第5話:前世で買ったベースと再会&さなちゃんの赤いタルボ
わたしは、ガラスケースの中にある、¨灰色のベース¨の存在に気付く。
思わず興奮して足早に近付き、ケースに両手をつく。
メカメカしいデザインのそれを。
《何でここに!?》
わたしは前世で買った同じベースを見て、ひどく驚く。
何故なら色は灰色だし、傷も汚れも無いとても良い保存状態だから。
もしかして、わたしのベースではないのか?
それで、シリアルナンバーを呉さんに訊いてみる。
すると完全に一致していた。
アルファベット一文字からはじまる証拠を。
未だにアルファベットが書けない、数字が憶えられない自分でも覚えられたその製造時期を。
「……あ、あの……試し弾きしても良いですか?」
「良いですよ。そちらは、最近入った中古のベースです。お値段は¨十六万円¨です」
「……十六!?……あ、そ、そうなんですね。ごめんなさい、やっぱりいいです」
わたしが購入した時は確か、新品で十万円ぐらいだったはずだ。
わたしは十六万円という数字に、高騰っぷりに驚いて断るけれど、
「いえ、どうぞ弾いてみてください」
呉さんがそうおっしゃるのでそのご厚意に甘える。
彼女はガラスケースから慎重に取り出す。
そのベースを受け取るわたしは、心臓の鼓動が早まり、
「《……こんな感じだったな……》く、呉さん、弾かせてください」
その音色を聞くと、わたしは一瞬で気に入る。
そして、また前世の記憶が鮮明に脳内で映像として流れる。
高校生で毎月、僅かなバイトの給料から貯金した資金。
プラスお年玉を手に楽器屋に赴いたことを。
店員さんに音を聞かせてくれて購入し、背負って帰ったことを。
何よりわたしが心奪われたところは、この美しい灰色とかっこいいデザインだ。
それにエレキベースに興味を持ったきっかけの機種だから、また会えて興奮する。
さらに言えばあの弾いてみた動画の影響も大きかった。
けれど、前世の記憶を思い出していなければ、《弾けるようになって、また手に入れたい》と思ったことは無かっただろう。
――わたしは思わずこう呟き、
「……また欲しいなぁ……」
「――え?」
と、背後から声がして振り向くと、さなちゃんだ。
彼女は、きょとんとすると、
「そんなに気に入ったの? 十六万もするから買えないでしょ?」
「は、はい。このベース、とても美しくてかっこよくて、音色も大好きで。ですが……わかっているんですが、お金が圧倒的に足りなくて……でもどうしても欲しくて……」
わたしは胸に両手を当てたまま、ベースを凝視する。
「……まぁ、ローンを組む手もあるけど……」
さなちゃんは天井を見上げて少し考えると、
「あの赤いベースを売って、あとは死ぬ気でバイトして買うとかかな?」
「……え!?……いやそれは……さなちゃんの大切なベースですし……」
わたしは驚いて、うつむく。
「いいや。そのベースはきっと、もえちゃんと出会うためにこの店に来たんだよ。だから、他の人に買われる前に今日買った方がいいよ。ベースって色々あって迷うけど、結局、一目惚れしたものが一番いいからね」
さなちゃんの優しい眼差しと言葉。
これにわたしは、腕を組んで考え込み、ゆっくりとまぶたを閉じる。
その時、集中して耳に入ってなかった、店内BGMの低音を聞く。
わたしは閉じたまぶたを開く。
――そして、決断する。
「……やっぱり欲しいです。ですが、売るのは無しです。ローンで買って、バイトして……あ、でも……」
――その後、色々あってさらに弾いてみる。
やはりまたこの灰色のベースが欲しい。
そう心の底から思うことが揺るがないと確信し、
「やっぱり……この子に決めました! さなちゃん! えまちゃん!」
と、生まれてはじめて二人目の友達も、下の名前で呼んだ。
「もえちゃん、好きなベース買えてえかったねぇ!」
ドラムのえまちゃんは優しくそう言う。
わたしの背後に立ち、この両肩に手を置きながら。
わたしたちは、楽器店の玄関前に立っている。
「本当に良かった。言ってたもんね。灰色のベースが気になるって」
と、さなちゃんも言う。
「は、はい! 今日は本当に良い日ですね!」と、わたしは笑顔で言う。
「それにしても、もえちゃんのおばあちゃんがすごかったわ!」
と、えまは笑顔で言う。
わたしは先ほどのことを思い出す。
『もしもし、おばあちゃん? お願いなんだけど。十六万円の中古のベースを買いたいから、お金貸してくれないかな? 絶対、返すから。……うん……うん……え? 貸してくれますって!』
『……すっご……』
えまちゃんは鼻で笑い、「ありえない」と言いたげな顔だった。
わたしは灰色のスマートフォンをもう一度、耳に当てると、
『おばあちゃん、ありがとう! うん……うん……じゃあね! あの呉さん。後日、お金を持ってくるので、このベースを取り置きしていただけませんか?』
『いいや、私が店長の父に頼むから今日からそれは、もえちゃんのベースだよ』
