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2、雨の日(side:ダニエル)

 私は西の川へ向かうために馬に乗り、父上と共に屋敷を出た。外は未だ雨が降り続いている。雨脚は強くなるばかりだ。


「領主様!」


 私たちが川へとたどり着くと、村の男たちが集まってきた。その表情は皆色よくない。何か良くないことが起こったのだと推測できた。


「どうした?」

「橋が、橋が流されました!」

「なに?!」


 橋のあった場所へと向かうと、確かに昨日まであった橋は無残にへし折れ水没していた。私はあまりの悲痛な様に言葉を失う。

 周りに佇む男たちも、言葉少なにその場に立ち尽くすのみだ。一年前にも橋が流され、つい先日立て直したばかりだ。

 重い空気の中、雨風にかき消されない程の大きな声が上がった。


「まだ水かさが増してきている。このままでは氾濫しかねない。村の浸水を防ぐために、土嚢を設置する」


 父上だ。いくら橋が落ちたとはいっても、途方に暮れている場合ではない。領主として父上は素早く次の指示を出した。落ち込んでいた男たちも父上の声で動き出す。


「ダニエル、お前は残っている住民たちに避難するように指示を出してくれ」

「わかりました!」


 父上は馬を安全な場所に繋ぐと、男たちと共に土嚢を設置し始めた。

 貴族、ましてや領主が自らやる仕事ではないかもしれない。しかし率先して平民たちと共に領地を守ろうとする父上の姿を私は尊敬し、目標としている。

 この場を父上に任せて私は命じられた通りに村へと向かおうと手綱に手をかけた瞬間、視界が眩く光った。光に周辺が照らされた直後大きな音が鳴り響く。どうやら近くに雷が落ちたようだ。


「確認してきます!」


 私は父上に声をかけると、村から方向を変えて雷の落ちた方へと向かった。

 雷が落ちたのは白樺が生い茂る林だった。

 辿り着いたそこは火の海。火の中心には焼け焦げ倒れた木。おそらく雷が直撃したに違いない。それをきっかけに火が付いたのだ。

 雨が降り続けているというのに火は勢いを増して燃え広がる。ここ最近乾燥した日が続いていたせいだろう。

 このままでは農村にまで燃え広がってしまうかもしれない。

 ここまでの大惨事では私一人では対処できないので、ここは一度戻り応援を呼んでくるべきだろう。川岸に戻れば、まだ父上たちが作業をしているはずだ。大人数で消火活動を行えば火も消えるかもしれない。

 駆け出そうと手綱を握る手に力を込めたが、すぐに緩めることとなる。誰もいないと思っていたところに人がいたからだ。

 真っ黒な髪に、(みどり)色の瞳。握ったら折れてしまいそうなほどに細い、枝のような腕。少食なため常に痩せた体。

 間違いない。私の妹ブランシュだ。


「ブランシュ? なんでこんなところに居るんだい?」


 先ほどまで誰もいなかったところに、妹のブランシュが一人佇んでいた。

 今から寝るところだったのかというようなネグリジェと裸足という、外に出るにはいささか軽装過ぎる格好だ。

 いやそれよりも、なぜブランシュがここにいるのだろうか。あの子は屋敷にいるはずだ。ただでさえ体の弱いブランシュが、こんな雨の降りしきる中に傘もささずに立っていたら風邪をひいてしまう。

 ここにいる理由を尋ねるよりも、すぐに暖かいところに避難させることが先だ。


「ブランシュ、早く屋根のあるところにはいりなさい。また熱が上がってしまうよ」


 午前中は熱を出して寝込んでいたのだ。急いで移動させなければとブランシュに近寄ったところで、私はとあることに気が付いた。

 ブランシュはどこも濡れてなどいなかったのだ。

 服も髪もどこも全く濡れていない。ここに来るまでの間、雨具を使用していたとしても、今現在も雨が降り続いている。しかもかなり雨脚は強い。そんな状態で全く濡れていないなんてことはありえない。どういうことだ?

 それだけではない。馬も馬車もどこにも見当たらない。ということはここまで徒歩で来たということだろうか。

 ぬかるんだ道を歩けば、靴 (ブランシュは裸足だが)や裾の長いスカートは泥や泥水が跳ねて汚く汚れているものだ。

 だというのにブランシュのネグリジェは何一つ汚れていないし、骨の浮きだした細い足は真っ白なままだ。まるで見えないベールか何かに包まれているかのように雨も泥もブランシュを避けている。

