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9 寝起きのお寿司チャレンジ

 寝息と呼ぶにはあまりにも苦しげな息の音が、駐在所の中に響く。


 浅く速い不安定な呼吸と呻き声をこぼしながら、シャルアスは執務椅子にぐったりと体を預けて眠っていた。


 時刻はもう、夜、八の時だ。休憩を取るシャルアスに代わって入っていたマルコは、先ほど駐在所を閉めて、彼の所属である警吏基地へと帰っていった。


 未だ眠りから浮上できずにいるシャルアスを前にして、クシェルは少しばかりオロオロとしつつ様子を見守る。


(そろそろ起こしてあげるべき……よね? この人、ご飯を食べないともっと弱ってしまうだろうし)


 本当ならば、夕方の五の時までには居眠り休憩を終えているはずだったのだが……あまりにも調子が悪そう、とのことで、マルコが気遣って休憩続行となったのだった。


 シャルアスは悪夢の眠りから上手く覚醒できずに、フラフラヨロヨロした挙句に倒れ込んでしまったのだ。


 クシェルはその様子を見て、少々動揺してしまった。自分自身、悪夢の呪いを持つ魔女ではあるけれど……呪いをこじらせた人間の成れの果てを、間近に見るのは初めてだった。


(死の呪いとか、服従の呪いとか……そういう呪いに比べて、悪夢の呪いは弱いものだと思っていたけど。そんなことはないみたい……)


 人の眠りにはリズムがあり、浅い眠りと深い眠りを交互に繰り返していく。それぞれの眠りの最中に夢を見るが、起きた時に覚えているのは、浅い眠りの時に見た夢だ。


 けれど、悪夢の呪いはこの仕組みを破壊する。


 無理やりに深い眠りの底に引きずり込み、凄まじく鮮烈な夢を見せる。五感のすべてを支配し、現実と境のない悪夢を見せて、人に『夢の中の現実』を与えるのだ。


 人生で一番辛い気持ちを感じた時のことを悪夢として再現し、繰り返し、際限なく、見せ続ける――。それが、この呪いである。


 まぁ、クシェルは呪いにかかったことがないし、自身の呪いを使ったこともないので、母から聞いたことなのだけれど。


(……とんでもなく苦しそう。どんな悪夢を見ているのだか。きっと機械人形にも、呻くほどに辛いことがあったのね)


 血の気の失せた顔で夢に苦しむ男を見て、何とも複雑な気持ちになってしまった。


 しばらく眺めた後、クシェルは気持ちを切り替える。睡眠時間を確保することも大切だが……夕食の時間だし、そろそろ起こしてやるとしよう。


 居眠りの体勢のままダラリと脱力しているシャルアスの正面から、肩をペシペシと叩いた。


「シャルアスさん、起きてください。もう夜ご飯の時間ですよ。ほらほら、しっかり!」


 何度か叩いてやると、シャルアスがパチリと目を開けて、弾かれたように飛び起きた。肩に触れていたクシェルの手を、彼は大きな手でガシリと掴んだ。


 クシェルは肘の辺りを力一杯、縋るように握りしめられて、驚きに目をむいた。


「わぁっ!? び、びっくりした……! 突然飛び起きないでくださいよ……! っていうか、痛いです! 腕がもげるっ」

「…………あ、いや……すまない」


 一瞬の間をおいてから、ようやく覚醒したらしいシャルアスはパッと手を離した。


 クシェルはやれやれと息を吐き、調理場へと移動する。ご飯の支度をしながら、寝起きのシャルアスに愚痴めいた声をかけた。


「まったくもう……どういう夢を見てるんですか? 女嫌いのくせに、女の腕にしがみつくなんて。――あ、わかった。シャルアスさん、昔、女の人にこっぴどくフラれたことでもあるんでしょう? 恋人に捨てられたことがトラウマにでもなっているのでは?」


