31 魔女vs魔女
大広間にはシャルアスの他にも数人の警吏がいるらしく、エイリーンは密やかに包囲された。
警吏たちは距離を取りつつ、これから行う捕り物に向けて構えている。
エイリーンが魔女だった場合を考えると、この場で強引に捕縛するのは危険だ。やけを起こして呪いの魔法をぶちまける恐れがある。そうなれば他の夜会のゲストたちにも、被害が及ぶことだろう。
かと言って、悠長にゲストたちを外へと誘導なんかしたら、さっさと気付かれて逃げられてしまう。
そういうわけで、彼女を広間の外へと誘い出してから、事情聴取及び捕縛を行う――という作戦でいくことになった。
歓談するふりをして、ヒッソリと打ち合わせをする警吏たちの言葉を聞き、クシェルもこの後の流れに、ふむふむと頷く。
エイリーンを誘い出す役目は、シャルアスが担うことになった。――さて、どう動くべきか、と彼が思案し始めたところで、クシェルはコソリと提案する。
「魔女は心の向くままに動きますから、とびきり興味を引くような話題を餌にしたら、釣れるはずです」
「たとえば、どのような話だ」
「やっぱり一番は、コレですよ、コレ。お金の話です」
クシェルは指で輪っかを作り、金貨の形を作ってみせた。
「それはお前が、強欲の魔女だからではないのか?」
「失礼な! 私は悪夢の魔女ですよ……って、まぁそれは置いておき。私が思うに、エイリーンさんは商売欲が強いタイプです。だってドレスまで用意して、こんな夜会に一人で乗り込んで商売をしているんですもの。絶対にお金大好きですよ、あの人」
「ふむ。では金の話で釣るか。薬商として近づこう。お前は広間の端で待機――」
「じゃあ私は商人お抱えの魔女ということで! 行きましょう!」
シャルアスに待機命令を出される前に、クシェルは腕を引っ張って歩き出した。即座に厳しい睨みを寄越されたが、小声で言い添えておく。
「同業者が添ってた方が、向こうの警戒心もゆるむでしょう? まさか魔女と警吏が組んでるなんて思わないでしょうし」
「まぁ……確かにな」
まだ何か言いたそうな顔をしていたが、シャルアスは諦めて、クシェルの同行を許可した。
クシェルは気持ちを切り替えて、役に入り込む。自分は今から、『薬商に抱えられて立身し、成金になった魔女』である。
エイリーンに歩み寄って真ん前に立ち、早速声をかけてみた。
「もし、エイリーンさん、ごきげんよう。こんなところでお会いするなんて奇遇ですね。驚きました」
「え……っ!? あなた……!」
彼女はギョッとして身を引きかけたが、すかさずクシェルは言葉を連ねる。
「あ~っと! あなたとは前に色々とありましたが、もう済んだこととして、お互い水に流しましょう!」
「え、えぇ……」
大嘘である。水に流すどころか、現在進行形で恨みを抱いている。絶対に牢屋に送り込んでやる、という気持ちだ。
強い想いがあるならば、嘘を盛ることだってなんのその。クシェルは何てことない顔をしてペラッと言う。
「その話はもういいとして。実は今さっき、エイリーンさんが『お仕事』をしている場を、チラと見てしまいましてね。もしかして、あなたも魔女なのでは……? ――と思って、声をかけた次第です。と、言いますのも、こちらにいらっしゃいます薬商様が、魔法薬の作り手を探しておられまして」
「薬商……?」
シャルアスはクシェルの紹介を受けて、静かに会釈をする。二人に疑いの目を向けつつも、エイリーンは体の重心を、わずかに前へと傾けた。興味を持ったようだ。
クシェルはペラペラと、出まかせの設定を披露する。
「彼、なかなかのやり手でしてね。抱えていただいた私も、ほら、この通り、今ではすっかり華やかな生活をする身となりました」
「事業の拡大に伴い、優れた魔法薬の作り手――魔女を求めている。どうか、話だけでも聞いていただけないだろうか」
「ま、まぁ……話を聞くくらいなら、構わないけれど」
エイリーンはもう、まんざらでもない顔をして、品定めをするようにシャルアスの姿を上から下まで眺めている。
シャルアスは視線でバルコニーを示し、エイリーンの歩みをうながした。
「ここでは人の耳がある。外で話そう。申し遅れたが、俺は名をルータス・エメルドと言う。お見知りおきを」
「私はエイリーン・レメル・ド・ソローティアよ。よろしく」
偽名を名乗ったシャルアスにつられて、エイリーンは魔女の名前を明かした。
クシェルはシャルアスとさりげなく手を繋ぎ、彼の手のひらに指で字を書いて伝える。――『悲涙の魔女』と。
やはり彼女は正真正銘、魔女の身であった。悲涙の魔女は、人の感情を悲しみで支配する呪いを継ぐ一族だ。
シャルアスはクシェルの手をギュッと一握りして応えてきた。
警戒を深めつつ、バルコニーへと移動する。上階ならば逃げ場もなく、都合がよかったのだが、あいにくここは一階だ。庭への逃走を注意しなければならない。
外に出て扉を閉めると、広間内に待機している警吏たちが、さりげなく出入口を固めた。
(よし! 閉め出し作戦、成功……!)