 私が混乱していると、ブランシュが動いた。私の前を通り過ぎ、燃え盛る炎に向かって歩を進める。

 伏し目がちな翠色の瞳には、何も映っていないかのようにただぼんやりと炎だけを見据えていた。


「危ないよ、戻ってきなさい!」


 このままでは炎に突っ込んでしまうと思った瞬間、ブランシュは炎の手前で足を止めた。かと思うと、おもむろに右手を軽く上げる。

 何をするのかと見守っていると、ブランシュの目の前に巨大な水球が突然現れた。


「!」


 ブランシュが掲げた右手を軽く振ると、水球はまるで意思を持っているかのようにふわふわと浮いたまま炎へ向かって飛んで行った。

 燃え盛る白樺林の真上にまで浮かび上がると、水球は風船のように音をたてて弾ける。弾かれた水は燃える炎へと落ちていった。

 しかし火は消えない。勢いよく燃える炎にはこの程度の水など意味をなさない。

 それでもブランシュは焦ることなく次の水球を作り上げていた。二つ目の水球も同じように上空に飛び立ちはじけ散る。

 入れ替わるように三つ目の水球が現れる。次々と生み出されていく水球は、いつの間にか空を覆いつくしていた。

 おびただしい数の水球が一斉にはじけた。

 ざばざばと大量の水が炎に降り注ぐ。まるで滝のような水に圧され、あっという間に火は全て消えてしまい、残るのは消し炭ばかりだ。


「まずいな……」


 消火できた安心感よりも先に、次の心配事が頭をよぎる。

 火が消えたのはいい。しかしただでさえ大雨で氾濫しそうだった川にこれだけの大量の水が流れ込むと、間違いなく川は決壊するだろう。川辺にいる父上や領民たちが危険だ。

 父上がいない今、私がどうにかしなければいけない。だがどうにかすると言っても何をどうすればいいのだ? 魔法も碌に使えない私にはどうすることも出来ない。

 頭を抱えるほどに悩んでいたが、この問題はあっという間に解決した。

 ブランシュが右手を薙ぐと、大量の水はあっという間に掻き消えた。まるで初めからなかったかのように、形跡すら残っていない。

 今実際に目の前で起きたことだというのに、私は暫く理解できなかった。

 魔法は誰だって使えるものだ。とはいっても、普通の人は生活魔法程度しか使えない。私もマクシムもそうだ。

 生活魔法とはコップ一杯の水を出したり、薪に火を付ける程度の生活に必要な最低限の魔法のことだ。

 間違っても今ブランシュが出した大量の水球など私には無理だ。あのような高度な魔法は魔術師にしか扱えないだろう。だというのに、ブランシュはいとも簡単に魔法を行使した。

 ブランシュがあんな大掛かりな大技を使っているところなんて今まで見たこともなかった。それどころか、簡単な生活魔法ですら使った後には熱を出して寝込んでしまうほどに貧弱なブランシュだ。

 なら高度な魔法が使えることを隠していたのだろうか? それはとても考えられない。

 私があれこれと考えている間に、ブランシュが歩き出した。屋敷へと帰るのかと思ったが、どうやら違う。ブランシュが向かう方向は屋敷とは真逆だ。


「ブランシュ、待ちなさい!」


 考えるのは後にしよう。それよりも今はブランシュの方だ。

 雨はまだ降り続いている。雨には濡れていないかもしれないが、肌寒いのは変わらない。

 私は家に戻るように促すが、帰ってくる返事はない。まるで聞こえていないかのようにただひたすら歩き続ける。


「あっちは……」


 ブランシュの歩みの先にあるのは増水した川だ。増水した川に足をとられてしまえば、大人でも飲まれてしまう危険がある。ブランシュではあっという間だ。


「ブランシュ、そっちは川だ! 危ないから戻ってきなさい!」


 ブランシュは相変わらず振り返らず、ただ進む。普段は小柄のせいもあり、私よりもずっと歩みの遅いブランシュ。しかし、今のあの子は信じられないほどに早く歩く。どんどんと引き離されていく。このままでは見失ってしまう。私はブランシュの後を追うために走り出した。

 ようやく追いついた時にはブランシュは増水した川のすぐそばにいた。あんなところに居ては危険だ、すぐに連れ戻さないと。


「ブランシュ! そこは危ないから離れなさい!」


 ごうごうと流れる水音で私の声はかき消される。声を張り上げるが意味がない。

 こうなっては腕でも掴んで川から引き離すしかない。

 私が近づくと、ブランシュは顔色一つ変えずに平然と一歩踏み出した。しかしそこには地面はない。すでに川だ。


「ブランシュ!」


 川に落ちた。と思ったが、ブランシュは変わらず立っていた。荒れ狂う川の上、何にもない空中にブランシュは浮いていた。

 これは浮遊魔法だ。以前、上級魔法の本に書いていたのを見たことがある。

 浮遊魔法とはその名の通り自身の身体を空中に浮かせる魔法だ。浮遊魔法は難しく、ある程度魔法が使える人間でも、使える人間は多くはない。当然私は使えない。

 浮遊魔法が難しい理由の一つとしては、魔法を使う際に魔力が多く必要になるからだ。地面より高い場所に浮かぼうとするほど多くの魔力を消費する。そこそこに魔力量がある者でも、簡単に何度も使用できるものではない。

