9
――ブリーフィング・ルーム
倒れ伏したジェラード。
それを確認すると、ライアンはゆっくりと構えを解いた。
「やりましたね!」
クルツの声。
「痛ェ!」
と、同時にルエンロンの呻きも聞こえる。
喜びのあまり手が滑り、落としそうになってしまったようだ。
「……生きてたか」
ライアンは苦笑しつつも内心胸をなでおろす。
「ええ。重体や重傷とはいえみんな生きてます」
巡視船クルーたちの体内には、様々なナノマシン群が投与されている。その中には負傷時に体内で止血など応急処置を行うものも含まれているのだ。
今回はそれらが上手い具合に働いてくれたのだろう。
そして、おそらくはもう一つの理由も……。
「そうか……すぐに手当てしてやってくれ」
「はい!」
クルツは携帯端末を操作した。
と、数秒もしないうちに通路の壁面にある小さなハッチが開き、小さな箱が現れる。
治療用の器具や薬品が入ったボックスである。緊急時に備え、用意されているものだ。
開いたドアの向こうでは、駆けつけてきてくれたロドリックが看護師とともに楊たちの治療を行なっているのが見える。
(これなら大丈夫だろう)
ライアンは一つうなずくと、ジェラードに歩み寄った。
手を伸ばし、慎重にその後頭部のあたりを探る。
と、そこには人工皮膚に埋もれた小さな突起があった。
ライアンはそれを数回軽く押し込む。
と、ジェラードの身体から完全に力が抜けてしまったようだ。
それを確認し、ライアンは一つうなずいた。
次いで、その隣の突起を押しつつスライドさせる。
ジェラードの後頭部、短く刈り込まれた頭髪の下の皮膚に、横向きの裂け目が入った。そしてそれを境に頭蓋部が上に跳ね上がる。
その中から現れたのは、半球型金属製ケース。
ジェラードの脳を中に収めた脳核である。
先刻押したのは、義体の緊急機能停止スイッチ。次いで押したのは、脳核の解放スイッチである。
ライアンは脳核を固定しているマウントラッチを数個外すと、それを取り出した。
脳、そしていくつかのセンサーと最低限の生命維持装置を収めた脳核ユニットである。
ライアンはそれを、壁際にある無事なテーブルの上に置いた。
「……聞こえるか? ジェラード」
『……はい。聞こえています』
ジェラードの合成音声。
にも関わらず、その声は沈んで聞こえた。
「どうしてこうなったのか、状況を説明してくれ」
『ええ……。なぜか突然、義体がいうことを聞かなくなってしまって……。必死に何とかしようと思ったんですが、どうにもなりませんでした』
「そうか……」
ライアンが予想していた答えであった。
「おそらくあの隔壁を操作しようとしたときに、ウィルスに感染したかも知れんな」
義体を乗っ取ることを意図したコンピューターウィルス。
それは、過去ごくわずかだが確認されている。
とはいえ、それらは現時点においては全て対策されている。
しかも、それらは義体そのものを完全に乗っ取れるわけではないのだ。
その理由は、脳だ。
未だに脳をクラッキングし、乗っ取る手段は確立していない。精々が脳からの指令の一部書き換える程度である。
とはいえ過去、AIの暴走事故が発生した際に、精神を“書き換え”られるという事象も存在したとされてはいる。
が、それらはあくまで都市伝説。どこまでが事実であるのか、知るものはいない。
ともあれ、今回のウィルスはとてつもなく強力であったのは確かだ。
脳からの指令のかなりの部分を書き換え、その身体を操ったのである。
想定外の事態であったのだ。
『自分は……仲間を傷つけてしまいました。隊長。生命維持装置の電源を切ってもらえませんか?』
おそらく身体があれば、彼は泣いていたであろう。
「馬鹿なことを言うな。ジェラードが必死で抵抗したからこそ、皆の命が救われたんだ」
コツン、と脳核を小突く。
ジェラードの脳の抵抗のおかげで、四人が致命傷を受けるのを避けられたのだろう。
それに、ライアンに対する攻撃もやや正確性に欠けていた。
「……とりあえず、その辺の話は後だな。とりあえず、そこにで待っていろ」
ライアンはクルツの方へ向かおうと……
『ああっ、そういえば!』
ジェラードが叫んだ。
『確か……自分の義体を乗っ取ったウィルスは、ルエンロンたちをブリッジから放り出した後、この船のコンピュータに接続して何かしていたようです』
「……まさか!」
すぐにライアンはブリッジに向かう。
「……何!」
ブリッジに設置されたモニター類を見、ライアンは絶句した。
再びこの艇に、切り離されたはずのボーディング・ブリッジが接続されていたのだ。
そしてハッチを解放するべくエアー供給が行われている。
それをキャンセルしようとしたが、何故かできなかった。どうやらプログラムロックされているようだ。
(この船を逃さないつもりか? そして、“何か”を移乗させようと……)
「……まさか!」
すぐにライアンはブリッジを飛び出した。
「どうしたんですか?」
エンクバットを治療中のクルツが、キョトンとした顔で問う。
「この艇に、何者かが移乗しようとしている。すまんが、手が空いたらハッチのところまで来てくれ」
「え? 移乗⁉︎ って隊長、ちょっとー⁉︎」
言い置き、ライアンはブリーフィング・ルームを飛び出した。
途中、ライアンは無事なクルーたちに無線で指示を出しつつ、ハッチへと向かった。
そして、格納庫。
「ライアン一尉! ハッチの解放を止められません!」
半ばパニック状態の整備士たちが、彼を迎えた。
無線で手動よりハッチをロックするように指示をしていたが、どうやら無理だったようだ。
彼らの努力のも虚しく、ハッチはゆっくりと開いていく。
「……そうか。貴官らは避難していろ! 何が出てくるかわからんからな!」
「あ、アイサー!」
指示すると、腰の銃を抜いた。
そして、
「ガアァッ!」
「ゴアッ!」
半開きのハッチから飛び出す二つの影。
「来たか!」
ライアンは、すぐさま銃を連射。
「ゴオァ⁉︎」
「ゲハッ!」
二体の、あの人型生物がそれぞれ肩と脚を押さえて転がった。
「まさかとは思ったが、複数いたのか!」
ライアンが呟く。
そして、その後ろからさらにもう一体。
「チッ!」
「ガッ⁉︎」
すかさずもう一射。
三体目は眉間を撃ち抜かれて倒れ伏した。
(やはり、手加減できる相手ではないか)
すぐさま、倒れた二体にもとどめ打ち。
「さて……どれだけいる事やら」
ライアンは冷や汗を拭うと、ハッチの向こうに視線をやった。
そこには、ボーディング・ブリッジを伝ってやってくる数体の人型生物の姿があった……。