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7、麦畑(side:マクシム)

 麦畑の収穫に行く当日になって、突然ブランシュが行きたいと言い出した。


「ダメだ」


 当然のごとく俺は反対する。体の弱いブランシュが手伝いにいっても畑仕事などできるはずがない。言い切ってもいい、絶対に倒れると。

 そんなことになっては大変だ。屋敷であれば慣れた使用人がいるからまだ問題はそれほどないが、出先で倒れても見ろ。何が起こるかわかったものではない。

 病人の扱いに慣れていないものがどんなとんでもないことをやらかすかなんて考えるだけで恐怖だ。

 万が一でも可愛い妹の命にかかわることが起きてみろ。私は平静でいられる自信がない。


「いいじゃないか、連れて行ってあげなよマキシム」


 だというのにダニエル兄さんは連れて行けという。少し危機意識が低いのではないだろうか?

 二ヵ月前の大雨の日以来ダニエル兄さんはブランシュに魔法の才能があるのだと言い始めた。

 そして先月からは、母上も同じようにブランシュには魔法才能があるのだという。

 あの子の魔法の腕は生活魔法が使える程度。人並み以下だ。俺も吹いては消えるような、か細い炎を出しているのを目の前で見た。あれが数か月で浮遊魔法やら聖魔法やら使えるようになるわけがない。

 本人も二人の話を否定していたしな。

 なんで二人していきなりそんなことを言い出したのだろうか。そんな荒唐無稽な聖女伝説のような話を盛らなくとも、ブランシュ可愛いし素晴らしいし尊い。生きているだけでオトテール領の、いやこの国の財産と言えるだろう。

 しかし結局はなんだかんだと押し切られてしまい私はブランシュと共にスィユール村へということになってしまった。ああ、心配だ。


「ただし途中で体調崩したらすぐに送り返すからな!」

「は、はい!」


 嬉しそうに笑うブランシュを見ていると、これ以上反対する気もなくなる。ブランシュにとっては初めての経験だ。

 顔色を見るに体調もよさそうだしきっと大丈夫だろう。それにあの子の体調は私が気を付けていれば問題ない。何があってもブランシュだけは絶対に守ってみせる!



 スィユール村では村長の家でお世話になることとなった。

 麦の収穫は明日の朝一で始めるとのこと。今日は夕飯の時間まで特に用事はない。

 ブランシュは何しているのかと視線をやれば、ぼんやりと窓の外を見ていた。きっと外に散策にでも行こうとか考えているに違いない。ブランシュの考えていることなどお見通しだ。

 多少は不安だけれど、折角遠出したのだ。少しぐらいなら出歩いてもいいだろう。まあ私が付いていればの話だけれど。一人きりで出歩かせるなんて言語道断だ!


「おい、ブランシュ!」


 振り返ったブランシュの頬がほんのり赤い。まさかと思い額に手をやると些か熱く、案の定熱を出していた。

 予定変更だ。この状態のブランシュを出歩かせるわけにはいかない。

 そんなこともあろうかと持ってきていた滋養剤を渡して寝るように言いつけた。

 私が持ってきたというと、なんだか心配していたみたいで恥ずかしいので母上に持たされたということにしておいた。母上からと言えばブランシュも飲まないわけがないだろう。

 明日のことも考えて、ついでに二本。まあ、今から寝て安静にしていれば明日は飲むことはないだろうけど。



 ▼



 ブランシュは夕飯に顔を出さなかった。部屋越しに声をかけたが、返事すらなかった。おそらく私の言いつけを守って滋養剤を飲んでよく寝ているのだろう。

 ぐっすり寝たのなら、もう大丈夫だとは思うけれど、気になるので様子を朝一で見に行くとしよう。

 しかし朝一で、ブランシュの部屋を訪れても彼女の姿はそこにはなかった。いったいどこに行ったというんだ。どこかにふらふら行っているんじゃないだろうか。

 またどこかで倒れていたらと思うと、不安で仕方ない。取り返しのつかないことになっていたらどうしよう。

 いや、誘拐という危険性も忘れてはいけない。あんなに可愛いのだから、どこぞの不埒なやつに浚われてもおかしくない。

 本村ならば知り合いばかりなのでまだ安心できるがここは、本村から離れたスィユール村だ。見知らぬものばかり。いくら領内と言えども信用できない。ああ、心配だ。

 ブランシュを探して、屋敷の中を歩いていると階段の手前で座り込んでいるブランシュを見つけた。

 攫われてはいなかったが、やはり案の定体調を崩していたらしい。

 ああ、私としたことがもっと目を光らせておけばよかった!


