episode3-1
副丘との思い出というより、近藤にとって副丘との思い出は兵学校での思い出と一緒な為、まずは兵学校の同期の話でもしよう。
近藤郁には許嫁がいた。その許嫁一家は明治のころから続く海軍一家でもあり薩摩閥としても有名であった。昔から海軍に入ることが決まっていた郁は自分自身で何かをやりたいという夢を持つことがなかった。
しかし、それは悲観した考えではなく幼いころから愛した可愛い許嫁のことを嫌になったこともその一家を恨んだこともなかった。ただ、幼いころに親同士が決め自身も一目ぼれした少女と一緒になれることだけが幸せであった。
兵学校もただの結婚するための通過点で少しめんどくさいと思いながら無事試験に合格し入学してみると想像通りの生活が始まり、3年間士官になるために学ぶのだけの日々かと思っていたが、同部屋となった同期たちによって人生で一番濃い忘れられない時間を過ごすことができた。
同部屋で声を大にして仲が良かったといえる者は副丘文彦と吉田有馬の二人で、吉田は誰に対しても敬語で逆に上官から敬語を使うことに対して注意されたことがあった。同期に対して敬語を使うなということだったらしいのだが、少し落ち込み気味の吉田の話を部屋で聞いていた副丘が大笑いしだし皆がどうしたとそちらを見ると、実はその現場を目撃していたらしい副丘が急に真顔になりキメ顔で「なぁ、吉田のこと注意した上官って雨宮教官なんだ」というのだから部屋は笑いで包まれた。雨宮教官は我々生徒に対しても敬語を使う人物なのである。行ってしまえば吉田と同じタイプの人間が注意するとは説得力のかけらもない。
吉田はまじめな人間で俊敏に動く人間であった。逆に副丘は腰が重い人間であり、人よりワンテンポ遅れて動くことが多かった。考えるよりも行動しながら考える吉田と、考えてから動く副丘と対照的な二人だったが不思議なことに衝突することは一度もなかった。
夏の帰省時には純白の第二種を着て近藤の家へ三人で行ったこともある。笑い話で近藤のいいなずけとその一家に顔を出した際に副丘が「上司の娘さんをもらうなんて絶対骨が折れるから僕は嫌だな」と言って笑っていたのだが、その副丘も実はある娘さんから以前より思いを寄せられていたらしく兵学校卒業とともにその父の圧もかかり冷や汗状態で結婚した時は、さすがに笑うことができず4歳差の15という幼い少女を嫁にもらい戸惑っていた当時の副丘にはご愁傷様と思った。だが、その様子を見て、吉田が速攻地元に残してきた恋人と結婚した時はさすがに笑ったし、なんだかんだ三人とも嫁を愛していた。
副丘なんてほとんど家に帰っていなかったのに子が四人もいるのだから、結婚の形はどうあれ幸せそうであった。終戦後、あいつらの奥さんのもとに会いに行くと力強く女一人で子供たちと奮闘している姿をみて、さすがに今後生きていく中で新しい男がいたほうがいいのではという話が同期たちの中からも出ていた。吉田のところもまだ幼く副丘のところなんてまだ生まれたばかりの赤ん坊がいたのだから父親が必要であろうという同期からあいつらの奥さんへ縁談の話が多く出たが、奥さんたちは首を縦に振ることは一度もなかった。
そんな奥さんたちを心配で困ったという感情で最初見ていたが、ここまで同期のことを愛してくれた女性たちに深い感謝の念が勝つようになった。金銭面や仕送りはさせてほしいと、子供たちが大きくなり家庭を持つまで同期たちは一丸となって戦死した同期たちの家族を支えたことも、三年間の関係が強い絆となったことに近藤は士官学校に行ってよかったと思えたし、戦場に出ることなく病に伏したまま終戦を迎えてしまった近藤へ誰も恨みやのけ者にすることもなく同期として扱ってくれたことは老人になった今でも感謝しているし、皆で集まると毎回いい、同期たちに笑い飛ばされてしまう。
