2 魔女の魔法と警吏シャルアス
暗い面持ちで家に帰ると、自宅の前に大家の男が立っていた。――自宅、といっても、ただの物置小屋だけれど。
クシェルのねぐらは、街の中央よりやや外れた場所にある、アパートメントの庭の物置だ。
一年ほど前までは、ちゃんとアパートメントの部屋を借りていたのだが……家賃の滞納が続き、ついには追い出されて物置暮らしになったのだった。
ちなみに物置でも家賃は一万G取られている。通常のアパートメントの部屋は四万Gなので、破格ではあるが……貧乏魔女にとっては痛い出費だ。まぁ、ここ最近はそれすら払えていないのだけれど。
大家はちょび髭の中肉中背のおじさんで、異様に髪の毛がふさふさしている。何やら、亡き母に恩があるそうで、クシェルを無下にできずにいるらしい。
母はこの男に毛生えの薬でも売ったのではないか――と、クシェルは密かに勘を働かせている。事情を問い詰めて、小屋を追い出されたらかなわないので、言わないでいるが。
魔女は心に抗えない生き物だが、『言いたい』という気持ちより、『追い出されたくない』という気持ちが勝っているので、今のところは言わずにいる。
大家はクシェルを見つけるや否や、肩を怒らせて大声を寄越した。
「――いた! 魔女娘め、今日こそは家賃を払ってもらうからな! お前、彼氏ができたとか浮かれていただろう? もう、そいつから借りてこい!」
「いやぁ……そうできたらいいのですが……。ついさっき、別れてしまいまして……」
「か~っ! 職無し、金無し、男無しときたか! 本っ当に、魔女という生き物はどうしようもないな」
「しょ、職はありますよ職は……! 魔女業という職が! これから薬を売ってきますので、今月分は払いますから……」
ローブの前をキュッと閉めて、体を縮こめてごにょごにょと言う。大家はフンと鼻を鳴らして睨みつけてきた。
「今月分と言わず、滞納分全額払ってくれてもいいのだぞ?」
「それは、努力します……。……ええと、今、滞納額はいかほどでしたっけ?」
「六十万Gだ! ったく、自分で覚えとけ! 百万を越えたら、内臓を売り払ってやるからな!」
「ひぃっ、ご勘弁を……!」
クシェルはアワアワと逃げ出した。先ほど元彼たちの内臓を売り払ってやればよかった、なんて思ったが、その言葉が自分に返ってくるとは……。
(ひとまず今月分の家賃は払っておかないと……大家さん、虫の居所が悪いみたい)
大家は機嫌が良い時と悪い時で対応に差がある。今は良からぬ状態のようなので、このままでは延々と説教をされてしまいそうだ。
まったく、占い通りのついていない日だ……。
ねぐらで一息つく間もなく、クシェルはまた通りを歩き出す。延々と歩いて南へと向かった。
そうして転がり込んだ先は冒険者ギルドの市場だ。――正式名称は別にあるそうだが、皆、冒険者ギルドと呼んでいる。
冒険者とは、世界各地をまわって魔物や魔石、その他、価値ある物をハントすることを生業としている人々のことを言う。
ギルドはそんな冒険者と契約を結び、商売の仲介を果たす組合だ。
物品を商人に卸したり、客へと売ったり、冒険者との間で依頼と報酬を交わしたり――など、日々、様々なやり取りが行われている。
シアラトアの街の南北二ヵ所にあるのだが、クシェルが普段出入りしているのは、この南側のギルドだ。
クシェルは冒険者登録はしていないのだが……日陰者の術師や、怪しげな薬師などは、冒険者ギルドの市場を商売場所としている。
それというのも、冒険者ギルドは少々、法の縛りがゆるい場所なので。
冒険者たちは国を越えてあらゆる場所を行き交うし、辺境の地だって何のその。そんな彼らによって持ち込まれ、交わされている物品は、とんでもなく多種多様――。ギルド内では人、物品、共に雑多で混迷を極めているのが、常である。
この場所において、『物事を細々と法に照らし合わせて取り締まる』なんてことはまったくもって現実的ではない。なので、結果的に少しばかりゆるくなっている。