 また浮遊魔法は風属性になるので、風属性魔法が苦手な者もまた習得するのは難しい。

 なのでブランシュは風属性魔法の素質があり、尚且つ魔力量が多いということなのだろう。魔力計測器というものは存在すが、高価なものなので一般家庭にはおいていない。

 所持しているのは学校か大きな教会、王城くらいだろう。

 ちなみに浮遊魔法の上位となる飛行魔法は難易度も消費魔力もさらに上だ。よほどの技量に長けた魔術師ではないと扱えないという。

 まだ学校にも通っていないブランシュが、浮遊魔法なんて高度な魔法をいとも簡単にこなして見せた。これもまたいつの間に覚えたのだろうか。しかし驚くのはそれだけで終わりではなかった。

 ブランシュは先ほどと同じように川に向けて手を翳す。次の瞬間、地響きと共に地面が揺れた。

 地震か? こんな時に地震とか最悪だ。

 激しい揺れに立っていられなくなり、私はその場に座り込んだ。ブランシュ激しい大丈夫かと視線を向けるが、彼女はかわらず宙に浮いたまま。地震など関係なかった。

 数秒後、ようやく揺れは収まった。

 顔を上げると、視界に違和感を感じる。最初はわからなかったが辺りを見渡してみてようやく気が付く。私の立っている位置から、先程よりも河口が近くなっていることに。

 河口まで三メートルほどあったはずなのに、今ではその距離は縮み二メートルほどなっていた。

 いつの間に私は河口へと近づいてたのだろうか。いや、違う。私が動いたのではない。川幅が広くなったのだ。その証拠に川の向こう岸が先ほどよりも遠くなっているし、今にも氾濫しそうだった水かさが少し余裕があるように見えた。

 川幅だけでなく、もしかしたら川底も深くなったのかもしれない。これなら氾濫心配も少なくなる。

 誰がやったのか? そんなの一人しかいない。ブランシュだ。

 大量の水球に、浮遊魔法などの高度な魔法を使ったところを見ていなかったら信じられなかっただろう。

 ブランシュは土魔法を使い、川幅を拡げたのだ。先程の地震かと思った地響きと揺れは川を拡げるためのものだったのだ。まさかこのような大胆な方法で洪水を回避するとは考えもしなかった。

 一仕事終えたブランシュは、ふわりと着地した。私はすぐさま駆け寄る。


「ブランシュ、凄かったよ! とても助かった! それにしてもまさかあんな高度な魔法を使えるとは思わなかったよ。いつの間に覚えたんだい?」


 私の問いにブランシュはただじっと私を見つめるだけで何も答えない。どうしたのだろうか。

 次の瞬間、ブランシュの頭がぐらりと揺れた。そのまま力を失ったかのように倒れていく。


「ブランシュ!」


 慌てて抱きとめるとその身体が異様に熱いことに驚いた。発熱している。瞳は固く閉じられ、呼吸は荒い。何度も声をかけるが瞳を開かず意識はない。

 先ほどまで彼女を包んでいたベールのようなものは消え、ブランシュの身体は雨で濡れていく。

 急いで屋内に移動させなければ肺炎にでも悪化しかねない。

 私は着ていたレインコートを脱ぐとブランシュにかけた。そのまま抱き上げた時、蹄の音が聞こえてきた。


「ダニエル、さっきの揺れは何だ? 何があった? ……そこにいるのはブランシュか!? 何故ここに……」


 揺れに気が付いた父上が駆けつけてきたようだ。

 近寄ったことで父上が私の腕の中で気を失っているブランシュに気が付いた。しかし今は詳しい説明をしている暇はない。


「父上! ブランシュの熱が上がってきてます! 今すぐに休める場所に移動しなければ!」

「わ、わかった!」


 聞きたいことは山ほどあるだろうが、今はブランシュの安否が第一だ。

 近くで休める場所を手配するため、父上は馬に乗ったままその場を駆け出した。



 ▼



 数日後、目を覚ましたブランシュは何も覚えていなかった。山火事を食い止めたことも、浮遊魔法を使ったことも、土魔法で川の氾濫を防いだことも何もかも。

 まさかと思い魔法のことも聞いてみたが、「そんな難しい魔法なんて使えません」という。

 きっと最後に倒れたことが恥しいのだろう。私の妹はどうやら照れ屋のようだ。

 しかしとても素晴らしいことをなしたのに、わざわざ隠すこともないと思うだけれどその奥ゆかしさもまたブランシュの良いところだろう。


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