5 黒魔術の正体と大義名分
クシェルが駐在所に戻ると、シャルアスとカイラはソファーに腰を掛けて、何か話をしていた。何やら書類のやり取りをしているようだ。
玄関扉をサッと開いて中に滑り込み、クシェルはカイラの隣にササッと座る。シャルアスが真顔でサーベルに手を伸ばしたが、刀を抜かれる前に、場に話をねじ込んだ。
「お待ちください! カイラさんの皮膚炎の原因、わかったかもしれませんよ。この花かも」
「え? お花?」
拝借してきた花をテーブルに置くと、カイラは目をパチクリさせた。
「まだ確定ではないですけど。ちょっと調べてみていいですか?」
「あら、どうやって?」
「袖を捲ってもらって、肘のあたりをお借りしたく」
カイラは言われた通りにブラウスの袖を捲って、肘を出した。クシェルはハンカチを取り出して、花を擦り付けて花粉を落とす。
親指の爪ほどの範囲に花粉を付けたら、そのハンカチをカイラの肘の内側に当てて巻き、キュッと結んだ。
「少しの間、そのままお過ごしください」
「何をした。怪しい術ではなかろうな」
今にもサーベルを抜きそうなシャルアスから逃げるように、クシェルは身を縮こめつつ説明をする。
「ちょっとしたパッチテストですよ……! 肌が花粉に反応するかどうかのテストです。黒魔術ではありませんから」
「私は何ともありませんから、大丈夫ですよ、警吏様。――それで、ええと、この書類、ここにサインをするんでしたっけ?」
カイラは書類への記入を再開して、シャルアスもそちらへと意識を向けた。まだジロリとこちらを睨んでいるが……クシェルは視線に耐えながら、しばしの時を過ごす。
そうして手続きを終えた頃に、カイラが肘のハンカチへと手を伸ばした。
「何だか痒くなってきたわ」
「痒みが出たということは、原因は花で確定かもしれませんね。ハンカチ、外してみましょう」
巻いていたハンカチを外すと、彼女の肘の内側――ちょうど花粉と触れていた部分には赤い腫れができていた。
患部を見て、クシェルはふむふむと頷く。
「やっぱり。カイラさん、『花粉症』なんじゃないですか?」
「はぁ、花粉症?」
クシェルが告げると、場に一瞬、キョトンとした空気が流れた。
カイラはポカンとしてオウム返しに問いかけ、シャルアスは無表情を保っていたが、口を開かずに黙っている。
「体が花粉に対して過剰に反応してしまって、その結果起きる厄介な炎症の諸々を、魔女はひっくるめて花粉症と呼んだりしてます」
「ってことは、私のこの肌の爛れはお花が原因ってこと?」
「たぶん、そうなんじゃないかな、と」
テーブルに置いていた花を摘み上げて、クシェルは手のひらにパラパラと花粉を落とす。
「この花、あのお爺さんのお家の庭とか周辺とかに、ものすごくたくさん生えてました。刈り取ったことで一気に花粉が舞ったんでしょうね。ちょうど風下にアパートメントがあったので、洗濯物にゴッソリついてしまったのでは?」
「なんと、まぁ。確かに、洗濯物はいつも窓の竿で干しているから、付いていてもおかしくないわね」
シャルアスも花を摘まみ上げて、指先で花粉をいじった。抑揚のない低い声で言う。
「俺は触れてもなんともないが」
「私も平気ですよ。こういうものは、人によって平気だったり駄目だったり、分かれるんです。でも、ある季節から突然、駄目な体質になったりもしますけど」
「……魔女のくせに、医者のようなことを言うのだな」
「逆ですよ、失敬な。医者のほうが魔女の真似事をしているんですよ」
世の中には医者という身分の人々がいるが、彼らの知恵は古の魔女たちの受け売りでしかない。
そのくせ、現代では彼らのほうが社会的地位が高いというのが、解せないところだ。知識のないエセ医者もごまんといるのに。……魔女なんぞより、魔法を持たない人間のほうが好まれる時代なのだ。
