第2話:0曲目:『シャイニングスター(魔王魂)』
「いえ、憶えてないです。それでしたら今から印刷す――」
「いやだから何でさっきからそんなに待たせるの? 印刷しなくていいよ」
「すみません。緊張しているので……」
「緊張?」
「はい」
「ふざけてないんだよね?」
「ふざけてます」
「え、ふざけてるの?」
「あ、いえ……¨良い街がありました¨」
「……え?」
「あ、言い間違えました。すみません」
「……ホントに大丈夫?」
「大丈夫です」
「……あぁそう」
彼女は鼻からため息を吐いた。
完全に《こいつバカだ》と思われた。
それは紛れもない事実だけど。
わたしはテーブルに置いた、灰色のスマートフォンを手に取ると、
「それでしたら、スマホで検索して見ながらでも良いですか?」
「うん。いいよ、もちろん。それが一番早いよ」
と、彼女はうなずくと、
「何で最初からその発想が出てこなかったか謎だ」
「あ、あと」
「うん?」
比治山さんはかわいらしく首を傾げた。
わたしは自分の喉に手を当てると、
「わたし音痴なんですが、大丈夫ですか?」
「え、音痴じゃないよ? 合唱コンクールやったでしょ? あの時、《可愛川さん、上手いなぁ》って思ったんだよね」
「……あ、あれは……¨あの人たち¨が、『絶対、勝つぞー!』って血気盛んで、『朝早くから練習だ!』って、昼休憩も放課後練習も断る勇気が無かっただけで……」
わたしはその時を思い出し、苦笑いをした。
クラスメイトの陽キャグループの勝ち負けに対する異常な執念。
わたしは朝が弱く、競争が苦手な性格だった。
せいぜい彼らに怒られないようにすべての練習に参加していた。
「やっぱりあの時、嫌だったの?」
と、比治山さんは、優しくそう尋ねた。
「……はい。ちょっと勝ち負けで空気がピリピリするのが息苦しくて。それにわたしは比治山さんみたいに陽キャじゃないですし、ただのオタクですから……」
と、わたしは自嘲気味に笑った。
「……え? いやいや全然、陽キャじゃないよ? 私、自分が喋るより聞き手に回ることが多いから今、喋りすぎて喉が痛いんだから。……よし、縁側でやろうかな?」
彼女は赤いエレキギターを持って、床からゆったりと立ち上がった。
冬の日光が射す、少し暖かい縁側へ移動した。
わたしは、座布団を二枚用意した。
その上にわたしは正座で、彼女はあぐらをかいて座ると、
「それじゃあ弾くよ?」
彼女は何かしたあと、イントロを弾きはじめた。
わたしは気持ちを切り替え、シャイニングスターを歌いはじめた。
片手にスマホを持ち、検索した歌詞を見ながら。
彼女の美麗なイントロのアルペジオ。
疾走感のあるギターのコード弾き。
純度の高いギターソロ。
それらが隣で聞いていて気持ち良いので、上手く歌えた気がした。
……演奏後、なんと彼女はスマホで動画を撮っていたことを教えた。
とても恥ずかしいけれど撮影したその動画を再生した。
すると、わたしが脳内で想像したよりも、完成度の高い歌ってみた。
弾いてみたになっていることに驚いた。
生まれてはじめて自分の声を、歌声を客観的に聞いたけれど音痴じゃない。
とても自分の声だとは思えない歌唱力が備わっていた。
前世ではあんなに音痴だったのに。
「うんうん、いい感じいい感じ。やっぱり歌うまいよ、可愛川さん」
比治山さんはそう褒めてくれた。
「……あ、ありがとうございます。ちょっと自信ついたかもです」
わたしは思わずニヤニヤしたけれど、彼女にこう尋ねた。
「そ、それよりもずっと気になっていたんですが……な、何でわたしを誘ってくれたんですか?」
「……え? あー……それは……」
と、彼女は視線を逸らした。
顔も赤くなり、赤いギターの弦を押さえる左手がちょこまかと動き、落ち着きがない。
十秒ぐらい経ってようやく、
「……ずっと《¨友達になりたいなぁ¨》って思ってたんだ」
「え?」
また聞き間違えたのかと思い、わたしは少し顔を前に出した。
するとまだそのギターのように顔が赤い彼女。
彼女は両太ももに手を置くと、
「可愛川さんってさ、カリスマなオーラがあるのに周囲に上手く溶け込んでいて、《平和主義な人柄がいいなぁ》って思ってね」
かわいらしく恥じらう表情で彼女はそう言った。
この時、わたしは最後の言葉に救いを感じた。
彼女の思いをさらに真剣に聞いた。
「私ってギター以外、全然ダメだから。昨日の夜、ベッドで寝る寸前に思い付いたんだ。『やっぱり音楽だ。明日、可愛川さんをバンドに誘って、ボーカルにさせよう』って」
彼女は、自分の右の手の平を見下ろした。
その手をゆっくりと握り締め、
「それが正解だったってわけ。私、オリジナルソングの作曲を頑張るから。可愛川さんの歌が、色んな人の心に響くように」
