第一章 第四話
夏季休暇が終わった。学園では夏季休暇明けにも、入学後と同じような学力と体力、魔法のテストを行う。これは現在の自分の力を把握し、これからの学びに生かしていくために行われているという。
ベリルたち一年生は体育館で、体力テストを受けている最中だった。夏季休暇にはほとんどの生徒が帰省していた。そのせいで、未だに夏季休暇が終わっていないような、非日常的な空気が場を包んでいた。その中でベリルはクラスの中でもよく話すイコとモナと共に自分の計測の番を待っていた。
ベリルたちはクラスごとに、二列に並び体育座りで計測を待っている。「ベリルは家に帰らなかったんだっけ?」
膝を抱えて退屈そうにしながら、ベリルの横にいるモナが尋ねた。
「そうだよ」
ベリルは簡単に答えた。以前は劣等生だから帰省できないのだと心の中にわだかまりを抱えていた。しかし今ではその気持ちはほとんどなくなっていた。
「その方が良かったかも。うちは久々に帰ったせいで食べきれないぐらいのご飯出されちゃったよ。絶対太った」
はあ、とイコは深い溜め息をついた。ベリルの後ろに座っている彼女の方を向くと、イコはお腹周りをさすっていた。体育座りで余計にたるんだように感じるらしい。
「ベリルは学校に残ってる間何してたの?」
モナが今度はそう尋ねた。
「図書館で本を読んでたり、自分の部屋でずっと寝てたりかな」
そんなベリルの答えに対し、モナもイコも驚きの声を上げた。
「ベリルが本読んでるとこ見たことないな。超レアじゃない?」
そうモナに指摘され、ベリルもその通りだなと思った。アンとのことがあってから本を読むようになったが、それまでは全く読んでいなかったからだ。
「確かに。でも最近は本を読まなくちゃだめだなあって思うことが多くて」
「ベリル意識高い。私も見習わなくちゃ」
モナも深い溜め息をついた。するとイコの番が回ってきたようで、イコの名前が呼ばれた。
「お、うちの番だ。行ってくるね」
そう言って彼女は走って行った。
残ったベリルとモナはまたとりとめもない話を続けていた。周りの生徒も同じように、それぞれの友人とグループを作り夏季休暇に関する話に花を咲かせていた。
ゆったりと時間が流れていた時、天井に取り付けられたスピーカーから突然サイレンが流れた。音量が大きすぎるだけでなく不安な気持ちになる音だったので、多くの生徒が突然流れた音に耳を塞いだ。ベリルも初めは驚いて耳を両手で塞いだけれど、このような放送を聞いたことがなかったので手を耳から離した。
『緊急放送緊急放送。現在正体不明の集団に攻撃を受けています。集団は強力な魔法を使い、学園の施設を破壊するなどしています。現在のところ攻撃を受けた生徒はいません。生徒はその場にいる生徒と集まり、安全な場所で身を守ってください』
訓練の放送かと最初は皆が思った。けれど「訓練」という言葉は放送のどこにも入っていなかったので、この現実味のない放送をなんとなく現実のことだと皆が理解し始めていた。
館内にいた一年生担当の教員たちが、生徒を体育館の隅の方に移動させ、全員でバリアを張らせた。
『緊急放送緊急放送。集団は三年生の教室付近にいます。今後どのような行動をするか予測できません。生徒は生徒同士で身を守り、教員は生徒を守る行動をとってください』
再び先ほどと同じサイレンが流れる。体育館にいた生徒は全てこの場に集まり、全員で一つのバリアを保つために力を注いでいた。
館内の教員たちは間もなく来るかもしれない襲撃犯たちに備えて構えていた。その中でアンだけが杖を具現化した。他の教員は杖を具現化するまでもないだろうと高をくくっているようだった。
体育館が静まり返る。いつ現れるかわからない敵を待っている間は、この場にいる者全てが呼吸音すら立てることができなかった。張り詰めた広い空間で、静寂は突然破られた。
「はじめまして」
丁寧な挨拶と共に教員の背後に敵は現れた。この場にいる教員一人一人に、一人ずつ敵が姿を現した。体育館の扉から現れたのではなく、別の空間からこの空間へ、魔法を使い移動してきたのだ。
敵はあまりにも不気味だった。黒に近い紺色のフード付きのマントを羽織っており、顔が見えなかった。それでいて動きはとても素早く、魔法の技術もかなり高い。敵が予想以上に力を持っているので、アン以外の教員は各々の杖を具現化させようとする。けれどその隙を敵は与えてはくれない。杖があれば互角以上の力で応戦することができるはずだが、杖を持たず戦う教員はやや押され気味だった。
アンの元にもマントを羽織った一人の男が現れた。けれどもアンはその出現に驚かない。他の教員はすぐに身を守る行動をとったが、アンだけは杖を片手に持ったままの姿勢を崩さなかった。そして男の方も他の敵と違い、アンに攻撃をしなかった。
「メル、フローラ様を渡してもらう」
ベリルからは少し距離があったが、男は確かにそう言ったのを聞き逃さなかった。アンは男の要求に答えることなく光の鏃を次々と放ち、男の攻撃を退けた。
