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『プロローグ・十五年前』


 寺の庭に吊るされた鐘から、重々しい音が鳴り響く。


 深く腹の奥に染み入ってくれる梵鐘ぼんしょうの音は、まるで踏み固める様に無理矢理に心の底で押し固めていた澱みや葛藤を踏み砕くようで、何処か救われた気になってしまう。


 そんなもの、錯覚に過ぎないとは知っているのだけれど。


 宿坊にまで聞こえるその音を合図にするように、敷島・正太郎は朝早くから起きて書き綴った遺書の傍に万年筆を置くと、その代わりに机の片隅に置いていた六連発式の回転弾倉式拳銃パーカッション・リボルバーををおもむろに持ち上げた。


 正太郎は、暫くの間その拳銃の重みを確かめる様に銃把グリップを何度か握りしめると、やがて意を決してその手に握りしめた拳銃の、その銃口を蟀谷こめかみに当てる。


 そして撃鉄を下ろし、引き金に指を掛ける。


 その時だった。


「……そろそろ朝餉の時間だと告げに来たのですけれども、その分だといらないようですね?今のうちに、念仏の宗派だけでもお聞きしてもよろしいでしょうか?」


 不意に正太郎の部屋の障子が開け放たれ、背後からどこか冷めた様な口調の女性の声が聞こえた。


 正太郎は咄嗟に手にした拳銃を背後に向けて、「誰だ!」と、鋭い声を上げると、そこには作務衣を着た一人の美女が静かに廊下に佇み、気怠げに正太郎を眺めていた。


 その美女は、長い髪を後ろで一括りに纏めた切れ長で涼しげな瞳をしており、女性にしては高い背丈に、スラリと伸びた四肢と平均よりも膨らんだ胸をした日本人離れしたスタイルの良さで、美人というよりもどこか麗人と言うべき品を感じさせる人がそこにいた。


「別に、名乗るほどの者でもございません。というより、昨日名乗っていた筈ですが?当寺の住職の娘で、この宿坊の管理をしている蓮華という尼僧にございますが、名前は覚えていただきましたでしょうか?」


 蓮華と名乗った尼僧に向けて、未だに正太郎は震える指先で拳銃で狙いを定めていたが、蓮華は騒ぐでもなくただ飄々と自己紹介をするばかりで、説得や命乞いはおろか、悲鳴一つ上げずに正太郎を見据え、軽く小首を傾げて正太郎に話しかけるだけだった。


「………………随分と、落ち着いた対応ですね。と言うか、普通こう言う時には、僧侶でなくとも自殺を止める物では無いんですか?折角の参拝者に対して、割りと酷い扱いだと思うのですが?」


「仏様でもあるまいに、言葉一つで人を救えるなどと思ったことはありませんよ。わざわざ死ぬ為にこんな田舎まで来てそんな大仰な物まで用意してまで死ぬ準備を整えているんですから、ここで止めてもどうせ死にますよ。

 そもそも、何か言った程度で死ぬのを止めるんでしたら、最初から死ぬ気が無かったのでしょう?だったら何を言っても言わなくても、どうせ死ぬ事はありませんよ。ただ、出来れば宿坊の部屋の中で死ぬのはやめてください。変な噂が立ちますし、何より掃除が面倒ですから」


 蓮華の雑過ぎる扱いに、正太郎はその場で固まって小さく吹きだすと、そのまま握りしめていた拳銃を手の中から落として笑いだし始めてしまった。


「……掃除が面倒、ですか。ふ、ふふふ。クハハハハ。貴女は随分と変わった女性ひとですね。いっそのこと、尼僧など止めて女優にでもなってみればどうですか?貴方の美貌ならばさぞかし銀幕にも映える事でしょうし、一躍人気者になれると思いますよ?」


「不思議なことによく言われますが、興味はありませんね。男のおべっかなど聞いてても鬱陶しいだけですし、それを聞くためにわざわざ働くような酔狂な趣味は持っておりませんよ」


「ふふ。酔狂とはね。確かによく言ったものですが、貴女のような変わり者にそう言われるのは少し可哀そうですよ。銃を持った人間を挑発することに較べれば、幾分かまともな人間だと思いますが?」