わたしはそう聞かされて、鳥肌がぶわっと立った。
こんな勉強もスポーツもダメなオタクなわたしを、認めてくれた彼女と出会えて良かったと思った。
彼女のその思いを聞いたことにより、わたしはまるで綺麗なお花畑を歩いているような幸福感に満たされた。
「は、はい……わかりました。比治山さん、こんなわたしですが、よろしくお願いします」
わたしは頭をゆっくりと下げた。
「うん。ありがとう可愛川さん……¨もえちゃん¨」
《……生まれてはじめて家族以外の人に下の名前で呼ばれた……》
頭を下げるわたしは嬉しくて笑顔になった。
オタク友達は一応、居るけれどお互いに名字呼びだ。
わたしは顔を上げ、こちらも彼女を下の名で呼ぼうとして、
「さ、さなさんのギター。とても上手くてかっこよくて、文化祭ライブでも見ていて憧れてました」
「あぁそうなんだ? ありがとう」
「そ、それで、実はわたし、ベースをはじめたくて。親からはじめるのを許してもらえていないんですが、色々教えてほしいです」
「あぁ、それじゃあベースボーカルにしようかな? あと、さんづけで呼ぶの何か、距離を感じるから「ちゃん」でお願い」
「さ、さ、さ、さなちゃん……」
わたしは顔を赤くしてそう言った。
「うん、それでお願い。それにしても強引でごめん」
「あぁ、いえ。大丈夫ですよ」
「私、自分から友達を作ったことなくて。どうやって、もえちゃんを誘えば良いかわからなかったんだ。……あぁ……何だよ私……。『今から弾くから歌ってくれる?』って……」
「ですから大丈夫ですよ。さなちゃん」
「それでもベースもはじめてバンドも入ってくれるのは嬉しいよ。よろしくね」
「は、はい。よろしくお願いします」
「そんなに礼儀正しくしなくていいよ。タメ口でいいよ?」
「あ、い、いえ、クセなので……」
さらに赤くなる自分は、何度も頭を下げた。
同い年でも自分を下だと感じるから、敬語をつい使ってしまう。
タメ口になるのは家族に対してだけだ。
さすが軽音部のリードギター担当、クラスの人気者なのも今更ながら納得した。
わたしはまた悟り、彼女にお礼を言うと、彼女もお礼の言葉を返した。
この時、止まったわたしの人生が、少しだけ進んだ気がした。
――翌日、彼女は再びわざわざ我が家に来てくれた。
赤いエレキベースを持ってくると、わたしに手渡した。
このベースのヘッドホンアンプとの接続方法を教えてもらった。
そのヘッドホンアンプと呼ばれる小さな機械に、ベース本体に繋ぐと音が出るという。
アンプの操作方法も優しく教えてもらったので一人で行った。
すると、その間に彼女は赤いシャーペンでノートにたくさん書きはじめた。
わたしは、ドレミファソラシドにアルファベットも書いてあるのに疑問を抱き、
「ドがCとかってどういうことですか?」
「音名ドレミファはイタリア語なんだ。英語だとドはC、レはD」
「へぇー、知らなかったです!」
「まず、ドの場所はここね」
彼女は、わかりやすく指をさし、
「一番上が四弦。そのまま下まで数えて三、二、一弦だよ」
「わかりました!」
わたしは音楽の授業で、リコーダーでドの指の押さえ方を憶えたように、ドを押さえた。
ぎこちないけれど、何とか『ボッ』と音が出た。
わたしはそれだけで感動して、何度もドを指で弾いた。
「ほんとはね、ベースはフレットの中心じゃなくて右端を押さえるの。ここね」
彼女は、その場所を指でさした。
「そうなんですね。……あっ、綺麗に鳴りました!」
――三十分くらい経過した頃には、わたしはドとレを弾けるようになった。
レを押さえる指は、薬指よりも小指の方が押さえやすいし、届きやすい。
そう言うと彼女は、「才能あるね」と、とても驚いていた。
しかし、ミからが難しくて弾けなかった。
ミに行くには、下の弦に移動しなくてはいけないのだ。
それがなかなかどうして、指が脳の命令に反した。
「うーん……指が言うことききませんね……」
わたしは頬を膨らませた。
「それでも上達が早いよ。ホント才能ある」
彼女は優しい笑顔と声でそう言った。
わたしは、疲れた左手を右手でマッサージしていた。
次の日も次の日も、彼女はわたしの家に来てくれた。
母親に内緒でベースを教わることになった。
最終的にはバレてしまったけれど、彼女が必死に説得してくれた。
そこでいきなり自分のベースを買うのではなく、
『一ヵ月以上、続けられたら買っても良い』
という約束を結んだ。
わたしは何度も彼女にお礼を言った。
赤いベースとヘッドホンアンプを借り、中学生最後の冬休みを過ごした。
最後までご覧いただき、
ありがとうございました