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18 機械人形の夢と、味噌汁と卵かけご飯

 呼ばれて来た他の警吏たちに現場を任せて、シャルアスとクシェルは屋敷を後にした。

 駐在所もマルコに任せて、そのままシャルアスは二階の部屋――彼が住み、暮らしている部屋へと上がる。


 フラフラとおぼつかない足取りのシャルアスを支えて、クシェルも部屋の中に上がり込んだ。


 彼の部屋は酷く殺風景だった。必要最低限の家具と調度品のみがポツポツと置かれているだけで、味気ないインテリアだ。


 人の暮らす家というより、まさに『機械人形の格納庫』といった雰囲気である。


 シャルアスは上着を脱いでベルトを外し、シャツを崩して奥のベッドへと上がる。長い足を放り出してブランケットを腹まで引き上げた。――が、座った状態のまま、なかなか横になろうとしない。


 ベッドの脇に立って彼の様子をうかがっていると、クシェルの耳に小さな声が届いた。


「……眠るのが恐ろしい……」

 

 無表情な暗い顔をうつむけて、シャルアスは呻いた。末期の呪われ人を見下ろして、クシェルはふむと頷く。


「ちょっと待っててください。よい薬を差し上げましょう」


 パタパタと駆けて部屋を後にして、一階の調理場――という名の、クシェルの私物置き場から小瓶を持ち出して、また彼のもとへと戻る。


 ベッドの縁に腰を掛けて、クシェルはシャルアスに小瓶をズイと差し出した。


「じゃじゃん! 魔女の特製眠り薬です! 『眠くて眠くて仕方がない時の心地』を材料にして、その他諸々、魔物素材などもごっちゃりと混ぜ合わせて作った、正真正銘の魔法薬です。どうぞ」

「飲めば夢を見ずに眠れるのか?」

「う~ん、呪いの悪夢となると……どうでしょうね。やっぱり夢は見てしまうかと思いますけど……。でも、とりあえず、恐れによる不眠は解消されるかと。すご~くよく効く薬なので、飲めば即刻、眠りにつけます」


 シャルアスはおもむろに薬瓶へと手を伸ばす。が、追加の説明を聞くと、彼の動きはピタッと止まってしまった。


「十人に一人くらいは、眠りについたまま永遠に目を覚まさないほどには、よく効く眠り薬です」

「……やめておこう」


 手を引っ込めてピシャリと断ると同時に、シャルアスは諦めたようにベッドに身を横たえた。こちらに背を向けて、寝る体制に入ったが……目は細く開かれたままだ。


「人は眠る時には目を閉じるものですよ」

「……意地の悪いことを言う」

「悪夢を恐れる気持ちはわかりますが、眠りを拒否していたら体が壊れてしまいますって。自力で入眠できないなら、眠り薬をお飲みになってはどうです?」

「……」


 シャルアスは未だ目を閉じられずにいる。けれど、心とは裏腹に、体はもう限界を迎えているのだろう……ずいぶんと眠そうな面持ちで、瞳はぼんやりとしていた。


 それでもなお眠りに抗おうとする姿は、何とも痛々しい。


 毅然とした凛々しい姿で、警吏のサーベルを颯爽と振りかざすような男が、これほどまでに恐れる悪夢とはどういうものなのか――。


 気になったクシェルは、尋ねてみることにした。


「シャルアスさん、どういう夢を見るんですか?」

「……牢に入れられる夢だ」

「牢屋? 警吏のあなたが?」


 問い返すと、シャルアスは眠気に抗いながら、ポツポツと話し始めた。


「……水牢に、閉じ込められる夢を見る。足元から水がせり上がってくるが……頭上の格子蓋は固く閉ざされている。次第に水が喉を越えて、口を覆い、鼻を越える……。……そうして俺が苦しさにもだえ、溺れていく様を、上から悪魔たちがじっと見下ろしている」


 拷問のような夢だ――。避けたくなるのも頷ける内容に、クシェルは渋い顔をした。


「あなたを見下ろしている悪魔は、どんな悪魔ですか……? 怖い悪魔?」

「……ドレスを着て、長い髪を結い上げた、女の悪魔たちだ。四人いる。俺が水に沈むのをただ見ている。助けを乞うても、誰も、何もしない。じっと、ただ見ている。……恐ろしい悪魔たちだ」


