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天使の遺書

作者: 田中浩一

「天使の遺書」


1


〈お父さん、お母さん。

先立つ不幸をお許しください。

12年間、育ててくれたご恩は一生忘れません。

さようなら。ありがとう〉


   南野海波みなみのみなみは、誤字脱字がないことを確かめると、丁寧に三つ折りにした便箋を封筒に仕舞う。

   鏡にチラッと視線をやる。

   そこには今まで見たことのない自分がいた。

「新しい生活が始まる」

   そう呟いて玄関を出た。


2


   一級河川沿いに、堤防を歩く南野海波は、目の前上空に、河川を渡る高速道路を見つけると、階段を下り始めた。

   朝霧が立ちこめる川面。

   春休み初日のまだ早い時間。

   河川にしばらく沿って走る高架橋下は、セイタカヨシ(葦)が無造作に生えていて、生き物が河川に下りることを、拒絶しているようだ。

   その二段上の高架下堤防に、数十個の段ボールの家が並んでいる。

   浮浪者たちの棲み家だ

   一度立ち止まった海波は、手鏡を取り出すと覗き込む。

   父親の靴墨で汚した顔が、映っている。ニッと笑うと何本かの歯が黒い。

   髪は所々束ねて結んであるけれど、ほつれ目がたくさんで、ボサボサしている。

   ジャンパーもジーンズも、ほころびや穴がワザと空けてある。

「オッケー」

   小声で言って右こぶしを握ると、浮浪者たちの棲み家に向かって歩きだした。


3


   ブルーシートと段ボールの、ハイブリットな「ハウス」の前に立つ。

   深呼吸、そして、

「こんにちはっ!み、南野海波ですっ!」と、直立不動で大声を出す。

   しばらく待つ。

   頭の上の高速道路を走る、タイヤのスキール音が空しく響く。

   お目当ての「ハウス」も、隣近所の「ハウス」からも、なんの音沙汰もない。

   海波は周りを見回すと、

「お邪魔します」

   先程とは、うって変わった小声で言うと、ハイブリットハウスのドアとおぼしき、段ボールの切り欠きに手を掛け開けると、中に入った。


4


「おはよう。

   そのまま、聞いてください。

   私は神の使い、あなた方のいうところの、天使です。

   信じる信じないは別にし、これからあなたに起こることをお話します。

   あなたは一週間後に、死にます。

   火にまかれて、全身やけどです。

   そこで、死ぬ前にあなたの願いをひとつ、聞いてあげます。

   突然のことで、すぐには浮かばないでしょうから、明日の今頃また、伺います。

   ちなみに、このサービスは死ぬ人、みんなが受けられるわけではありません。

   あなたは天国行きを約束されたのです。

   だからサービスを受けられます。

   だから私が来ました。

   選ばれなかった人は、普通に死んで地獄に落ちます。

   落ちますと言っても、この世を霊魂になって、さまよい続けるだけですけどね。

   では、また明日」


   寝袋の中の海波は、身じろぎもしないで聴いていた。

   振り返ることもままならなかったけれど、話は全部聞き取れた

   夢かうつつかは別にして。


5


   騒々しい物音で目が覚めた。

   南野海波みなみのみなみは、寝袋から顔だけだして、出入り口を見る。

「ここにもいるぞっ」

   小さなお爺さんは海波の顔を見るなり、外に向かって叫んだ。

   なんだなんだと、たくさんの足音が近づく。

「お前の友達か?」

   首根っこを掴まれた女の子が、入り口から顔を覗かせる。

「あっ、咲楽さくら!」

「海波、お疲れ」

   右手で挨拶する咲楽に、

「どうしてここに?」

   尋ねる海波。

「海波のノート、見ちゃった」

   あぁ、計画ノートのことだなと、すぐに気づく海波。

「私も『遺書』書いてきちゃった」

そう言う咲楽に、

「マジでっ?」

「マジでっ」

   と思わず吹き出して、笑ってしまう二人。

   集まった浮浪者たちは、そのほとんどがお爺さんだったけれど、小さなお客さんにどうしていいものか…顔を見合わせていた。

   その時、

「俺の家に勝手に入ったのは、どこのどいつだ」

   張りのある大声。

   お爺さんたちが道を開ける。

   男が顔を見せた。

   まだ若い、3、40代だろうか。

