第18話:ファミリープールに行く&呉さんは監視員
数週間、新曲を練習したわたしたち。
やがて、ファミリープールで生演奏をする休日の朝が訪れる。
わたしは灰色のベースが入ったギグバッグを背負い、玄関の床に座る。
純正のソフトケースもかっこいい。
けれど、もっとベース本体を守りたいから初給料で購入したものだ。
――えまちゃんが選んでくれた靴の紐を結び、
「行ってきます。おばあちゃん」
「行ってらっしゃい、もえ。ホンマは私もあんたのお父さん、お母さんも見に行ければえかったんじゃけど……」
「大丈夫だよ。スマホで動画撮るから帰って見せるね。行ってきまーす!」
祖母は、悲しい表情をしてそう言うのでわたしは明るく返す。
八月の強い日差しの中をわたしは、バス停まで徒歩で移動する。
セミの鳴き声が、さらに夏を感じさせる。
ようやく土から出て、自分たちの鳴き声を響かせることに《夏の音楽だ》と、わたしは思う。
やがて、さなちゃんたちと集合場所で合流する。
歩いて目的地に辿り着くと、お客さんはとても多い。
カップルから家族連れ、学生グループと。
受付の係の人は、呉さんではなく別の女性の人だ。
その人にリーダーのさなちゃんは、
「本日、バンド演奏をする、サーターアンダギーズのメンバーです」
と、冷静でいて堂々と伝える。
受付の人はすぐに理解して、無料で入場させてくれる。
ちなみに夜風コーヒーと決めたけれど、ネット以外ではこのバンド名にする。
――入場後、女性用の脱衣所、ロッカーの前で、
「昨日、『パイン』で話し合ったように午前中は、かき氷でも食べようか。うちらはトリじゃけぇ、最後に演奏するけぇね」
と、えまちゃんは言う。
三人肩を並べて各々、荷物をロッカーに入れてお金を入れ、鍵を閉める。
楽器と道具を携え、脱衣所から出る。
いざ外へ出ると、太陽光が眩しく、目元に手をやる。
プールの中もプールの外も多くのお客さんでいっぱいだ。
流れるプール内も、多くのお客さんで埋め尽くされている。
水の音と人々の笑い声とセミの鳴き声が、この空間を支配している。
――その場から離れようとしたその時、
『あら、もえさんたち。こんにちは。¨準備体操¨をしてからプールに入るんですよ』
と、背後からホイッスルが鳴り、その声はメガホンだ。
振り返ると、サングラスをかけた、比治山楽器店のバイトの呉先輩が居る。
彼女は、白色の帽子を頭に被り、白いTシャツを着ている。
下は、青色の短パンをはいている。
『準備体操をしてからプールに入るんですよ』
「呉さん、監視員もするんですね」と、えまちゃんは言う。
『準備体操をしてからプールに入るんですよ』
「受付だけのバイトをしているのかと思ってました」
『準備体操をしてから――』
「メガホンうるさい! めっちゃ近いから、それ使わんでも聞こえますって」
すると呉さんは、メガホンを下ろし、電源を切る。
サングラスを外すと優しい眼差しで、
「えまさん、準備体操をしないと危険ですよ」
他のお客さんは飛び込んでプールに入る中。
何故か呉さんは、わたしたちにだけ準備体操を強制させる。
わたしたちに向かって、指をさしている。
「いや、今日は演奏しに来たのでプールには入りませんから。他のお客さんに言ってくれます?」
えまちゃんは周囲を指さしてそう言う。
「わかりました呉さん! 準備体操しないと足がつったり、怪我をするかもですからね!」
わたしは、ベースを床に置く。
アキレス腱を伸ばしはじめる。
その姿を見て他のお客さんが、クスクスと笑っているけれど気にしない。
一方さなちゃんは、わたしの真面目な姿勢を見て、一緒に準備体操を行う。
彼女もそっと床に赤いタルボギターが入った、『Tokai』と書かれたギグバッグを置く。
「ちょっと! さなまで!」と、えまちゃんは叫ぶ。
「もえちゃんだけ笑い者にされないように、私もするよ」さなちゃんはクールにそう言う。
「えまさん、あなたも準備体操をしてください」
「……はぁ……わかりましたよ……やれば良いんでしょう?」
呉さんの執拗さにこりて、えまちゃんも顔を赤くして体操に加わる。
彼女はドラムスティックが入ったケースを床に置く。
見ていた幼女たちも、わたしたちの真似をして一緒に行っている。
――その体操を三分間ぐらいすると、ようやく呉さんは、
「それぐらいでいいです。プールに入ることを許可します」
「いやですから……入りませんってば」
「よーし、入ります……!」
「え、ちょ!?」
「もえちゃん!」
えまちゃんは手を伸ばして叫ぶ。
さなちゃんも同様に叫ぶ。
プールに飛び込んだわたしは水中で目を開く。
底が青いおかげで、利用客の下半身と水が青く染まっている。
見上げると、太陽の光がキラキラと輝いている。
――わたしは両腕をかいて、すぐに浮上する。
『こら、もえさん! 飛びこまないでください! 危ないです!』
呉さんはホイッスルを鳴らし、メガホンで叱る。
「何で服着たまま入ったん!? 何やっとるん!?」
「自分が今、水着姿だと錯覚してました……!」
と、えまちゃんはツッコまれたわたしは、自分自身の行動に驚く。
「……はぁ……もえちゃん、念のために着替えの服と、タオルを持って来てるから着替えよう」
さなちゃんはため息を吐きながらしゃがむ。
わたしに手を差し伸べてくれる。
その手を掴むと、
「……あはは、ありがとうございます。ですが、水が冷たくて気持ち良かったですよ!」
「えぇけぇはよ着替えてきんさいや」
と、えまちゃんに叱られながらも数十分後。
さなちゃんの服に着替えたわたしは、濡れた髪を何度もタオルで拭く。
待ってくれた彼女のところへ戻る。
――すると、大きな浮き輪に乗り、浮かんでいる呉さんが左から現れる。
彼女は先ほどのようにサングラスをかけて、
「世界に流されてはいけません」
「はい?」
えまちゃんは、眉間にしわを寄せる。
「世界や他人に流される人生でいいのですか?」
「……流される人生。いや、どちらかというと流されてない方だと思いますけどね」
「この流れるプールを逆に泳いで行きなさい。私のように……」
呉さんは目を閉じる。
指揮者のように指を振り、流されていく。
「いや、あんたぁ流されとるじゃん! 何で逆に泳がんのん!?」
と、えまはツッコむけれど、彼女はさらに流されていく。
「……行っちゃったわ」
えまちゃんは指をさしてそう呟く。
彼女が必死で言ったにも関わらず、呉さんは流れるプールを満喫している。
「呉さん、仕事してください」と、さなちゃんがぼそりと呟いた。
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