 彼はわずかに体を縮こめる。枕の上で黒髪がクシャリと散った。


「……そうして水の中で苦しみ抜き、意識が途切れた瞬間に目が覚める。次に一度(ひとたび)まぶたを閉じると、また水牢の中にいて、水が満ちてくる。何度も、何度も、その繰り返しだ。……もう眠りたくない……」

「それは……辛いですね。でも、寝ないと夢の中だけでなく、現実にも死が待っていますから……。――そうだ、背中を叩いてあげましょうか。気休めですが」


 こちらに向けられている背中に手を当てて、クシェルはポンポンと軽く叩いてやる。


「人の手には魔法の力が備わっているんですよ。安らぎの魔法です。こうして触れていると、心身の苦しみを取り除くことができるとか」


 ポスポスとリズムよく叩いていると、シャルアスがさらに体を縮こめた。


「悪夢の呪いは、人生で一番辛い気持ちを抱いた時のことを夢に見せる呪いです。シャルアスさん、きっと昔、水に絡んだ怖いことがあったんですね。でも大丈夫ですよ。現実のあなたは水牢の中ではなく、ちゃんとベッドの中にいますから。大丈夫、大丈夫――」


 背中を叩いているうちに、シャルアスは紫色の瞳をまぶたの下に隠して、眠りの世界へと向かっていった。






 次に紫の目が開かれた時、もう部屋の中は真っ暗になっていた。


 シャルアスはベッドの上に身を起こし、部屋の中を見渡しながら、ぼんやりと目をこする。寝起きの掠れた声で、独り言を呟いてしまった。


「……眠れた……気がする……」


 呪いをくらってからというもの、『よく眠れた』という心地とは、すっかり無縁になってしまっていたのだが。


 ものすごく久しぶりに、いくらかすっきりとした目覚めを迎えている気がする。


(……夢の中で何度か溺れたが……おかしいな……そのまま眠っていられた)


 毎度、繰り返し、嫌になるほど、鮮烈な悪夢を見続けてきた――のだが、今回の眠りは、苦しみにもだえて飛び起きるほどのものではなかった……ような、気がする。


 ベッドから下りて部屋の時計を見ると、もう夜、八の時の半ほどの時刻になっていた。


 何だか不思議な、おぼろな心地のまま部屋を出て、階段を下りる。駐在所の奥の調理場を覗くと、クシェルが料理をしていた。


 ゆるく二つに括られた、長いミルクティー色の髪とエプロン姿を、なんとなく眺めてしまった――……が、調理台に置かれている瓶に目が留まった瞬間に、口から低い声が飛び出た。