病で伏しているときも今は亡き同期たちが顔を見せてくれたことも多々あった。副丘と吉田は戦地で同じ部隊に配属された父が医者である田神悟一飛曹を連れてきてくれ、田神の父の病院に移動したことにより近藤は病を治すことができたのである。内臓の炎症には空腹は厳禁なのだが、食べることができず放置していたことも悪化の原因だったと今なら笑い飛ばせるができたが、あの頃は皆見舞いに来た時、他愛もない話をした後、足早に笑顔で去っていく姿を見送るのは歯がゆかった。
副丘と最後にあったのは昭和20年の一月頃突然、訪ねてきたのである。
「あなた、お客様ですよ」
「近藤、元気かー」
「は!?副丘、貴様今九州にいるはずだろ」
本当に何の前触れもなくやってきた副丘に近藤は見舞いに来たことへの感謝ではなく疑問を突き付けた。最近同期が殆どやってくることがなくなり戦況の悪化が新聞やラジオの情報より分かりやすく表れ、つい最近同期の吉田が特攻を成功させた知らせを受けたばかりである。
「いやはや僕も人気者で昨日は東京で今日愛知にお呼びがかかったんだ」
話を聞くと副丘は特攻作戦から任を解かれ本土防衛のため、標的が船から飛行機に変更することになったとのことだ。最近の戦況の中反対派が近くにいることは喜ばしくないのだろうと、茶をすすりながら笑っていた。
「いっそのこと特攻に出してくれたほうが幸せなのかもしれないな」
この時の副丘の顔には疲れの色が濃く、自棄になっていたのかもしれない。ぼそりと出た言葉を近藤は聞かなかったことにした。
「特攻から離れて東京、名古屋に出張しているということは安全な場所に移動するのか?」
「ハハッ、安全?まぁ、人に命を握られている訳ではなくなったが安全ではないな。特攻と同様一回の出撃で死ぬ可能性もある……今のこの国に安全な場所なんて大本営以外存在しないよ」
副丘は昔からよく笑うやつであったが、あの時の笑い方は初めて見たと今でも感じている。あんな笑い方、平和な今の時代では早々見ることのできないもので、思い詰めているようにも見えた。
その時、近藤は知らなかったが副丘には多くの部下に慕われていたらしい。それも部隊が変わるときには必ず連れている部下が二人いたということを生き残った一人が証言していた。別に副丘が上にわがままを言っていたわけではなく、上がニコイチのように副丘が移動すると後から一人ずつ移動させていたらしい。
兵学校時代から副丘はなぜか上層部には気に入られていた。気に入られていたというよりも、可愛がられていたことを思い出す。
しかし、あの頃の副丘にとって親しい人間を手元に置くのは苦痛だったのではないかと思う。あいつは情に厚い人間で交流関係は狭く深いため、余計仲間が死んでいくことに精神的にやられていたのだろう。
「僕のことはいいから近藤、体調はどうなんだ?最近順調に復活しかけているらしいな」
「そうなんだ、もうすぐ復活できるよ」
「……近藤、あと一年は療養しとけ。完全復活まで上に絶対言うな。無駄死にさせられる」
今になって、忙しい副丘が近藤のもとにやってきたのはこの言葉を言いたかったからなのだろう。戦後知った話だと、この時夜に幼馴染の親友と酒を飲みかわし次の日には四国に渡ったらしい。せっかく地元にいたにもかかわらず家族のもとへこの時は帰っていなかったということだ。奥さんも副丘が名古屋にいたことを知らされていなかった。
一年という月に当時の近藤は何も考えずに返事したがその年の夏、日本は無条件降伏することになり、副丘も帰ってこなかった。この時、全員かは知らないが士官はほぼ全員もうすぐ戦いが敗北で終わるだろうと思っていたと帰ってきた同期たちが口節に言っていた。