30 夜会と媚薬と腹上死
週末の夕方、六の時をまわった頃――。
クシェルは二階のシャルアスの部屋を借りて、雇われた着付けメイドによってドレスアップを果たした。
衣装は半既製服の、若草色をしたフリルドレス。ミルクティー色の長い髪は綺麗に結い上げられて、耳には色石のアクセサリーなんかも付けてもらった。
ドレスも耳飾りも、この後、そのままもらえるとのこと。シャルアスには『勝手に売りさばくなよ』と釘を刺されたが……路頭に迷った時には保証できない。
最後にお守り代わりの首飾り――いや、首飾りを模した極小薬瓶を装備して、支度はばっちりだ。ちなみに薬瓶の中にはとっておきの劇薬を入れてある。
一階の駐在所に身を移し、じゃじゃん! と潜入衣装を披露して、クシェルは言う。
「どうでしょう?」
「綺麗だ。……と、言えなくもない、気がしないわけでもない」
「ど、どっち……!?」
指で数えながら確認をしようとしたが、その前に手を引っ掴まれて玄関を出ることになった。
クシェルは駐在所前に停めてあった馬車へと放り込まれて、シャルアスも乗り込む。
彼の格好も、いつもの警吏姿ではなく、貴族めかした華やかな装いだ。後ろ丈の長い、黒色の上着を羽織り、首元にはスカーフをタイのように締めている。
御者が馬車を進めて、二人は夜会の会場へと向かった。
しばらく揺られて到着した場所は、街の南寄りに位置している屋敷だった。
由緒正しい貴族家の屋敷――ではなく、博打によって財を得たという、成金貴族の屋敷だそう。
貴族による不埒な夜会の開催はよくあることなので、警吏たちも多少は目をつぶっているのだとか。
けれど、度を越すと、こうしてガサ入れをくらってしまうわけだ。
屋敷の門前で馬車を降りると、クシェルとシャルアスは玄関口へと歩を進めた。
時刻は夜、七の時の半過ぎ。もう辺りはすっかり暗くなっていて、火魔石ランプのわずかな灯りのみが、玄関を照らしている。
シャルアスは入り口に立っている番の男と、何やらやり取りをして、無事に入場の許可を得ていた。
そうして玄関ロビーへと歩を進めた途端に、シャルアスがグイと腰を抱いてきた。
急に距離が近づいて目をむいてしまったが、周囲にいる他のゲストたちもそうしているので、この場ではこの距離感が正しいようだ。
ロビーを抜けて廊下を進み、大広間を目指して歩く。道中で、シャルアスはコソリと小声を寄越した。
「中では睦まじく振る舞え。場にそぐわない行動は慎み、俺の命に従え」
「了解です」
魔女は心に抗えない生き物だが、今のクシェルの心は、無事に任務を終えた後にもらえるという『報酬』に魅せられている。今ばかりは、命令だってちゃんと聞く。
睦まじく振る舞え、と言われたので、シャルアスの胴にペタリと抱き着いてやった。
クシェルも年頃の娘なので、こういう場で男の人と近い距離になるというのは、ソワソワしてしまう。――けれど、照れなんぞ押しのけて、やり遂げてみせる。報酬のために。
と、気合いを入れた直後に、おでこを押されて引き剥がされた。
「やめろ。近すぎる。……胸元が当たっている」
「そっちが睦まじくしろって言ったんでしょうが」
「程度をわきまえろ」
結局、ヒソヒソグチグチと口争いをしながら、大広間へと踏み入った。
会場内は暗く、怪しい雰囲気に満たされている。シャンデリアに灯された小さな明かりのみを頼りに、人々は酒と音楽、そして社交を楽しんでいるようだ。
シャルアスは全体を見渡せる広間の端へと身を移し、歓談を楽しむ男女を装いつつ、人々へと目を向けていた。
クシェルも同じように、チラリと場を見渡す。
「術師っぽい人とか、薬の売人っぽい人を探せばいいんですよね?」
「お前の役目は人探しではなく、雰囲気の装いだ。他にも警吏が紛れているから、気を回さなくていい。余計なことをするな」
「……はいはい……イチャイチャしてればいいんでしょう」
ペタリと寄り添ってやったら、やんわりと頭を撫でられた。
機械人形には、こういう恋人めいた演技機能も備わっているらしい。……指先で耳元をくすぐる戯れは、やりすぎな気もするが。
