弟 その2
イザム少年は真剣な眼差しでラルクに言った。
「俺に剣を教えてください!」
ラルクは少年に問う。
「イザムは何歳だ?」
「もうすぐ10歳だけど……どうして?」
「俺がルーイに剣の腕で全く敵わなくなったのもちょうどそれくらいだ。それでよければ相手をしてやる。」
実際には剣の技術で敵わなくても身体能力の差でルートヴィッヒよりも強かったのだが、それはイザム少年の剣の稽古をつけてくれという話とは別なので黙っておく。
「ありがとう、ラルクにいちゃん!」
ラルクは森の中から適当な木の枝を拾ってくる。
イザムは両手で木製の剣を握っている。
「いつでもいいぞ。かかってこい。」
ラルクがそう言うと真正面からイザムが向かってくる。
常人の1000倍のステータスを持つラルクなので、普通の子供が相手であれば実力の千分の1でも発揮すれば十分というところだが、イザムはなかなかに手強い。
気合いを入れて750分の1の実力、全ステータスを200程度にして相手をすることにする。
(ラルクにいちゃん、つええ!)
常人にとってはステータス200というのは超え難い壁であり、それは天才と凡人の境界線といってもいい。
動体視力も常人の千倍であるラルクがステータスを200まで上げれば、イザム少年に勝ち目はない。
文字通り子ども扱いされてしまう。
ラルクはすぐに勝利することもできたが、イザムに稽古をつけるために少年の体力の限界まで付き合ってやることにする。
しかし、先ほどまで辺境伯の屋敷でひと暴れしてきたイザムの体力はさほど残っていなかった。
コトンッ!
ラルクの振るった木の枝がイザム少年の持っていた木剣を弾き飛ばす。
「ラルクにいちゃん、俺の剣はどこがダメだった?」
体力の限界を過ぎてすぐにでも倒れ込みたいほどの疲労感を我慢し、イザム少年がラルクに質問する。
「悪いところは……ないな。すでに10歳の時のルーイよりも完成されているぞ。」
ラルクがお世辞を言うはずもなく、それは正直な感想だった。
「イザムは誰に剣を習った?」
「誰にも習ってないよ。教えてくれる人なんていなかったもん。」
「いつから剣を振っている?」
「ねえちゃんが辺境伯に嫁いでからだから1年くらい前からかな。」
「そういえば、辺境伯がアドバイスをしてくれると言っていたな。」
「そうなんだ!あいつ、いつも上から目線で『足の運び方が悪い』とか『体の軸がぶれている』とか余計なこと言ってくるんだよ!思い出しただけでむかついてきた!」
「なるほど……。」
理由は分からないが、ハージ辺境伯がイザムに剣の稽古をつけてやっていることにラルクは気付いた。
そうでもなければ例え妻の弟とはいえ毎日屋敷に忍び込んでくるような子供を放ってはおかないだろう。
そして、ハージ辺境伯によるイザムへの稽古は見事な成果を出していた。
おそらく、同年代でイザムに勝てる子供はそうはいないはずだ。
(ハージ辺境伯自身が武芸に秀でているのかもしれないな。辺境伯というのは国境を守る役目もあるのだろうし。)
ラルクはイザムの剣について気付いたことを伝える。
「イザムはハージ辺境伯と毎日手合わせしているおかげか国の騎士団のようにきれいな剣さばきを身に着けている。年が近い人間が相手なら滅多なことでは引けを取らないと思うぞ。」
「でも、俺はあいつに勝ちたいんだ!」
自分から、家族から姉を奪ったハージ辺境伯。
彼を倒せば姉はきっと家に帰ってくるはず。
幼い少年はそう信じていた。
いや、幼いといっても10歳にもなればそう簡単な問題でないことは薄々気付いていただろう。
それでもそう信じようとしていた。