「っブランシュ!」


 まさかまた熱でもでたのだろうか。それともどこか痛いのだろうか。

 慌てて駆け寄って抱きしめ背中を擦る。すると、曇っていたブランシュの表情が徐々に安心した表情に変わっていく。

 ブランシュはもう大丈夫だと言うが、まだ顔が青白いしとてもそうは見えない。何があったのかと思えば、本人は気丈にも「走ったらお腹が痛くなっただけ」だと言っていたが、まあ間違いなく嘘だろう。昔からブランシュは体調が悪くなっても隠そうとする。

 周りに心配をかけないためなのだろうが、いつもバレバレなのだからやめてほしい。

 お前が倒れる度に私は不安で仕方ないのだから。固く閉ざされた目がもう二度と開かないんじゃないかと気が気ではないのだ。

 もっと幼い頃、小さなブランシュを無理に連れ回して倒れさせたことがあった。あの時高熱でうなされるブランシュを見て酷く後悔したのを未だに覚えている。

 青白い頬で、荒い吐息を吐く。シーツを握りしめながら魘される様は強く印象に残った。

 目が覚めるまで見守っていようと誓ったが、結局は「うつると悪いから」とメイドに部屋から追い出されてしまった。

 ともあれ、何があったのかわからないが持ち直したのなら良かった。また何かあるかもしれないのでいちおう気を付けてみておくか。

 と、思っていたのだが、その後朝食の際に何があったのか判明した。正確には察しただけだが。

 あの子はなんでも心のうちにため込む癖があるので、言ってくれた方が嬉しいのだけど。

 村長一家が、ブランシュが体が弱いのをネタにチクチクと遠回しな嫌みを言ってきた。いかにも心配していますよ、といった言い回しを使うので。面と向かって言い返すわけにもいかない。嫌らしいにもほどがある。

 今は私がいるからこの程度のことしか言えないのだろうが、おそらくブランシュが一人の時にもっとひどいことを言ったのだろう。これは後で父上に報告しなければならないな。


「ブランシュは昨夜は早くに寝ましたから、今日はいつもに比べ顔色もいいようですので問題はないでしょう。それに本人も行きたいと言っていますから」


 本当ならここで怒りに任せて怒鳴りつけてやりたいし、領内追放したいぐらいには腹立たしいが、私とて貴族の息子だ。感情をあらわにするのはただの下策。貴族には貴族のやり方があるのだ。

 ここでは村長たちを睨みつける程度におしとどめた。しかしこれで終わったと思うなよ!

 私の可愛い妹を傷つけたのだ。いやというほど思い知らせてやる!



 話し合いの結果、渋々といった様子でブランシュの参加を認めさせた。まだ何か言いたそうだったが、私の目の届く範囲でブランシュを傷つけるようなことはさせない。絶対にだ。

 沸々湧き出る怒りを押さえつけながら話し合いはおわった。無駄に疲れてしまった。

 準備をするために一旦部屋に戻ろうとしたところ、不意に隣に並んだブランシュに話しかけられる。


「……ありがとう、お兄さま」


 まさかブランシュにお礼を言われるとは思わなかった。少し照れ気味の笑顔がまた可愛らしい。

 嬉しさ半分、照れが半分。しかし素直じゃない私は、


「ただ今日はお前の体調がよさそうだと思ったから本当のことを言ったまでだ。それにわざわざ来たのに何もしなかったなんてことになったら父上の顔に泥を塗ることになってしまう。それを避けたかっただけだ。別にお前のためじゃないからな!」


 つい勢いに任せてきついことを言ってしまった。そんなことを言いたいわけじゃなかったのに。逃げるように私は部屋に戻る。

 嫌われたらどうしよう……。



 ▼



 麦畑に向かう馬車の中。ブランシュは昨日と同じように窓から外を見ている。

 外はどこまでも広がる金色の麦畑。どこにでもあるいたって普通な景色を見て何が楽しいのかわからないが、ブランシュは楽しいのだと言っていた。

 私は楽しそうなブランシュを眺められるのは嬉しいので問題はないのだが、今のブランシュは昨日ほど楽しそうには見えない。体調が悪いのだろうか? 顔が青白いのは元から出し、朝食もよく食べていた。

 それならば、村長一家に言われたことをまだ気に病んでいるのかもしれない。あいつらは本当に害悪でしかない。早いところどうにかしないと。

 いちおう問いかけてみるが笑顔で大丈夫だと返すばかりだ。

 ブランシュは体だけでなく、心も繊細な子なのだ。私が守らなければ。

 馬車を下りると、慌てた様子で村長の息子が駆け寄ってきた。なにかあったのか?

