第一章 第一話
欲しいものはほとんど努力することなく、ベリルはそのほとんどを手に入れてきた。
日常生活で必要な些細な魔法なら誰にでも使うことができる。けれど強力な魔法にはそれ相応の技術、そして才能を必要とした。ベリルは周りにいる子どもの中では、ずば抜けて魔法のセンスも力もあり、負けたことがなかった。
トワイライトでは、小学五年生から基礎魔法学という授業が必修となっている。それまで子どもたちにとっては、魔法は日常生活で簡単に使用するものであって、学問として学ぶものではなかった。
この授業ではミュエルを集めることから魔法を始める。ミュエルを多く集めるほど、強力な魔法を使うことができる。しかし人それぞれにミュエルを溜めることができる上限がある。各々が自分の上限である器を持っているようなものだ。訓練すれば少しは大きくすることができるのだが、ほとんど先天的に決まったものだった。
ベリルはこの器が周りの子どもよりも遥かに大きかった。それは授業が始まってすぐに明らかになる。ミュエルを集める速さも、量も、他の子どもと比べ物にならなかった。少し難易度の高い魔法も難なく使って見せた。周りの子どもよりも簡単に強い魔法を扱えることは、ベリルにとって大きな自信になった。
すぐにベリルと彼女の母は学校から呼び出しを受けた。ベリルの魔法の才能がとても素晴らしいので、国立セントラル学園を受験してみてはどうかという提案であった。国立の中学校の中で唯一魔法学を専門に学ぶことができる、非常に人気の高い学園だ。学ぶことができる魔法もレベルが高く、設備も充実している。卒業生の多くは高度な魔法を必要とする公務員になる。いわゆるエリートコースに組み込まれた学校であった。
将来なりたい職業が決まっていなかったベリルにとって、中学受験など考えてもいないことだった。中学受験は簡単なことではない上に、セントラル学園ともなれば険しい道が待っているのは明白だった。ベリルと母は数日かけて考え、セントラル学園を目指すことに決めた。
小学校のあらゆる先生にも手助けしてもらい、受験に向けた日々が過ぎて行った。受験に必要な力は山ほどあったが、ベリルは新しく教えてもらうことを瞬時に習得していった。どうしても上手くいかない魔法は母と二人で夜中まで何日もかけて身に着けていった。
瞬く間に時が過ぎ、国立セントラル学園の入学試験が始まった。その日程は過酷なもので、一日目は学力テストと体力テスト、二日目には魔法の精度や強度、そして才能を見極めるテストが一日がかりで行われる。三日目にテストはなく個人面接があり、それでやっと試験は終わりとなる。他の中学校の入学試験では学力テストを一日で受けること、もしくはその翌日に面接があることが主流であった。試験が三日間に渡って行われる学校はこのセントラル学園しかない。更に身体能力までもが試験項目となっているのもこの学園だけだ。
ベリルの家は学園から離れているため、学園が用意したホテルに宿泊し三日間の試験を受けた。ホテルには母も同行してくれたので、ベリルが帰室すると緊張しすぎたせいで疲れ果てた母が待っていてくれた。三日目の面接が終わり母と共に帰宅した時は、疲れが一気に押し寄せ、晩御飯も口にせずベリルは寝てしまった。
それから合格発表までは約二週間かかった。その間は周りの生徒と同じように小学校に通い授業を受けた。けれど受験結果がどうにも気になってしまい、ほとんど集中することはできないままだった。
長いようだが過ぎてしまえば二週間は短いもので、合否結果が郵送されてくる朝がやってきた。緊張のせいかいつもよりも早めに目覚めてしまったベリルは、なかなか落ち着くことができず部屋で好きな本を読んでいた。そして多くの企業の始業時間くらいになると、郵便物を知らせるチャイムが鳴った。郵便業者が運んできたのは、厳重に封をされた魔法便だった。送り主はもちろんセントラル学園である。受験番号とパスワードを手紙に伝えることで封を切ることができる魔法がかけられており、普段の生活ではなかなかお目にかかることができないものだ。ベリルは緊張してはいたけれど、なんとなくきっと合格しているだろうと呑気にも思っていた。
ベリルよりも緊張した面持ちでいる母と二人で、テーブルに手紙を置いた。ベリルは受験番号と予め決めていたパスワードを口にする。すると封筒はたちまち無数のきらめきとなって姿を消した。中に入っていたのは厚めの二つ折りの紙。手触りが良く美しい柄が印刷された、いかにも高そうなものだった。開くと内側に折り込まれていた面には美しい魔法円が描かれており、そこから手のひらサイズの人間が姿を現した。セントラル学園の学長である。
『あなたは当学園の入学試験を受けたベリル様で間違いありませんか?』
学長がベリルに尋ねた。
「はい。私がベリルで間違いありません」
『あなたの入学試験の結果をお伝えします』
「はい」
ベリルの手足は小刻みに震えた。上手く力を入れることができず、少しでも体勢が変われば体を支えられなくなりそうだった。
『おめでとうございます。ベリル様は試験の結果、当学園への入学が認められました』
大丈夫だろうと思っていても、その言葉を聞いた時にはベリルもやはり嬉しく、同時にまだ現実のようにも思えなかった。