「ツヨシさん、子供です」

   お爺さんに敬語で言われた、ツヨシと言う男と海波は、しばらく睨みあった。


6


「は、はじめまして。み、南野海波です。あ、あの、その、あなたがあの、『あしながおじさん』ですね」

   海波はどもりながらやっとそれだけ、言い切った。

「あしなが・・・、なんのことだ?人違いじゃ、」

   ツヨシがそこまで言い掛けたとき、海波が「これ」、と写真立てを胸の前に構えた。

「寝袋のなかで見つけました。私の小さい時の写真ですよね?」

「どれどれ?」

   小さなお爺さんが写真立てを、覗き込む。

「確かに似てるな。ツヨシさんが学費を援助してたって

あんたのことかい?」

「は、はいっ。そうです」

   ツヨシは黙っている。

   ハウスのあちこちから射し込む光が、お昼前を知らせていた。

   頭上の高速道路のスキール音も、間断無く聞こえてくる。

   やがておもむろにツヨシが、口を開いた。

「君のお母さんのお父さん、つまり、君のお祖父さんに昔、世話になったんだ。君のお父さんが亡くなったと聞いて、俺のできることをやっただけだ。

   こんな成りでがっかりしたろう?」

   海波は激しく首を、横に振る。

「そんなことないです。カッコいいです」

   その言葉にその場にいたお爺さんたちが、一斉に笑った。

「笑うとこじゃないだろ」

   ツヨシの苦笑いにまた、みんなが笑った。


7


   この一帯の20人の浮浪者たちが、深夜の工事で働いている。

   今は全員が、それぞれのハウスで寝ている、昼夜逆転生活だ。

「浮浪者じゃないのね」

   咲楽が海波を見て言う。

「自分で稼いで生計を立ててんなら、家がないだけだから、『ホームレス』が正しい表現だね」

   隣で寝ているツヨシをこっそり見ながら、海波が声を潜める。

「この人が海波の家に仕送り、してたの?」

「仕送りって言うのか、まぁ、援助金だよね」

「お祖父ちゃんに世話になったから、その恩返しみたいな?」

「私が一歳でお父さんが死んじゃって、それから援助してもらってるみたい」

「でもさ、よくこの人だって突き止めたね」

「毎月26日にお客さんが来てたの。それまでは気にしてなかったんだけど。

   その日はたまたまトイレから出たとこで、ほら。私の家のトイレって玄関入って、すぐじゃん。それでこの人が来てるとこに、出くわしたって訳よ」

「なるほど。んで?」

「見た目がさ、言っちゃ悪いけど、こんなじゃん。母さんの愛人かなとか思って、その翌月。そう、先月の26日に、こっそりあとをつけたの」

「それでここを突き止めたのね」

「ビンゴっ!」

「この写真立てさ」

   咲楽が海波に写真立ての正面を見せながら、

「ここんとこ見て」

   指差すところがダブっている。

「この下にも写真が?」

「気にならない?」

「なるなるっ!」

   海波がそう言ったとき、後ろでツヨシが唸った。

   二人は目を見開き、フリーズ。

   そして、ゆっくり首をツヨシに向ける。

「寝言ね?」と咲楽。

「寝言ね」と海波。

   海波は手に持つ写真立てを、ソッとツヨシの枕元に返した。


8


   小さなお爺さんこと、 坂本は、

「子供がここにいたら迷惑だ。すぐに行政指導とかなんとかで、あたしら立ち退きで行き場を失うぜ」そう、ツヨシに進言したけれど、

「お前ら、春休みが終わるまでに帰るんなら居させてやる。もちろん、二人の家には連絡する。その上で、親御さんの了解が、得られればの話だけどな」

   そんなこんなで海波と咲楽は、ここにいる。

   遺書の話も出たし、ホームレスと一緒にいることにも、反論が出ると思われたが、

「海波ちゃんと一緒ならいいわ」

と咲楽の母は二言返事で、

「良い経験になるかもね」

海波の母も快諾した。

   二人が幼馴染みだったことは、あとから知ることになるのだが。

   そしてシングルマザーと言う、境遇も一緒だ。お互いの心持ちはわかりきっているようだ

   それでも、粘る坂本を説き伏せたのは、ツヨシで、

「みんなには迷惑は掛けない」

   その一言で全員のお爺さんが納得したのだから

、絶大な信頼感を得ているらしい。

「夕方起きてから話は聞く」

   そう言ってツヨシは、アッと言う間に寝てしまった。

   二人は春休みは宿題がないからいいね。中学の準備とかできてる?クラブにはなんか入るの?

