ふたりきりの世界征服
アイビー。私は血反吐を吐いて、俯けに倒れこんだ。
胸に血液が付着し、土と擦れて更にぐちゃぐちゃになっていく。
まだだ、まだ逃げなきゃ。私は立ち上がって、首からぶら下げているペンダントに手を当てた。
『このペンダントが、私達の絆をより強く結び付けてくれる』
頭の中で、父の声が木霊する。これは記憶。父ならさっき、銃で撃たれて死んだ。
無抵抗だった。この星の人々を救おうと、父は必死に説得し、最期まで手を出さずして銃殺された。
父はとても偉大で、性格も大らかで、立派な人だったと思う。だからこそ、どうして死んでしまったのか。
突然の出来事に涙も出なかった。頭が真っ白になって、森林に逃げ込んできてしまったのだから。
私はもう一度走り出す。鬱蒼と生い茂った木々の隙間を、他者から見れば白くか細い足で、踏み切って進んでいく。
「どうして、こんな事になっちゃったんだろう……」
一人呟いた言葉は、私の呼気音と風の音でかき消された。
どれくらい走っただろうか。辺りはすっかり闇に包まれていて、地面は覆い隠されるほど、太い木の根が複雑に絡み合い、蔓延っていた。
元々虚弱体質な私にとって、今足を止めてしまったら、もう踏み出せなくなる。確信があった。だから疾走し続ける。
しかし、突然巻き付いてきたツタに足をとられ、転んでしまう。その先は崖だった。
私は悲鳴を上げる間もなく、岩壁をずり落ちていき、全身を地べたに叩きつけられる。
「…………」
仰向けになると、口から大量の血が吐出した。それが目鼻や耳に入り、顔中が疼く。
私は手の甲を使い、血塗れになった目元を拭う。すると目前には、不思議そうに私の顔を覗き込む、幼げな少年がいた。
捕まる。逃げないと。私は必死の思いで体を起こす。しかし、どうにも足は動かなかった。少年は、私の容貌を見て仰天し、目を剥く。
私達、元地球人には、現地球人との顔のつくりに相違点があった。右の目まわりの肌が銀に変色していて、右目だけ強膜の、つまり白目の部分が黒く変色している。
その現地球人にとっては異様な相貌から、私達は『異星からの侵略者』だと嫌忌され、父も仲間も一様に殺されてしまったのだ。
少年は焦った様子で、暗がりへと走り去っていく。大人を呼んでくるのだろうか。今になって悲しくて、闇夜に抱かれながら、暗涙に咽ぶ。
父が、人間の戦争を仲介するなんて言わなければ、平和なまま、幸せな日常を送ることが出来たはずなのに。
いや、父に恨みなんてない。それに私も賛成していたのだから。
私は悔しくて唇を噛み締めた。父も母も妹も、奴らに殺された。もう二度と返ってはこない。あの日々は、返ってこないんだ。
胴の太い枝が、ぎぎと軋む音が近づいてくる。あぁ、終わりだ。私は殺されて、星の誰にも知られぬまま、この場で朽ち果てていくのだろう。
目汁で翳んだ眼球に、淡い光が差し込んだ。何だろう、とその明かりをぼんやり見つめていると、体に布のようなものが覆いかぶさる。
「大丈夫……かな?」
少年は、触れれば傷ついてしまいそうなほどに、弱弱しい口調で尋ねてきた。私は無言を貫き通す。
そしたら少年は、私の腕を肩にかけ、引きずるようにして、森の奥へと私を運んで行った。
◇1
気が付くと私は、日が射しこんでくる洞穴のような場所で、使い古しの毛布に包まれて横になっている。起き上がって辺りを見回すと、前には先ほどの少年が座っており、木枝を使って焚火をしていた。
私はおずおずと彼に近寄ってみる。すると気配を察知したのか、少年は勢いよく背後に振り向いた。
「あ……気分は、良くなった?」