「おめでとう!」
ベリルの母は聞いたことがないほどの大声でそう言い、ベリルをきつくきつく抱きしめた。その言葉で、自分は入試を突破したのだと少しずつ実感が湧いてきた。
「ありがとう。でも苦しいよ」
そう言ったけれどしばらく母はベリルを抱きしめたままでいた。何度も母はおめでとうと言った。その声が段々と震え涙交じりになっていくのを、ベリルは忘れないように何度も心の中で反芻した。
*****
それから入学までの期間は、寮で暮らすための準備と学園からの課題をこなすことにほとんどを費やした。寮生活の準備はさほど大変ではなかったが、課題があまりにも多すぎた。それまで比較的ゆっくりと試験対策をしてきたベリルにとっては、密度が圧倒的に濃すぎた。終わるわけがないと幾度も絶望したが、母に励まされ、小学校の先生に助けられ、家を出る前日になってやっと終わらせることができた。
寮に入れば夏季休暇までは家に帰れない。初めての母との長い別れだったが、ベリルは初めての寮生活がとても楽しみだった。母もそんなベリルを思ってか笑顔で娘を見送った。
長い時間をかけて学園の寮に着く。寮では一人の新一年生につき一人の新二年生が同じ部屋で生活する決まりであった。二人はバディとなって学園生活を送る。一人が追試となれば、どれほど成績が良くとももう一人も追試を受けることになっている。そんな重大な責任を持ち合って生活する相手と初めて対面する。ベリルは良い人だといいなと期待しながら、伝えられていた寮の部屋のドアをノックした。
はい、と落ち着いた声の返事が聞こえた。ベリルはゆっくりそのドアを開く。部屋で待っていたのは、黄緑の若草のような髪の生徒だった。
「初めまして」
彼女が律義にお辞儀をした。
「初めまして。私はベリルと言います」
「知ってるよ。聞いていたからね」
そう言って彼女はベリルに右手を差し出した。
「一年間よろしくね」
ベリルは右手で差し出された右手を握った。
「はい、よろしくお願いします」
ベリルが彼女の手を握ると、彼女はもう少し力強くベリルの手を握り返した。
「ああ、そういえば私はメリーって言うの」
名前言い忘れちゃってごめんね、といたずらっ子のように言った。
「メリーさんって言うんですね。よろしくお願いします」
ベリルは改まって挨拶した。
「そういえば、私たちバディだから敬語はナシね。私も一年生の時そう言われたから」
「あ、はい、わかりました」
「じゃあベリルって呼ぶから、私のこともメリーって呼んでね」
メリーに会話の流れを持っていかれるまま、メリーに連れられてその日はすぐに夕食を食べに行った。寮にある食堂で夕食と朝食を食べることができる。メリーの友達やそのバディと夕食を共にする中で、ベリルは上級生であるメリーに敬語を使わないことに慣れていった。
*****
それから数日が経ち、入学式典の日になった。ベリルは新しい制服に身を包み、メリーのおかげで知り合った同級生と共に式典に参加していた。式典は立食パーティのような形式で、学園の豪華な講堂にいくつも丸テーブルが並び、その上には様々なめでたいご馳走が並べられていた。
友達となった同級生と共に時間を過ごしていると、あっという間に時間が経ってしまった。新しい友達もでき、これからの学園生活に胸が高鳴った。
「新入生の皆さん、お楽しみのところですが、ここで代表生徒より誓いの言葉がございます」
賑やかな会場内にアナウンスが響く。
「新入生代表って誰なんだろうね」
「入試でトップ成績だった子とかじゃない?」
ベリルの周りの新しい友達がそう話していた。ベリルにとっては正直興味のない話で、適当に返事をしていた。
そんな時一人の知らない生徒が、生徒と生徒の間をすり抜けながら会場のステージのある方へ急ぎながら歩いていった。その生徒はベリルのすぐ横を小走りで通り過ぎて行った。綺麗に束ねられた長すぎない髪が揺れながら、ベリルの横をかすめる。それを見てベリルははっとした。彼女が青い髪をしていたからだ。目で追ったがすぐに人込みに紛れて見えなくなった。
それから程なくして再びアナウンスが入った。
「それでは、新入生代表、フローラさん」
そのすぐ後にステージに上がって来たのは、先ほどベリルの横を通り過ぎて行った彼女だった。
「はじめまして。私はフローラと言います」
青い髪、青い瞳、透き通るように美しいその全て。あの時の女の子に間違いなかった。昔助けた女の子が、きちんと謝ることができないまま会えなくなってしまった彼女が、今は遠く遠く離れた同じ会場のステージの上で、堂々と挨拶をしていた。この距離をベリルは重く受け止めた。あの時は触れられたけれど、今の彼女は話しかけることも、近づくこともできないほど遠く離れた場所にいた。遠く、自分の存在に気付いてすらもらえないほど高い場所に行ってしまった。
ベリルは学園に合格したことをそれなりに誇りに思っていたし、それが自信にもなっていた。今までは周りの子どもの中では自分がいつでも一番だった。それがいかにちっぽけなことだったのか、痛いほどに思い知った。合格など些細なことに過ぎないのだ。彼女のようにこの中でも高い場所に存在できることこそが、本当の実力と自信なのだ。