広間の内側で扉を守るように立っている男たちと、なかなか始まらない商売話の続きに、エイリーンはよからぬ空気を感じ始めたようだ。
「――あの、私……やっぱり失礼させてもらうわ」
「逃がしませんよ! エイリーンさん、あなた夜会で『毒』を売っていますね?」
「そっ、そんなもの売ってないわよ……! ちょっと、もう、何なの……? 私、中に戻っていいかしら?」
「警吏が罪人を見逃すわけがなかろう」
「……警吏……っ!?」
シャルアスの低い声に、エイリーンが目をむいて体を縮こめた。
オロオロと首を回して周囲を見ていたが、出入口に立っている面々も警吏たちだと理解したようで、そのうちに諦めたように息を吐く。
彼女は魔女らしく開き直って、拗ねたような声を寄越した。
「……はぁ、もう……最低な日だわ。せっかく最近、仕事が軌道に乗ってきてたのに。私は夜会を盛り上げる、ちょっとした媚薬を売っていただけよ。毒なんて一度も売ったことがないわ」
「『薬』は深刻な害を出した時点で『毒』へと呼び名が変わります。さっきあなたが売った薬を飲んだ殿方、ベッドで亡者に変わり果てていましたよ。あなたの薬は、まごうことなき毒です」
ピシャリと言い切ってやったが、エイリーンは目を泳がせながらも、即座に言い逃れをする。
「たまたまでしょう? ただの媚薬で死ぬなんてことは――……」
「ただの媚薬ではなく、強烈な魔法媚薬でしょうに。魔女の薬は作用が強過ぎると心を破壊して、心が壊れると体も制御を失い、壊れるものです」
言い訳なんてさせるものか、と、クシェルは威圧をするように、ズイと一歩前に出た。するとエイリーンは、三歩下がって距離を取る。
「人は普段、肉体に宿している力を制御しながら生きています。心の制御によって、出力を二割くらいに抑えているんです。フルパワーを出してしまうと、肉体自体が耐えきれずに壊れてしまうので」
クシェルは厳しい顔をしてペラペラと口を動かす。詐欺の件の恨みも込めて、低い声で責め立ててやった。
「でも、あなたの媚薬は心の制御を狂わせて、色の欲にフルパワーを使うように操るものです。その結果、昂りすぎて、心臓や血管、筋肉やらの肉体が異常をきたして壊れてしまい、あの殿方は腹上死に至ったのでしょうね。――さぁ、大人しくお縄について、牢屋に入りやがってくださいませ!」
そんな啖呵を切ってやると――……思いがけず、エイリーンは泣き出したのだった。
ポロポロと涙をこぼしながら、胸元から香水瓶――媚薬を取り出す。小瓶を大切そうに両手で包み持ち、心の内を話し始めた。
「でも……そんなこと言われたって……私、この媚薬しか作れないんだもの! これを売って生きるしかないじゃない……っ」
震えた泣き声をこぼしながら、エイリーンは両手で包み込んだ瓶を胸元へと寄せて、祈るような体勢を取った。
「私……ママからこの薬しか教わらなかったの……。だから、私にとって、この媚薬はとても大切なものなのよ……。それなのに、『人殺しの毒』だなんて……そんなの――……」
ともすれば聞き入って、同情をしてしまいそうな言葉を連ねつつも――……彼女の指先は、瓶の蓋へと伸びていた。
その不審な動きを見逃さず、シャルアスとクシェルは、それぞれ弾かれたように素早い動きを取った。
シャルアスは上着の下――腰の後ろに隠していた短剣を引き抜き、エイリーンに飛び掛かろうと足を踏み出す。
――が、クシェルはそんなシャルアスの横っ腹目掛けて、全身を使った力一杯の体当たりをかましたのだった。
エイリーンは香水瓶の蓋に指をかけて開け放ち、二人に向かって中身をぶちまける。
「――そんなの……っ、知ったこっちゃないわよ! クソくらえだわっ!!」
宙を舞った媚薬液は、シャルアスを押しのけたクシェルへと直撃した。
二人の体勢が崩れた隙に、エイリーンはドレスの裾を持ち上げて、バルコニーの端へと走り逃げる。