薄幸な少年だった。大きな猫目が特徴的で、華奢な体つきの、私よりも年齢が低そうな。
警戒して後ずさりする私に、彼は困ったように頬をかいて笑った。
「えっと……僕は津田優木って言うんだけど、君の名前は?」
津田は慣れない仕草で、私に問いかけてくる。一体何が目的なのだろう。
私が黙りこくっているのを見て、津田は決まりが悪そうに俯いた。
「アイビー」
「え?」
「……アイビー。それが私の名前」
あからさまに落ち込んだ様子の彼を見ていられず、私はしぶしぶ名乗る。
すると津田は表情を明るくして、たどたどしい口調で喋った。
「アイビーさん、だね。とっても、可愛い名前」
詰め寄ってくる津田に、思わず私は距離をとってしまう。でも彼に、悪気があるようには見えないので、離れはしたものの、しっかり目を見て話した。
「津田さん、なんで私は、ここに……」
「僕が運んできたんだ。アイビーさんが、倒れてたから」
津田はそう言うと、棒に突き刺して焼いていた魚を、私に差し出してくる。そうか、私は彼に助けられて……。
流れで焼魚を受け取ってしまったものの、流石に信用して食べる事はできなかった。もしかしたら、私を生きたまま捕らえるために、一度毒で弱らせてから、仲間に渡すつもりかも知れないし。
そんな時、腹の音が間抜けに鳴った。恥ずかしさに赤面し、魚の棒を津田の手に押す返すと、彼は切なそうに首をかしげる。
「美味しくなさそう、かな?」
「えっと……」
毒が入ってそうだから、なんて言ったら、津田の表情は更に、心悲しげに陰るだろう。いくら嘘だったとしても、そんな彼の姿は見ていられない。
私が言葉にしようか悩んでいると、津田は急に勘付いたように、短くため息を吐き、手に握られた棒付き魚に噛り付いた。
「何も入ってないよ。僕は君に、危害を加えるつもりはないから」
再び棒を突き出してくる津田。私は観念し、彼が齧ったあとが残っているあたりに、かぶりつく。
口の中で身を噛み締めると、香ばしい汁がくちゅりと音をたて溢れ出てきた。美味しい。お腹が減っていたからか、余計にそう感じた。
津田に残りの分も貰い、人目もはばからずにムシャムシャと貪りつく。彼といえば、私をただただ優しい面持ちで見つめていた。
頭の部分だけ残して完食した私は、枝から作られたであろう出てきた棒を眺める。空腹が紛れたついでに、嫌な事も思い出してしまった。
私の目尻から自然と涙が垂れる。一滴は頬を伝い、首筋に通る寸前で土に落ちた。滲む目をぎゅっと凝らすと、大粒の雫が、糸のほどけた数珠のようにぽろぽろと零れ落ちていく。
そんな私を気にかけてか、津田は私の背に手のひらを乗せ、子供をあやすようにそっと撫でた。
「悲しい事が、あったんだね」
その声音は温かみを含んでいたが、同時にひどく哀切を感じる雰囲気を醸し出していた。
きっと彼にも、何か辛いことがあったのだろう。私は徐に膝を抱え、間に顔を埋めた。
暫く経って、落ち着きを取り戻した私は、改めて津田に礼をする。
「ありがとう。その、私を匿ってくれて」
目頭を中指でなぞって拭うと、津田は緩やかに微笑んだ。
「僕は、アイビーさんが無事で良かった」
「本当に、ありがとう」
すると津田は顎に手を当て、正面を向いたまま右下を見る。
「あー……」
「どうしたの?」
私が問いかけると、津田は気まずそうに頭を掻きむしり、空元気な笑い声をあげた。
「何があったのか、聞いてもいいかな?」
「…………」
教えてよいものかと憂慮していると、津田は狼狽え、私から視線を逸らした。
手をあたふたと動かしながら、弁解を図ろうとする彼を見て、私は嘆息する。
