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4、謎の絵(side:エリーナ)

 目の前に転がるのは一人の少女。先程まで何か喚いていたが倒れたまま起き上がらない。

 はて、この少女は誰なのだろうか。知っている気がする。なのに頭に靄がかかったようになにも思い出せない。

 まあいい。思い出せないのであれば、きっと些細なことなのだろう。

 そんなものよりブランディーヌ様へ私の愛をささげる方が重要だ。

 私のブランディーヌ様への愛を邪魔するものは赦さない。この少女が何であれ、邪魔するのであれば排除する。

 早く排除してブランディーヌ様の素晴らしさを絵にして残さなければならないのに。それなのにちらちらと頭の奥で何者かが邪魔をする。

 きっとこの少女が悪いのだ。少女の存在が私の邪魔をする。

 早く●さなければ。

 ペインティングナイフを握る手に力を入れる。これを振り下ろせば、邪魔者を排除できる。それをわかっている、はずなのに私の手は持ち上がらない。


「……何なの?!」


 何かが押さえているかのように、腕が上がらない。足もこれ以上動かない。いったいなんだというのか。私はこの邪魔者を排除しなければならないといいのに。

 そうこうしているうちに少女の瞳がゆっくりと開かれる。


「起きたのなら出て行け! 邪魔だ! 出て行くのなら見逃してやる」


 別に●せないからではない。ただ邪魔をしないのであれば、どうでもいいと思ったからだ。ただそれだけ。

 少女は何も答えずに立ち上がった。そのままこの場から出て行くのかと思っていた。

 しかし違った、少女は黙ったまま私を通り過ぎた。出入り口とは別方向だ。出て行く様子はない。どうした?

 数歩歩いたところで少女は立ち止まった。少女の前にはブランディーヌ様の絵姿がある。少女は無言でじっと見つめる。

 それは、ダメだ。それだけはダメだ。絶対にダメだ。やはりこいつは排除しなければ。●さなければ。


「それに触るな――!!」


 絶叫すると金縛りが溶けたかのように私の体は動いた。足も手も元の通りに動く。

 これ幸いと私は少女に飛びかかりペインティングナイフを振り下ろす。これで邪魔ものは排除された。……はずだった。

 あと少しでペインティングナイフを少女に突き刺せるという瞬間に、何かの強い力で私は動けなくなった。


「な、なに!?」


 私の身体には光の帯のようなものが巻き付いている。これは何だ? 魔法か?