   そんな他愛のない話をしていたが、お昼にはお腹が空いてきた。

   遠くで正午を知らせる音楽が、地域無線のスピーカーから流れてきた。

   するとドアが開いて、坂本が顔を見せた。

「腹、減ったろ?こんなものしかないけど、食べな」

   差し出されたのはコンビニ弁当と、ペットボトルのお茶。

「あ、ありがとうございます」

   二人は頭を下げる。

   坂本は満面の笑みで、

「良いってことよ」

   そう言って立ち去った。


9


   みんな寝ていた。

   腹が膨れた海波と咲楽も、暖かな冬の陽の元、眠っていたが、海波はもよおして目が覚めた。

   外に出ると、お祭りとかに設営されている簡易トイレがあることを、来たときに見て知っていたので、そこに寝ぼけ眼でヨタヨタと歩いていく。

   高速道路のスキール音は相変わらず、激しく鳴っていた。

   それに混じって近づいてくる、爆音と音楽。

   爆音は改造オートバイのマフラーの音で、音楽はそのバイクのスピーカーから、鳴っている。

   冬の陽は傾き、世界がおぼろげになる中、まるで影絵のような、手足の長い悪魔たちが、手に手に狂気の凶器を握り、堤防に下りてきた。

   悪魔の降臨だった。

   海波はトイレも忘れて、この異常事態を知らせに、

ツヨシの元に走った


10


   海波が戻ると、すでにお爺さんたち全員がツヨシの元に集まっていた。

「おう、海波ちゃん。無事だったか」

   坂本が両手を広げる。

「たくさんのオートバイの人たちが来てます。それにみんな手にバットや鉄棒を、握ってます」

   見たままを伝える海波。

「俺たちを『狩り』に来たんだ」

   ため息混じりに誰かが言った。

「何度もあるんだ。『浮浪者狩り』だ」

   坂本が薄い頭を撫でながら、目を閉じる。

「この周りにセンサーが付いてて、侵入者があるとスマホに通知が来るんだって」

   咲楽が海波の耳元で囁く。

   凄いねと二人で頷きあう

「葦の中に隠れる班は、この子達を連れていってくれ。そして攻撃班は所定の場所に移動しよう」

   ツヨシの言葉に全員が動き出す。

「こっちだ」

   半分ほどのお爺さんが河岸の、葦に向かう。海波と咲楽を手招きする。

「背の高い葦の中に隠れるんだ。でも気を付けなよ。所々に自然の穴が空いてる。コツは足元の短い草を踏みしめながら、進むんだ」

   はい。と二人は大きく頷く。


「オラオラオラオラ!粛清にきたぞっ!」

   狩人たちの怒鳴り声が聞こえる頃には、ハウスの周りに人影はなかった。


11


   海波は息を潜めて、背の高い葦の中にいた。

   隣には同じく緊張ぎみの咲楽と、二人を囲むようにお爺さんたちがいるはずだった。

   皆、均等に間隔を開けて葦の中に隠れていた。

   一ヶ所に集まると、葦の隙間が大きくなり見つかってしまうからだ。


   ツヨシは攻撃班と言った。

   でも聴こえるのは浮浪者狩りたちの、怒鳴り声や笑い声ばかりだ。

   いつやっつけに来るんだろう?