「いいよ。でも、信じてくれる?」
「……僕は信じるよ」
私を真っ直ぐに見つめて、津田は言い切った。この人になら、話しても良いのかもしれない。
根拠は無かったけど、不思議とそう感じた。
「えっとね。私達、元地球人は、今の地球の人々の戦争をやめさせようとして、地球に戻ったの」
「元、地球人?」
「うん……」
◇
かつて、地球は白かった。空も海も草原も、私達、元地球人も……全てが、透き通って見える。そんな世界だった。
変わってしまったのは、私が産まれるよりも、遥か昔の事。地球という星は、未だ解明されてない、暗黒物質によって形成される、宇宙という存在に覆われた。
宇宙は、私達の先祖にあたる人々に、数々の厄災をもたらす事になる。その一つに、私達の肌を変色させた要因の、紫外線があった。
紫外線は、宇宙が侵食してきた事により、太陽光線が存在してしまった結果、出来上がったものである。当時地球には、オゾンも存在していなかったので、人々は様々な病状に悩まされた。
肌は焼け爛れ、眼は失明し、癌が発症して大勢の人が死に至ったという。そこで、人々は技術を駆使して、宇宙空間の外側へ逃げ出すことにした。
ただ、紫外線によって破壊された遺伝子は、治療できず、一部の変色した肌や、強膜が治らなくなってしまったのだ。
それから138億年が経ち、宇宙の干渉を受けない惑星、『希球』に移住していた、私達元地球人……現希球人の暮らしは、絵に描いたように平和なものになっていたのだが。
ある事をきっかけに、私や家族の平和は、簡単に崩れ去ってしまう。
生活も安泰していた私達は、進んだ科学技術を活用し、地球の様子を確認しにいくと、そこに新たな知的生命体である、新地球人が誕生していたのだ。
これに驚いた研究者達は、すぐさま円盤型の偵察機を使い、新地球人を長期間観察し出す。
当初、新地球人の成長は著しく、科学者達は感心していた。しかしそれと同時に、彼らには、致命的な欠点があることが判明する。
彼ら……新地球人には、『悪意』があった。
悪意があるから人を出し抜こうと、努力し、悪意があるから人に負けないように、才ある者を蹴落としていく。彼らは、とても野蛮な生物だ。
それに比べて希球人は、地球の言葉を借りて言うところの、お人好し。希球の王である私の父は、その中でも、群を抜いて善人だった。
私の父親、オリーブは、自ら地球に訪問することを決意する。理由は戦争の仲介。新地球人でも、必ず分かり合える者達と信じていた。
因みに武器は所持していなかったし、護衛はそもそもいない。大勢の国の人々に見送られ、私達は旅だった。勿論父は、私や母、妹に家で待つように指示したが、父に付いていくと、言って聞かない私達に観念したらしい。
結果、父は惨殺され、同伴した仲間達や家族も、道連れに殺された。
◇
「…………」
一頻り話し終えた私は、深く息を漏らした。胸に手を当てて、バクバクと唸る心臓を押し付ける。
「……そっか」
津田は泣いていた。それも、自分の事みたいに。酷く顔を歪ませて、玩具を壊してしまった子供のように。
それに何故か、私の方がつられてしまいそうになった。そんな顔をされたら、また、悲しくなってしまう。
「どうして……そんな、に……」
私の声は徐々に小さくなっていく。喉が詰まる感覚がする。
「だって、そんなの……そんなのって――」
流れ出る涙を、隠そうともせずに、彼は私の本心を代弁するように呟いた。
「許せない……!」
思わず私は目を見張った。凶刃のように鋭利な眼差しに、その奥に渦巻く嫌悪の情。額に青筋を張らせた彼の形相は、心底から憎悪を抱いていた。それは殺意とも換言できるほどに。
