第17話 夢の先は絶望
俺はつい先日、誕生日を迎え、また一歩おじさんへ近づいた。30代も板について来たのではないか?と贔屓目に自己評価をする。
ここまで俺は特に何もしてこなかった。就職活動などとうに諦め、コンビニバイトで生きていくことを決めた。決めた、というよりはそうせざるを得なかった。
せめて高卒で就職していれば良かったものを、俺は大学受験を選び、挙句の果てには失敗し、現在に至る。
そんな俺の日々のストレスを慰めてくれるのが性の快楽であった。どんなに疲れてもどんなに苦しくても、性の快楽は一時的ではあるが忘れさせてくれる。
だがそんな俺を助けてくれた性の快楽は、今や俺を苦しめている。いや、今に始まった事ではないのかもしれない。
しかし考えてみてほしい。性欲、これは子孫を残そうとする人間のいわば本能の部分。自分の意思ではどうしようもないこともあるということをどうか分かってほしい。
俺は最近、毎日そんなことを自分に言い聞かせることで自分を正当化している。
そうは言っても、やはり我慢出来ない時もあるんだ。今日、期待してたのにまさかのまさかでまた次の機会に…。期待していた分、裏切られるとショックも大きい。
俺はうなだれて眠りにつく。ベッドが窮屈だな…。俺はそう思いながら眠りについた。
・・・はずだった。
俺の記憶はそこまでしかない。そこからの記憶は全くない。寝たのかもしれないし、裸で暴れていたかもしれない。何をしていたのか分からない。
気が付いた時には俺は見知らぬトイレにいた。しかも下半身丸出しのまま。おまけに左手に携帯を持っている。
まるでさっきまで自家発電をしていたかのようではないか。
ここはどこだ?何事だ?夢遊病ではいくら何でも説明がつかない。
すると後ろから突然首根っこを掴まれる。
「お前、トイレに入って何してる!下半身丸出しで、便座にも座らないで何やってる!何を企んでる!」
…いやいやいや。何を企んでる!と言われましても。何をやってる!って、俺のこの状態を見れば大体察しがつくでしょ。
今になってとてつもない恥ずかしさが俺を襲った。俺はその恥ずかしさ、不甲斐なさ、情けなさ諸々に耐えきれず男の手を振りほどき一目散に走ってトイレを出た。もちろんズボンを履いて。
トイレを出るとそこは雪国ではなく、見知らぬカフェだった。どうやら俺は知らぬ間に、知らぬカフェに来ていたようだ。ますます状況が分からない。
しかし窓際の席に1人、見覚えのある女性がいた。そう、さっきまで隣で寝ていた楓ぽんだ。なぜ彼女もここに?俺は良く分からず彼女を見る。
彼女も俺に気付いたようで声をかけてきた。
「先輩、遅いですよ。一体何してたんですか?」
先輩。彼女が俺をそう呼ぶ時は喧嘩をした時だ。あ、そうだ、記念日。今日は記念日だ。
記念日は決まって、彼女の気まぐれで当日、場所と時間を指定されて、そこで2人で過ごすのだった。
まさか待ち合わせに遅刻してきたとか?いいや、でもまだ日中だ。彼女は大学に行っているはずだが…。
俺は訳も分からないまま彼女の正面に腰をかける。
ふぅ、とひと息をつき、携帯に目をやる。
「山登 殺人 逃げろ」
そう殴り書き、いや殴り打ちされていた。
どういうことだ?よく分からないな。
って、あれ…。なぜか体の力が抜けていく。眠くなってきた。あれ、おかしいな。さっき寝たばっかなのに、また眠くなってきた。
視界がだんだんと霞んでいく。彼女の姿もボヤけていく。
こんな所で寝たら…、ただでさえ喧嘩中(?)なのに…、さらに怒らせてしまう…。
…あれ…?おかしいな…、笑っている…?
俺はそこで不覚にも、深く眠りについてしまった。
ハッ…!寝てしまっていた!
暗い。どうやら夜になってしまったらしい。楓ぽんをますます怒らせてしまった。
俺は急いで起き上がろうとするが、すぐに異変に気付く。
俺は両手両足に手錠を付けられているのだ。
より一層、訳が分からない。
俺は知らぬ間にカフェに行き、知らぬ間にトイレで自家発電をし、知らぬ間に彼女と喧嘩し、知らぬ間に両手両足に手錠を付けられている。
もうここまで来ると夢なのではないか、と疑う。こんなの現実でありえるのかよ。思わず本音が漏れる。
「おはようございます、先輩。ぐっすり眠れましたか?」
楓ぽんだ。なんせデート(?)の途中で、場も身もわきまえず、眠ってしまったのだ。相当怒ってるのだろう。
「ごめん、楓ぽん。本当にごめん。最低なことしたよ。何でもするから許して!」
「その言葉聞いたの2回目ですよ、まあもう気が晴れましたから!」
それはよかった。全てが謎のままだが、何とか大丈夫なようだ。
「それは良かった。ありがとう。じゃあ、この手錠を外してくれない?」
「何を言ってるんですか。先輩と私はずっと一緒って言ったじゃないですか」
あぁ、そうだったな。彼女、楓ぽんはいつもそんなこと言ってた。
「あ、あぁ、もちろんだ!だから外してくれ」
「良かった。先輩、何か怖くて嫌われちゃったかと思っていました。」
何を言ってるのかよく分からないな。喧嘩で俺が怒っていて怖かったってことか。
まあ良いか。とりあえず早く帰りたいな。明日は陽と会う日だ。さぁ、明日はあいつとハッスルだな。そのためにはまずこの手錠を…。
「大丈夫、全く怒ってないよ。だから早く外してくれ、夜も更けてるみたいだし帰りたいんだ」
すると彼女はすこし間を置いてからこう言った。
「本当は麻酔が効いているうちに楽にしてあげたかったんですよ。
でも先輩を殺しちゃうとあの世であの女と一緒になっちゃうかなって…。そう思うと殺せなくて…」
…??何を言ってるんだ?殺す?あの女?
俺は携帯に打たれていた文字を思い出す。
「山登 殺人 逃げろ」
俺は楓ぽんに殺されそうになって逃げていた?
ますます意味が分からない。
さらに彼女は続ける。
「でももし殺さなかったら、先輩がまたどっかに行っちゃうような気がして…。
だからこれだけは言いたくて…」
「先輩、私は先輩をずっと愛してます」
俺は終始彼女が何を言っているのか分からなかった。
何だって?殺す?誰を?俺を?誰が?楓ぽんが?
もう何もかも分からない。なんだ?これは?夢か?
彼女がこちらに向かってくる。彼女の手からキラリと何かが光る。
それがナイフだと分かった時にはもう遅かった。
彼女の振りかざしたナイフは俺の心臓を突き刺していた。
…?刺された…?俺は刺されたのか?本当に俺は殺されるのか?
気付いてから数秒であった。
とてつもない痛みが全身を走る。息も上手く出来ない。血が大量に吹き出る感覚を味わう。それと同時に信じられない寒気も全身を襲う。
随分とリアルな夢だな…。まあ、いいや。
この夢から醒めたら陽の元に行かなくちゃな。