   早く帰ってくれないかな。

   おトイレ行きたいな。

   そんな海波の願いはすぐに叶った。

   浮浪者狩りたちは、ハウスをあらかた潰すと、帰っていった。

   バイクの音。

   遠ざかる爆音。

   辺りを冬の冷ややかな夜が、占領し始めていた。

   お爺さんたちが葦の間から顔を出して、

「戻ろう」と手招きする。

   海波は咲楽と一緒にトイレに走る。

   戻るとみんなが談笑しながら、ハウスの修復をしていた。

   どこからか新しい段ボールと、ブルーシートと桟木を持ち寄って、直している。

「今頃あいつらガス欠で立ち往生だな」

   坂本がしたり顔で言うと、

「お嬢ちゃんたちが隠れてるあいだに、俺ら攻撃班は奴らのバイクのガソリンを抜いたのさ」

   お爺さんと言うにはまだ、若い男が説明する。

「少し残しておくのがコツだ」

   坂本がどう言うことかわかるかと、二人を見る。

「空き巣って泥棒がいるだろ?あいつらは家に忍び込んでも、全額は持っていかない。せいぜい一、二万円だ。

   これだと家の人も数え間違いか、なにかで使ってしまったかと勘違いするだろ?訴えられるリスクが減る。

   バイクのガソリンを抜くのも、その道理なんだ。

一台から少しずつ頂戴して、見ろ」

   指差す先にガソリン携行缶が三つ。

「あいつらは盗まれたとは気づかない」

   得々と話す。

   ガソリンは、軽トラックに使うんだ、とも話す。

「さて、夜のお勤めにいこう」

   ツヨシが立ち上がる。

「夜のご飯はこれだ」

   坂本が二人に差し出すのは、

「コンビニ弁当」

   二人は顔を見合わせる。


12


   みんなが、夜の工事や交通誘導員などの仕事から帰ってくる朝方。

   海波と咲楽は目を覚ます。

   みんな寝てしまうので二人で、そこら辺りを探索することにした。

「これがセンサーね」

   咲楽が打ち込まれた杭の頭に着く、タバコサイズの黒い物体を見つけた。

「あっちにもある」

   海波が指差す方向に、等間隔で杭が並んでいる。

「訊いたら、元電気屋さんとかパソコンに詳しいお爺さんがいて、その人たちが廃品で考えたんだって」

   いつの間に聞いたのと、海波は驚く。

   戻りしな、河岸の葦を眺める二人。

「落とし穴みたいな、穴が空いてるんだって」と海波。

「君子危うきに近寄らず、ね」と咲楽。

   学があるわ、と感心する海波だった。

   ハウスに戻ると数人のお爺さんたちが、起きていた。

   大きな格子の鉄網を運ぶ者。

   半分のドラム缶やクロス字に開く脚。

   炭を運ぶお爺さん。

「これってBBQじゃないの?」

   そう言う咲楽に、それってなに?と尋ねる海波。

「バーベキューよ」

   おぉ!なるほどね。納得の海波。

「今日は、給料の出た週の最初の日曜だから、豪華にいくぞ」

   坂本が胸を張る。

   海波たちは顔を見あわせ、

「脱コンビニ弁当だ」と喜んだ。


13


「全員が訳ありの連中なんだ、俺も含めてな。奥さんに先立たれて、生きる希望を失った者。倒産した元社長。ただひたすらに会社のために生きてきて、定年を迎えて少ない年金で食っている者。優秀な人材は残り、窓際族は歳だからって切られてしまう。まだ働けるのにな」