私は、肩を竦めて身震いしていた。ただ、単なる恐怖心から成るものではなくて、一種の感銘に近い、例えるなら、血管をコードにし、全身を通電させたような、そんな感触。
身体に廻った衝撃が、中心に集まって、心臓を舐め回す様にゾクゾクと伝わってくるそれは、鼓動のスピードを更に加速させていく。くらくらする上半身を、壁にもたれながら、私は両手で口を覆った。
「何で、津田さんは……」
地球人なのに、そこまで他人を思えるのか。刹那として強烈な吐き気を催し、言葉が途切れたせいで、具体的な問いにはならなかった。そんな私の様子に、津田は我に返ったように短く息を取り込む。
「ご、ごめん。具合を悪くしちゃった?」
私は口内に鮮血をぶちまけ、口を閉じたままむせ返った。口端から漏れ出した血が、一筋に喉首を流れていく。昨夜に吐いた血を、飲み込んでしまっていたのか。
津田は今しがたの面影もない、気弱い顔つきでオロオロとしていた。口中が鉄生臭く、今にも吐き出してしまいそうだ。
徐に立ち上がり、よろめきながら出口へと向かう。流石に洞穴の中で血を吐き出すのは気が引けた。
しかし、頭を叩きつけられたような立ち眩みに、足元が一向に覚束ない。
「肩、貸すよ」
壁伝いによろよろと歩を進めていると、津田に肩を支えられ、そのまま私達は洞穴を出て行った。
◇2
土を掘って血液を出した私は、津田に連れられて、近くにある川へと来ていた。
周辺は相変わらず年長樹が、城壁のように立ち並んでいて、木の葉の覆い被さって出来た、天井の隙間から、ほのかな光が漏れている。
川の水は透き通っていて、射し込む日光は、宝石に当たったように乱反射していた。
「ここの水は綺麗だから、口をすすぐのにつかって」
私は屈んで、水面を覗き込む。そこには腑抜けた顔の少女がうつっていた。少女の顔は、微風になびかれて、水色の底へと沈んでいく。
人差し指をそっと水の中に入れると、指先がひんやりと濡れた。それを指で擦ると、私は手を器の形にして、生命線が隠れる程度に水をすくう。
そして、飲み干した。
「え、飲んじゃったの?」
津田に言われてハッとする。間違えた。口を漱ぐんじゃなかったのか。ただ、川の水は驚くほどに無味で、舌を滑らかに抜けていった。
「……飲んじゃった」
私は津田に向いて、間抜けに返事する。私は彼と顔を見合わせ、押し黙る。
「…………ふふ」
暫くの沈黙を破って、彼は可笑しそうに吹き出した。途端に恥ずかしくなり、津田の反対を向いて、顔を俯く。
後ろからは彼の軽やかな笑い声が聞こえてきた。
「あれ、もしかして怒った?」
「……別に怒ってない」
頬を膨らます私に、津田はますます愉快な様子だ。私の背後に立っては、意地の悪い笑みを浮かべながら私の顔を覗き込んでくる。
私にとっては不愉快極まりない。まあ、嫌いになったわけじゃないけど。
「隣、座っても良いかな」
「だめ」
私の回答を無視して、津田は私と並ぶように屈みこんだ。ちらりと横目で彼を見遣ると、意外にも、沈鬱そうに水紋を眺め、呆れたような面差しをしている。
「アイビーさんって、実は結構意地悪だよね」
「えっ。それは津田さんじゃ……」
予想外の言葉に絶句した。彼はというと、微笑かも苦笑かも分からないような、複雑な面持ちで、ただ、川の更に奥底を見つめている。
「津田さん?」
「…………」
もしや、私に愛想を尽かしてしまったのだろうか。彼の優しい雰囲気にあやかって、調子に乗ってしまっていたのかも知れない。
「……ごめん、なさい」