 鬱陶しくも思うが、何かあったのだとしたらここで無視するわけにもいかない。


「どうしましたか?」

「き、巨大なイナゴが出た!」

「え?」


 村長の息子の話によると、一足先に麦畑に来ていた彼は畑の確認をしていたのだという。その時、複数のイナゴが出てきたので駆除しようと追いかけたが、その先に大きなイナゴがいたらしい。

 あまりの禍々しさに恐怖し、彼は慌てて逃げてきたという。

 多少大きなイナゴぐらいで何を慌てているのだ。見慣れたものだろう? と思ったが、彼と彼の妻が言い合いをしているのを聞いていると私が想像していた事態と少し違うようだ。


「あんた! あれはもう別の村へと追い払ったって何日か前に言ってたじゃないかい!」

「バカヤロー! マクシム様もいるんだぞ! 黙っとけ! 知られる訳にはいかねーんだよ! あれがアバドンってことはよ!」

「アバドン?」


 今聞きなれない単語が私の耳に入った。しかし知らない言葉ではなかった。以前屋敷の書庫で眠っていた古めかしい書物で目にしたことがある。

 アバドンとはたしかイナゴの王と呼ばれる魔物だ。全身金色で、獅子のような牙をもってサソリのような尻尾をもつ。尾には毒があるらしい。それはもはやイナゴと呼んでもいいのかもはや謎だが、まあいい。

 アバドンは十数年に一度現れ、数多のイナゴたちを率いて、畑や村を襲うと言われている。アバドンは獰猛で大喰らいで、麦だけでなく辺り一面の雑草や木々も食い荒らし、時には人をも食べると書かれていた。

 アバドンが現れた土地は何も残らず、その地は更地になるのだ。

 貴族の間ではあまり知られていないことでも、農民たちの間では伝説となって伝わっていたなんて話は多々ある。農業に関することならなおさらだ。

 この村には口伝でアバドンの話が伝わっていたのだろう。

 本当にアバドンかどうかの審議は置いておくとして、こいつらはアバドンと思うような巨大なイナゴが出たことを今まで黙っていたのだ。

 この村に来た当初に「イナゴが多い」とは言われていたが、普通のイナゴが多少多いのとアバドンが出没したのとでは意味が変わってくる。

 普通のイナゴであれば村民たちだけでも対処できるだろうが、アバドンではそうはいかない。

 討伐隊を組む必要があるだろう。下手すると、王都に援助の要請を出す必要も出てくる。これは由々しき事態だ。

 こいつらはどれだけ無能なのだ。


「村長……」


 気配を殺したように後方に黙って立っていた村長を俺は怒りを込めて呼ぶ。思ったより低い声が出たがしったことではない。


「ま、マクシム様……。別にこれは隠していたわけではなく……」


 村長が顔を真っ青にして言い訳を口にする。今更何を言っても遅い。


「キャ――!!」


 その時悲鳴が響いた。声がした方を振り返ると、村長の息子とその妻が地面に座り込んでいた。腰でも抜かしたか?


「どうした?」

「あ、あれ!」


 彼女は恐怖を張り付けた表情で、空を指さしていた。 それを受けて私は空を見上げる。


「なんだ、あれは!?」


 先ほどまで晴れ渡っていた青空はなく、空は真っ黒に染まっている。いつの間に雲が出てきたのかと思ったが違う。空を覆いつくしているのはおびただしい数のイナゴだ。

 イナゴたちに守られるように中央を飛ぶのは見たこともない巨体のイナゴ。私よりもかなり大きい。成人男性並みの大きさを誇る。眩いばかりの金色の身体。肉食獣のような鋭い牙、サソリのような針を持つ尻尾。

 書物に書かれていた通りだ。奴がアバドンで間違いないだろう。まさか本当に現れるとは思っていなかった。


「うわ――――!! 出た―!」

「に、逃げろ――――!」

「ちょ、ちょっとあんた! 置いて行くんじゃないよ!」


 村長と、その息子夫婦はアバドンが姿を現すと同時に悲鳴を上げながら一目散に逃げていった。

 村人たちの避難も終えていないのに自分たちが真っ先に逃げ出してどうする。役立たずどもめ!

