・マレニアの二学期 - 追跡者カミル -
・腐食のカミル
初めはなんの酔狂かと思った。
自分自身を囮にして犯人をあぶり出すので、先輩にも協力してほしいと頼まれた時は。
犯人がこちらの狙い通りに動く保証もなく、人里離れた場所に身を置いて敵に自分自身を狙わせるなんて、ほんの少し計算が狂うだけで、どんな窮地に陥るかもわからない。
僕はそう思ったのだけど、グレイボーンとその親友のジュリオはこの奇策を成功させるつもりだった。
再び陥れられるのを指をくわえて待つのではなく、自分から隙をさらけ出して、こちらが望んだタイミングに勝負に持ちかける。
ジーンから証拠を引き継いだと偽りの噂を広めて、ジュリオ、リチェル、そして僕へと犯人の凶行が及ぶのを、グレイボーンは未然に防ごうとした。
安息日になるとグレイボーンは、のん気に護衛も連れずに未攻略領域に出かける。
犯人からすればそれは、襲撃の絶好の機会にしか見えなかっただろう。
「な、なんだお前っ?! なっ、んなぁぁっっ?!」
そして今、待ちに待った反撃の時がやって来た。
僕は逃げ出す襲撃者たちの退路に立ち、忌み嫌って止まない腐食の力を使って、足下を一文字に薙いだ。
見る見るうちに草も低木も花も腐り、直線8メートルがドロドロのグズグズに溶けていった。
襲撃者たちは退路を突然ふさがれて踏みとどまり、音爆弾に続く待ち伏せに恐怖の悲鳴を上げた。
「なっ、なっ、なっ、し、死神……っ?!」
この白いマスクのせいでそう見えたのだろう。
剣と弓を持った襲撃者たちは、再び恐怖に声を上げて、中には腰を抜かす腑抜けもいた。
死神か……。
同級生には徹底的に避けられ、下級生にまで畏れられる僕にお似合いの呼び名だ。
そんな僕だけど、今は少し気分がいい。
善良な人たちに畏れられるのは傷つくけれど、逆にこういった悪党に限っては、恐怖が心地よく感じられた。
「僕の名は腐食のカミル。腐食、死病、猛毒、狂乱の魔法剣を得意としている」
「し、死病……っ?!」
「猛毒って……こ、こいつ、ヤベェよっ、おい……?!」
「さて忠告だ。もしここから逃げたら、僕はこの力を使って君たちを殺す。どの魔法剣も、刃どころか魔力がかすっただけで、死を招く力が君たちを蝕む」
猛毒の力を与えた刃で、薄桃色に花咲くコスモスを撫でると、花は青く染まってしおれていった。
彼らの顔も真っ青に染まった。
「あっ、兄貴ぃっ!!」
ところがリーダー格の男がこちらに飛び込んで来た。
それは熊みたいに大柄な男で、僕のことを少しも恐れなかった。
僕の頭の上に大剣が振り下ろされ、僕はそれを後ろに飛び退いて避けた。
もし注意が足りなかったら、今の奇襲で殺されていたかもしれない。
「ちぃっ、ガキのくせにやりやがる……っ」
「君がリーダーの人?」
「だからなんだよっ、オラァッ!」
薙ぎ払いをまた飛び退いて避けて、こちらは反撃に踏み込む。
けれどその男は大柄な割りに素早く、あっという間に僕の射程外に逃げられてしまった。
「お前ら何眺めてやがる! 全員でこのクソガキに畳み掛かるぞ!」
「え!? で、でも兄貴っ、ソイツの力っ、マジでヤベーんですよっ!?」
「バカ野郎っ、捕まったらもっとヤベーだろがっ! おらっ、一気に行くぞっ!」
少し、まずいかもしれない……。
捨て身で突っ込まれたら、やつらの凶刃から逃げ切れない。
しかしだからといって、逃げようだなんて気も全く起きない。
僕は腐食のカミル。
僕が死んでも誰も悲しまない。
僕にとって、死は恐れるほどの価値なんてなかった。
「スカした仮面なんて付けやがってっ、んなもん、ぶっ殺して剥がしてやるよっっ!! オラァッッ!!」
人を殺す覚悟を決めて、僕は刃に宿る腐食の魔力を増幅した。
「ウゴハァァァッッ?!!」
ところが僕は、敵後方に頼もしい味方がいることを思い出した。
あの空気の読めない男の、問答無用の鋼鉄の矢が、かかげられて夕日にキラリと輝く大剣を撃ち抜いた。
音を立てて大剣は吹き飛び、熊男は前のめりになって地面に叩き伏せられていた。
「フフ……運悪くもこれでチェックメイトだ、諸君」
「な、何が起きた……っ、剣が、急に、ぶっ飛んで……うぐっ?!」
腐食の力を解除して、足下の男の首元に刃を当てた。
「逃げるなら斬る。君たちはおとなしく、これを両手にはめるんだ」
セラ教官から、魔法式の手かせを借りていた。
後で使用感はどうだったか、レポートを提出するように言われている。
それを彼ら三下たちに投げ渡した。
奥には音爆弾で前後不覚になっている残党がいるので、彼らも拘束しないと……。
「お前らっ、早く俺を助けろっ! そんなもん付けたら人生終わっちまうぞっ!?」
「け、けどよ、兄貴……全身腐れ果てて死ぬよりは、マシじゃぁねぇかなぁ……?」
「俺はソイツに雇われただけだ! 俺はただの建築労働者なんだよーっ!」
素人……?
道理でグレイボーンたちに矢が当たらなかったわけだ。
あらためて見たところ、半数がただの素人に見えて来た。
「積極的に自供するなら、治安局は司法取引に応じると言っているよ。仲間を裏切るなら、早い方がいい」
「司法取引だぁっ?! そんなの嘘に決まっ、ヌアアアアアッッ?!!」
グレイボーンの2発目の援護射撃が飛んで来た。
今度は高い曲射で、僕の斜め右――つまりは倒れた熊男の左わき腹の近くの地面に、鋼鉄の矢が深々と突き刺さった。
彼の実力を疑うわけではないけど……さすがにこれは、やり過ぎではないかな……。