すると津田は拗ねたように、私から顔を背けた。耐えられず私は、情けなく潤み声を漏らす。
そんな私の事など気にも留めていない様子で、彼はゆっくりと立ち上がり、背を向けたまま森の奥へと行く。
「ま、待って!」
私は津田の、ボロボロなシャツの端を掴んだ。彼は歩みを止め、口を噤む。私の言葉を待っているようにも思えた。
「え、えっと、その、置いてかないで……」
津田のシャツをぎゅっと握り直す。そんな私を見かねてか、彼は私に振り返った。しかし、津田の表情は、私が思っていたものとはまるで違う。
彼は、必死に笑いを堪えていた。
「えぇ!?」
口から素っ頓狂な声が飛び出る。津田は余計に口角をぴくつかせ、遂には大声で笑い出した。
何が何だか分からず、放心してしまう。寸刻笑って落ち着いたのか、彼は前髪をかきあげながら、これまでのネタバラシをしてきた。
「アイビーさんって……からかうと面白いね!」
「……っ!」
瞬間的に猛り立ち、掴んだままだったシャツを思い切り下に引っ張る。服は、コピー用紙を破いた時のような音を奏で始めた。
「ちょ、ちょっと待って。この服破けると僕、予備の服無くなっちゃうんだって!」
「知らない!」
言葉とは裏腹に、私は引く手の力を緩める。津田はほっとして、肩をなでおろしていた。
ふと周囲を気にすると、宙を舞う落ち葉が少し揺れる位の、小さな涼風が吹いている。
「お、涼しい」
「…………」
あぁ、確か地球には、季節というものがあったな。
今は、夏だった。
景色に目を向けると、瞬く間に色彩が彩られていく。鉛筆で描いた下書きに、丁寧に色を塗りこんでいく、そんな感覚だった。
深緑色の葉。年季の入った樹幹の茶。滑らかに流れていく有色透明な青。河原に無造作に並べられた灰色の石。
そして隣には、日に当てられて、眩しそうに瞬きする、気の弱そうで、実は根強い少年。津田優木がいた。
蝉の音がじりじりと共鳴し出す。共感覚というのだろうか、そよ風の吹き込む音と合わさって、ほのかに緑がかる空色が浮かんできた。
「嫌な季節」
津田は呟く。彼は私と対照的に、夏に、異質な嫌悪感を抱いていた。
◇3
追われの身である上に、宇宙船も囲まれていて、希球に帰ることが出来ない私は、一時的に津田と暮らすことになった。
初めに目を覚ました洞穴に戻ってきたのだが、彼は何やら、枝で組み合わせて作った背負い籠を身に着けている。
「それじゃあ、食料になりそうなものを探してくるよ」
「わ、私も行く!」
津田が出掛ける準備を始めたので、慌てて私は立ちあがった。1人にされるのは、嫌だったから。
「そう、だね。これからは2人分集めなきゃだし、手伝って貰おうかな」
あっさりと受け入れてくれた彼は、後ろからついてくるよう、私に指示した。
それに頷いて答える。
「よし、行こっか」
「うん」
津田は微笑むと、私の歩調を気にしながら、洞穴を後にした。
奥に進めば進むほど、樹木はより一層深さを増し、気分はまるで不思議の国のようだった。
その不気味さに、目を落としている私を気遣ってか、度々津田は私に問いかけてくる。
「大丈夫? 本当に、辛かったら言ってよ」
「分かった。でも、今は平気」
というよりも、今は一緒にいてほしかった。何故だか、1人でいると、もう駄目になってしまいそうだから。
そこから少し歩いた先、これまでと違い、ひらけた草地が広がっていた。
空を覆う葉も無くて、日光を直接浴びれるこの場所は、先ほどまでの空気とは、打って変わって居心地の良いものになる。
この体じゃ無ければ。
「どうしたの? アイビーさん」
津田は、日陰に入ったまま追ってこない私を気にかけて、手招きしてくる。