 振り払おうと力を籠めるも、解ける気配はない。


「放せ! これを解け!」


 少女はちらりと私は一瞥しただけで、また絵へと向きなおった。そしておもむろに手が伸ばされる。


「やめろー!」


 あと少しで少女の手が絵に触れるという瞬間、絵の周りに漂っていた黒い(もや)が集まってきた。私には判る。これは私の仲間だということは。

 黒い靄は絵を守るように周りを渦巻き、形作る。靄は人のような形を形成した。人型の靄はあまり大きくはなく、少女より少し小さいくらいだ。

 私は、その人型の靄をとても頼もしく思った。動けない私の代わりにアイツに●してもらおう。


「やってしまえ! そいつはブランディーヌ様に楯突く邪魔者だ!」


 私が命令すると、人型の靄は少女に向かって飛びかかる。

 少女は後退し回避した。その際に少女が片手を人型の靄に伸ばしたかと思ったら、その手から風の刃が飛び出した。

 風の刃は人型の靄に命中し切り裂くが、靄はあくまで靄だ。その程度の攻撃で消えることはない。切り裂かれた部分はすぐに元に戻る。

 人型の靄は手の部分を伸ばし少女へと向けた。何をしても無駄だとわかったのか少女は抵抗をしない。靄から伸ばされた手は少女の首元へと回り締め上げる。

 今度こそ邪魔ものは排除した。そう思った瞬間少女が眩く輝きだした。


「なんだ!?」


 その光によって首元に回った手は搔き消えた。少女の身体全体から溢れていた光はやがて収束し、最終的には右手のみが淡く光っていた。

 少女は駆け出すと、一気に人型の靄へと距離を詰める。靄はとっさに人型を解いて逃げようとしたが、少女の方がわずかに速く、光る右手を人型の靄へと叩きつけた。


「――!」


 少女の右手がひと際強く光ったと思ったら次の瞬間、靄は光にかき消されてしまった。後には何も残っていない。

 この少女は何者なんだ。こんなものは知らない。

 次に消されるのは私だろうか。未だ光の帯は消えておらず、私はこの場から動くことも出来ない。

 少女が一歩踏み出す。

 私が排除するつもりだったのに何故逆に私が消されなければならない。理不尽だ。

 しかし少女は私には見向きもせずに通り過ぎた。

 少女は再びブランディーヌ様が描かれたキャンパスの前で立ち止まった。


「やめろ!」


 静止の言葉を上げるが、少女は光る右手を絵へと向ける。あと少しで手が絵に触れる距離で、絵から再び黒い靄が滲み出てきた。

 しかし少女は慌てることもなく、無表情のまま右手を横なぎにした。途端に霧が晴れるかのように靄は霧散した。

 再び絵から靄が出ることはなかった。

 邪魔するものがなくなった少女は、ゆっくりと絵に右手を当てた。手から放出されている光が絵を包んだ。

 やめろ、そんなことをしたら私は……!


「うぐぁ……!」


 息苦しい。息が吸えない。吐き気がする。立っているのも辛く、痛む胸を押さえながら私はその場に座り込んだ。

 苦しい。いったい何だこれは。なんで私がこんな思いをしなければならなんだ。助けを求めるために手を伸ばす。

 手を伸ばした先にあったものは、ブランディーヌ様の絵だ。この絵はこんな鮮やかな色合いをしていただろうか。

 思い出せない。頭がぼんやりする。意識が薄れていく……。このままだと……私は、消えてしま……。



 ▼



「あ、れ……?」


 気が付いたら私は倒れていた。辺りを見ると、どうやらここは見慣れたアトリエのようだ。見覚えのない絵が山のように積み上がっていた。タッチは間違いなく私なのだが、書いた覚えがない。いつ描いたのだろうか?


「なんで私はここに……?」


 アトリエに訪れた記憶が無い。さっきまでなにをしていたのかも思い出せない。

 思い出そうとすると、頭が痺れる。暫くすると徐々に痺れは弱くなり、重かった頭もすっきりしてきた。

 先ほどまで何をしていたのか、おぼろげながらも思い出した。だが自分がやったという実感はなかった。

 私の中に何かが入り込んで勝手に動いているような。例えるなら観客席から舞台を見ているような感じだった。それでも今までのことは間違いなく私がやったのだ。


「なんてことを……」


 ああ、私は寝食も忘れアトリエにこもって狂ったように絵を描き続けていた。実感はないが、その記憶は確かにあった。家族たちに心配されても、聞く耳も持たなかった。あまつさえ、私を心配する娘に暴力をふるってしまった。

