
「いや、私が確認したところ、ジュリオもトマスも極めて似た夢を見ていた」
「男同士で同じ夢か? ちょっと気色悪いな……」
率直な感想だったんだが、その感想が意外だったのか、バロック次官が声を上げて笑い出した。
今日の次官は笑いの沸点まで低いな……。
「えー、リチェルはレーティアちゃんとー、同じ夢、見たいよー?」
「すっかり仲良くなったもんだな。最初はあんなに張り合っていたのに」
「えへへーっ。きょうてい、結んだから!」
「協定……? なんだそりゃ?」
「内緒!」
大切な協定なのか、リチェルはティーカップを大切そうに抱えて、まだ熱いお茶を小さな口でついばんだ。
これは言うまでもないことだが、つい見とれてしまうほどにリチェルのその姿は愛らしかった。
「話を戻そう。夢を見ていたジュリオたちの前に君が現れ、モルペウスの天秤を破壊した。これにより彼らの精神は夢から現実に戻り、夢は直ちに忘却された」
「……俺が見た霧の亡霊は?」
「君たちは侵入者だ。モルペウスの天秤は、ジュリオたちを外敵から守ろうとしたのだ」
都を大混乱の底に突き落とした張本人にしては、あの亡霊はいやに弱かった。
しかし天秤が結界を生み出し、内部の人間に夢を見せる力しか持っていなかったのなら、納得だ。
あれは張り子の虎。
見かけ倒しの幻だったのかもしれない。
「……まあ、筋は通っているか。つまりあの怪異は、善意の機械が引き起こした不幸な事故だった、と?」
「うむ、そういったところだ」
「被害者たちは納得しかねるだろうな……」
「都がモンスターだらけになったのは、モルペウスの天秤のせいではなく、この地の性質のためだ」
生まれた地を誇るように次官は言う。
「先人が攻略したとはいえ、我々は迷宮の真上で暮らしているのだからね、不安定で当然であろう。あの天秤と、我が国イカルスは、不幸にも最悪の相性だったのだ」
そう言いながらも次官は得意げだった。
特殊な地に生まれたことを誇っていた。
「なるほど面白い話だ。いや、災害を面白いと言うのも不謹慎だが……。俺もいつか、モルペウスの天秤のような、面白くてヘンテコなお宝を手に入れてみたい」
なかなか興味深い話だった。
ただバロック次官は語り終えると現実に引き戻されたのか、また窓の外を気がかりそうに眺める。
今日は次官にとって特別な日だった。
「本当に、11時の鐘は鳴っていないのかね?」
「まだだ」
「えへへー♪ まーだだよーっ♪」
そんな次官をリチェルはおかしそうに笑った。
子供に笑われて、次官も我に返ったようだった。
「もう1つ、モルペウスの天秤についての話が残っている。何かわかるかね?」
「わからん」
「起動者だよ。モルペウスの天秤を起動した者がいる」
「それが重要か?」
バロック次官はうなずき、茶を飲み干した。
さらに家政婦さんに手を振って食堂から下がらせ、いかにも大切そうに話をもったいぶった。
「いかにも。起動者の名は――ジュリオ・バロック。私の大切な一人息子だったのだからな……」
次官の話の本題はそれだったのだろう。
自信にあふれていた次官の声が、途端にトークダウンした。
「許せぬのはあの女狐、セラ・インスラーだ……。あの者の薄汚い策略のせいで、ジュリオは、君と共に青春を過ごし、卒業するというささやかな夢を失った……」
リチェルがカップを置いた。
俺はリチェルのせいではないと、その小さな手に触れた。
「あまつさえ、都市公園に火を放つというあの暴挙だっ!! 私はあんなことは命じていないっ!!」
「そりゃそうだ。女史は頭がおかしい」
「……まあ、議員宿舎が焼かれたと聞いたときは、大笑いしてしまったがねっ、ハハハハッッ!!!」
するとバロック次官の笑い声に混じって、ついに11時の鐘が鳴った。
次官もそれに気付いて笑いをピタリと止め、席から素早く立ち上がる。
「さて、ゆくとするかね」
「ああ、そうしよう。そのために帰省を先延ばしにしたんだからな」
リチェルがお茶を一気飲みすると、その手を引いて俺は次官の後を追った。
目指すはすぐそこ。イザヤ学術院の講堂だ。
本日11時よりそこで、3年生の卒業式が執り行われる。
運命のイタズラがなければ俺もそこで、ジュリオとトマスと並んで卒業するはずだった。
「うむ、更地となった議員宿舎が実に心地よい。あの女も多少の役には立つようだ」
「その件については、俺もリチェルもあの人にドン引きだ」
「う、うん……。ほ、放火はっ、よくない思いますっ!」
「ははははっ!」
息子の卒業式にご機嫌のバロック次官の背中を眺めながら、俺たちはイザヤに向かい、式典に加わった。




