6 押しかけメイドご飯
日没を迎えてすっかり夜の帳が下り、中央の大時計が八の時を示した頃――。クシェルは再び、駐在所へとやってきた。
右手には米の鍋、左手にはスープの鍋を持ち、背にはおかずの容器を詰め込んだリュックを背負っている。
歩く飯処と化した魔女は、駐在所の扉をそろっと開けた。
シャルアスはちょうど閉めの作業をしているところだったようで、扉のすぐ側を掃除していた。自ら掃除をしているということは、やはり今現在、この駐在所にメイドはいないらしい。
クシェルはしめしめと、中に滑り込む――途中で、扉に挟まれた。気が付いたシャルアスが容赦なく閉めてきたのだった。
扉に胴体のど真ん中を挟まれて捕捉されたまま、クシェルは呻きと懇願を口にする。
「痛たたたっ……! か、体が千切れてしまいます……!」
「構わん。千切れろ」
「クッ……さすが機械人形、心がない……っ。せっかくの新しいメイドを、惨殺してしまっていいのですか……!?」
「メイド?」
無表情に扉を押さえこんだまま、シャルアスは問い返した。クシェルはすかさず言い募る。
「求人の紙を拝見しましたよ……! 是非、私をお雇いくださいませ!」
「いらん。帰れ」
「ぐぬぬ……っ、掃除洗濯繕い物、一応、一通りできますゆえ……! あと、もちろんご飯も作れます! というか、作ってきましたから……! 物を見てから、採否を決めてもよいのでは……!?」
手に持った鍋をズイと突き出すと、思いがけず、シャルアスは扉を押さえる手をゆるめた。その隙に中へと滑り込む。
ヒィヒィと息を弾ませながら、クシェルは彼をチラとうかがい見た。
(危うく体が真っ二つになってしまうところだったわ……食欲につられてくれてよかった。機械人形も三大欲求には勝てないみたいね)
眠りの欲、食い気の欲、色の欲が、人間の三大欲求である――と、魔女の知恵袋にはある。
シャルアスは眠りの欲に負けて、魔女に解呪を依頼してきた男だ。今、クシェルの侵入を許したのも、きっと食い気の欲に負けたからだろう。
(となると色の欲にも期待できそうだし、私のなけなしの色気だって、多少は戦力になる……と、信じたいわ)
百万Gを手にする瞬間を想いながら、クシェルはテーブルの上に鍋を置いた。おかずの容器もズラッと並べて、食器を借りるべく、駐在所の奥へと歩を進める。
日中、カイラと二人きりになった時に、駐在所の中は探索済みだ。魔女は自由で、好奇心にあふれていて、さらには図太い生き物なので、人のねぐらをあさることだって何てことない。
駐在所の勝手を把握しているクシェルを見て、シャルアスは絶対零度の表情を浮かべていたが……こんな恐ろしい顔をしていても、この男は今腹ペコなのか、と思うと、恐ろしさも二割は減る。
白い磁器のスープボウルに白米をよそい、取っ手付きのカップにスープを注ぐ。おかず類もチャカチャカと盛りつけて、見る間に食事の用意が整えられた。
突っ立って眺めていた機械人形の腕を引き、力づくでソファーに座らせる。これで晩ご飯の支度はばっちり、完了だ。
シャルアスはテーブルに並べられた料理を見まわした後、向かいに座ったクシェルを見てボソリと言う。
「駐在所で魔女をメイドとして雇うなど……警吏の面目に関わる。給金はやれん」
「あなたを落とした暁に百万Gをいただきますから、そこに込めていただくというのはどうでしょう」
早くに百万Gが手に入れば、多少タダ働きをしたって元が取れる。――さぁ、どうだ。契約を結んでくれ。と、クシェルは胸の内で念を送った。
彼は考え込むように腕を組んでいたが、ほどなくして、答えを出さないまま、おもむろに料理へと手を伸ばそうとした。
温かな料理から立ち上るよい香りに、空っぽの腹が屈したらしい。が、クシェルは容赦なくその手を引っ叩き、叱りつけてやる。