「失礼ですね。私がいつそんな危険な真似をしましたか?まるで志士気取りの盗賊崩れであるかのようなことを言うのはやめてください」


「拳銃自殺しようとする人間に、とっとと死ねと言うのは、挑発では無いんですか?僕には志士気取りの盗賊よりもよほど、命知らずであるように見えましたが」


 不本意そうに眉根をしかめる蓮華に対して、彼女の変わらぬ対応に正太郎は乾いた笑い声をあげると、ふと困った様な薄笑いを浮かべながら、右手を蓮華に差し出した。

 

「あぁ、済みません。ちょっと手を貸して貰っても良いですか?自殺しようとしたら、どうも少し腰が抜けちゃったみたいで、立とうにも体に力が入らなくて」


「はぁ。変な人ですね。自殺しようとして腰が抜けるなんて」


「貴女には言われたくありませんよ。


 そうして、蓮華は正太郎の手を取り、正太郎を立ち上がらせようとその手に力を込めた。


 その瞬間、


 不意に正太郎が握り締めた蓮華の手を引っ張り、畳の上に蓮華を転がして、その上に素早い身のこなしで馬乗りになると、大きな声を上げかけた蓮華の口の中に手を突っ込み、空いた手で蓮華の両腕を塞いで、身動きが取れない様にする。

 蓮華は、正太郎の手から逃れようと身を捩り、足掻き、もがくが、うらなりに見えた正太郎は意外にもかなり身体を鍛えているらしく、その手はかなり強く蓮華を掴み、口の中に突っ込まれた手も蓮華の顎を声ごと抑え込んでくる。


 口の中に手を突っ込まれた気持ち悪さと、言い知れない恐怖から蓮華の目尻には涙が浮かび、足はまるで単独の生き物であるかのようにバタバタと暴れまくる。

 いつもは女らしくないだの、中身はおっさんだの言われて妙に納得しているくせに、有難くない事に、こんな時だけ自分が女だと言う事を思い知らされる。


「仏教では、尼を犯した者は、酷い地獄に落ちると聞きます。それはもう、とても酷い地獄に落ちるそうですね」


 そうして、身体の下でもがく蓮華を見下ろしながら、その耳元にそっと口を寄せた正太郎は、まるで睦言を囁くようにそう言った。


「なら、今貴方をここで犯せば、僕は地獄に墜ちますか?貴女に女としての屈辱を叩き込んで、貴女と無理矢理心中すれば、地獄に堕ちるでしょうか?


 今からお前を凌辱して殺す。

 その意味の事を、どこか縋り付くような声を囁きながら、さらりと恐ろしいことを言ってのける正太郎に、蓮華は恐怖とも怒りともつかぬ煮え滾るような思いが腹の底から湧き上がるのを感じて、そのままに口の中に突っ込まれた手をかみちぎる勢いで顎に力を入れた。


「うがッ!?」


 思わぬ反撃に間抜けな悲鳴を上げて蓮華の口から手を引き抜いた正太郎に、蓮華はそのまま勢いよく起き上がって頭突きを食らわせると、そのまま顔を抑える正太郎を殴り倒した。


「…………人の口を閉じながら、質問をするバカがいますか?答えられる訳ないでしょう?」


 畳の上に転がりまわる正太郎を見てそう言った蓮華は、不意に正太郎の上に馬乗りに乗って襟首を掴むと、涙目になっている正太郎の顔を引き寄せて、言う。


「さっきから地獄に堕ちたいと言っていましたね。いいでしょう。なら、教えましょう。貴方は絶対に地獄に堕ちません。地獄に堕ちたがる悪人が、極楽にも地獄にも行ける訳がないでしょう?例え、貴方がどれほど罰と苦痛を望んでも、貴方は、苦しむことも無くただのうのうとこの人生を生きていくのです」


「……何ですか、それは。じゃあ、僕はどうしたら罰を受けられるんですか?」


 蓮華の言葉に正太郎が力なくそう言った瞬間だった。


「私が貴方を苦しませます。貴方が死ぬまで、苦しませます。一生貴方に付き纏って、苦労と苦痛と挫折と絶望を与えて、恐怖の中でその人生を終わらせてあげましょう。そうですね」


 蓮華は馬乗りになった正太郎にそう言うなり正太郎の唇に力強く吸い付き、



「…………手始めに、子供でも産んで付きまといましょうか?」



 やがて、口元に唾液の糸を引きながら正太郎に言った。




 その姿は、極楽の天女にも、地獄の女卒の様にも見えた。



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