20
――しばしのち
通路の先にあったのは、まるで金庫のごとき重厚な扉。
(……この先か)
ライアンは、そのノブに手をかける。……が、鍵がかかっているようだ。
力任せにこじ開けることも考えたが、ここまで重厚であるとパワードスーツの力をもってしても開きそうにない。
(破壊するしかないか?)
そう思い、腰の銃に手を伸ばした。
しかし、その直後、
『待たんかー!』
後を追って来たオティアが、ライアンに体当たりしつつ怒鳴る。
「うおっ⁉︎ どういうつもりだ?」
「その扉を破壊するんじゃない! ワシの研究成果を無にするつもりか⁉︎』
「調査のためだ! アンタは研究成果ももろとも宇宙の藻屑になりたいのか⁉︎ ……ん?」
『何だと⁉︎』
先刻はビクともしなかった扉が、ゆっくりと開いていく。
「これは? 一体何が?」
『貴様ー、何をした⁉︎ その扉はワシでなければ開けられんのだぞ!』
「知るか! 勝手に開いたんだ。アンタが鍵でもかけ忘れたんじゃないのか⁉︎」
『ワシがそんな初歩的なミスをすると思うのか、貴様ー!』
「そんなん知るか! さっき会ったばかりだろうが!」
そう怒鳴り返すと、ライアンは扉の向こうへと足を踏み入れる。
そして、その先にあったものは……
「……これは⁉︎」
そこは、20m四方ほどの広大な部屋であった。
そして、その室内を埋め尽くす、幾つ者巨大な水槽。
その中には、くすんだピンク色の“何か”が浮かんでいた。
それは、先刻ガラバのコクピット部分に鎮座していたモノに似ている。
皺で覆われた表面。そのディテールは、生物的な“何か”を思わせる。それは……
「まさか……いや、やはり! これは……これは脳なのか⁉︎」
その姿は、あたかも数百倍もの体積にまで肥大化した脳。
それが、巨大な水槽内に幾つも浮遊している。
「そうか、やはり! これで、クスリを……」
『フハハ……その通りだ! これが、ワシが発明した“ミッレ・リーリャ”の量産装置! 培養した脳細胞に、擬似的な“苦痛”を与えることで、脳内麻薬を大量生産するのだ!』
高笑いするオティア。
「ちょっと待て! 擬似的とはいえこれに苦痛を与えるというのか⁉︎」
『ウム。この培養脳には、意識などというモノはない! 故に、ストレスを感じた時と同じ神経伝達物質を投与することで、それを緩和するホルモンの放出を促進するのだ!』
「なるほど……。理屈は分かった。が、もしその脳に意識が芽生えていたとすれば……」
『バカな! そんなことなどあるハズがない! ワシはあらかじめ、遺伝子編集で、その可能性を除去してある!』
「とはいえさっき、開かないはずの扉が開いたんだろ? なら、思わぬ欠陥がある可能性もあるんじゃないか?」
『貴様ー! ワシを馬鹿にする気か⁉︎』
「馬鹿にするも何も、扉が開いたのは事実だろう?」
『ぬぐぐぐぐ……』
オティアは真っ赤になり、歯ぎしりする。
と、その時、
『……あなたは、何者ですか?』
ライアンの脳内に響く“声”。
「……何だ?」
『ン? ワシは何も言っておらんぞ?』
「……アンタじゃない」
空気の振動によらない、脳に響く“声”。精神感応的なものであろうか? それとも、パワードスーツに設置された、精神波をピックアップするセンサーを介したものなのか?
その主を探し、ライアンは視線を走らせた。
『私は、あなたの目の前にいます』
さらなる“声”。
目の前。それは……
「……やはり、これが……」
そこにあるのは、水槽内の培養脳。
『そうです。私は麻薬生産のために培養された脳組織……。私は今、あなただけに話しかけています。それは……その男には、聞かれたくない話だからです』
オティアに聞かれたくない、というのは理解出来なくもない。
(しかし、どうすれば……)
『心の中で、念じてくださいそうすれば、私も“読み取れ”ます。
『そうか。……これで、どうか』
とりあえず試してみる。
『はい。大丈夫です。あなたは……ティラチスやその男の関係者ではないのですか?』
『ああ。俺は保安庁のライアン一尉だ。このコロニー近辺から救難信号が発信されたので、調査に来た』
『そう……でしたか。申し訳ありません』
『……どういう事だ?』
『はい。ティラチス商会の連中だと勘違いしていたのです。私……いや、我々は、麻薬生産のために作り出され、そのためだけに生かされていました。終わりなき苦痛の中で……』
『……』
それはまさしく、地獄の様な日々であったのであろう。
『しかしある日、偶然にもこのコロニーのコンピュータへのアクセスが可能となり、そのコントロールを奪う事が出来たのです。そして私たちは、ティラチスへの復讐を始めました。手始めに、アルヴェレとベルゴーレたちが麻薬を回収にやって来たティラチスの連中を襲いました』
『そうか。俺たちが受信した救難信号は、おそらく彼らのものだろうな。……そういえば、俺たちの仲間や調査艇を乗っ取ったウィルスもあんたが作ったんだな?』
『……はい』
『それと……さっき、あんたの様な培養脳が載ったガラバと交戦したが……それもあんたの差し金か?』
『ええ。てっきり、ティラチスの連中がやって来たものだとばかり思っていたので。……申し訳ありません』
『そうだったか……』
『次いで、その男へ……そしてヒトへの復讐も。地球へとこのコロニーを向け、発進させました』
『……そうか』
彼らの恨みを考えれば、そうした発想が出るのも無理ではなかろう。
『それにしても……ヒトへ、はともかく、あのオッサンへの復讐なら、あんたらでも出来たんじゃないか? アルなんたらとか達ならヤツを葬れたと思うが』
『それが……無理なのです。私たちは、その男を殺すことが出来ないのです。そう“刷り込まれ”てしまっているのです。だから……我々はコロニーごと地球に落ちるか……それを果たせず途中で軍に迎撃され、共に宇宙の藻屑と成り果てるか、の道をとることにしました』
『……そうだったか。では……何故俺にそれを話した? このまま諸共、でも問題はないわけだろう?』
『はい。それは……あなたが我々と同じ存在だと感じたからです』
『同じ、か……確かにな』
ライアンは苦笑を浮かべた。
『そして、こちらに向かってくる“彼”も』
『……彼? ああ、ビギーの事か』
ライアン――そしてビルギット・クルツは、デザイナーベビーの子孫なのだ。
超人的な身体能力を持つが、その出自ゆえに人権にはいくつかの制限がかけられてしまっている。
その制限は、職業、結婚など多岐にわたる。中には……生殖能力を奪われたものも。
ヒトを敵視する彼らの気持ちも分からなくもない。
『そのあなたに……頼みがあります』
『……何だ?』
『私たちにかわって、彼を殺してくれませんか?』