おまけに、冒険者は登録にあたって身分を問われないので、社会から弾かれた咎人や荒くれ者、低身分層の貧民も多く職に就いている。
変に口を出して彼らと揉めるのも面倒なので、国も多少の事には目をつぶっているのだろう。
そういうわけで、一般人たちの暮らす世界とはちょっと違う、別世界が広がっているというのが、ここ冒険者ギルドだ。
木造の大きな建物に連なるようにして、木組みの屋根が広がり、半野外の市場が広がっている。その一角にある、一つの露店に上がり込んで、クシェルは店の主人に挨拶をした。
「ギタ婆、おはよう。ちょっと火鉢を貸してくれない? 薬を作りたくて――」
店主――ギタ婆は、クシェルの唯一の気の置けない知人であり、取引相手だ。亡き祖母の友人だそうで、母、クシェルと三代に渡って長く親交がある。
六十代の老婆で、グレーの髪の毛を頭の上で玉ねぎのように結っている。大きな耳飾りをつけて、派手な柄のシャツをまとった姿は、クシェルよりもずっと魔女らしい。
けれど、彼女は魔女ではなく、商人だ。売っているものは雑多だが、他国の食材や薬類を多く取り扱っている。
クシェルも彼女に薬を卸している。この稼ぎが、現在の唯一の収入源だ。
ギタ婆は、火鉢を使う準備を始めたクシェルを、じとりとした目で見た。
「どうせまた、ろくでもない薬だろう? くしゃみが出そうで出ないモヤモヤ感を生じる薬とか、痺れた足を突かれた時のヒーッて心地を覚える薬とか。売れない薬はいらんからね」
「今日の薬はばっちり売り物になるから……! たぶん大丈夫……!」
冷たい視線を避けつつ、鉢に火魔石粉を入れた。粉から生じた魔法の火はすぐに薪へと移り、煌々と揺らめく。
早速、鍋を置いて水を注ぎ入れた。薬作り開始だ。
鍋を火にかけながら、ギタ婆の店の中を見まわす。ごちゃごちゃと色々置かれている品々の中から、柑橘らしき果物を手に取った。
「これ、買ってもいい? 薬の香りづけ用に」
「五百Gだよ」
「……そこをなんとか、三百Gで」
「値引いた分はつけにしとくからね。薬が売れたらその分引かせてもらうよ。これであんたの借金は四十二万六百Gだ。利子を付けないだけ、ありがたく思いな」
クシェルは万年、金欠の魔女である。ギタ婆にも金を借りている身だ。が、この額すべてが、クシェルの借金というわけではない。
額を聞いて、ついボソッと愚痴がこぼれてしまった。
「私の借金自体は、結構少ないのに……」
「バカ言ってんじゃないよ。あんたの母さん、ロレッサの分が十五万Gと、祖母さんフリージアの分が五万G。そんであんたの借金が二十二万Gだ。あんたが断トツじゃないか。――まぁ、返済は一族三代分、まるっとまとめていただくがね」
「くぅっ……世知辛い……」
大家に続いてギタ婆にも、世知辛い金の話をされた。今日はこういうことが重なる……やはりついていない日だ。
やれやれとため息をつきながら、柑橘にナイフを入れる。――が、ふと顔を上げた時に、さらなる不運のタネを見つけてしまった。
ギルド市場の中に、警吏の姿を見つけたのだ。
冒険者ギルドに出入りしている人々の多くは、警吏を疎んじている。警吏は何かと口うるさい上に、融通の利かない厄介者でしかないので。
もちろん魔女にとっても憎き敵である。魔女を縛り上げて牢屋に放り込むのは、いつだって警吏なので、嫌うのも当然というものだ。
遠目に見えた男の警吏は、黒と青の制服をビシリと身にまとい、黒いマントを揺らして歩いていた。腰のベルトには長いサーベルを下げていて、右手の中指には特徴的な風魔石の指輪が光っている。
風魔石の指輪は、王から与えられたものだ。この国の王は風の魔術師の末裔で、王属の公人たちは治安維持のための道具として、王の魔力を宿した魔法の指輪を授かっている。
クシェルは渋い顔をして、さっと視線を外した。