 思い至ったことに、自分でふむふむと頷いてしまった。そういうことがあったなら、女嫌いということにも、悪夢からの起き抜けに腕に縋りついてきたことにも、説明がつく。


 悪夢の正体、暴いたり――と思ったのだが、シャルアスはあっさり否定してきた。


「違う。別に女嫌いというわけではない。家の姉たちを嫌っているだけのことだ」

「あら、お姉さんがいるんですね。仲悪いんですか?」

「……まぁ、良くはない」


 寝起きのためか、シャルアスは存外素直に答えてきた。

 が、すぐに、喋りすぎたことに気が付いたのか、バツが悪そうに顔を背けてさっさと場を去った。顔を洗いに行ったようだ。


 その間にクシェルはご飯の支度を整えて、ソファー前のテーブルに品を並べる。

 彼が戻ってきた時には、ばっちり、『魔女のレストラン』ができあがっていた。


 ボウルに盛られた白米に、一口サイズの魚の切り身。小皿と醤油の瓶。そしてその他諸々のおかず類と、味噌汁。


 戻ってきたシャルアスが向かい側に座り、本日のメニューへと目を向ける。開口一番、彼は低い声をこぼした。


「これは今日の魚か」

「えぇ、そうです。身が綺麗で、美味しそうでしょう」

「調理されていないように見えるのだが」

「『お刺身』ですからね」


 ペラッと言い放つと、シャルアスは紫の目をスッと細めた。さらに声を低くして言う。


「魚は生で食すものではない。ふざけるのもいい加減にしろ。身に虫がいたらどうする」

「魔力たっぷりの氷の魔石でガッツリしっかり凍らせましたから、大丈夫ですよ。それに、そもそもさばく段階で、虫は取り除いてあります」


 シャルアスは腕を組んだまま、カトラリーに手を伸ばさずにいる。刺身に睨むような視線を向けて、小言を寄越した。


「やはり虫付きか。取り除こうが、付いていたという事実だけで、食欲が失せる」

「か~っ、これだから高身分層の坊ちゃんは。自然の幸なんてものは、虫が付いているのが当たり前なんですよ。人の手を経て取り除かれるから、虫なんて存在しないように勘違いしているだけです」

「……そうなのか」


 叱るように言い募ると、シャルアスはわずかに身を引いた。すかさず、クシェルは攻めに転じる。浄化の魔草を浸した桶水にさっと手を通し、濡れた手のひらで一口分の米を取った。


 手のひらと指を使ってキュッキュと握り、長円型の塊を作る。その上に刺身をひと切れ置いて、もう一度キュッと固めた。


 白身と赤身でそれぞれいくつか作り上げる。シャルアスの前の空皿にちょいと置いて、さぁ、どうぞと手のひらで指し示した。


 シャルアスは怪訝な顔で珍妙な料理を見つめている。


「なんだ、この、魚と米の合体物は……」

「これは『お寿司』という料理です。地図端の和島では魚の生食は一般的ですよ。ないとは思いますが、もし、万が一当たっても、よい薬がありますから。ご安心を」

「……」


 クシェルと寿司を交互に見た後、シャルアスはようやく組んでいた腕を解いた。おもむろにフォークを手に取ったところで、クシェルは調味料を準備する。


 白身魚の寿司にレモンを搾りかけて、パラパラと塩を振った。


「最初は塩レモンでいきましょうか。この味付けなら、和島料理に馴染みのない人でも食べやすいでしょうから」

「……本当に生で食せるものなのだろうな」

「氷魔石が手に入った時には、私も魚を生食しますし、お母さんも食べてましたし、おばあちゃんだって好んでいたそうです。我が一族はみ~んな大好きな料理ですよ、お寿司」


 言い切ってみせると、シャルアスは恐る恐るフォークに寿司を乗せて、パクリと頬張った。


 もぐもぐと咀嚼して飲み込む。少し考え込むような顔をした後、続けてもう一つ、白身魚の塩レモン寿司を口の中に放り込んだ。


(た、食べた……! 二貫も!)


 よしよし、と胸の内でガッツポーズを決める。すぐさま小皿に醤油を注いで、次の寿司を勧める。


「ではでは、続いてはこちら。赤身のお寿司はお醤油でどうぞ」


 シャルアスはスプーンで醤油をすくい、赤身魚の寿司にかけた。そうしてフォークに乗せて、パクリと一口で頬張る。


「どうですか? 美味しいでしょう?」

「不味くはないな」


 若干ひねくれた感想を寄越されたが、まぁ、よしとしよう。 


(よし! この調子なら、コレもいけるかしら)


 クシェルはさらなる調味料の小皿を、彼の前にスイと出した。緑色の草を擦り下ろしたものと、醤油を混ぜたものだ。


「ではでは、今度はこちらのタレで召し上がってみてください。お醤油に薬味を混ぜたものです」

「薬味? 何のハーブだ?」

「ワサビです」

「聞いたことがないな。それも和島のものか」


 スプーンでワサビ醤油をすくって、彼は赤身魚の寿司にたっぷりとかける。そうして一口でパクリと頬張った――瞬間に、口元を押さえて固まった。


 咀嚼するのも忘れた様子で、真顔のまま硬直している。目には涙がじわじわせり上がり、溜まっていた。


(あら……ワサビは駄目だったかぁ)


 機械人形と呼ばれているこの男にも、どうやら『涙』という機能が備わっているらしい。――なんて、なんだかちょっと、機械人形観察に面白さを見出してしまった。


 が、そんなことを喋ったら契約を切られてしまいそうなので、どうにか口を閉じておいた。


 涙目でワサビの刺激に耐えている男を見て、クシェルはぼんやりと思う。


(……赤毛の女とやらに、百万Gを譲る気はないけれど。でも――……)


 それはそれとして、この機械人形が早く調子を取り戻したらいい。――そんなことを、ほんのちょっとだけ、胸の内で願ってしまった。


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