そうして広間でゲストのふりをしながら過ごしていると、ふと、クシェルの目が一人の女性へと留まった。
(……あれ? あの人、見たことあるような……)
美しいドレスをまとった女性は、クシェルよりも少し年上くらいの年齢。暗い中ではあるが、髪は金色に見える。――いや、絶対に金髪のはずだ。クシェルはこの女を知っている。
先日、エドモンドが『別れた』と愚痴っていた相手――エイリーンだ。
ハッと気が付いたクシェルは、シャルアスにコソッと報告した。
「シャルアスさん、妙な人がいます。私の元彼の元カノがいます……」
「それは、見え透いた詐欺に引っかかった上に一週間のうちにフラれたというお前の、元恋人――エドモンドの、本命の相手だった女性、ということか」
「なんか腹立つ言い方しますね」
脇腹にドスッとパンチを入れておいた。どうやらクシェルのしょうもない恋愛遍歴は、機械人形にばっちりインプットされていたようだ。
シャルアスは構わずに話を続ける。
「妙というのは、どういうことだ?」
「あの人――エイリーンさんは低身分層の人です。こんな貴族の夜会に出入りしてるのはおかしいですよ。ドレスなんか着ちゃって……あんな格好初めて見ました。私も何度か会ってますが、彼女、暮らしぶりは庶民そのものですよ」
「なるほど。見たところ相手の男もいないな」
「一人でウロウロしてるんですかね……怪しい」
言葉を交わしながらも、シャルアスの指先はクシェルの頬をモニモニと揉んでいる。
機械人形の妙な手遊びを払い除けつつ、エイリーンを遠目に見張っていると、そのうちに彼女の元に男女のゲストが歩み寄ってきた。四十代くらいの男と、若い女のカップルだ。
男はエイリーンと何か話しながら、握手を交わす。――が、握手の動きを取りつつ、手の中で小さな香水瓶のようなものを受け取っていた。
そうしてエイリーンの方も、男の指から一つ指輪を抜き取り、さっと胸元へと隠す。何か取引が交わされたようだ。指輪は謎の香水瓶の対価だろう。
「あの香水瓶、気になりますね」
「不埒な夜会での取引だ。恐らく中身は媚薬の類だろうな。取引の仕方も、手本のような売人仕草だ」
コソリと話しているうちに、男女のカップルは大広間の奥にある扉の向こうへと消えていった。
「薬を確かめる。行くぞ」
シャルアスはクシェルの腰を抱いて歩を進める。彼らを追うみたいだ。
奥の扉の前にはドアマンが立っていて、シャルアスはまた何やら上手いことを言って、通行の許可を得ていた。
扉を通り抜けた先には廊下が伸びていて、左右に扉が並んでいる。個室が連なっているようだ。
ちょうど、先ほどの男女が一室に入っていくのが見えた。シャルアスは彼らの隣の部屋へと歩を進め、中へと踏み入り鍵をかける。
そして壁に耳を当てて、隣の部屋の盗聴を始めた。
あの香水瓶の中身が、彼の言う通り『媚薬』の類なのだとしたら――……この後、隣の部屋は大いに賑やかになるはずだ。その音の様子で、薬を判断するよう。
クシェルも同じように、壁に耳を当ててみた――が、即座に苦言を呈される。
「うら若き娘が聞くものではない」
「そう厳しいことをおっしゃらずに。私、媚薬の類を作るのが苦手でしてね……何かこう、優れた薬だったら、是非勉強をさせていただきたく」
媚薬の類の作り方は、クシェルが十五歳を迎えた時に、母ロレッサから教わる予定だった。けれど、その前に彼女は世を去ってしまったので、結局教わらず仕舞いだ。
エイリーンの正体が売人なのか薬師なのかはわからないが、あの香水瓶の中身が優れた薬なのだとしたら、あわよくば作り方をうかがいたい。
ちなみに媚薬と惚れ薬は似て非なる物である。媚薬は肉体を昂らせるもので、惚れ薬は心の芯に作用するものだ。
体に作用する薬は、レシピと材料さえあれば誰にでも作れるが、心に作用する薬は、特別な魔法を持つ魔女にしか作れない。
――と、そうやってヒソヒソと喋りつつ、盗聴をしていると、いよいよ隣室が騒がしくなってきた。
