3 解呪の依頼と金貨の山
シャルアスは馬とクシェルを両手に引きながら、無駄な言葉を発することなく、無言で歩いていった。
街の中央には大きな警吏基地があるのだが、そこにほど近い駐在所が、彼の勤務場所らしい。
たどり着いた建物を前にして、クシェルは渋い顔をする。
(うぅ……まさか警吏のねぐらに足を踏み入れることになろうとは)
警吏の駐在所は街に点在しているが、クシェルは日頃、不用意に近づかないように心がけて生活している。
着込んでいるローブには薬の匂いが染みついているので怪しまれるし、実際、少々怪しげな材料などを使用したりもしているので……職務質問を回避するために、避けているのだった。
はみ出し者の術者たちは、警吏の目に留まらないように気を付けて暮らすものなのだ。
とはいえ、こうなってしまっては仕方ない。やけくそ心で、初めて間近にした駐在所を上から下まで観察してやった。
敷地面積は小さいが、三階建てで縦に長い。警吏の居城らしい、清潔感のある建物だ。
壁には掲示物などが張り出され、玄関扉の脇には『シアラトア生活相談窓口』なんて看板がかかっている。
(民に寄り添うところの担当警吏が機械人形なんて……相談する人いるのかしら? この人、魔物対策課とかのほうが向いてそうだけど……)
そんなことを考えているうちに、駐在所の中に放り込まれてしまった。
手錠をかけられたままソファーに座らされて、低いテーブルを挟んで向かい側にシャルアスが腰を掛ける。
こうして明るい場所で正面からよくよく顔を見ると、彼の目元にはクマが見て取れた。機械人形のくせに寝不足なのだろうか。
雑談の一つも挟まずに、彼は早速、本題を話し始めた。
「悪夢の魔女よ、今から俺が話すことを決して他言しないと誓え」
「はぁ……魔女は心に抗えませんからねぇ。話したくなったら話してしまうかも。誓いを破ったらどうなるんです?」
「首をはねる」
「誓います」
ペラッとした魔女らしいお喋りをやめて、クシェルは神妙に頷く。シャルアスは恐ろしいほどの真顔で、淡々と話し始めた。
「まず用件から話す。悪夢の魔女よ、お前に『解呪』を依頼したい」
「警吏様、呪われていらっしゃるのですか?」
「魔女の呪いを受けた。お前と同様、『悪夢の魔女』の呪いだ」
「悪夢の魔女、私の一族の他にもこの街にいたんですね。遠~~い親戚が、ご迷惑をおかけしまして。いやはや、災難ですねぇ」
ルーツを同じくする魔女は、同じ呪いを継いでいる。きっと古の時代には近い親族だったに違いない。現代ではこれっぽっちも関わり合いのない他人だが。
悪びれずに言葉を返すと、シャルアスに睨まれた。魔女は言いたいことを言ってしまうので、こういう場は得意ではないのだ。
睨みに縮こまりつつ、言葉を付け足した。
「……ええと、それで、呪いに困っていらっしゃるのですか?」
「呪いを受けた日から、眠る度に耐え難い悪夢を見る」
「悪夢の魔女の呪いは、そういう呪いですからねぇ。呪い、いつ受けたんです?」
「半月ほど前のことだ。罪を犯した魔女を捕縛する際にくらった」
(なるほど、やつれているわけだ)
事情を理解して、ふむ、と、クシェルは胸の内で頷いた。
悪夢の魔女の呪いは、まさしく、『悪夢を見せる』という呪いである。寝る度に酷い夢に支配されるので、眠りの質は著しく悪くなり、そのうち悪夢を恐れて寝なくなる人もいるとか。
半月間も耐えているとは、さぞ寝不足のことだろう。シャルアスは疲れを見せている目を、気丈にも鋭く細めて、命令してきた。
「事の次第は以上だ。解呪に協力を願うべく、同族のお前に声をかけた。否の返事は受け取らぬ。魔女よ、我が呪いを解け。命令だ」
「はぁ……悪夢の解呪、ですか」
母が昔、警吏と揉めて罰を受けた時の記録でも残っていたのだろう。呪いを放った魔女と同じ、悪夢の魔女ということで、シャルアスは我が一族を頼ってきたようだ。
(わざわざ同族の魔女を頼らずとも、呪いは自力で解けるものなのに)
やれやれ、と息を吐き、クシェルは解呪の方法を教えてやった。
「誰か好きな人でも作れば、呪いなんてすぐ解けますよ」
「……ふざけたことをぬかすと、この場で首を落とす」
「ひぃっ!」
シャルアスはまたサーベルを抜き、剣先をクシェルの首に向けてきた。大慌てで補足しておく。
「ふ、ふざけてませんって……! 古今東西、恋心とは解呪の万能薬です! 誰かへの恋心で胸を満たせば、呪いはその身から押し出されてしまうものなんですよ……! 恋をすればいいのです! 恋を……!」