 こうなっては私一人でもアバドンを討伐しなければならない。村長たちはどうなっても構わないが、何の罪もない村人たちや畑は守らなくては。

 私は決意を固め、一歩踏み出した。

 イナゴたちが飛び交う。こっちにも向かってきた。払っても払って次々と向かってくるイナゴ。きりがない。


「っく!」


 上着を脱いでそれを手に振り払うものの、いくらなんでも数が多すぎて全く間に合わない。傍らにあった農具を振り回して対抗するがそれも意味をなさない。

 やはり一人では無謀だ。一度領都に戻って援軍を呼ぶべきだ。

 いや、それよりも村人たちを避難させるのが先か。今からでも間に合うだろうか。せめて女性と子どもだけでも逃げさせないと。


「ブランシュ! お前は村の女性や子ども避難させろ!」


 ブランシュを村の女子どもの避難の先導という名目ならブランシュを逃げさせることが出来る。こんな危険な場所に居させるわけにはいかない。

 しかし振り向いた先には、いるとばかり思っていたブランシュはいなかった。いったいいつからいなかった? どこに行った?

 ふとアバドンが人をも食べるという話を思い出す。まさかブランシュがアバドンに食べられた?

 恐怖がよぎる。アバドンに捕食されるブランシュを想像して、体が震える。


「ブランシュ!」


 私はいてもたってもいられず、ブランシュの名を叫びながら駆けだした。

 既に頭の中はブランシュのことでいっぱいで、領主代理の責任なんてものはとっくに抜け落ちていた。


「どこだ、ブランシュ!」


 ブランシュの名を叫びながら走る。群がるイナゴが邪魔だ。

 暫く走り回ったあと、ブランシュの姿は見つかった。


「ブランシュ!」


 そこにはお腹を押さえて座り込んだブランシュがいた。

 すぐに駆け寄ろうとしたが、それは叶わなかった。私とブランシュの間に割り込んできたものがいたからだ。


「……アバドン!」


 巨大なイナゴ――アバドンが私の前に立ちはだかった。アバドンは私に見向きもせずにブランシュを凝視している。まるで狙いを定めたかのように。


「逃げろ、ブランシュ!」


 叫ぶが、ブランシュは意識を失っているのかぴくりとも動かない。


「くらえ!」


 私はアバドンを退けるために、手にしていた鍬を投げつける。鍬はアバドンの躰に命中したがあっけなく跳ね返り、地面へと転がった。

 アバドンはよほど堅いのか、傷ひとつつけることすら敵わない。

 退けるどころか、アバドンがブランシュに向かって前足を伸ばす。ああ、このままではブランシュが食べられてしまう!


「やめろ――!」


 その辺にあるものを手当たり次第に投げつける。かごでも石でもなんでも。だがすぐに投げるものは尽きた。アバドンは怪我一つしていない。

 このまま私はブランシュが食われるのをただ見ることしかできないというのだろうか。


「ブランシュ――!!」


 絶体絶命だと思ったその時、ぼとりという音と共に何かが落ちた。

 音がした方へ視線を向けると、アバドンの前足が地面に落ちていた。いったい何が起きた?

 事態を把握できていないのはアバドンも同様で、短くなった前足と落ちた前足を交互に見比べて困惑しているようだ。

 ブランシュはゆっくりと立ち上がると、ジッと静かにただアバドンを見据える。

 大きな翠色の瞳は今は薄く開かれているだけなので、よくは見えない。しかしその目には恐怖は見られない。漆黒の髪が風に合わせて、周囲の麦と同じようにさらさらと揺れる。


「キシャーー――!!」


 ようやく事態を把握したアバドンが咆哮をあげる。先に動いたのはアバドンだった。

 切り落とされてない方の前足でブランシュに襲い掛かる。ブランシュはそのまま微動だにしない。


「ブランシュ!」


 今度こそ食べられると思った瞬間にブランシュも動いた。ブランシュの右腕が持ち上がり、その手はアバドンに向けられる。その瞬間、アバドンの前足は分厚い氷に包まれた。


「!?」


 突如起こったことに我が目を疑う。アバドンの右腕を凍らせた氷はじわじわとその範囲を広げていく。

 アバドンはそれを振り払おうと無茶苦茶に暴れるが、消える気配はない。無慈悲にもアバドンを覆う氷は全身を包み込んだ。

 まさか倒してしまったんだろうか?