手すりを飛び越えて庭へと逃げよう――としたようだが、手すりのずいぶんと手前で、彼女は悲鳴を上げて倒れ込んだ。
即座に体勢を立て直したシャルアスが短剣を投げ放ち、エイリーンの肩を貫いたのだった。
血に染まる肩を押さえながら、エイリーンは身を起こして、シャルアスとクシェルを睨みつける。間髪をいれずに、彼女は憎々しげに呪文を口にした。
「この……っ、呪ってやる……! 呪いよ蝕め――……」
呪い魔法が放たれる前に、クシェルが素早く動いた。お守り代わりに身に着けてきた首飾り――極小薬瓶を引きちぎって蓋を外し、エイリーンの顔面目掛けて投げつけた。
薬瓶は彼女の頬に命中して、顔に液体をまき散らす。――と、その直後、エイリーンの体からはカクリと力が抜けて、バルコニーの床へと倒れ伏した。
投げつけたのは眠りの劇薬だ。クシェルの一族が最も得意としている薬である。不埒な夜会への潜入ということで、念のため護身薬を装備してきたのだが、役に立ったようだ。
製造に経費と手間がかかる薬なので、ちょっともったいない気持ちもしたが……まぁ、よしとする。
眠りに落ちたエイリーンのもとには、待機していた警吏たちが寄り、無事に捕縛と相成った。
(……――いや、全然無事じゃないわ……っ)
クシェルだけが無事ではない。強烈な魔法媚薬を頭から被ってしまって、無事でいられるわけがない――。
体の芯からじわりじわりと、たまらない心地が湧き上がってくる。ゾクゾクする感覚にアワアワしていたら、シャルアスがハンカチを頬へと当ててきた。
「すまない、ぬかった! 大丈夫か……!」
「……全然っ、大丈夫じゃないです……あぁっ、これはまずいです、まずい……っ、あっ、あっ、ハンカチ動かさないでください……っ、だめっ……あぁっん」
「クシェル……!?」
ハンカチで首筋を撫でられるだけで、言葉にならない心地良さが全身を貫く。心が色の欲に支配されて、うずく体が勝手に動いてしまった。
シャルアスの体に縋りつき、クシェルはドレスの裾から足を晒して絡ませる。飛びそうになる理性をどうにか叱咤して、彼に訴えた。
「あぁっ、シャルアスっ、さん……香りを嗅いでは、だめです……! この媚薬っ、匂いだけで狂います……っ」
「……っ、――誰か、水を! 早く!」
クシェルに抱き着かれて、シャルアスも媚薬の強さに気が付いたようだ。顔を背けて香りを避けながら、他の警吏たちに水を求めて大声を放った。
シャルアスに艶めかしい抱擁で絡みつき、彼の足の間に太腿を滑り込ませて擦りつけながらも、クシェルは薬のレシピを思う。
「あぁっ、んぅっ……衣が肌に触れるだけで、なんという心地良さ……! この薬……っ、どうやって作ったんでしょうね……! あんっ……おかしくなりそうっ……シャルアスさんっ、心地良くって……私っ……もうっ……あぁっ」
「……っ、早く、水をくれ、水を……」
シャルアスは固く目を閉じ、思い切り顔を背けて、少々腰を引く。
まさか、心の底から水を乞い願う日がこようとは――。と、機械人形の胸の内で呻き声が上がっていたことは、クシェルには知る由もないことであった。
そうして少しの間を空けて――。
クシェルは頭から水をぶっ掛けられて、ようやく正気を取り戻した。
バルコニーで濡れネズミになりながら、やれやれと息を吐く。
「はぁ……色に狂ってしまうかと思いました……」
「もう狂っていただろう」
手すりに寄りかかり、庭の暗がりを眺めながら、シャルアスは返事を寄越した。その横顔を見つつ、クシェルはハッと思い至る。
「――あ、先ほどの私の色気で、呪いが解けたりしてませんか? 相当色っぽかったでしょう? 我ながら、あれは若い殿方だったら、愛欲に転げ落ちてもおかしくない色気でしたよ」
「思いあがるな。全然、まったく、一切、解けてなどいない」
そう答えて寄越したシャルアスの耳が赤らんで見えたのは、ランプの灯りのせいだろうか。