「メル、裏切るつもりか」
男は魔法をやめることなく、少し驚きながら再びアンに言った。アンは男を睨んだ。普段のアンからは想像ができないほど恐ろしい表情だった。その顔がベリルの脳裏にしばらく焼き付いて離れなかった。
「お前が命令に背いたところで何の問題もない」
しばらく撃ち合いをしてから男はそう言った。そしてはっきりとは見えなかったが、男の口元がにやりと気味悪く笑った。それを見たアンは驚いたような顔をした。
このままではまずい、先生たちが倒されてしまうのではないかという不安が生徒の間に空気となって流れていた。そして同時に、生徒が張っているバリアの中、ベリルからは少し離れた場所で悲鳴が起こった。そこにはフローラがいて、そのすぐ隣へ一人のマントの男が空間移動をしてきたのだった。
「お迎えに上がりました、プリンセス」
男はそう言ってフローラに向いて跪いた。
それに気付いてか察してか、アンは戦っていた男との戦闘を放棄して生徒が集まっている方へ駆け出した。
「余裕があるのだな」
アンと戦っていた男はそう言って、これまでとは威力が段違いな巨大な水の玉をアンに向けて放った。アンもそれに気付いたが対応が遅れ、それをもろに食らった。
アンがその場に倒れた。ベリルはアンの名を心の中で叫んだが、声が出せなかった。あまりの恐怖に体が言うことを聞かなかったのだ。
そしてすぐにアンに向けて再び大きな水の玉が放たれた。助けたい。ベリルはそう思ったけれど足を動かすことができなかった。水の玉がアンに当たる。その瞬間ベリルは思わず目を瞑った。すると水の玉が弾けるような凄まじい音が聞こえた。ベリルはおそるおそる目を開く。倒れているアンの前には、具現化した杖を体の前に突き立てるフローラが立っていた。
「フローラ様」
アンと戦闘していたマントの男が驚きを隠せずフローラの名を呼んだ。
「先生にこれ以上手出しはさせません」
フローラは強い声でそう言い放ち、杖の先を男の方へ向けた。
男は数歩後ずさり、手を頭の上に上げて白い光を放った。それを合図にしてマントを着た集団はその場から姿を消した。
それを見届けるとフローラはすぐにその場に倒れた。彼女のクラスメイトがバリアから飛び出してフローラに駆け寄る。フローラ、しっかりして。フローラ。彼女に向って何人もの生徒が声をかける。ベリルも彼女の元へ、そしてアンの所へ向かいたかった。けれど、行ったところで何ができると言うのだ。自分はずっとここに立ち尽くして、二人が倒れるのを見ていただけなのだ。こんな自分に二人の元へ駆け寄る権利はない。そう思い、ベリルは結局その場から動けなかった。
*****
マントの集団の攻撃によってところどころ壁が壊れてしまった無残な体育館から、生徒は集団で各々の寮の部屋へ戻った。ベリルは部屋に帰ってからずっとベッドに横たわり、今日起こったことを思い返した。
アンが倒れたあの時、自分は動けなかった。そのことが一番強くベリルの脳裏に焼き付いて、自分の情けなさと無力さに涙が零れた。夏季休暇にアンの指導を受けてから、自分なりに努力してきた。努力しているつもりになっていた。新学期になれば自分も皆に追いつけると思っていた。
けれどそれ以前の問題だった。追いつけるどころか、同じ場所に立ててすらいなかった。アンが水の玉を直接受け倒れるシーンが幾度も脳内で再生された。その時動くことができなかった自分も同時に。
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襲撃を受けた翌々日から授業が再開されたが、ベリルは体調が悪いと言って授業を丸一日欠席した。
こんな自分が、のうのうとクラスに存在していられるわけがなかった。次の日も、また次の日も、当たり前のようにベリルは部屋に閉じ籠った。メリーも三日目には流石にまずいと思い始めていたようだったが、ベリルを思ってか何も言わなくなった。
ベリルはベッドの上から動かなかった。たまにメリーに誘われて夕食を食べに食堂へ出向いたことはあった。けれど見知ったクラスメイトの顔を見ると、耐えきれず走って自分の部屋に逃げてしまう有様だった。
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今日もメリーの『ただいま』という言葉に、ぶっきらぼうにおかえりと返してしまった。ふと今日がいつなのかを知ろうと思い、自分の机の上に置いてあるカレンダーを、魔法で自分の元に運んだ。襲撃を受けた日から一か月が経っていた。ベリルがカレンダーを確認するのを横目で見ながら、メリーは図書館に行ってくるねと言って部屋を出て行った。
ベリルはふとベッドから降りてカーテンを開けてみた。いつもはメリーがカーテンを開けてくれる。けれどなぜか今日は自分で開けてみたくなったのだった。外はいつも通りの夕焼け空だ。それを見て少し満足して、ベリルは再びベッドの上で横になった。