第19話 懐かしい声
あの衝撃から数日、彼女の姿は未だに脳裏に焼き付いて離れない。
一体陽に何があったのか。俺はそればかり考えていた。俺が介入するべき問題ではないというのは十分承知しているし、そう言い聞かせてはいるものの中々忘れられない。
彼女の姿はそれだけの衝撃だったのだ。
思えば今までのつまらない日常は、何か変わったことが起きないか、と受動的になって過ごしていた。
それではダメではないか。能動的に、衝動的に動くことも重要ではないか。俺は半ば言い訳がましく自分に言い聞かせた。
久しぶりにあいつに連絡を取ってみるか。あいつなら何か知っているかもしれない。
高校時代の数少ない友人のあいつなら。
急ぐほどのことでもないが電話で連絡をとってみることにした。
機種変更はしていたとしても電話番号は変更していないはずだし、電話が確実だろう。
電話帳を開く。人脈が狭すぎるせいで電話帳に申し訳ないくらいだ。俺はすぐその寂しい電話帳の欄にあいつの名前を見つける。
芽林茨の名前を押し、電話をかける。もう夜だ、仕事も終わっている頃だろう。
電話に出る音がする。
「よう、久しぶりだな!どうした?急にお前から電話なんか珍しいじゃないか」
「いや、大した用事じゃないんだけど、聞きたいことがあってさ」
「お前が大した用もなく俺に電話するわけないだろ。どうした、ツチノコでも見つけたのか?」
と、世代が一瞬でバレるようなネタを冗談交じりに言う。こいつは相変わらずだ。
俺はなぜかホッとした。変わってないのは俺だけではない、と分かったからなのかもしれない。
「いや、本当に大したことじゃないんだが、狐火陽って覚えてるか?」
「もちろん、忘れるわけないだろ?あの頃は、さんざんお前らに振り回されたからな」
確かにそうだったな。確かにこいつには迷惑をかけたな。いくら友人のためと言ってもあそこまでしてくれたのには感謝もあるが、同時に申し訳なさもある。
「あぁ、申し訳ないとは思ってるさ。それでなんだが、あいつって今何してんだ?」
「なんだ?お前いつからそんな未練タラタラのしつこい男になったんだ?」
相変わらずあいつは俺をからかう。だが久しぶりの心地に懐かしさを覚えたせいか、嫌な気分はしなかった。そしてあいつは続ける。
「俺もよく分からないんだよな。そんなに気になるならあそこに行けばいいじゃないか?ひょっとしたらあそこで働いているかもしれないし。まあ、流石に無いとは思うけどな」
そうか、そう言えばそうだったな。
あいつが言う〝あそこ〟とは、彼女の両親が経営していたラーメン屋だった。俺と茨は学校帰りよく寄っていた。そこで彼女はよく店の手伝いとして働いていた。そこの塩むすびは絶品だった。
俺はラーメン屋に来ているにも関わらず塩むすびばかり注文していた。その点に関しては茨にもよく馬鹿にされていな。
茨が言うなら行ってみるか。あそこの塩むすびも久しぶりに食べたいし。
「あぁ、なるほどな。久しぶりに塩むすびも食べたいし、行ってみるよ。忙しい中ありがとうな」
「全然問題ないよ。また今度久しぶりに飲もう。そこでたっぷりと話を聞かせてもらうことにしようかな。ほな、またな!」
そう言いあいつは電話切った。深くまでは聞いてこなかった。そこもまた相変わらずだな。だがあいつのそういうところも良いのだ。
何でも言い合えるのが友人の形だとは思っていない。秘密にしたかったり、話したくないことだって人間生きていればひとつやふたつあるものだ。
よし、今週末行ってみるか。俺はベッドに横になりながらそう決意した。
恐らくあんな見た目の彼女が働いているわけないだろうが、行って、彼女の両親に聞いてみれば何か分かるかもしれない。
翌朝、カーテンの間から差し込んだ太陽の眩しい光で目を覚ます。
最後に行ったのはいつだっけかな。彼女と別れてから行ってないかもしれない。
少し気まずさもあるが、さすがにもう時効だろう。あの頃は彼氏という立場で行っていたが、もう今はただの1人の客だ。そんなに気負いする必要はないだろう。うんうん。
俺は昔の淡くも薄れている記憶を頼りに懐かしいあの店に向かう。茨と陽の3人でよく歩いていた道を辿って行く。
大通りから右に曲がり細い路地に入って行く。その路地の突き当たりにあったはずだ。ここら辺は何も変わっていないな。
よし、そろそろだ。そろそろ「ラーメン屋きつね」の看板が見えてきてもいい頃だが、一向に見えない。
路地の突き当たりに到着する。しかしそこには何もなくなっていた。道を間違えたか?いや、そんなはずはない。
念のため、携帯のマップで「ラーメン屋きつね」を検索するが出てこない。店の場所を移した訳でもなさそうだ。
その後近くを探して歩いたが見当たらなかった。
俺は仕方なく近くの店に入り、店の人に聞いた。その人曰く、1年ほど前に「ラーメン屋きつね」は潰れたようだ。どうやら陽の両親の離婚が原因らしい。
離婚するような人達には見えなかったのだが、人生何があるか分からないものだ。
塩むすびのために空けておいた腹をうどんで満たし店を出た。