それでも、私は彼に近寄らない。当然、不自然に思った彼は、私に疑問を投げかけた。
「もしかして、また体調が――」
「ううん、心配しないで。そうじゃないから」
不安そうに駆け寄ってくる彼に、私は心が締め付けられる。
「私達は……希球人は、紫外線の抗体がまだ不完全なの。だっ、だから、あんまり、長時間陽の光を浴びられなくて」
希球は宇宙の外側に有り、言わずもがな、周りに紫外線を放つ惑星も存在していない。つまり、紫外線に対する抗体が無く、そのまま浴び続ければ、皮膚を火傷してしまう。
森林内なら木陰になっているので、紫外線の影響を緩和出来ていたが、それすら妨げにならなければ、無事では済まない。
「ご、ごめんなさい。考えも無しに、ついてくるなんて言って……」
目尻には涙の雫がたまる。地球に来てからは泣いてばっかりだ。前なら、悲しくて涙が出るなんて事、絶対無かったのに。
津田は面食らったような表情を浮かべ、困り声を漏らした。
「いや、こっちこそ、ごめん」
驚くことに、津田は私に頭を下げてくる。
「え、んん?」
「この先に、美味しい果物が生る木があって。アイビーさんを元気づけようとしたのに、逆に傷付けちゃったね」
彼は反省し、私を宥めるために、わざわざ私の行為の弁解を図ってくれた。本人に言われてしまえば、納得するほかない。
私の不甲斐なさには、自分でも呆れてしまう。何だか気恥ずかしくなって、津田と目を合わせられなくなってしまった。
「それじゃ、今日は別の場所で採ろうか」
「別の、場所?」
「うん。引き返して、木陰のある場所で食料を探そう」
津田は私の肩に手を軽く置いて、来た道を戻る。さり気なく元の道の方向を示したのだ。
すれ違いざまの彼の形相は慈悲深く、失望されているわけではないと一安心する。
「褐色肌のアイビーさんも、見てみたかったけどね」
冗談半分に言う津田。やっぱりこの人は良く分からない。
◇
「あの、津田さん?」
元の道を引き返していた私達だったが、気付いたら津田は、小動物と戯れている。
地べたに座り込んで、うさぎやリス、小さな鳥などとじゃれ合う彼は、ファンタジー小説に出てくる、不思議ちゃんの様だった。
「アイビーさんも触りなよ。ほら、可愛いよ」
立ち竦んでいた私にも、動物と遊ぶのを勧めてくる。すると、見計らったように動物達が、足元に寄ってきた。
どうしていいか迷いながら津田をちらと見る。彼は慣れた手つきで、うさぎの背を撫でたり、小鳥を指に乗せたりしていた。
……私も、やってみようかな。一番近い、白黒のうさぎの背中を、そっと触る。
もふもふしていて、可愛い。湧き上がる幸福感に、思わず頬が緩む。私は、うさぎの脇の下を持ち、優しく抱きかかえた。
しかしうさぎは、腕からすり抜けて、木々の深奥へと逃げ去ってしまう。
「ああっ」
虚しくも、手の中には柔らかな感触だけが残り、何もいなくなった手のひらを、握ったり開いたりした。
「そろそろ食料集めに戻ろっか」
津田はズボンについた土を払い、私に促す。
「……分かった」
動物達を一瞥し、名残惜しさはあったものの、私達はその場を立ち去った。
洞穴への帰路の途中で、色々な山菜やキノコなどを摘み取った津田。
私にはどれが食べられるものか分からなかったが、彼は知識があるらしく、新たに食材となりそうなものを見つけては、選別作業を繰り返していた。
これでは手伝いも出来ないので、私も可食そうな植物を探して、彼に見せたのだが、どれも今一つ食べられるものでは無かったらしい。
「どうして、食べて良いものが分かるの?」