「……あぁ、なんだか鼻がムズムズしてきたわ……へっくしゅん!」
「やっぱり花粉症みたいですね。鼻とか目とか肌とか、色々と症状が出るんですよ。洗濯物は部屋の中で干すか、花粉をよく払い落としてから取り込んだほうがいいかもしれません。もしくは、いっそ引っ越してしまうとか。この花、街の南の方ではあまり見ないので」
ペラッと話をしたら、カイラは考え込むような顔をして、深く頷いていた。
ひとまず原因と思しきものが判明したら、シャルアスはまた駐在所を出ていった。再度、老人を訪ねて、草刈りに関して諸々の話をしに行ったみたいだ。
クシェルもついていこうとしたが、今度こそサーベルの刃を首に添えられてしまったので、断念した。
『お前は早く出ていけ。戻った時にまだいたら、そのまま縛り上げて牢にぶち込む』などと物騒な言葉を残されたので、今、冷や汗をかいているところだ。
駐在所のソファーに座り、どうしたものかと考え込む。
(あの人、本当に容赦なく牢屋に放り込みそう……深入りは危ないかも。でも、百万Gをみすみす逃すわけには――……。何か、駐在所に堂々と身を置けるような理由があったらいいのに。相談者として乗り込めば、シャルアスさんも相手にしてくれるかしら……?)
カイラをチラと見て、今後の作戦なんかを考えてみる。視線が合うと、カイラはクシェルに穏やかな笑みを向けて話しかけてきた。
「ふふっ、機械人形様に相談をしにきて良かったわ。黒魔術じゃなかったってわかったし、ご老人にもお話をしてくださったし」
「機械人形って蔑称、街の人たちも呼んでるんですか?」
「蔑称だなんてとんでもない! 愛称よ、愛称」
「愛称……?」
てっきり、冒険者ギルド内での悪口ニックネームかと思っていたのだが、違うらしい。
彼女は通り名の由来を教えてくれた。
「シャルアス様はね、人を選ばず、内容を選ばず、どんな相談事でも真摯に話を聞いて、解決に動いてくださるの。だから、人に尽くす機械人形に例えて、感謝と親しみを込めて、駐在所近隣の人たちはコッソリ愛称で呼んでいるのよ」
話を聞いて、クシェルは目をパチクリさせる。ギルドと街では、シャルアスの評価がずいぶんと違うようだ。
しばし呆けてしまっていたら、カイラはクシェルにも礼を言ってきた。
「メイドさんもありがとうね。これからは花粉に気を付けるわ」
「え? っと、メイド、ですか?」
「えぇ、違うの? いつも駐在所の表を掃除していたメイドさん、最近見かけなくなったなぁ、って思ってたら、今日あなたが入っていたから……新しいメイドさんかと思っていたのだけど」
何やら、駐在所のメイドと間違われていたらしい。カイラ曰く、今までは高年のメイドが勤務していて、掃除やら雑務やらをこなしていたのだとか。
ポカンとするクシェルに、彼女は続けて言う。
「ほら、駐在所の表にも求人が出てたでしょう? ふふっ、シャルアス様はお嬢さん方に人気だから、足を止めて求人広告に見入っている子たちの多いこと。でも夜遅くまでの勤務となると、若い娘さんはなかなか手が出ないわよね。前のメイドさんは、三つ隣の家だったから、近くてちょうどよかったみたいだけれど」
「求人広告? ちょっと見てきます……!」
クシェルは弾かれたように外に出て、駐在所の外壁を見まわした。ペラッと張られていた求人の紙を見て、目をまたたかせる。
「……――掃除と炊事と、その他雑務のお仕事。読み書きができる人で、朝は七の時、夜は九の時まで仕事ができる人を募集。――こ、これは……!」
街の女性たちは祭りなどの特別な日を除いて、日没後は一人で出歩かないものだ。夜、九の時ともなれば、すっかり暗くなっている時間帯なので、普通は応募を躊躇う仕事だ。
だが、クシェルははみ出し者の魔女である。夜だろうが心が向けば、なんのこっちゃと出歩いている。つまり問題なく応募できる。
