22、悪魔アンドラス
「シャルル!」
従魔舎に駆け込んだ私が見たのは、説明を求めたくなるような光景だった。
禍々しい短刀を手にしたシャルル。そのシャルルと向かい合う形で座り込み、恐怖に慄き顔を涙と鼻水でぐちゃぐちゃにしたマルチダさん。
二人とは少し離れたところに佇む長身のクラスメイト。仁王立ちで腕を組んでいる様は、まるで余興でも見るかのように二人を眺めているようだ。
「これはとんだ邪魔が入ったな」
私の姿に気が付くと、さも面倒だと言わんばかりに顔を歪めた。だがそれの一瞬のこと、彼の顔はすぐに狂ったような笑みに変わった。
「お前らなんか勝手に勘違いしていたみたいだから、今のうちにこいつら食っとこうかなぁ、って思ったんだけど。なんだ気付いちゃったのかぁ。残念」
まったく残念なんて微塵も思っていない表情で嗤う。その凶悪な笑みは、とてもじゃないが人間の表情ではない。おぞましい化け物にしか見えない。
「あなたは、いったい何者なの?」
「あれ? 気が付いてなかったの? 案外鈍感なのな。自分の名はアンドラス。不和の種をまく悪魔だ」
アンドラス。彼がそう名乗った瞬間、顔が歪んだ。ぐにゃりとねじれたかと思うと、先ほどまでとは全く違う顔が現れる。人間ではない、フクロウの頭。
悪魔と言えば思い出すのは去年の秋ごろのことだ。イナゴの悪魔、アバドン。おどろおどろしい姿で、とても強く、とても恐ろしかった。
あの悪魔は結局どうなったのだろうか。マクシムお兄さま曰く、私が倒したと言っていたけれど、私にそんなことは出来るわけがないので、きっと今もどこかで生きているのだろう。
前もってエイデンに人間ではないと聞いてはいたけれど、実際にこの目で見るまで半ば懐疑的だったが目の前で正体をあらわにされれば信じるしかない。
相対しているだけで、ぞわりと怖気を感じる。見た目のおぞましさだけでなく、プレッシャーのようなものが肌を指す。これがエイデンが言っていた禍々しい魔力というものなのだろうか。
「なんで、学院に新入生として入ったの?」
人間でないのにわざわざ入学試験を受けてまで魔術学院ソルシエールに入学してきた理由がわからない。
直接問うと、アンドラスはにたりと目を細めた。
「ただの暇つぶしだよ。来るべき日までこれと言って何かの使命を請け負っていたわけでもないし、暇だったからね。まあ、どうせい暇ならあの方の為に不和でも巻いて地ならしでもしておこうかなって思ったりもしたけど、これは自分の趣味でもあるからやっぱりただの暇つぶしだね。うん」
へらへらと笑うその顔には恐怖しかわいてこない。
「ハハハ、自分が学院に入り込もうとした時に丁度とんでもないのが来たからてっきり全部気づかれてるのかと思っていたけれど、なーんもわかってなかったみたいだ。たいしたことないなぁ。でもあの時は邪魔だったな」
アンドラスは「入学試験の時の話さ」と付け足した。
「自分たち悪魔は人の嫉妬心や殺意、不安などといった負の感情を養分とする。長い睡眠から目覚めたばかりの自分はお腹がペコペコでね。多くの負の感情を必要としていた。そこで丁度いい時に入学試験があったので、目についたてきとうな魔物に自分の魔力を注いで暴走させたのさ。大勢の人間が恐怖にかられる様はとても心地よかった。何人か死んでしまえばもっと負の感情を食べられただろう」
言葉を切ったアンドラスは瞳を閉じると、大きくため息を吐いた。そして再び開いた瞳は悪意を持って私を睨みつける。
「だというのに! それをお前が台無しにしたのだ。あの程度の負の感情では全然足りない。だから生徒の振りして学院に潜入してめちゃくちゃにしてやろうと思っていたのだが、あの小僧が付きまとっては邪魔をする。本当に邪魔で仕方がない!」