「うわ、何で警吏が? ……あ、まさか…………まずい、もしかして私、あの二人に通報されたのでは!?」
国からお目こぼしをされている冒険者ギルドには、普段、警吏が見まわりにくるなんてことはない。
だというのに、こうして中を歩いているということは、見逃せないほどの事件が起きたということだ。
タイミングといい、キョロキョロと誰かを探している様子の警吏といい……もしかして、対象は自分なのではなかろうか。
「あんた何かしたのかい?」
「さっき、人に薬をぶっかけてしまいまして……」
「何をしてるんだか……これだから魔女は」
クシェルは身を隠すように、ローブのフードを深く被って小さくなった。が、ギタ婆は遠くを歩く警吏をよくよく見て、何てことない調子で言う。
「――んん? あぁ、ありゃ機械人形シャルアスだね。大丈夫、あんたが通報されたわけではなさそうだよ」
「機械人形? あの人、機械なの?」
「まさか。人間だよ。でも心がないから、機械人形ってあだ名されてんのさ。一週間くらい前から、南北のギルドに顔を出して人探しをしているみたいだよ」
「ってことは、私の犯行のせいではない、と……なんだ、よかったぁ」
ホッと息を吐き、ローブのフードを脱いだ。そんなクシェルを見て、ギタ婆はやれやれ、と話を続ける。
「でも、変なことをして、警吏に目を付けられるんじゃないよ。商売がし辛くなる。特に機械人形には気を付けな。あの男、ひとたび命令を受ければ、どんなことでもやってのけるって話だ」
「へぇ、仕事熱心だこと」
「最近だと、海辺に出た可憐なマーメイドの首を、表情一つ変えずにさっさと切り落としたそうだよ。魔女の首だって、奴にとっちゃ雑草みたいなものだろうから、用心しな」
マーメイドとは、美しい歌声と容姿で人を惑わす海の魔物である。手練れの冒険者ですら殺しを躊躇う美貌の魔物だというのに、容赦なく首を落とすとは……まさに心のない機械のようだ。
話を聞きながら、クシェルは鍋に柑橘を投入した。しばらく煮た後、次の材料を入れる。
ここからが、魔女の薬作りの本番だ。
クシェルは胸に両手を当てて、呪文を唱えた。
「胸に宿りし宝石よ」
途端に、胸から魔法の光があふれ出した。両の手のひらで包み込み、受け止める。このキラキラと輝く光の玉は、クシェルの心を写し取ったものだ。……すなわち、荒ぶる失恋心の塊である
魔女はごく普通の薬も作る。けれど、魔法を使った心の薬こそが、魔女薬の真髄だ。魔女は自分の心を材料にして、人の心に作用する薬を作り出す。
『深い悲しみの心』で薬を作れば、服用者はたちまち涙を流し、『楽しくて仕方がない心』で薬を作れば、服用者はたちまち高揚感に満たされる――。そういう薬が、魔女の魔法薬だ。
心の光を鍋に放り込んで、スープレードルでクルクルと混ぜ溶かす。
失恋心で作り上げた薬は、恋を解く薬になる。飲めば百年の恋も冷めることだろう。今さっき、クシェルがエドモンドへの気持ちをすっかり冷やしてしまったように。
「――よし! 恋解きの薬を作ってみたよ。これは売れるでしょう?」
「おぉ、よい薬じゃないか。恋がご法度の娼館で需要がある。売り込んどいてやろう。……というか、あんた、もしかしてもうフラれたの? 彼氏ができたのはほんの一週間前じゃなかったかい?」
「フラれたてほやほやの状態よ……だから、この魔法薬も素晴らしい出来栄えというわけ。品質は保証するわ」
「あ~あ~、まったくしょうもない……」
二人で鍋を覗き込みながら、あれこれと言葉を交わす。――が、ふいに店先の火鉢の前に人が立ったことで、二人のお喋りは仕舞いとなった。
クシェルの真ん前に立っていたのは、男の客――ではなく、なんと、警吏だった。ギルドをうろついていた機械人形、シャルアスだ。
ギタ婆は素知らぬ顔でスッと身を引き、取り残されたクシェルはギョッとして目をむいた。
(ひ……っ!? な、なんで寄ってきちゃったの!? やっぱり私、通報されたんじゃ……!?)