サーベルの先が首に当たらないように避けながら、ヒィヒィと必死に説明をする。
シャルアスは少し考えるように間を置いて、ようやく刀を下げてくれた。そうして彼は別の命令を寄越す。
「では、惚れ薬を依頼しよう。魔女はその手の魔法薬を得意としていると聞く。謝礼の用意はある。早急に用意しろ」
「残念ながら、今の私には惚れ薬が作れません。今朝でしたらよい薬が作れましたが、つい先ほど恋心を失ったばかりですから、もう無理ですね。恋解きの薬でしたら量産できますが」
間が悪いですねぇ、と、話を締めると、シャルアスはサーベルを収めて低い声で吐き捨てた。
「使えない魔女だな」
「むっ! なんですか、その言い草は。一応、情報提供はしたんですから、私にも謝礼をくださってもよいのでは? 百万G寄越しやがりませ」
プンと頬を膨らませて言い放ってやる。百万Gはノリと勢いで言っただけだが、千Gくらいはくれてもいいのではなかろうか。
そう思っての言葉だったが、思いがけず、シャルアスはすんなりと金を取りに席を立った。
棚に固定されている金庫を開けて、中から革袋を取り出す。重そうな袋をテーブルの上にドシャッと置くと、中から金貨の山がのぞいた。
金貨一枚は、一万G。この山を見るに、百枚はありそうだ……。
クシェルは目を丸くしてしまった。
「えっ……!? まさか本当に百万Gいただけるんですか!?」
「貴様は悪夢の魔女から『強欲の魔女』にでも改名するべきだな」
冷たい声で言いながら、シャルアスは金貨を一枚だけ手に取って、クシェルに渡してきた。
「こんなにあるのに、たった一枚……」
「いらぬと言うなら返してもらう。これは解呪の謝礼として用意していたものだ。使えぬ魔女にくれてやる義理はない」
クシェルは弾かれたように顔を上げた。
「なっ……呪いを解いたら、百万Gもいただけるんですか……!?」
「事を成したら、だ。お前にはできないのだろう?」
「でき……ない、ことも、ない、かもしれません……! できます……! やります!」
「惚れ薬を用いる他に、早い方法があるというのか」
シャルアスは怪訝な目でじとりと睨みつける。クシェルは手錠をジャラジャラと鳴らして、訴えた。
「惚れ薬なんぞを使わずとも、私がこの身一つであなたを魅了し、呪いを解いて差し上げましょう!」
勢いよく立ち上がって、シャルアスの側へと寄る。
「さぁさぁ、私に恋をしやがりなさいませ!」
シャルアスは無表情のまま立ち上がり、クシェルの手錠を解く。
そうしてローブの襟元を引っ掴み、そのまま駐在所の外へポイと放り捨てた。
「あっ、ちょっ……あーっ!」
「お前への用は済んだ。もう二度と、魔女とは関わりたくもない。去れ」
ピシャリと扉が閉ざされた。
駐在所前の通りに転がされたクシェルは、すぐにムクリと顔を上げる。
「諦められるものですか……! だって百万Gよ! 百万あれば、滞納してる家賃とギタ婆へのつけが、いっぺんに返せる……!」
またとない、大金を得るチャンスだ。逃してなるものか。
クシェルは立ち上がって、通りを駆け出した。
猛ダッシュで家――という名の物置小屋へと戻り、乱雑に荷物が詰め込まれている木箱をあさる。
中から母親の服を発掘して、広げてみた。胸元が大きく開いた、色っぽいデザインのワンピースだ。自分の体に当てて鏡の前に立ってみる。
若草色のクシェルの瞳の色ともよく合う、緑色のワンピース――。男受けも十分に見込める、素敵な衣装だ。
母ロレッサはそこそこモテる魔女だった。冒険者ギルドでは、容姿に見惚れた男からナンパをされることだってあったのだ。
自分にもその血が流れているのだから、本気を出せば、色気で殿方を落とすなんて造作もないはず。
「絶対に落としてやるわ……機械人形め! 若い男なんぞ、私のあふれんばかりの色気でいちころ――……」
ローブを脱いで、中の服も脱ぎ捨てて。早速、母の服に着替えてみたところで、言葉尻が小さくなってしまった。
「――いちころに、してやりたいけど……う、う~ん……ちょっと、胸元は心許ないわね……」
母はこのワンピースをばっちり着こなしていたのだが、自分が着ると胸元にゆとりができてしまう。……縫い詰めておこう。
ワンピースを脱ぎ、裁縫道具を取り出して、クシェルは下着姿のままチクチクと縫い出した。
百万Gを手にできるのならば、このくらいの手間などなんてことはない。……ついでに、胸元を盛るパッドも作っておこう。