第4話 似て非なる者
山田弘、これはおそらく偽名だろう。
俺名義の保険証、免許証、そして山田弘なる人物などどこにも写っていないのに何故か隠すように閉まってあった卒業アルバム。
これらは明らかに不自然だ。
おまけに保険証、免許証に書かれていた向風夏という名前は早々いるわけではなく、生年月日、住所までもが俺のと一致している。
「山田弘」は別人なんかではない。
「山田弘」は俺自身だ。
俺は強姦という重い罪を犯ししたため名前を変え、そしておそらく顔を整形し髭を生やし、俺の知らない遠く離れた土地へ来たのだろう。
そして目立たないように黒い服を持っているのだろう。
整形までしているのだ、全国ニュースで顔が知られているか、指名手配を受けてるだろう、と踏んできたが見事にビンゴであった。
しかし果たして強姦罪で全国指名手配を受けるのかは疑問に残る。もちろん人間として最低のことをしているのには間違いはないが、同じく全国で指名手配されているのは俺よりもっと重い罪を犯している人達だ。
こういう危険な組織に所属している人達に混ざり手配されているというのも少し引っかかるが…。
いや、今はそんなことではない。他に考えねばならないことがある。
まずここはどこなのか。場所の話では無い。もっと大きな話だ。まあ自ずと答えは出るだろう。俺も薄々感じていた。
この夢では片付けることの出来ないこのリアリティ。
ここは並行世界である。
並行世界とは、ある1つの世界とは別に並行して存在する世界のことである。パラレルワールドとも呼ぶ。
例えば、俺が朝食で食パンにジャムを塗って食べた世界があるとする。
しかしパンに何も塗らずに食べた場合の世界も存在するはずだし、はたまたパンではなく白米を食べた世界も存在する。そのような世界が並行世界である。
ほんの些細な事でも世界が変わることもあるのだ。
そう、ここは俺の選択の違いによって生まれた並行世界なのである。
そして山田弘は並行世界の俺なのである。
それならばこの世界は、いつの、どの選択の違いによって生まれたのだろうか。
ここの世界の俺は強姦罪を犯して捕まっている。
免許証も持っていたし、高校の卒業アルバムも持っていた、か…。
うん、なるほど。俺には少し心当たりがあるのだ。
あれは高校を卒業後のある日のことだった。
俺には母親1人しかいなく、母親も常に家にいながら、何をしているか分からないが、何とか高校の学費は出してくれていた。
しかし将来のことを見据え、大学に行きたかった俺は何とか母親を説得し特待生として入試に合格すること、浪人はしないことを条件に了承してもらった。その時の母親の顔はどこか悲しげな表情だった。
悪いことをしていると思いながら、当時の俺は1日4回までと全盛期に近かった性欲を抑えながらもよく頑張ったと思う。母も参考書など、普段の生活でさえ大変なのに、家計を切り盛りしながらサポートをしてくれた。
しかし手応えはバッチリであったものの、特待生としての合格は愚か、普通の合格ですら叶わなかった。これだけは未だに疑問が残っている。
そして俺は母親への申し訳なさや、母親の負担を減らすためなどの理由から一人暮らしをし、アルバイトをしながら、就職先を探すことを決意をした。
手応えがあり、自信もあっただけに、受験に落ちたストレスはひどく、しばらく自暴自棄になっていた。
それに追い打ちをかけるように、ある日俺は会社の面接試験で失敗した。その頃のストレスは、恐らく俺の人生の中でピークに達していただろう。何をしてもダメな気がしていて、自殺さえ考えていた。
それに全盛期の性欲が加わり、正常な判断などとても出来る状態でなく、危険な状態で、誰彼構わずに襲いかかりそうな勢いであった。
そんな時、目の前に露出度が高く、とても美しく魅惑的なボディの、グラドルにいそうな女の人が、酒に酔っていたのだろう、フラフラと歩いているのが見えた。
これにより噴火警戒レベルマックスの性欲がもう噴火寸前まできていたのは紛れもない事実である。
当時の俺には理性によるブレーキなど効くわけもなく、性欲に身を任せ、今にも襲いかかりそうになっていた。
すると突然携帯が鳴った。
俺は電話を切ろうとしたが、一応相手を見てから切ることにした。相手を見ると、それは母親であった。
俺はそこで我に返った。
電話に出ると、懐かしい母親の声が聞こえてきた。
俺はそれから母親と長い間電話し、抱えていたもの全てを吐き出した。母も親身に聞いてくれて慰めてくれたおかげかだいぶ心が楽になった。
あの時母親からの電話に出ていなければどうなっていたのだろか、と今にも思う。
恐らく、この世界はドラゴンと化した性欲に負け、母親からの電話に出なかった世界なのであろう。
あの時の俺の、通話相手を確認するという選択は間違いじゃなかったのだ。
カレンダーのバツ印はニートだから曜日感覚を乱さないために付けていただけかと思っていたが、それだけではないようだ。
あれは時効までのカウントダウンなのだろう。
強姦罪となると恐らく時効は十数年という単位だろうか。ずっとその間大きな罪の意識と戦いながらも何とかして逃げようと、時効の日までバツを付けて何とか逃げ抜くためのモチベーションを保っていたのだろう。
そして免許証、保険証は時効が成立した時にまた「向風夏」として社会復帰するつもりだったのだろう。
それに卒業アルバム。俺は思い出を大切にする方だと思う。特に高校にはたくさん思い出がある。だから持っていたのだろう。
そして全国で指名手配をされている状況である。これはその女性を襲い、快楽を知った俺が性欲の赴くまま複数人を襲ったためなのであろう。
いや、待て。それだと連続強姦事件と記載されるはずだ…。
あれこれ考えていると俺は何者かに声をかけられた。
「私達こういう者なんですけど、ちょっと同行お願いできますか?」
恐る恐る顔を上げる。
まずい、警察だ。顔写真を見ると髭を剃ったこの俺にそっくりだ。髭なんか剃るのではなかった。
警察も話しかけてきたということは確証があるだろう。このままであれば逮捕されてしまう。
・・・仕方ない。
黙って捕まってたまるか!あと少しだろ、時効成立まで!
俺は一目散に逃げ出した。