「――クシェルよ、その瓶は」

「あ、起きました? これは乾燥わかめです。あの後、お屋敷のお爺さんが駐在所にお礼に来たので、お願いしてもらっちゃいました。早速、夜ご飯に使ってみましたよ」


 魔女クシェルはいつもの調子でペラッと喋り、瓶をシャカシャカと振っていた。


「あの死体を見て、この食材を使おうと思う神経が理解できん……」

「わかめに罪はないでしょう。ほら、早く顔を洗って席についてください」


 ため息をつきつつ、調理場を離れる。……腹が鳴ってしまっている自分も大概だが、魔女には隠しておこう。





 クシェルはテーブルに料理を並べて、シャルアスがソファーに腰を下ろしたと同時に、魔女のレストランをオープンさせた。


 シャルアスがじとりとした目で味噌汁を覗き込んでいるが……まぁ、この反応は想定内だ。


「わかめとやらはスープで食べるのが正しいのか」

「調理方法に正しいも何もありませんが、和島では一般的ではありますね」

「そうか。では、わかめと一緒に浸っている、この白いものは何だ。メレンゲか?」

「メレンゲなんて入れませんよ。豆腐です、豆腐。そのスープは『豆腐とわかめのお味噌汁』です」


 怪訝な顔をしながら、シャルアスは豆腐をフォークの端で突いていた。


「ブヨブヨしている……。この白いものといい、わかめといい、魔物汁のようだな……」

「む、失敬な! 魔物ではなく豆腐は豆だし、わかめは海藻! ほら! 文句を言ってないで、食べてくださいよ」


 ムッとして言い放つと、彼はようやくもそもそと食べ始めた。わかめと豆腐を頬張り、口を付けて汁を飲む。


「……思っていたより優しい味だ。味噌味に合うな」

「豆腐もわかめも、お味噌汁の定番具材ですからね。相性抜群です」


 味噌汁をいくらか食べ進めた後、シャルアスは白米へと手を伸ばす。――と、その瞬間を狙って、クシェルは手のひらを広げて待ったをかけた。


「お待ちください! 今日は白米のお供に、とっておきの食材があります」

「納豆ではあるまいな?」


 鋭い睨みをかわして、クシェルはテーブルの端に置いておいた小さな木箱を開けた。木箱の中には布で包まれた、拳サイズのとっておきの食材が入っている。


 取り出して布を解き、じゃん! と掲げた。


「卵です! 卵! これを是非、召し上がっていただきたく」


 披露しながら、燃えるような赤色をしている卵をパカッと割って、ボウルの中に中身を出す。


 小ベラを使ってシャカシャカとかき混ぜて、ちょろっと醤油を足す。出来上がった醤油卵汁を熱々の白米にトロリとかけて、シャルアスの前に出した。


「はい、どうぞ。『卵かけご飯』です」

「一応聞いておくが、生で食べるのか……?」

「お察しの通り」


 眉間を押さえて渋い顔をして、彼は静かにクシェルを諭してきた。


「卵には菌が付着している。生で食すと病をくらう」

「イッヒッヒ、ところがどっこい。この卵は特別な卵なので、ご安心を」


 クシェルは卵が入っていた木箱に刻まれている刻印を指で示して、胸を張った。


「この卵、なんと火の魔鳥、フェニックスの卵ですよ。高級食材です! ギルドで手に入れましてね。ほら、ちゃんと品質を保証する刻印もこちらに」

「生食に耐えうる食材なのか?」

「卵に付いている菌は加熱によって除かれるものですが、フェニックスはそもそも火をまとっている魔物ですからね。卵も高温に晒されていますから、ばっちり殺菌されています」


 さぁさぁさぁ! と卵かけご飯を勧めると、シャルアスは押しに負けて手にとった。


 カトラリーをスプーンに替えて、卵かけご飯に差し込む。スプーンの上でトロッと輝く卵と白米を見つめた後、思い切ったようにパクリと頬張った。


 もぐもぐと味わって、飲み込む前に感想を寄越した。


「これは……美味い……文句なしに」

「フェニックスの卵は高いだけあって、栄養満点ですからね。呪いでぽんこつになっている機械人形にも、よい食材かと思いまして、入手してきました」


 シャルアスが眠った後、冒険者ギルドに足を運んで、あれこれ食材を見て回ったのだ。卵は栄養があるので、呪われ人の元気づけにはぴったりだろうと思って奮発した。


 この前の虫落としの薬で得た、数万Gの売上金をまるっと手放すことになってしまったけれど……まぁ、いい。


 この機械人形に、どうしても食べてもらいたかったので。魔女は心には抗えないのだ。


 シャルアスはもぐもぐと、魅惑の珍料理、卵かけご飯を堪能している。その様子を見ながら、クシェルも食事を始めた。


 が、ふいにシャルアスはこちらを見て、食べ進める手を止めた。


「お前は卵かけご飯を食べないのか?」

「えぇ、この卵を二個も買うお金なんてありませんし。私は梅干しで食べますから、気にせずに」

「……悪い。分けるべきだった」


 複雑な表情で言い淀んだシャルアスに、クシェルは言ってやる。


「言葉を間違えていますよ。そこは『ありがとう』と言うべきでは?」

「礼を言う……クシェル」


 シャルアスは素直に感謝の言葉を寄越した。調子づいたクシェルは、さらに長文を喋らせてみることにする。


「『感謝申し上げます、クシェル様。お礼にどうぞ、百万Gをお持ちください』と言ってみてください」

「断る」


 低い声で即答をくらった。……けれど、今一瞬、彼がわずかに笑みを浮かべていたように見えたのは気のせいだろうか。


 シャルアスはまたすぐに卵かけご飯を頬張ってしまったので、確かめる時間は取れなかった。



 ご飯を平らげていく機械人形を観察しながら、クシェルはぼんやりと思う。


(……街で赤い髪の人を見つけたら……仕方ないから、教えてあげるとしましょうかねぇ)


 これから街を歩く時には、彼の恩人だとかいう赤毛でオレンジの目をした女性がいないか、注意を払ってやることにしよう。

 これ以上、この男が呪いで弱っていく様は見たくない――……。


 なんとなく、そんなことを思ってしまった。


 ……もう、そう思ってしまったならば、そうするしかない。魔女は心のままにしか生きられない生き物だから。


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