 最低な母親だ。実感がないにしても私がやったのだ。震える手で顔を覆う。涙が溢れてくるが、私には泣く資格などないと、無理矢理に涙を抑え込む。

 ふと人の気配を感じ、顔を上げるとブランシュが目の前にいた。

 心配そうに私を見ている。ああ、あんなひどいことをしてしまったのにこの子は私の心配をしてくれているのだ。なんて優しい子なのだろう。


「ごめんなさい、ブランシュ。私は貴方にひどいことをしてしまったわ……。母親失格ね」


 顔を上げる勇気などなく、俯いているとふわりと体が包まれた。驚いて顔を上げる。ようやく私が、ブランシュに抱きしめられていることに気が付いた。

 こんな真夏に抱き着くと、暑くて仕方ないはずなのなぜか温かく心地いい。


「ブランシュ?」


 ブランシュが幼いときはよく抱き着いて来ていたが、大きくなりいつの間にか抱き着いてこなくなった。それは大人になったのだと、納得していたが少しの寂しさはあった。

 おそるおそるとブランシュの背に手を回す。久しぶりに抱きしめるブランシュは、記憶の中よりもずっと大きくなっていて子どもの成長を感じる。

 三人の子どもたちの中でもひときわ病弱で、大人になるのを待たずに死んでしまうのではないかと心配だった。医者にも十歳まで生きれるか分からないと言われていた。

 だが十一歳になったブランシュは今も生きている。

 未だに病弱で、健康になったとは決して言えない。それでも同世代の女の子よりも小さいが、あのころに比べたら成長していたのだと今更に気が付いた。

 子どもは親の知らないところで成長するとは言うけれど、本当なのだと、改めて実感した。まだまだ小さい子どもだと思っていたのにいつの間にかこんなにも大きくなっていたのね。

 ブランシュの肩越しにから視線を上げると、視線の先にはスタンドに立てかけられた絵があった。

 聖女ブランディーヌが描かれた絵は、王都の市場で見つけ一目ぼれして買ったものだ。一目見た瞬間から素晴らしいものだと感じて速攻で買ってしまった。

 しかし冷静になった今、あの絵には何も感じない。何がそこまでよいと思ったのか我ながらにわからない。

 もしかしたらあの絵には催眠か何かの魔法がかけられていたのではないだろうか。でなければ、自らの娘を忘れてこの手で殺そうとしたことに説明がつかない。だって今はこんなに愛おしいのだから。

 あの時感じた殺意など今は一切感じない。むしろ自分の子どもに対して、殺意など感じることの方が異常だ。

 だが万が一あれが本当の私なのではないかと、不安がよぎった。今まで自分でも気が付かなかっただけで、私はブランシュのことを殺したいと思っていたのでは、と。

 未だ抱き着くブランシュに視線を落とす。ああ、ただただ愛しい。守りたい。それだけだ。

 大丈夫。ブランシュに対して、負の感情など一切湧いてこない。

 心まで操るなど恐ろしい。私が私でなくなってしまっていた。私は操られて、大変なことをしでかした。危うく殺しかけてしまった娘が私を救ってくれたのだ。感謝してもしつくせない。

 だがなぜブランシュにあのような芸当が出来たのかは不思議だ。

 先月ダニエルが「ブランシュが魔法を使って山火事を鎮火して、土魔法を使って洪水を防いだ」と言っていた。

 あの時はダニエルの言葉を信じずに、彼の妹びいきを少し心配していたりもしたのだけど、どうやらあの子の言っていたことは正しかったのだ。

 それはさておき、今はそんなことよりも言わなければならないことがある。


「ブランシュ。あなたが助けてくれたのね、ありがとう」


 優しく頭を撫でるとブランシュの頭が、糸が切れたかのようにがくりと項垂れた。


「ブランシュ!」


 何があったのかと顔を覗き込めば、ブランシュは腕の中で静かに寝息を立てていた。その寝顔は血の気は薄く青白いが、眉間に皺などなくとても安らかだ。ほっと胸をなでおろす。


「おやすみなさい、ブランシュ」


 私はブランシュを抱き上げると、アトリエの外に出る。久しぶりの外の空気を胸いっぱいに吸い込む。

 外は既に白み始めている。蒸し暑さは緩和され、過ごしやすい涼しさだ。

 涼やかな風が頬を撫でた。まるで今までのことは熱帯夜の見せた悪夢のように思えてくる。

 しかし私がこの目で見たことは、間違いなく現実なのだ。

 何者かに憑りつかれてブランシュを殺そうとしたことも、ブランシュが不思議な力で私を助けてくれたことも。

 夫や息子たちはまだ寝ているだろう。起きてきたら謝らないと。きっととても怒られることだろう。そして心配したと困り顔で言われるだろう。

 私は久々に顔を合わせる、夫や息子たちの顔を思い浮かべながら本館へと向かった。


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