 ピキリ

 氷にヒビが入った。まさかまだアバドンはまだ生きているのか。

 最初は小さなヒビだったが、それは次第に大きく深くなっていく。また再びイナゴの王が解き放たれる恐怖が迫ってくる。

 氷から解き放たれたアバドンは間違いなくブランシュを食べようとするだろう。逃がさなければ。せめてブランシュだけでも安全な場所に逃がさなければならない。

 私は駆け出した。氷漬けになったアバドンを通り過ぎ、ブランシュの元へと向かう。

 その手を掴み走り出そうとした瞬間、ひときわ大きな音が響いた。


「キィィィ――――!!!!」


 アバドンを覆っていた氷が砕け散り、甲高い雄叫びが響く。それはまるで、死刑宣告のように聞こえた。恐怖で後ろを振り返ることも出来ない。

 私はブランシュのような大魔法は使えない。腕力もない。無力だ。真っ先に逃げだした村長たちとさして変わらない。役立たずだ。

 それでも何よりも大切な妹だけは護りとおす。それこそ命を懸けてでも!

 私はとっさにブランシュを突き飛ばした。ブランシュを護るためだ。ブランシュは何の抵抗もなく麦畑の中へと転がった。頼むそのまま逃げてくれ。

 素直になれず、意地悪な兄の事などおいていってくれていいから。


「ブランシュ逃げろ!」

 声の限り叫んだ。

 目の前には迫りくるアバドン。ああ、私の命はここで尽きるのだ。覚悟はできた。それでも死ぬのは怖い。今更逃げる気はない。それでもせめて視界だけでもと、私は瞳を閉ざした。

 閉じた視界に記憶が巡る。今よりもっと小さいブランシュが泣いている。きっと泣かしたのは私だ。

 小さい頃の私は今よりずっと素直じゃなくて、照れ隠しでひどいこと言ってはブランシュを泣かしていた。

 成長していつの間にかブランシュは泣かなくなったけど、私は相変わらず素直じゃないままだ。


 いつまでも子どものまま。

 最後まで素直になれない意地悪な兄でごめんな。


 覚悟していた痛みは、いつまでもおとずれない。恐る恐る私は瞳を開いた。


「!!」


 目の前にはアバドンがいた。しかし動かない。よく見ると、アバドンの身体には光る紐のようなものが巻き付いていた。光る紐がアバドンを拘束している。これは何だ。

 まさかと思い振り返るとそこにはブランシュが立っていた。


「……なぜ」


 逃げなかったのか、そう言いそうになった。だがやめた。

 ブランシュは選んだのだ。逃げるよりも戦うことを。

 ブランシュが両手をアバドンに向かって翳す。すると無数の風の刃が現れ次々とアバドンの切り裂いた。


「ギィィァァァ―――――!!」


 アバドンの身体は風の刃でバラバラに破壊されていく。耳をつんざくような断末魔があがった。その声は耳を塞いでいてもなおも聞こえるほどにうるさい。

 一向に止むことのない叫び声にうんざりしたのかはわからないが、ブランシュが手を振るとまた新たな風の刃が現れた。その風の刃は今までのものより大きかった。巨大な風の刃はアバドンの首を切り落とす。その瞬間叫び声は消えた。

 だがしかし、バラバラにされてもまたうごうごと動くアバドンの躰。その様子は不気味で気持ち悪い。まさか再びくっ付いて復活したりはしないよな?