「あっ、こらっ! 黙ったまま食べるなんて、なんて卑怯な。『私を雇う』とおっしゃってから、どうぞ、召し上がってください」
「……」
「早く答えないと、せっかくの料理が冷めてしまいますよ」
「……わかった。……だが公に雇う形ではなく、正式なメイドを迎えるまでの間繋ぎとして迎える。警吏駐在所のメイドではなく、お前は俺個人の雑用下女だ。給金は微々たるものだと心得よ」
「公僕のくせにケチですねぇ……まぁ、それで構いません。――では、召し上がってどうぞ。私もお腹が減っているので、一緒にいただきます」
いただきます、と手を合わせて唱えて、クシェルは自分用によそったご飯とフォークを手に取る。さっさと食べ始めたら、シャルアスはまた何か言いたそうな顔をしていた。
普通、世間では、メイドと主人は一緒に食事などしないのだろう。けれど、クシェルは魔女だ。魔女は『普通』とは無縁の生き物なので、やりたいようにやる。
もぐもぐと食べ始めたクシェルに、もはや苦言を呈するのもあきらめた様子で、シャルアスも視線を料理へと向けた。
「見慣れない料理だな。魔女一族には独自の食文化でもあるのか? 米も街のものとは違うように見える。それにこの、濁ったスープは何だ……?」
スープボウルを手に取って、彼はまじまじと覗き込む。
「それは『お味噌汁』ですよ」
「みそ、とは?」
「蒸した豆にお塩と麹カビを加えて、発酵させたものです」
「カビ……? カビた魔女料理を出すとは、貴様――」
「いやいや、そういう料理なんですって……! 魔女料理というか、地図端の和島の食文化です! お腹も壊しませんし、美味しいですよ」
味噌汁をすすって見せると、シャルアスは複雑な顔をした。白米を頬張りながら、クシェルは説明をする。
「私の一族、世界中をウロウロとしていた放浪の魔女一族だったので、遠~い土地の料理を結構知ってるんです。特におばあちゃんが地図端の島々を気に入っていたので、母も私も、そちらの文化や料理などに詳しくて」
「地図端の島々、か。名もなき辺境の諸島だと思っていたが、小さき島にも名が付いているのか。……カビのスープを食すとは、信じがたい食文化だが……」
シャルアスは恐る恐る、食器を口元へと近づけた。チビッと口を付け、味の確認をしてから二口飲む。
……意外とビビりだな、なんて言葉が喉元まで出かかったが、グッとこらえておく。魔女が言葉を飲み込むなんて滅多にないことだが、言ったら色々な意味で首を飛ばされてしまいそうな気がしたので、黙っておいた。
味噌汁を口にした後、彼は続けて白米をフォークで頬張る。――フォークの進みが早い。味噌汁と白米が合うことに気が付いたようだ。
スープの味に安心感を得たのか、ようやくおかずにも手を伸ばし始めた。草のおひたしをフォークの先に小さく取り、また確認するようにチビッと食べる。
「……しょっぱい草だな」
「お醤油、という調味料で味を付けましたからね」
「それも和島のものか?」
「はい。味噌の仲間のようなものです。ちなみにその草、今日問題になった雑草ですよ」
ペラッと明かした途端に、シャルアスがむせた。ゴホゴホと咳をした後、こちらに恨めしそうな冷たい目を向ける。
「雑草を食わせるとは……許されざる侮辱行為だ」
「何をおっしゃいますか、これだから育ちの良い人は。街では雑草扱いされていますが、この草はれっきとした山菜ですよ。茎がほろほろと柔らかくて、食べやすいでしょうに」
説明をすると、シャルアスは一瞬の間を置いてから、またチビチビと草のおひたしを食べ始めた。
常に冷たい真顔を保っているし、言葉も尊大かつぞんざいな男だが……意外と素直だ。
(シャルアスさん、思っていたより色々と食べてくれるわね。――この調子なら、アレもいけるのでは?)