と、さなちゃんが言った。
現在、わたしの後ろには、念願の自分のエレキベースが背負ってある。
本当はこの重さが大変なのだろうけれど、この重さがわたしには心地いい。
――そしてその後、比治山楽器店の地下練習スタジオへ移動する。
地下へ通じる階段を一段、一段と下りる。
大きくて分厚い防音扉をさなちゃんは、とても慣れた動作で開ける。
室内を見ると音楽室の壁と同じ、クリーム色に近い有孔ボード。
壁に貼られたピカピカの鏡には、わたしたちが映っていた。
大型ギターアンプ、同様に大きなベースアンプ、ドラムセット。
わたしは黒いソフトケース、そこからベースを取り出す。
「ちょっと自分のギター、持ってくるね」
さなちゃんは防音扉を開け、出て行く。
数分後、彼女は戻ってくると、
「お待たせ」
防音扉が閉まる。
わたしとえまちゃんは後ろを振り返る。
比治山楽器店の地下練習スタジオの、しんとした室内に暖かい雰囲気が漂う。
彼女は赤いタルボを、とても大事そうにネックとボディを持っている。
肩には黒くて細い、肩パッドつきのギターストラップをかけている。
「おっ、さなのギターって、何か近未来的じゃね」
と、えまちゃんが言うので、彼女はネックをさすり、
「これは東海楽器さんの¨Talbo¨って名前でね。静岡県の楽器メーカーのギターなんだ。一九八三年に発売された国産オリジナルギターで、これは現行品だけど。色はメタリックレッド、ボディはアルミ」
「え、その子、木で出来とらんのん?」と、えまちゃんは指をさす。
「うん」
それはピックガード(傷から守る部品)が黒色で、右側にはツノみたいな部分がある。
『Talbo』と黒い筆記体のロゴが貼ってある。
えまちゃんの言う通り、近未来的なデザインだ。
けれどわたしは、雨の雫のようなかわいい形だと思う。
「えーと、今が二〇二三年ですから」
「うん」
「……ということは…タルボ生誕七十周年……」
「四十周年だよ」
「えーと、確かゲーム機の順天堂フィミコンの発売も一九八三年だったので」
「うん」
「えーとですから……」
「うん」
「……ということは……同い年」
「そうだね」
「……七十歳」
「いやだから四十周年だよ」
「ホンマおもろいね、二人は」
と、えまちゃんは鼻で笑う。
わたしは両手の指で数えながらも、連続の計算ミスで顔が赤くなる。
さなちゃんは、色んな角度でタルボをよく見せる。
メタリック塗装がとてもかっこよく、銀色のパーツとの相性は最高だ。
対してわたしのはボディの灰色と、白いピックガード。
同じく銀色の金属パーツの組み合わせが最高にかっこいい。
――さなちゃんはタルボをギターアンプに接続すると、軽くカッティングをする。
その一定のリズムを持続する奏法が、彼女は得意で好きだと言う。
また、金属特有の硬い音が、生かされてとてもかっこいい。
「もえちゃん。一緒に買ったストラップをつけて、あっこのミラーの前に立ってみんさいや」
「は、はい!」
わたしは、えまちゃんの言われた通りに、ケースのポケットから取り出す。
その前にベースをスタンドに立てかける。
――ストラップを、二つのピンに付けようとすると、
「……え?……え?……何で?……かったぁ……」
新品のストラップの穴が硬い。
なかなかどうして、上手くはまらない。
力んで思わず歯ぎしりする。
眉毛同士がくっつきそうなぐらい、寄せてしまう。
数十秒後、ようやくはまり、どっと疲れが出る。
わたしはよろよろと肩にかけ、壁に貼られた横に長い、鏡の前へ移動する。
私の姿は反対になり、ベースもネックが左から右になっている。
――すると今までの疲れが一瞬で消える。
わたしは感動のあまり目が潤んできて深呼吸する。
感嘆の息を長く吐き、
「……はー……どうです? 似合いますか?」
「ぶち似合うよ!」と、えまちゃんは笑顔で言う。
「めっちゃかっこいい」と、さなちゃんも無表情に言う。
「あー……えーと……ぐすん……。とりあえず……! とりあえず……! とりあえず……!」
わたしは狼狽する。
鼻をすすり、溢れ出た涙を指で拭う。
「写真じゃろ? わかるよゆわんでも。はい、撮るけぇねー?」
えまちゃんは、制服のスカートのポケットから、白いスマートフォンを取り出す。
わたしにカメラレンズを向け、
「はい、チーズ!」
その後、撮ってもらった写真を見せてもらった。
わたしは涙目でありながらも、笑顔を保っている。
そして、三人で撮ることになる。
さなちゃんは赤いタルボを、わたしも灰色のベースを。
えまちゃんはドラムセットの前に座って。
とびっきりの笑顔を要求されるけれど、言われる前にとっくにそうだ。
鏡にカメラレンズを向けて撮る。
その後、メッセンジャーアプリ『パイン』の友達リストに追加しあう。
早速、さなちゃんはその写真をグループパインに投稿する。
わたしたちは笑い合った。
最後までご覧いただき、
ありがとうございました