判別し終えた食材を、背中のかごに素早く入れる津田に、問い掛ける。
「僕も最初から知ってたわけじゃないよ。それこそ、ここに来て始めの方は、図鑑を見て、一生懸命見分けてたからね」
「それなら私も、頑張って覚える」
鼻を鳴らして威勢を見せると、彼は温かい笑みを浮かべた。
◇4
いつの間にか夕暮れ色に染まった空を見上げると、カラスが羽をばたつかせながら飛び回っていた。
昼間に五月蠅く鳴いていた蝉もすっかり鳴き止んで、代わりに遠吠えのような鳥の声が、不穏に鳴り渡っている。
「よし、到着っと」
「ただいま?」
洞穴に帰ってきた私達。津田は荷物を床に下すと、早速焚火を始めた。
私は彼に教えて貰った本の隠し場所を探す。間もなくして手近な所に、不自然な膨らみのある布を見つけた。
胸を高鳴らせながらその布を捲る。すると、無造作に積まれた本が大量に置いてあった。
「おおっ」
ブックカバーもついぞ見かけない質感や色をしている。これには感嘆の声を上げざるを得なかった。
「す、すごいっ!」
「そんなに驚くこと?」
1冊眼下の本を持ち上げて、目を輝かせる私に、木と木を擦り合わせながら、苦笑する津田。
「私、本が好きなんだけど、こんなの見た事無かったからっ」
興奮気味に両手で本を抱きかかえる。津田は薪を注視しながらも、ふと気になったように尋ねてきた。
「そういえば。アイビーさん、日本語上手だよね」
「地球に来る前に、その、教えて貰ったんだ。でも、お話はちょっと苦手かな」
「そう? あんまり違和感ないと思うけど。……でも、強いて言うなら、幼いよね」
口に手を当てて、くすっと笑う津田。あまり自覚はないが、彼には私が幼く見えているのだろうか。
いや、そもそもお互いに年齢も知らなかった。
「津田さんは、いくつなの?」
「僕? ……多分14歳だと思う」
「あ。それなら私と同い年だ」
津田の柔らかい表情が一転。これまでにないほど、彼から凄まじい驚愕の色が見えた。
「嘘……小学生位だと思ってた」
「えぇっ」
割と本気で言われたので、ショックだった。
火がつくと津田は、隅に置いてあるダンボール箱から、ボコボコに凹んでしまっているフライパンを取り出す。
そして帰り際にちゃっかり釣り上げていた魚を、2匹同時にフライパンに乗せ、焚き火を使って焼いていく。
洞穴の中には、焼き魚の苦みのある独特な匂いが充満していた。私は案外、この香りが好きだ。
「よし、完成!」
魚に焦げ目が付き始めたところで、津田は木箱から食器皿を取り出し、その上に魚を移していく。
さして後から塩を振りかけ、皿ごと私に渡してきた。
「食べよっか」
「うん!」
津田は枝の先の方だけ正方形に削った、箸を私に投げ渡す。ものの見事にキャッチすると、彼は食前の挨拶を合図した。
『いただきます』
魚の腹部に箸を入れ込み、身をほぐす。その流れで胸びれを取り除き、皿の端に置いて、上身を一つまみ分口に運んだ。
美味しい。芳ばしい香りが鼻腔をくすぐり、口内では塩気のきいた身の味と、咀嚼する度に染み出てくる脂が、舌の上で絡まり合って味わい深かった。
丁寧に小骨を分けながら食べていく。
「結構、慎重だね」
私が半分食べ進めた頃、既に魚を平らげた津田が、暇を持て余して話しかけてきた。
「そうでもないと思うけど」
「なんかお嬢様みたい」
一応姫という立場ではあるのだが。残りも完食すると、津田が汚れた食器と、これまた木箱から取り出した布巾を持った。
「じゃ、これ洗ってくるから、本でも読んで待っててよ」
私は手伝いに付いていこうかと思ったが、本を読みたい衝動を抑えきれず、有耶無耶に返事する。