今日はギタ婆から買った、イチオシの珍味も持ってきたのだ。披露するべく、クシェルはテーブルの端に置いていた藁束を手に取った。
藁束は手のひら程度の長さに切りそろえられていて、上下が括られている。藁の真ん中にグッと親指を差し込んで開くと、中から粘り気のある豆が覗いた。
これは遠い辺境の地、地図端の和島の珍味――納豆だ。
「じゃじゃん! 先ほどギルドで珍しい逸品を手に入れましてね。これ、納豆と言うのですが、是非是非、召し上がっていただきたく。体にいいんですよ~」
クシェルは納豆をフォークですくって、自分の白米の上にドゥルッとかける。
独特の匂いと糸を引く粘り豆を見て、シャルアスは初めて、わかりやすく表情を崩した。
「正気か……? それは……腐っているだろう。糸を引いている……食べる物ではない……」
「美味しいですって。こう、かき混ぜて、お醤油をかけてお米に乗せる、と。これが最高に癖になる味わいでしてね」
「やめろ、食うな。腹を壊す。やめておけ……!」
頬張ろうとするクシェルの手を、シャルアスが身を乗り出して掴んで止めた。
機械人形らしからぬ動きを見てしまって、クシェルはポカンと呆ける。
(この人も動揺することがあるんだ)
納豆は機械に誤作動を起こさせるほどに、強烈なものであったらしい。
結局、いくら勧めても、彼は納豆を断固として拒否してきた。
「……やはり、お前の料理には不安がある。契約はなかったことに――」
「なっ、お待ちください……! 納豆は日々の献立から除きますから、大丈夫ですって……ねっ!」
慌てて納豆の藁束を引っ込めて、じとりとした目を寄越すシャルアスから遠ざけておいた。
(う~ん……初手で納豆は駄目だったか……)
反省をしつつ、仕方ないので自分で食べることにする。ねばねばもぐもぐと味わうクシェルのことを、彼は珍妙な魔物でも見るかのように、怪訝な目で観察していた。
そうして食事を終えて片付けをした後、シャルアスが雇用に関する契約書を寄越してきた。
警吏の駐在所メイドとしての契約ではなく、彼との個人的な契約だ。
命じられた雑務をこなすこと。解呪の方法を探ることに協力し、情報を寄越すこと。今回のこの契約に関する事情の一切を、他言しないこと。――などなど、ズラッと項目が連ねられた契約書にサインを求められた。
「何か余計なことをしたら即契約を切り、牢屋にぶち込み刑に処す。どんな事情があろうと、一切、容赦をするつもりはない。そのつもりでいろ」
「わかってますって……。ええと、どこにサインをするんでしたっけ? ……国勤めのお偉い様の作った文書って、どうしてこう、やたらと小難しいのでしょうね」
低身分層の人々は、学校なんぞには通わない。しっかりと読み書きができるのは、中流から上の身分層の人々だけだ。
クシェルは魔導書などを読み解くために、幼い頃から母に読み書きを習っていたので、一応、読めるほうではある。が、古言語のほうが得意なので、現代のお役所の難しい書類なんかはさっぱりだ。
シャルアスに指示されるままに、手を動かしていくつかの書類に次々とサインをする。……何だか自分まで機械になってしまったような心地だ。
――と、まぁ、小言はさておき。無事に契約を交わすことができたのは幸いだ。もう少し揉めるかと思ったのだが、想定していたよりもすんなりと話が通った。
恐らく、シャルアスも駐在所メイドがいなくて困っていたのだろう。ただでさえ呪いをくらってやつれている身だというのに、雑務まで自身でこなさなければならない、となれば、魔女の手も借りたくなるというものだ。
諸々の事務手続きとやらを終えた後、彼は書類を確認しながら声をかけてきた。
「では、明日からよく励むといい、魔女よ」
「……魔女魔女って。魔女は他にもいますから、ちゃんと名前を呼んでください」
「よかろう。クシェルと呼んでやる」
「『愛しのクシェル』でもいいですよ。言葉というものには力が宿っていて、口に出すと現実になると言われていますゆえ。言霊の力を借りて恋心を盛り上げて、解呪を早めるのも手かと」
「たとえ死の呪いを受けようとも、口にはしないと断言しよう」
そう吐き捨てると、シャルアスはさっさと奥へと歩いていってしまった。
(このっ、機械人形め~……)
せっかく色々と提案をしてやっているというのに、素っ気ない男だ。
ともあれ、無事に懐に忍び込むことには成功したので、これからが解呪作戦の本番である。
駐在所奥の金庫へと目を向けて、クシェルは拳を握りしめた。
さっさと百万Gを手にして、警吏の懐なんぞからはお暇させてもらうとしよう。