小僧とはエイデンのことだろう。忌々しそうに彼に対して不満を口にし続けた。
くどくどと愚痴を吐き出した後に、アンドラスはふいに表情を無にした。
「だがそれももうやめた。自分は気の長い方ではないのだ。あの方が来るまでは穏便に、なんて思っていたが飽きたのだ。そして気が付いた。好き勝手した方が楽だし、スッキリするとな。お前らが明後日の方向を探し回っているうちにだいぶんと力を取り戻した。それもこれもこの小娘のおかげだな。こやつの義弟に対するどろどろの嫉妬心は実に旨い。まあ、とはいっても全盛期の半分も戻ってはいないが、まあいい」
存分に語った後、アンドラスは歪に嗤った。
「で、自分が何でここまでベラベラと話したと思う?」
向けられた視線が気持ち悪い。暑くもないのに、汗が止まらない。今すぐ逃げ出したくてたまらないのに、私の足は震えるばかりで言うことを聞いてくれない。立っているのが精いっぱいだ。
「お前はここで死ぬのさ」
殺気が膨れ上がった。これだけ膨大な魔力だとエイデンでなくとも、感じることが出来た。巨大すぎる魔力は時にして、それだけで凶器になりえるのだ。
視界の端で、マルチダさんが泡を噴いて気絶している。アンドラスの魔力に当てられたのだろう。
「そうだお前が殺せよ。そっちの方が面白い」
そう言ってアンドラスは、シャルルの手から滑り落ちそうだった短刀を両手でしっかりと握らせる。
真っ青な顔で首を横に振るシャルル。しかし何らかの力でもかかっているのか、それ以上の拒否はない。
「お姉ちゃんを殺す前の練習だよ。大丈夫。あんなか細い体、腹に突き刺せば一発だって」
トンっとアンドラスに背中を押されたシャルルは、ふらふらとこちらへ向かって歩いてくる。
何とかしなければ私は殺され、シャルルが人殺しになってしまう。しかしどうすればいい? アンドラスに操られているだけのシャルルを攻撃することなどできない。かといってシャルルを盾にするように、彼の真後ろにいるアンドラスを攻撃することもまた無理だ。
たいして広くもない従魔舎の中で逃げても、すぐに追いつかれてしまうだろう。
「そんなこと、したくない……」
震える声が聞こえた。シャルルは巨大な力に抗おうとしているのか、滝のような汗が額から流れ落ちる。
歩みのとまったシャルルの手から、短刀が滑り落ちた。
「あーあー、目覚めたばっかりだからやっぱあんまり力戻ってないのかぁ。それとも、悪意も何もない相手に対しては俺の力も機能しないってことか?」
一度落胆し、しょげた様子を見せえるものの、すぐに気を取り直しては満面の笑みを浮かべて私に向きなおった。
「ま、自分がやればいいだけか」
一言軽い調子で呟くと、アンドラスは私の視界から姿を消した。
「え?」
いったいどこに行ったのかと、瞬きし再度目を開いた時彼の姿は私の目の前にあった。
まずい、思った瞬間、逃げろと頭の中で誰かが叫ぶ。しかし体が動くよりも早く、腹部に焼けるような痛みを感じた。視線を落とすと、腕が腹部から生えていた。否、アンドラスの右腕が私の腹部へと深く突き刺さっていた。
「うぁ……」
くぐもった声が口から零れ出た。とっさに抜こうとアンドラスの腕へと手を添えるが、全く力が入らない。そうこうしているうちにじわじわと痛みが増していき、立っていることすらままならなくなり私は床へと倒れ込んだ。
腕が抜けた傷口からおびただしい量の血が零れ落ちる。
「ブランシュ!」
シャルルの声が聞こえる。視線を向けると、紅く染まっていく視界の中で辛そうに顔を歪めたシャルルが見えた。
そんな顔をしないで、と声をかけたかったが口から零れるのはか細い吐息のみ。
必死なシャルルの声も次第に聞こえなくなり、私はそのまま意識を手放した。