「……事が始まったようですね」
「……そのようだ」
二人で真顔を見合わせつつ、音を頼りに様子をうかがった。
隣室の賑やかさは、あれよあれよと増していき、もはや壁に耳を当てずとも聞こえるほどだ。
獣のような男の昂り声と、応える女の声。損壊を心配するほどの、ベッドの軋む音――。
シャルアスは渋い顔をして、指で眉間を押さえながら言う。
「やはり媚薬で間違いなかろう……広間の警吏に連絡する。お前はここで待て」
「了解です」
「俺が出たら部屋に鍵をかけよ。一人で廊下に出るな。命令だ」
「はい」
念を押して、シャルアスは部屋を後にした。言われた通り、クシェルはしっかりと施錠して部屋に籠る。
――が、それも束の間だった。
隣の部屋の盛り上がりが、突然ピタリとおさまって、女の小さな悲鳴が聞こえたのだ。
シンと静まり返った部屋の中で、クシェルは怪訝な顔をして壁に耳を当てた。隣室の音を聞く。
『えっ……!? えっ……ど、どうしよう!? 旦那様……!? 嘘でしょう!? しっかりしてくださいませ……っ』
女が一人でオロオロしている様子。クシェルの心の天秤が、シャルアスの命令よりも、隣室の状況の方へと傾いた。
さっと部屋を出て、隣室の扉を叩いてみる。
「あの……どうしました? 何かあったのでしょうか?」
「えっ!? あっ、っと、あの、旦那様が……!」
「扉を開けてもらえませんか?」
「あっ……! お、お待ちください……!」
中からバタバタとした音が聞こえて、しばらくしてから鍵が開けられた。
出てきた女性は白いシュミーズ――下着のワンピースを身にまとい、ショールを羽織って体を隠している。大慌てで最低限の衣服を整えたようだ。
女性は大汗をかきながら、取り乱した早口で言う。
「だ、旦那様が倒れてしまって……! 私、ど……どうしたら……っ」
部屋に踏み込んでベッドの方を見ると、大乱れのシーツの上にゴロンと中年男が転がっていた。
もちろん素っ裸の状態だが、クシェルは手で顔を隠しつつも、指の隙間からチラと様子をうかがう。ピクリとも動かないその男は――もう既に命を手放しているように見える。
ベッドの脇のテーブルには、空になった香水瓶が置かれていた。クシェルは歩み寄り、ヒョイと摘み上げて、香りを確かめる。
その瞬間、思わず声を上げてしまった。
「うっ……これは……っ」
呻き声をこぼしながら、即座に瓶をテーブルへと戻した。距離を取って顔をしかめる。
これはまごうことなき媚薬だ。それもただの媚薬ではなく、とんでもなく強烈な媚薬――。
空瓶の匂いだけで全身がゾクリとうずくような、尋常じゃなく強い薬だ。昂るのは体だけでなく……心のすべてが、色の欲に引っ張られるような心地がした。
そういう、心の芯に強く作用する薬というものを、クシェルはよく知っている。
(これは普通の薬じゃない……魔女の魔法薬だわ。あの人、魔女……!?)
エイリーンは売人か、薬師か――なんて考えていたが、もう一つ候補として、魔女という可能性まで出てきてしまった。
一人で不埒な夜会に乗り込んで商売をしている、あの逞しさを見るに、クシェルとしては『魔女』に一票を入れたいところだ。
(エイリーンさんが魔女だとしたら……私、同業者に薬を詐欺られてたってこと……!?)
もうそれなりに前の話になるが、クシェルはエドモンドに乞われて、エイリーンの手荒れの薬を作ってあげていたのだ。
手間を惜しんだのか、材料費を惜しんだのか、わからないが……クシェルはまんまと利用されていたわけである。
「ぐぬぬ……ゆ……許せない……っ」
あまりの腹立たしさに、心が暴風と化したところで、後ろからポンと肩を叩かれた。いつの間にかシャルアスが来ていたようだ。
「部屋から出るなと命じただろう」
「そんなことを言ってる場合ではありませんよ……! これ、恐らく魔女の薬です! エイリーンさん、魔女かもしれません」
クシェルは強烈な魔法薬についてペラペラと訴えた後、エイリーンをしょっ引いてもらうべく、大広間へと向かった。