 ブランシュが再び手を振るとアバドンの身体と頭は炎に包まれた。じりじりと炭になり、最後には茶色の大きな魔石だけが残された。今度こそ終わったのだと安堵のため息を吐く。


「っうわ!」


 眼の前で猛然と黒い風が吹き荒れた。

 まだ終わりではなかった。アバドンを失い統制をなくしたイナゴの大群が勝手に暴れはじめたのだ。

 ただでさえ数が多いのにこうなってしまえば、それこそ手が付けられない。

 人間を襲ってくるもの、麦畑を食い散らかすもの、産卵するもの。何千、何万ものイナゴが暴れ出したらアバドンがいなくとも村は壊滅してしまうだろう。


「……どうすれば」


 無力な私には何もできない。悔しさに強くこぶしを握り締める。

 諦めるしかない状況で項垂れていると、軽く肩を叩かれた。


「ブランシュ?」


 隣にたつブランシュを見ると、私は息をのんだ。

 ブランシュの瞳はまだあきらめてなどいなかった。強い意志を宿した瞳が、目の前の暴れまわるイナゴたちを捉えていた。

 もしかしたらと、希望が生まれる。アバドンを倒したブランシュならイナゴの大軍すらどうにかしてしまうのではないかと淡い期待を抱く。

 ブランシュは焦ることなく、魔法を発動させた。ブランシュの作り出した風は、次第に勢いを増し広範囲に広がっていたイナゴたちを一か所に集める。目に見えない結界でも張っているのかイナゴたちは集められた場所からは出てこない。

 次にブランシュは、炎を作り出した。集められたイナゴたちへと炎を投げ込む。するとたちまちイナゴたちは焼かれていく。よほど強い魔法なのか、あっという間にイナゴは炭へと変わり果てた。おびただしい数のイナゴたちは一瞬にして消えた。今は一匹たりとも残ってはいない。

 続いて右手を持ち上げたブランシュは、柔らかい風を作り出した。風はふわりふわりと麦畑を撫で何かを巻き上げた。それは一センチぐらいの黒い塊だった。


「あれは、もしかしてイナゴの卵か?」


 小さな黒い塊一つから何十匹ものイナゴが生まれる。卵をそのまま放置しておけば、何百何千ものイナゴが孵ることになってしまうのだ。考えただけでひどく恐ろしい。

 卵を処理しなければ、蝗害は止められない。

 これらをどう処理すべきか考えていると、ブランシュは魔法ですべての卵を一か所に集め、イナゴと同じように火魔法で焼却する。炭しか残らない。これで蝗害の心配はなくなった。

 これで全て終わったのだ。本当にブランシュがアバドンを倒してしまった。それだけではない、村を蝗害の危機からも救ったのだ。母上と兄上が言っていたことは本当だったのだ。

 私の妹は可愛いだけではなく、大魔法まで使えて、村を救った救世主だ。とても誇らしい。やっぱり私の妹は世界一だ。

 立ち尽くしているブランシュを迎えに行くため、私は麦畑の中を走る。

 たくさん褒めてやらなければ。頭をたくさん撫でてやろう。気恥しいので私はあまり頭を撫でたことはないが、兄上がよく撫でていた。ブランシュは撫でてやると嬉しそうに目を細めるのだ。今は兄上がいないから代りに私が撫でてやろう。

 家に帰ったらあの子が好きなアップルパイをクラハに作ってもらおう。花も好きだから花壇の花をいくつか見繕って持っていこう。


「ブランシュ」


 その前にまずはねぎらいの言葉をかけようと名前を呼んだ瞬間。ブランシュの身体がぐらりと傾いた。


「っブランシュ!」


 慌てて駆け寄り、倒れそうになったブランシュの身体を抱きとめた。

 アバドンと戦っている時に、怪我でもしてしまったのだろうか? それとも魔力の不足か?


「ブランシュ大丈夫か!? どこか痛いとこでも……」


 腕の中に収まったブランシュは静かに寝息を立てていた。命にかかわるようなことかと思ったけれどどうやら違うようだ。

 でもまあ、仕方がないか。あれだけの魔法を使い、多大な魔力を消費しただろう。それに普段から少し無理をしただけですぐ倒れるのだから、きっと疲れたのだ。むしろ穏やかな寝顔に安堵する。


「お疲れ様、ブランシュ」


 眠りの深さから見るに、少なくとも今日は一日起きないだろう。結局ブランシュは今年も麦の収穫には参加できないわけだ。

 だが麦の収穫に駆り出されていた村人たちは今日の出来事を見ていた。だから誰よりも頑張ったお前を馬鹿にするものは少なくともこの村にはもういないだろう。

 ゆっくりお休み、ブランシュ。

 私は眠るブランシュを抱き上げ馬車へと向かった。


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