信じていなければ、自分の無力さを認めることになる。
辺境伯に勝つために、姉を取り戻すために努力することができるということだけが今の彼にとっての生き甲斐になっていたのかもしれない。
「しかし、今のままではハージ辺境伯に勝てないだろうな。」
イザムのそんな気持ちを知ってか知らずか、ラルクは無情にもそう言い放つ。
「どうしたらあいつに勝てるか教えてくれよ、ラルクにいちゃん……。」
「ハージ辺境伯の言葉を思い出せ。彼は言っていたはずだ。『子供が大人の真似をして剣を振るっても一太刀も浴びせられない』と。」
それはラルクがイザム少年に出会った時に、ハージ辺境伯が発した言葉だった。
「どういう意味だか分かるか?」
「子供は大人に勝てないってことだろ。」
ふてくされたようにイザム少年が言う。
「違う。あれはリーチの短い子供が、大人と同じ戦い方をしていたら勝てないというアドバイスだ。イザムはお前と戦う時のハージ辺境伯の剣しか知らないからどうしても選択肢が少なくなってしまうが、体の小ささを活かした戦い方もあるということだ。」
「じゃあ、それを教えてくれ!」
「そんなものは俺も知らん。俺は自分より体の大きいものと剣で戦った経験がないからな。」
全てのステータスが15万の彼にとっては、どんな武器も自分の肉体より弱い。
なので、魔王討伐の旅の間に全長が1キロメートルあるドラゴンや、5メートルもある槍を持った巨人などと戦ったが、いずれも圧倒的なステータスを武器に正面から立ち向かい素手で葬ってきた。
「ラルクにいちゃんにも分からないなんて、どうすればいいんだよ……。」
「情けない顔をするな。お前の姉を想う気持ちはそんなものか?本当に勝ちたかったら自分で足掻け。考えろ。工夫しろ。百万の絶望の中にひとつの希望を見出せ。」
お前が諦めるまではいくらでも俺が付き合ってやる、とラルクは言った。
「分かったよ、ラルクにいちゃん。俺、やるよ。自分で考えて、絶対にあいつに勝つ方法を見つけ出す!」
(本当にイザムは子供の頃のルーイに似ているな。)
ラルクが10歳の頃。
幼馴染のルートヴィッヒは年上の悪ガキたちといつも喧嘩をしていた。
体の大きさや腕力の違う相手に最初は負けていたが、どうしたら勝てるか分析し、工夫して何度目かの挑戦で勝てるようになった。
そういった時にいつもルートヴィッヒの練習台となったのがラルクだった。
身長は同じくらいだったので、ラルクはリーチの長い相手を演じるために切り株の上に乗ったり、木の枝を両手に持ったりさせられた。
年齢こそ同じだが生まれた日が数日だけルートヴィッヒが早いため、彼はいつも兄貴ぶり、ラルクを弟扱いしていた。
(イザムとは年齢的には俺が兄だが、やっていることはルーイの弟だった時と同じだな。)
感情の起伏が少なくなったラルクの顔に思わず笑みがこぼれた。
その後、日が暮れるまでイザムの稽古に付き合ったが、イザムがステータスを200にしたラルクに一太刀も浴びせることはできなかった。
しかし、いくらかの手応えを感じたのか少年は満足そうな顔をしていた。
「明日はねえちゃんがあいつのところに嫁いでちょうど1年なんだ。明日こそはあいつに勝ってねえちゃんを取り戻すよ。」
「ああ、がんばれよ。」
ラルクは汗まみれのイザムの頭をわしゃわしゃと撫でた。
イザムも嬉しそうにえへへと笑う。
暗くなり始めていたので、帰りはラルクがイザムを負ぶって街まで送ってやることにした。
「もし、乗り物酔いして俺のガルチェ&ドッバーナの服にゲ〇を吐いたら、明日を待たずにお前の命はないと思え。」
「ひいいっ!」
イザムの姉の名前はメルティです。メルティ愛。