第3話:もえちゃんを誘った理由の詳細
※比治山さな視点
私(比治山さな)は幼少期の頃から友達が出来て遊ぶことがあっても、音楽を聞く時間、ユーチューブで動画を見る時間、ギターを一人で弾いて作曲する時間の方が圧倒的に多かった。
それがもえちゃん、ドラムの¨えま¨と出会ったことによって、自分が作ったオリジナルソングを演奏できる喜びを得た。
あの頃の三人、正確に言えば¨四人¨でのバンド活動は、もう一つの趣味である、宇宙や科学についての新情報を収集する時のように私の脳に潤いをもたらした。
『……オリジナルソング? えぇ、でもさぁ、さな? 聞き手は有名な曲じゃないとしらけるよ?』
と、中学の軽音部時代、メンバーたちにそう言われた。
本当は自分の曲を演奏してもらいたかった。
自分はいつまでもネット上で、再生数が千を超えないオリジナルソングの動画。
高評価はおろか低評価もつかない動画を、投稿し続ける人生で終わるのかと思った。
何で誰も聞いてくれないのか原因はわかっていた。
自分の作曲が出来が悪く、つまらないからだ。
しかし、合成音声の歌声を用いても、数少ないそのソフトウェアのファンは聴いてくれた。
けれど私は、やはり人間の歌声を欲していた。
――それが、一緒に合唱コンクールで歌い、いつも教室の隅でオタク友達と会話している彼女。
音楽の才能を隠していた、もえちゃんだった。
いや、隠していると言えば語弊があるかもしれない。
彼女は自分の中にそんな素晴らしい才能があることを、自己評価が低い影響で気付いていなかったのだ。
私は彼女の隣で魔王魂さんの『シャイニングスター』のギターを弾き、検索した歌詞を見ながら歌う彼女の横顔をこっそりと撮影した動画を、たまに見返して思う。
《本当に私のわがままに付き合ってくれて良かったのか?》と。
彼女は他人と競い合うのが苦手でも、メジャーデビューをして歴史に名を刻むことも出来たはずだ。
しかし彼女は、富と名誉よりも自由と愛を選んだ。
それが彼女らしく、同じく束縛が苦手で自由を好む私が、ようやく理解できた境地だった。
もしもその一貫した生き方が出来なければ、私たちの音楽は道半ばで諦めたことだろう。
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