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25、悪魔、アンドラス2(side:シャルル)

 目の前を真っ赤な血しぶきが舞う。


「ブランシュ!」


 倒れ込んだ彼女に駆け寄り、急ぎ治療魔法をかけるものの傷が深く、出血量も多いので今の僕の力では役に立たない。僕の治療魔法で治せるような傷ではないのはわかっている。しかし魔法をかけ続けることをやめようとは思えなかった。

 なぜか自分でもわからない。ただ彼女に死んでほしくないことだけは確かだった。


「もう諦めなよ。無駄だって」


 どれくらいそうしていただろうか。背後から声が掛かる。

 声の主は、……アンドラスといっただろうか。つい先ほどまでクラスメイトの振りをしていた悪魔。

 悪魔なんて、古い書物や聖典にしか登場しない。誰しも想像上のもの、または古に滅んだものだと解釈している。僕もそう思っていた。

 しかし今こうして実際に存在しているのだから、その認識は改めるべきだろう。とはいっても次に殺されるのはおそらく僕のなのだからもう関係のないことだ。

 背後のアンドラスに動く気配を感じる。

 これで僕もおしまいだ。案外呆気ない人生だったな、なんて他人事のように思う。あの世に行ったら父様、母様、兄さんたちに会えるだろうか。

 ただ一つの心残りは寝たきりの弟だ。あの子だけ置いて行くのは少し心配だ。師の奥様に預けているので悪いようにはならないと思うけれど……。

 ふと下から視線を感じて目線を下げると、つい先ほどまで固く閉ざされていたはずのブランシュの瞳が開かれていた。


「っブランシュ……」


 驚きでうわずった声が漏れ出た。生きていたのか。

 次の瞬間、ブランシュの身体を眩い光が包み込んだ。その光は柔らかで暖かで、全てを救い上げるかのような奇跡の光だった。それはまるで聖女の放つ光のようにも見えた。


「……聖女」


 無意識のうちに言葉が漏れ出た。

 暫くして光が消えてそこに立っていたのは、無傷のブランシュだった。先ほどまで血にまみれて、その命の灯が消えようとしていた彼女がその足で堂々と立っていた。

 制服こそ血まみれのままだが、刺された傷は跡形もなく消えている。先ほどまで蒼褪めていた顔は、普段通り血色がいい。まるで何もなかったかのようだ。


「まだ、生きてたのか。しぶといな」


 地を這うような低い声が背後から聞こえた。忘れていた、アンドラスがまだいたことを。

 アンドラスは僕が落とした短剣を手に取るとじりじりとこちらへと近づいてくる。狂気の籠った血走った瞳がブランシュを射抜く。

 まずい、いくらブランシュが起き上がったと言えども一度死にかけた身だ。今の状態でアンドラスと対峙するのは無謀に等しい。

 ブランシュをアンドラスから隠すように。殺気を遮らせるかのように、僕は二人の間に立った。


「アンドラス、貴様復活しておったのだな。だが、まだ十全ではないようだ。今のお前では我は倒せぬよ」


 ブランシュの口から出た言葉。それは僕の知っているブランシュからとても乖離していた。

 見た目こそ小さくてか弱いが、決して弱くはなく、守られるだけの存在ではない。たまにおっちょこちょいで驚くほどに常識を知らなかったりもするが、愚かではない。他社を圧倒する力を持っているくせにそれを誇らない。

 それが僕の知っているブランシュ・オトテールだった。

 しかし今の彼女はどうだ。

 揺らぐことのない強い瞳、自信に満ちた口調。凛とした精悍な顔つき。どれもが僕の知っているブランシュとは違った。

 顔も姿も声さえもブランシュであることには間違いがないのに、まるで中身が入れ替わってしまったかのように雰囲気だけが変わっていた。

 これは誰だ?


「お前、いったい誰だ?」

「お前に教えてあげる義理はないよ」


 淡々と告げるブランシュに、アンドラスは舌打ちを一つ打つ。


「ぶっ殺して化けの皮はいでやるよ! 殺れお前ら!」


 アンドラスが高らかにそう叫ぶと、従魔舎の檻が一斉に開いた。同時に中に入れられていた従魔たちが顔を覗かせる。

 たいして広くもない従魔舎。しかしここだけでも、二十を超える従魔がいる。その全てが、こちらに向かってきてはブランシュとて無傷では済まないだろう。

 二十頭近くの従魔たちが、こちらを睨む。血走った瞳が獲物を捕らえる瞳で、ブランシュを見る。牙を剥き、臨戦態勢の獣たち。今すぐにでもこちらに飛びかかって来るだろう。

 先ほどまで比較的おとなしくしていたというのに、この変わりようはいったいなんだ。まさかこいつがなにかしたのだろうか。

 アンドラスが手を指揮棒のようにふるう。それを合図に、従魔師の制御の外れた獣たちが一斉に飛びかかってきた。

 興奮した従魔相手に戦う力など、僕にはない。かといってこの数相手に逃げ切るだろうか。それでも逃げるしか手はないだろう。どうにかしてブランシュだけでも逃がさないと……。


「おすわり!」


 僕の思考を一刀両断するかのように凛と通る声が、響き渡った。

 それと同時に、このまま食い殺さんと駆けだした従魔たちがピタリと動きを止めた。それどころか、戦意を失った獣たちは調教された飼い犬のように伏せの状態をとっている。まるで牙を抜かれたようだ。