   ビール箱を逆さにした椅子の上に、海波とツヨシは横並びに座っていた。

   目の前で咲楽と坂本と、裸踊りする数人のお爺さんたちがいた。

   咲楽は吐きそうなほど笑い転げていた。

   すでにそこら中にビールの空き缶が、散乱していた。

   みんな良い心持ちで夜を過ごしていた。

「ここを巡回する警察官は、融通の効く人間でさ。俺たちが夜の仕事で得た情報をやる代わりに、俺たちのことを、見逃してくれてるんだ」

   犯人逮捕に繋がったこともあるんだ、とも言う。

「たくさん食べたか?」

「はい。こんな柔らかいお肉、生まれてはじめて食べました」

   その言葉を聞いて微かに笑うと、

「苦労してるんだな」と呟く。

   すぐにその言葉を打ち消すように大声で、

「爺さんたちの歯でも噛める肉を買ってるんだ。少々お高いがな」

   それを聞いたお爺さんたちが、ゲラゲラと楽しそうに笑う。

   月夜は明るく、流れる雲を映す。

   宴は続く。


14


「遺書まで書いて家出してきたってことは、なにかあったんだろ?俺でよかったら話してみないか。少しは気も楽になる」

   今までに聞いたことのない、大人の男の優しい声音。

   きっとお父さんってこうなんだ。

   父の記憶のない海波は、心の中でそう思った。

「実は母が再婚するかもって」

「そ、そうなのか?」

   少し慌てた様子。

   それには気づかず海波は続ける。

「何度かプロポーズされてるみたいで。でも、相手は年下だし、こっちは子持ちだしで、断ってるようです」

「な、なるほどな。海波ちゃんはどう思ってるんだ?」

「私はぁ~。う~ん、わかんない」

「そうか。わからないよな」

   でもツヨシには、今回の海波の行動が答えだと、思っていた。

   その答えとは「ノー」だ。

「お父さんってどんなのか、わからないから急に、明日から『君のお父さんだよ』って言われても」

   ツヨシは深く頷いた。

   スマホを見る。

   立ち上がるツヨシ。

「坂本さん、俺、行ってきます。あと、よろしく頼みます」

「あぁ、26日だったな。了解!気をつけて行ってらっしゃい」

   海波には、うちに行くんだとわかっていた。ツヨシの後ろ姿を見送りながら、そう思った。

   それまで夜を照らしていた月が、流れの早い黒雲に覆われていく。

   スッと辺りは暗くなり、冷たい冬の空気が流れた。


15


   海波の家に向かう道すがら、軽トラックの中でツヨシは考えていた。

   海波との会話だ、

   話が途切れた時だった。その隙間を埋めるように海波が尋ねた。

「あの写真立ての私の写真は?」

「あぁ、あれは間違って二枚、焼いてしまったから一枚頂いたんだ。俺は独り身だが子供の写真を持ってると、こういう暮らしをしている中で、なにかと役に立つこともあるんだ」

