・イザヤ学術院の静かなる日々 - リチェルとお兄ちゃん、本気だから! -
「ねっ、すごいでしょ!」
「すごいな。まるでテーマパークみたいだ」
「てーまぱーく……?」
「楽しいお祭り会場みたいなものだよ。魔法って、こういう使い方も出来るんだな……なんかいいじゃないか」
「えへへーー。他の魔法、お家でつかっちゃダメって、お母さんに怒られたから……」
「そういえば、2階の天井が焦げていたな」
「あう……」
あの紫の唇をした女史のように、うちの妹もいつか隕石とか降らせちゃうんだろうか。
「メテオとか出来るか? まだ早いか?」
「出来るよ!」
「……エ? マ、マジデ?」
「うんっ、見るーっ!? 禁止、されてるけど、お兄ちゃんが言うなら落とす!」
天使の笑顔を華やかせて、リチェルはとんでもないことを言ってくれた。
そういえば、火事でもあったのか丘の上の林が焼けていた。
「俺の妹は天才だな! けどそれは止めてくれ!」
「わかった! じゃあ、大きくなったから、結婚して!」
「……脈絡なしに急に来たな?」
「大きくなったら結婚してくれるって、お兄ちゃんと約束した!」
背中を向けていたリチェルはクルリと反転して、兄の胸にしがみついた。
「もうちょっと大きくなったらな。てかあれから4ヶ月しか経ってなくないか?」
「もっと大きくならなきゃ、ダメ……?」
「ああ、もっと大きくなってからだ」
そしたらお前の気も変わる。
そう……気が変わる……。
俺以外の男に愛情を向けるようになり、いつかは俺を、邪魔者のように……。
い、嫌だ……。
いずれそんな時が来るとわかっていても、そんなのは嫌だ……。
「リチェル……ッ。お兄ちゃんを、お兄ちゃんを捨てないでくれぇ……っ」
「お兄ちゃん……?」
ヒシリとリチェルを抱き締めると、あやすようにリチェルが背中を撫でてくれた。
「リチェルはずっと、お兄ちゃんの妹だよー?」
ああ、妹のぬくもり、あったかいなり……。
と、そこまではよかった。
やっと安心して顔を上げると、ぼやけた視界の彼方に人影があることに気付いた。
あの背丈と細さと猫背からして、あれは……。
「や、やぁ……グレイボーンくん……。リチェルをかわいがってくれているようだね……」
間男にして元教師、ハンス先生だった。
「あ、お父さん! あのねっ、あのねっ、お兄ちゃんがねっ、結婚、やっぱりしてくれるって!」
「グレイボーン、くん……?」
「なんだその疑うような声は」
「そうだよーっ! お兄ちゃんが、約束破るわけないよー! 絶対、お兄ちゃんとリチェルは、結婚するっ!」
「グレイボーンくん……君は、まさか……」
「だからなんだ! その疑いの言葉は……!」
ひしりとリチェルが兄の胸に顔を埋めると、俺の立場はますます悪くなった。
「リチェルとお兄ちゃん、本気だから!」
「お、おい……いやそれは……」
違います、とは言えない。
言えばこの子を傷付ける。
「愛し合ってるから!」
おませにもほどがあるぞ、リチェルゥゥ!?
もう少し兄の外面とか気にして!?
「後で話せるかな、グレイボーンくん……」
「あ、ああ、ぜひ……」
おませなお姫様は兄の背中に回り込んで、さあ遊びに行こうと、部屋の外を指さす。
ここに居ても居心地が悪いだけなので、俺はリチェルをおぶって屋敷を出た。
「お父さんは、説得しとくから!」
「い、いや……うん……任せた」
俺がいなくなって寂しいのだろうか。
丘の上のカスミソウはもう散っているそうなので、リチェルと一緒に街の聖堂に行くことにした。
・
聖堂に着くと兄妹は長イスに腰掛けて、しばらくの間、祈りを捧げた。
そうしていると司祭様がこちらに気付き、神妙そうな言葉使いで、2人だけで離したいと言ってきた。
「こんな天才児は初めてです。もう教えることが何もないため、拙僧も独学で学んでは、魔法の知恵を授けているのですが……。あまりに魔力が高いため、手に余る始末で……」
司祭様は再会を喜ぶまもなく、リチェルの愚痴を言い出した。
「そうか、やっぱりうちの妹は天才か! そうだと思ってた!」
「いや、拙僧が言いたいのは前向きなことばかりではなくてですね……」
「いいじゃないか、型破りの才能があっても」
司祭様にとっては愚痴でも、俺には朗報だった。
俺の妹は素晴らしい。
俺の妹は才能がある。
やはりリチェルは素晴らしい!
「しかし、ずいぶんと明るくなりましたね、グレイボーン。ピリピリとしていたあの頃がまるで嘘のようです」
「問題が解決したら誰だってこうなるよ」
当時の俺は病んでいた。
そんなめんどくさい少年を、司祭様は親身になって励まし、勉強を教えてくれた。
「そうとも限りません。むしろ問題から立ち直れる人間の方が少ないものです」
「つまり俺が突然前向きになったのは、不自然だと?」
「……長くこの地で人々の悩みを聞き、導いてきましたが、貴方の変化は初めてのケースです」
お悩み相談の専門家は首を傾げてそう言った。
父親に長く抑圧されていた青年が、ある日突然明るく前向きになった。
司祭様からすればその理由が知りたいところだろう。
「ところで、リチェルちゃんのことなのですが……」
「ああ、リチェルの話なら大歓迎だ!」
「あの子はちゃんとした魔法使いの下で、恵まれた教育を受けるべきではないかと思うのです。ですが、ご両親に反対されていましてな……」
それはリチェルを、領地の外の学校に行かせるということか?
そんなの反対されて当然だろう。
「俺も反対だ。せっかく……せっかくいい両親に囲まれた環境にいるんだ。そっちの才能を磨くのはまだ先でいいだろう?」
「あの子は、大魔法使いになれる器ですよ……?」
「ははは、俺の妹だからな! だが、まだまだお子さまだ。お、噂をすれば」
聖堂の女官に連れ出されていたリチェルが祭壇に戻って来た。
俺は人前だろうとお構いなしに胸に飛び込んで来る妹を受け止めて、今度は肩車をしてやった。
「貴方はお兄さんと一緒のときは、いつもお兄さんに乗っていますね」
「うんっ! いもーとの、当然のけんりですからーっ!」
リチェルは大魔法使いの器で、飛躍的な成長を続けている。
それがわかっただけで十分だ。
明るくかわいいリチェルを肩に乗せて、俺は遠回りと寄り道をしながら家に帰った。