 いったい彼女は何をしたというのだ。


「クソクソクソクソ! バカにしやがって! ならこれならどうだ!」


 アンドラスの背後から現れたのは、義姉さんの従魔であるベヒモスだった。暴走していたことで隔離していたはずだったが、こいつもアンドラスが解き放ったのだろうか。

 僕はベヒモスが暴走した時その場にいなかったのでわからないが、ここまで大きく邪悪な魔力を放つ魔物を従魔にすることが義姉

 に出来たのだろうか。それ以前にベヒモスとはここまで禍々しい魔物だっただろうか。

 あまりの禍々しさに僕は絶句することとなった。


「自分の魔力を大量に与え強化させたベヒモスだ。これならお前でも太刀打ちできないだろう!?」


 勝ち誇ったように嗤うアンドラス。手を振ると、ベヒモスがブランシュめがけて一目散に飛びかかっていく。巨体に似合わぬ速さで駆け抜ける。

 迫りくるベヒモスに、ブランシュは顔色ひとつ変えずにただ前だけをむいていた。


「甘いな」


 一言呟くとブランシュは一歩だけ前に出た。その手にはいつの間にか、槍が握られている。二股の槍。全体が淡い紫色に光り輝いており、ひどく神秘的に感じる。

 迫りくるベヒモスにブランシュは動じることなく槍を構えた。


「ブオォォォォ――――――」


 咆哮と共にベヒモスが突撃してくる。

 ブランシュは手にした槍を投げた。煌めきながら真っすぐ突き進む槍は、ベヒモスの頭部へと突き刺さる。しかし槍はまだ止まらない。

 まるで柔らかなケーキを突き崩すかのように、簡単にベヒモスを破壊していく。ベヒモスが瓦解して開けた視界に、現れたのはアンドラスだった。

 飛翔する槍は躊躇することなく、そのまま勢いを殺すことなくアンドラスの腹部へと突き刺さった。

 なぜベヒモスの後ろにぴったりと引っ付いていたのか。それはおそらくやつはベヒモスを倒して一息しているブランシュを、だまし討ちするつもりだったのかもしれない。

 しかしそのような姑息な手段はブランシュには通用しなかった。


「な、何故……」


 串刺しにされたアンドラスが、驚愕のあまり目を見開きうわ言のように問いかける。

 ブランシュはそれを受けて、無表情のまま口を開いた。


「悪魔の考えることなんて、今も昔も変わらぬのう」


 もう終わったとばかりに踵を返すブランシュ。


「絶対に許さないからな! 呪ってや……」


 恨みの言葉を吐きながら、アンドラスは灰になって消えた。あれだけ引っかき回した悪魔の最後は何とも呆気ないものだった。


「そこの、」


 唐突にかけられた声に、自身が少しばかり放心していたことに気が付く。目の前で物語のようなことばかりが立て続けに起こったのだ。思考が付いて行かなくなるのも仕方のないことだろう。

 視線を向けると、目の前のブランシュが立っていた。否、今はブランシュではない誰かなのかもしれないけれど。


「このことは内密にしていてくれぬか? 今はまだ公にはしたくないのでな」


 なぜ僕にだけ言うのだろうと壁際に視線を向けると、義姉は白目をむいて意識を失っていた。

 さっきまで汚い顔で命乞いしながら泣いていたというのに。最後まで情けない奴だ (別に死んだわけではないけれど)。

 クラスメイトが悪魔で、別のクラスメイトが一度殺されたけど復活して悪魔のクラスメイトを倒した。なんて現実離れした話をしても誰も信じてくれるわけがないので素直に頷いておく。


「……貴方は、いったい誰なのですか?」


 見た目はブランシュだ。しかし中身はそうではない。

 目の前の相手は少し思案を巡らした後、したり顔で僕を見つめた。その表情は僕の知っているブランシュと似ても似つかなくて、落ち着かない。


「我の名はエウブーレウス。今はそう名乗っておこう。この娘を守護するものだ」


 その姿はとても神々しく見えた。『神である』と言われれば信じてしまえるくらいには。

 ブランシュの身体が糸が切れたかのようにふらりと体が傾いた。


「ブランシュ!」


 咄嗟に駆け寄り抱きとめる。固く閉ざされた瞳はピクリとも動かない。しかし先ほどとは違い、頬には赤みがさしており死の匂いは感じない。規則正しい呼吸音に眠っているだけなのだとわかりホッとした。

 全て開かれた檻。檻から出ても大人しく座ったままの従魔たち。飛び散ったベヒモスの肉片。意識のない義姉。

 今まで目の前で起きていたことがまるで夢のように感じる。だがすべては現実だったのだとこの場の惨状が示す。

 ブランシュ・オトテール。僕の腕の中で安らかに寝息を立てる彼女及びエウブーレウスと名乗ったものがいったい何者なのかはわからない。

 瀕死の重傷だったはずの致命傷を一瞬治してしまった、驚異の治癒能力。あの力があればもしかしたら眠ったきりの弟も癒せることが出来るのではないだろうか。そんな期待が頭をよぎる。

 彼女は味方につけるべきだと、そう確信した。

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