シャルアスは近くで対すると、ずいぶんと上背があって圧がある。サラリとした黒い髪に、冷たい紫色の目。歳は二十歳そこらか。
容貌はまさに人形のように綺麗に整っているが……表情が抜け落ちていて恐ろしい。
無表情な男だが、どこかやつれたような顔をしていて、目が据わっているようにも見える。荒んだ機械人形、といった雰囲気だ。
逃げ出す間もなく、シャルアスに職務質問をされてしまった。彼は抑揚のない低い声で言う。
「今、魔法を使っているように見えたが、お前は『悪夢の魔女ロレッサ・ラモール』か?」
「ち……違います……」
内心ではドキリとした。ロレッサとは、母の名前だ。この警吏は母を探しているようだ。
(お母さん、前に何かやらかしたのかな……? 警吏を蹴り飛ばして罰金刑をくらったことがあるのは知ってるけど……他にも余罪が!?)
母は魔女らしい人だった。そよ風のように軽やかで、自由な心を持った偉大な魔女だ。が、魔女らしく、時には暴風と化す豪胆な女であった。
亡くなったのは五年前だが、何か昔の罪を問われているのかもしれない。既に世を去っていることを説明しなければ……と、思ったが、すぐに矛先はクシェルに向くことになる。
シャルアスは鍋の魔法薬とクシェルを交互に睨みつけた後、あろうことか、腰のサーベルを抜いた。
ヒュンと風を切る音と共に、クシェルの首に刀身が向けられる。
「ではお前は何者だ。嘘偽りなく身分を明かせ。命令だ」
「ひぃっ……クシェル・ラモールと申します……っ」
「ロレッサ・ラモールの家族――娘か?」
「はい……長い名前を、クシェル・ラモール・ド・ナイトメアと言います……ロレッサの娘で、『悪夢の魔女』です」
機械人形の威圧の中、クシェルは早々に屈して本名を名乗った。
魔女は自分の心を薬にする魔法の他に、もう一つだけ、特別な魔法を使える。それは『呪いの魔法』だ。
古の魔女の祖――大魔女たちが、それぞれ一つ、極めた魔法だそう。ルーツによって、末裔たちはそれぞれの呪いを継いでいるが……クシェルの一族は『悪夢の呪い』を継いでいる。
その名の通り、人に悪夢を見せる呪いだ。が、人生で一度も使ったことはない。人に害を及ぼす魔法の類は、総じて違法な黒魔術に分類されて、使えば即、牢屋に入れられてしまうので。
クシェルが名乗ると、シャルアスは紫の目を鋭く細めた。サーベルを鞘に納めて、マントをひるがえす。
横目で睨みつけるようにして、命令を寄越した。
「クシェル・ラモールよ。駐在所まで同行願おう」
「え……嫌ですけど」
魔女は心のままに生き、心のままを口にする生き物だ。嫌だと思ったら、嫌だと言ってしまう。相手が誰であろうと、自分がどんな状況であろうと、心には抗えない。
ペラッと拒否してしまったら、シャルアスはまたマントをひるがえして無表情に寄ってきた。
そのままクシェルの手を取り、ガシャリと手錠をかける。家畜を引くように手錠を引っ張って、クシェルを強制連行した。
「……え、ちょっと……えぇ……!? 私、薬を作っている途中なんですが……! 家賃分がかかっているんですよ……! ねぇっ、ちょっと~……っ!」
さすが最低最悪の運勢の日だ。まさかしょっ引かれるとは……。
クシェルが呻き声を上げても、シャルアスは視線一つ寄越さずに、ただ前を向いて歩いていた。