Episode2-1
山から帰ってきてテンションMAX人間
穴は基準サイズではなくそれぞれ中に入る人の身長を考えた方がいいと思う。あれは穴に入るより落ちるの表現があってる
侑人は所家から出る前、お見送りにでてきた斐蔵に文彦とは大人になっても付き合いがあったのか尋ねた。
「当たり前じゃないか。あいつにとっても私にとっても唯一無二のような存在だったんだ。大人に近づいてくると人間体だけではなく心も成長する。そうすると昔の自分を知っている者の大切さが身に染みてわかってくるものだよ」
斐蔵は嬉しそうにだが、悲しそうに微笑みながらそう回答が帰ってきた。確かに斐蔵はとても社交的で役所に長年勤めてきた。
しかし、昔の話を聞くと昔はどちらかと言うと内向的であまり人とは関わるような性格には到底無かった。この成長していくうちに克服し失われたものを知っている者が近くに入れば、心休まる時間が送れるのだろう。もしかしたら文彦も兄の死で内向的になっていたが、斐蔵の前でだけ昔と変わらない姿を少しはさらけ出していたのかもしれない。
「自分の幼なじみの祖父同士も幼なじみなんてなんだか変な感じだな」
「私だって最初驚いたよ。まさか孫があいつの孫を家に連れてくるなんて……侑人くん。こんな老人だがあいつの事は誰よりも知っているつもりだ。今後誰かに変なことを吹き込まれそうになっても自分の祖父を信じなさい」
この時、侑人はなぜ祖父のことを信じろと言われたか理解していなかった。今目の前にいるのは祖父の親友であり軍人になる前の文彦を知っている人物。今後会う人達は軍人である副丘文彦だけを知っている人達なのだ。
あの明日が生きられるか分からないほど酷い地獄のような時代。同僚達にとって副丘文彦とはどのように写っていたのだろうか。
侑人は笑顔で斐蔵に手を振り帰路に着いた。
斐蔵は侑人が帰り片付けられた机を見ながら深く椅子に腰を下ろした。
「あーぁ、文彦めお前のことを孫が知りたがってるぞ……死ぬのが早すぎなんだお前は。走るのも泳ぐのも速かったがまさかあそこまで行って死ぬとは思わないだろ……なぁ、またお前と酒を酌み交わしバカ話がしたいよ」
昭和20年(1945)1月
飲み屋の個室の座敷に一人の男が待っていると背広を着た男が急ぎ足で座敷の中に入ってきた。
「久しぶりだな斐!何も変わってないな」
「文彦は髪が伸びたか?軍人様は坊主の印象が強いのだが」
「あれは陸の芋たちだろ。海は下っ端じゃなければ自由なんだ。」
座布団に座ると直ぐに慣れた手つきで胸元からタバコを取りだし口にくわえ火をつける。斐と呼ばれた男は役場務めの所斐蔵で文彦は海軍軍人の副丘文彦である。
ちょうど名古屋の近くに用事があった文彦が斐蔵に連絡を取り、久しぶりに再会することが出来た。
「連絡が来た時は驚いたよ」
「当たり前じゃないか、アメ公に喧嘩売ってもう4年も経つんだ。会える時に会わないと後悔はしたくないからな」
そう言いながら注文していた酒を一気に呷った文彦の顔には少し疲れが出ている。最後に会った頃より達観したような雰囲気をしているように斐蔵は感じてた。
文彦はここ1年、本土でほぼ毎日戦闘に出ている状態でまともに休息を取らず駆け抜けている。少しでも気を抜くと倒れるのではないかと思うほど目に見えて疲労困憊気味であるが、本人は気にした様子もなく昔の出逢った頃のように無邪気そうに笑っていた。
「確かに、あのラバウルにも行っていたんだよな」
「……僕はこの国に好かれているからな。外に出ても本土に呼ばれるんだよ」
斐蔵がラバウルと言うと一瞬眉をひそめたが何事も無かったかのように自身が飲んでいるコップに目線をやりながら少し可笑しそうに答えた。その姿を見た斐蔵は今の文彦に戦争の事は禁句だと思い何も言わずに口を閉じ、沈黙が流れた。
「なぁ、斐。奥さんとはどうなんだ?この前息子が生まれたんだろ?」
「そうなんだ聞いてくれ!家内そっくりでとても可愛い顔をしてるんだ。最初見た時は女の子ではと思ったぐらいだ」
「あの奥さん似ならさぞ嫁の貰い手があるな。しかし、娘も可愛いものだぞ?家は女1に男2だからな成長していく姿が見れないことは残念だが、帰る事に大きくなっている姿を見ると安心するよ。幸子に任せっきりなのも申し訳ない」
この時の文彦の優しいほほ笑みを斐蔵は永遠に忘れることはなく、文彦の子供たちを見るとあの時の表情を思い出す。
斐蔵はこの後、平和になったあとに娘が誕生し文彦と親族関係になったのだが当の親友はその時にはもう空へと旅立っており斐蔵が誰よりも感動と悔しさで涙を流した。
「なぁ、斐に1つお願いがあるんだ。………ここだけの話、この国はもう持たない。我が国は最終防衛ラインを突破され沖縄に米国が来るのも時間の問題だ。……だから頼みたい。今家内の腹には新たな子がいる。僕に何があった時、家族のことを頼みたいんだ。まぁ、同期や部下たちにも頼んでいるが今後本土にも被害が及ぶ。何とか生き残ってくれ」
急に声を絞ったと思うと衝撃の事を教えられ動揺しそうになったが、それよりも真剣に斐蔵の目を見て訴えてくる文彦に乾いた返事しか出来なかった。本当に文彦と会った日以降、この国の空に米国の戦闘機が自由に飛びまわる姿が日常化されるようになり、プロペラ音や空襲警報に脅えすごす日が続くとは思っていなかった。
終戦まで悲報が来ていなかった為、終戦後いつものように帰ってくると思っていた文彦の殉死を聞いたのは終戦から一週間以上あとの事だった。