8 聖女の隣に立つ騎士
その晩の家族会議は紛糾していた。
話題は、受け取った時計の意味だけにとどまらなかった。
「あちらの真意がわからないのに、こちらから牽制も何もないだろ」
お兄様がお父様に反論していた。
「時計一つで騒ぎすぎよ。あちらからしてみれば、たいした金額ではないのだから」
それを言うお母様は、私をしっかりと抱き寄せながらソファーに座っていた。
私も、時計一つで大げさだと思っていたい。
「帝国にユーリアを渡す気など毛頭ないからな」
「気が早いって、親父」
流石にそれは話が飛躍しすぎだと思う。
けど、お父様がそう言うのには理由があるようだった。
「せっかく、ユーリアと暮らせるようになったというのに。ユーリアが病に侵されたのは、そもそも王太子殿下が勝手な行動をとった結果だ。それを、人質同然にユーリアを王都に連れて行き、事あるごとに金銭を我々に要求し」
「あの頃の王家は、無茶な軍備の増強で財政を悪化させていたからねぇ。ライネ家は、豊富な金の鉱山をいくつも領内に持っている。それをアテにして」
同席していたライサの母親であるガーネット叔母様が、肩をすくめながら付け足した。
知らないままの方がよかったことが聞こえてきた。
私の行動のせいで、あの後、我が家はつけ込まれてしまったのか。
でも、ミハイル様を助けられたことは後悔していない。
この場でそれを言える雰囲気ではないけど。
「あちらもそうなのではないのか?」
「いや、グリーン卿はそんな方ではない」
お兄様はキャルム様と親交がある分、どんな方なのかわかっているからお父様の言葉を否定しているのだ。
「皇帝から言い付かったのではないのか?勅命のためなら、いくらでも猿芝居を演じるであろう。皇族ならな!」
「親父!」
「皇族!?皇族って、グリーン卿がですか!?」
私がそれを叫んだ途端に、お父様とお兄様が同時に視線を逸らしていた。
「ミハイル王太子殿下も人柄は評価されていたのに、結局、ユーリアを捨てたもの同然ではないか」
「あなた、ユーリアの前でやめてください。言葉には気を付けて」
「すまん……」
私は、色々と知らなすぎたようだった。
「申し訳ありません、お父様。家が置かれる状況も考えずに……私があの時、王太子殿下をお止めできていれば……」
「いや、殿下をお助けできなければ、逆に責任をなすりつけられていたはずだ。そして、年下の少女であったお前に、殿下を止める義務はない」
「あの、そう言えば、あの時どうして国境沿いに騎士団や神殿騎士団が集まっていたのです?」
それを聞いた途端に、その場にいた全員がピタリと口をつぐんだ。
「その話題は、今ではタブーとなっている」
お父様が、重々しく口を開いた。
「それはどのような意味で?」
「誰も、何も思い出せないからだ。明白な説明をできるものがいない。だから、あの日、国境に神殿騎士団や王立騎士団がいたことは、無かったことになっている」
「国が大規模な出征を行なったのに、そんな事があり得るのですか?」
「そのように王が命じられたのだ。緘口令が敷かれている」
「知りませんでした……」
「お前は城に閉じ込められていたからな」
「と、とにかくだ!俺がキャルム様と連絡を取ってみるから、ユーリアは当たり障りのないお礼を伝えておいたらいい」
「はい」
この場ではそれが最善のようなので、お兄様がまとめた事に従うつもりであった。
大きな疑問を残すことにはなったけど。
様々なことが判明した家族会議の翌日。
私は再び、遠乗りで防護壁がある場所を訪れていた。
わざわざ王都からこんな場所に赴いた二つの騎士団が集っていたのに、その理由がわからないなんて、気持ちの悪い現象だった。
でも、わからないまま六年も経過しているのなら、それ自体は大きな問題ではないのだろうか。
森がある方角を眺めながら昨夜の話を思い返していると、
「ユーリアさん。また会ったわね」
背後から声をかけられて驚いていた。
王都を離れればもう二度と会うことはないと思っていたのに、二日続けてヴェロニカさんと遭遇していたからだ。
ヴェロニカさんは、よくこの国境を訪れるようだ。
私もついつい足を運んでしまうのだから、人のことは言えない。
ここに来たって何もわからないし、何かを思い出すわけでもないのに。
芝が自生しているだけのなだらかな丘陵を下っていった先がここなのだけど、ヴェロニカさんには何か思い入れがあるのかな?
壁の向こう側には、それこそ壁のように侵入するものを拒むかのような木々の群生が見える。
「こんにちは、ヴェロニカさん。ここは、王都からかなりの距離があると思うのですが、飛んできたのでしょうか?」
彼女は、今日はちゃんと護衛の方を連れていた。
護衛は、金髪に青い瞳の整った顔立ちの男性騎士なのに、とても印象が薄い。
職業柄、そんな風に訓練されているのかもしれない。
「そうよ。ぴゅーんって、とっても簡単なことなの」
ヴェロニカさんから、当然だと言わんばかりにニッコリと微笑まれた。
「この辺はもう、魔物が出没する危険地帯に近いので危ないですよ」
「私は大丈夫」
その表情に、恐れは微塵も含まれていなかった。
まさか、聖女は魔物にも影響を与えることができるのかな。
彼女がいれば魔物への抑止力になるとか。
それならば、どこの国でもなおのこと重宝されるはず。
「えーっと……第二王子のお加減はいかがですか?」
別の話題を尋ねてみることにした。
これも知りたいことではあったから。
「今は療養中なの。来年、学院に入学できるようにね」
「良くなりつつあるということですか」
「ええ、そうよ。優秀な魔女が一緒だから」
「私も、第二王子殿下も、ヴェロニカさんのおかげで普通の生活を取り戻せたのですね」
「私も、ワガママを叶えてもらったから。ありがとう、ユーリアさん」
「えっ、いえ」
婚約解消したことだと思って、咄嗟の返答に困った。
わだかまりなど無いと思っているけど、当事者同士で話題にするのはちょっと遠慮したい。
「私は、殿下とヴェロニカさんの幸せを願っています」
「ありがとう」
私に向けられた微笑みは、以前もそう思ったように、人とは思えないほど美しいものだった。