今のところ応募者もなく枠が空いているようだが、うかうかしていられない。これはすぐにでも動いて、いち早く採用枠を手にしておく必要がある。
魔女らしい癖のある笑い声を上げながら、クシェルは求人広告をむしり取った。
「イッヒッヒ、駐在所に入り浸る大義名分を得たり!」
手元で改めて、要項をよくよく読んでみる。
炊事の仕事というのは、駐在所に住み込んでいる警吏――シャルアスの、食事の支度のことみたいだ。朝早く、夜遅く、という時間の条件は、このためだろう。
(駐在所は夜八の時に閉まるんだっけ。――よし! 押しかけメイド作戦でいこう)
この後の作戦を決めて、クシェルは早速、準備をすることにした。
一旦、家に帰ってあれこれと必要な物をまとめて、今度はギルドへと移動する。
大荷物を抱えてギタ婆の露店に戻ると、彼女は前のめりで声をかけてきた。
「おぉ! クシェルよ、あんた、よく戻ってきたね! もうあの世にでも送られてるかと思ったよ!」
「何度か首をはねられそうになったけど、どうにか繋がってるから大丈夫」
「恋解きの薬が遺品になっちまうかと思ったが、いやぁ、無事で何よりだ」
シャルアスの襲来で放り出されていた恋解きの魔法薬は、ギタ婆によって小瓶に詰め替えられて、しれっと商品として仕上げられていた。
クシェルが戻らなかったら、勝手に売りさばかれていたことだろう。ギタ婆の商魂の逞しさには恐れ入る。
少々じとりとした目で見てしまったが……まぁ、細かいことは流しておこう。今、クシェルはもっと大きくて、よいお金の話を握っているので。
店に上がり込んで荷物を広げながら、ギタ婆に小声で話す。
「――それより、聞いてよ。危険なダンジョンには大きな宝が眠ってる、って冒険者の言葉があるけど、警吏のねぐらでまさに宝みたいな話を手に入れたよ」
「ほう、気になるね」
「ふっふっふ。なんと、機械人形シャルアスさんを魅了して呪いを解いたら、百万Gが手に入るわ」
事の次第をギタ婆に話したら、一緒になって盛り上がってくれる――かと、思ったのだが。予想とは裏腹に、彼女は怪訝な顔を向けてきた。
「奴を魅了するだって? どうやって?」
「そりゃあ、私のこの……ええと、あふれんばかりの、色気で……」
「貧相な色気の間違いだろう。はぁ……やれやれ。そこらのひよっこ冒険者にすらフラれた魔女が、機械人形を落とせるかいな」
「……やってみなきゃわからないでしょう」
お喋りをしながら、火鉢を借りて鍋を置き、クシェルはとある穀物と水を投入した。――鍋に入れたのは、『米』だ。
シアラトアの街ではパンが主食とされているけれど、サラサラとした米も出回っている。
けれど、クシェルが今から炊くのは、もっちりとした変わった米である。
『地図端の島々』と呼ばれている、世界地図の端っこの端っこにある辺境の島国の一つである、『和島』の料理には、欠かせない米――。
ここ冒険者ギルドには辺境の輸入品なんかも流れてくるので、こういう珍しいものも手に入る。
ギタ婆はクシェルの手元を覗き込んで言う。
「――おや、和島料理かい。それならちょうど、おかずにとっておきの品があるよ」
「是非、買わせてもらうわ。私の分と、シャルアスさんの分を」
「って、あんた、奴に料理を振る舞うつもりかい!?」
クシェルは得意げな顔で、この後の作戦を明かした。
「殿方は色気と胃袋で落とせって言うでしょう? ぴちぴちの若い娘に美味しいご飯を作ってもらって、落ちない男なんていないはず……!」
言ってみれば、『容姿』と『ご飯』は一種の惚れ薬だ。魔法の惚れ薬は作れないが、その他を使ってどうにかこうにか、魅了してやりたいところ。
胸を張って自論を言い放ったら、ギタ婆はまたあきれた顔をしていた。