「重なってました、写真。下の写真も私のですか?」

「そうだよ。海波ちゃん、誰しも命の次に大切なものを

持っている。俺にとってはそれがあの、二枚の写真なんだ。辛いとき、励まされたよ。

   すべては君のお祖父さんに、お世話になったご縁からだ」

   海波は黙って聞いていた。

   今度はツヨシがその沈黙を嫌って、質問した。

「お父さんが亡くなってから苦労したね。海波ちゃんになにか困ったことは、起こらなかったかい?」

   海波は首を横に振る。

「私が一歳の時に『お父さんは美しい女神様に連れていかれたのよ』と母は、言いました」

   死んだと言うことをオブラートに包んだ、よく考えた言い回しだ。

   そう感心していたら家に着いた。

   真四角な小さな平屋の一軒家。

   ここが海波と母の二人のお城。

   車を降りるとすぐに外灯が点いた。

「海波がお世話になってます」

   母、浪江は開口一番、そう言った。


16


   ツヨシは車から降りるとすぐに、

懐から封筒を取り出した。

「今月の分だ。海波のこと、大変だな」

   頭を下げ、封筒を両手で受け取りながら、浪江は小首を傾げる。

「中学生になるこれからがね」

   二人して長く息を吐く。そして苦笑する。

「海波から聞いたよ。再婚・・・するのか?」

   浪江は腰に手を当てて、

「それね。今回の事で海波の答えを貰ったわ。ハッキリと断ったわ。あの子、遺書に書いてたの。

『お父さん、お母さん』って。

   死んだことになってる父親が、海波の中ではしっかり存在しているのよ。そして今回、知らず知らず、あなたの所へ行った。

   これって偶然かしら?」

   ツヨシは黙っていた。

「すべては俺のせいだ」

   やっとそれだけ言った。

   目頭を押さえる。

   それを見ぬふりで、浪江が言う。

「何年、一緒に居れたの?」

「一年ちょっと・・・」

「癌だったのね」

   ツヨシは無言で頷く。

「最初聞いたときは驚いて呆れて。でも、あなたらしいとも思った」

「一歳の海波を任せっきりで俺は、彼女を取った。それは言い訳できない。でも余命わずかな彼女に逢った、逢ってしまった。

   そして彼女の願いを聞いてしまった。『最後の時をあなたと居たい』と」

「彼女はあなたが好きだった。それは私も知ってたわ。あなたは私たちを置いて、彼女の最後を看取った。彼女はきっと感謝してると思う」

   月が流れの早い雲に、見え隠れしている。

   辺りがまた、明るくなる。

「あのさ、・・・海波のために、帰ってこない?もちろん、私も、」

   浪江の言葉を遮るようにツヨシのスマホが、けたたましく鳴った。

   センサーの警報だ。

   次いで着信音。

「どうした?」

「ツヨシさん、やつらが来た。火をつけられたっ!」

   浮浪者狩りか。

   ツヨシは舌打ちする。

「あっちがヤバイことになった。話の続きはまた今度」

   浪江は頷く。

「気をつけて。海波を頼みます」

   車に乗り込むツヨシは、その言葉を聞いてはいなかった。


17


   ツヨシが出ていってからも、しばらく宴は続いた。

「さぁみんな、片付けよう」

   坂本が号令を掛ける。

   みんなが片付け始めたその時、

「侵入者だ」

   見張り担当のお爺さんが、もう一台のスマホを持っている。

   そのスマホが鳴っていた。

「あいつらか?バイクの音がしなかったぞ?とにかくいつも通りだ」

   坂本は海波と咲楽を手招きする。

   二班に別れる。

   しかし、

「お前らBBQとは、ホームレス分際で贅沢だな。俺たちからもプレゼントしてやるぜ。お前らが欲しがってたガソリンだ」

   それっと四、五人が、ガソリン携行缶の中身をぶちまける。

   退路を塞がれたお爺さんたちは、河岸の葦の中に後退する。

「人間バーベキューだっ!」

   リーダーらしき狂気の男が、ライターを投げる。

   あっという間に辺りは、火の海になった。

「ツヨシさんに連絡を!」

   坂本が叫ぶ。

「海波ちゃんと咲楽ちゃんは、冷たいけど川を渡るよ!大丈夫!浅いから。手を繋いでいくよ」

「はい」

   二人にも緊張が走る。

   お爺さん全員が川を渡る。

   浮浪者狩りの連中も、思った以上の火炎の激しさに、逃げ出した。

   葦を抜け膝下を浸かりながら、向こう岸に渡る。

   数人が渡り終わった。

   その時だった。

   海波が急に振り返った。

「大切なものがあそこにっ」

   そして、引き返して走り出す。

「み、海波ちゃんっ!」

   坂本がそれと気づいたときには、葦の中に姿を消していた。


18


   ツヨシが着いたときには、消防車や緊急車両で近寄れなかった。

   一人の私服警官が近寄る。

「ツヨシさん、浮浪者狩りにやられた。やつらバイクのエンジンを止めて、近寄ったんだ。それで爺さんたちも対策が遅れた。やつらは全員逮捕する。追跡中だ。爺さんたちも向こう岸に逃げて無事だ」

   警察官はそれだけ早口で言うと、早足で持ち場に戻った。

   ツヨシは少し離れた場所から、川を渡りお爺さんたちに近付いた。

「みんな大丈夫か?」

   全員がツヨシを見て安堵の息をつく。

   だが、 泣き声が聴こえた。

「咲楽ちゃんか?どうした?海波ちゃんは?」

「大切なものがあると引き返して・・・」

   痩せたお爺さんが火の海を指差す。

「坂本さんも追いかけていった」

「何だってっ!」

   みんなに風上に逃げるように言うと、ツヨシは川の水を浴びて、火の中に飛び込んだ。

   すぐに坂本に出会った。

「無理だ、この先には進めない」

「坂本さんは戻ってみんなを、誘導してください!俺は海波をっ!!」

「無茶だ、あんたもやられるぞ!」

「娘を、俺の娘を見殺しにはできないっ!」

   呆気にとられた顔の坂本。

   でもヤッパリそうだったかと頷くと、

「生きて帰って」そう言った。

   ツヨシはすでに背を向けていた。


19


   葦を抜ける手前で、ツヨシはなにかにつまづいた。

「み、海波・・・」

   髪の毛の焼ける臭い。

   あちこちに火傷の痕。

   抱き上げる。

   微かな吐息。

   両手で抱き締めているのは、写真立て。

   命の次に大切なもの。

「これを取りに戻ったのか?」

   立ち上がろうとした。

   煙を吸いすぎていた。

   一酸化炭素中毒は突然意識を奪う。

   膝を着いたツヨシは、海波を抱き締めたまま

倒れた。

   二人を業火が包んでいく。


「で、僕の出番です」

   真っ白な空間に自発光する。

   マネキンのような天使が立っていた。

   いや、浮かんでいるようにも見える。

「南野海波、お願いは考えたかな?」

   海波は座り直すと、眩しそうに目を細める。

「私、死んだの?」


20


「取り敢えず見てみよう」

   天使が言うと景色が変わる。

   二人の足元にモウモウとした煙が広がる。

   風に吹かれても流れない煙。

   そのなかに近づくと、焼き尽くされた葦の中に、人間らしき物体があった。

「これが?」

   信じられない海波は、それでも目を凝らす。

「二人居るわ」

「君が気を失ったあと、お父さんが助けに来たんだ。結局、二人とも死んじゃったけどね」

「えっ?お父さんが?」

「南野ツヨシは君の本当のお父さんだよ」

「マジでっ?」

「マジでっ」

「どうしてこんなことに」

「それはわからない」

「天使なのにわからないの?」

「天使が何でも知ってると思うなよ。ひとつだけ言えるとしたら、人間は感情の生き物だってことかな」

   海波は暫し黙った。

   そして意を決したように口を開く。

「ひとつお願いを聞いてくれるのね?」

「天国へ行ける人のみに与えられる、特典だよ。んで、なんにする?」

「ツヨシさんを、私のお父さんを、生き返らせてください」

「わかりました」

   天使はどこかからか便箋を持ち出すと、これも突然現れたペンで書き始めた。

「なに?それ」

「代理遺書だよ。生き返りたいって願いは結構多くてね。死んだ人の代わりに僕が死ぬんだ。そのための遺書だよ。ま、僕は死ぬんじゃなくて、消えてまた神に創造されるんだけどね」

   書き終わると確認のためか、海波に書面を見せる。

「あっ、間違ってるわ」

   海波が指摘。

   慌てて天使が見返す。

   そこには、

〈南野海波の代わりに私が死にます〉

「ありゃ、しまった。いつも本人が生き返りたがるから

間違えちゃった」

   もう一枚便箋が現れる。

「ホントに天使なの?」

「天使も筆の過ちってね」

   その言葉があってるのか、咲楽に聞いてみたいけれど、それも叶わない。

   そう思うとなんだか泣けてきた。

「悲しいかい?君が生き返るかい?」

「うぅん、お父さんをお願いします」

   考えたら家族三人揃って、暮らせなかったな。

   また、泣けてきた。

   天使は書面を見せると、海波が頷くのを確認して言った。

「願いを承りました」


21


   目を覚ますと、真っ白な天井が見えた。

   体に痛みはない。

   起き上がると引っ掛かる、酸素マスクを外す。

   一人部屋のドアを開ける。

   導かれるように廊下を歩く。

   隣の「ICU102」と書かれた部屋の前で、立ち止まる。


   病院の待合室にはホームレスの、お爺さんたちが肩身を寄せて、立っていた。

   周りの視線が痛い。

   私服警官が話してくれて、ここに居られるのだ。


   浪江は泣き腫らした目を、凝らした。

   ICUのドアを開けて入ってきたのは、南野剛だった。

「起きていいの?」

   良いはずはないのだけれど、元気そうに見えた。

「あぁ、なんともない」

   ツヨシはベッドに近づく。

「海波は?」

「眠ってるわ」

   ツヨシに椅子を出して、浪江は話し始めた。

「警察の話では、二人が見つかったのは、葦のなかの穴の中だったって。穴の底にいたのと、半分、水に浸かっていたお陰で、二人とも無傷で助かったの。

   煙を吸っていたからそれが心配だったけど」

   これをと、浪江がツヨシに渡したのは、海波が命がけで守った写真立て。

   裏ぶたを開ける。

   二枚目の写真を見る目に、涙が滲む。

   その時、

「おはよう」

   海波が目を覚ました。

「あぁ、良かったっ、海波っ!」

   抱き締める浪江。

「先生を呼んでくるわ」

   浪江が席を立つ。

「あれっ、お父さん?」

「海波、どこか痛くないか?」

「どうして?」

   そこで海波は、はたと気づいた。

   そうか。

   代理遺書を二枚書いたからだ。

   そう考え付き、わざとかな?とそこに居ない天使に

「ありがとう」と囁いた。

   やがて浪江が戻ってきた。

   ベッドの上の写真に写る、赤ん坊の海波を抱く浪江と、その肩を抱くツヨシのスリーショット。


   家族三人の続きが始まる。


おわり







































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