すると津田はにこやかな表情で、洞穴から出て行ってしまった。
仕方が無いので、大人しく読書して待つことにする。
散乱とした本の数々から、1つの本が私の目を引いた。タイトルは『征服』。朱色の表紙に真っ白な字でそう書かれている。
私は本を手に取り、最初のページを開いた。目次と作者名が表記されていて、作者紹介の欄には故人と記載されている。
壁にもたれかかって座り、私は「征服」を読み始めた。暗く陰険な土の岩の中、心許ない焚き火の炎と、ゆらゆらとしたランプの明かりだけを頼りに、文字を目で追っていく。
津田が帰ってくるまでの間、辺りは紙を弾く音だけが反響していた。
「どうしたの。そんなに暗い顔して」
まだ水気の残った食器を無造作に、木箱に入れ込む津田。そんな彼は、虚ろ眼な私を心配していた。
「これ、読んだの」
私は「征服」を津田に差し出す。彼から見ても分かるほど、私の手は震えていた。
「あー……忘れてた。ごめん」
体育座りの私の前に正座し、津田は平謝りする。「征服」は、虐待やいじめ、職場でのパワハラの末に自殺した作者の、実体験を基にした私小説だった。
惨たらしく痛めつけられる作者の心理描写が、嫌に現実味を帯びていて、日常が征服されていく恐怖を、じわじわと実感させられる。
私には、ショックが大きすぎた。
「アイビーさん。アイビーさん」
津田に肩を揺さぶられ、ハッと気が付くと、彼は微かに焦燥感に駆られた表情で、私と真正面から対峙していた。
「……この本は、もう燃やしちゃおうか」
いつの間にか小さくなった焚き火に、津田は「征服」を投げ捨てた。私は止めようとする気力も無く、ぼんやりと、激しく音をたて灰になっていく本を眺めている。
本を燃やす際、彼の眼差しは、何故だか名残惜しむように、黒焦げに焼ける本へと向いていた。
◇5
私は津田に言われ、川から枝分かれした片方の道の先にある、広大な湖へと足を運んでいた。学校のグラウンド位の大きさで、川の水と同じく、清冽で綺麗な色をしている。
辺りは夜の静寂が支配していて、草木が風に揺れる音だけが、時折耳に流れ込む。ただ、不思議と安心感があった。
「落ち着くでしょ? ここ」
横からランプを持った津田が語り掛けてくる。私は体ごと頷いた。
「たまに来るんだ。どうしようもない気持ちになったときとか」
言い終えて、津田は空を見上げる。つられて上を向くと、濃淡なく一様に濃藍色に染まった空が、際限なく広がっていて、満天の星屑が、目の前の湖と繋がる川のように流れていた。
私はその光景に圧倒され、息を呑む。見惚れてしまうほど、美しかったから。
「……気に入ってくれた?」
「うん。とっても、綺麗」
「そっか」
津田は微笑んだ。声に、亡くした父と似た、温もりを含ませて。
「この空の向こう側に、アイビーさんの住む星があるんだよね」
「……もう、帰れなくなっちゃったけど」
すると津田は、無邪気に白い歯を見せた。
「じゃあさ、取り返してやろうよ。宇宙船」
私は彼の発言に目を丸くする。
「無理だよ。そんなの」
「いや、できる。僕達はまだ、子供なんだからさ」
津田は無邪気に、喜色満面にあふれた。
「無責任な」
私は薄目に彼を見る。しかし彼は悪びれる様子もなく、それどころか、希望に満ちた表情で私に笑いかけてきた。
「それにこれは、子供の儚げな夢なんかじゃない。奪われたものを、取り返すだけなんだよ」
空理空論だった。それでも私は、やる気に満ち満ちた彼の考えを、無下にする事はできず。
「……どうするの?」
「さて、どうしよっか」
津田は悪戯に口角を吊り上げて、小悪党じみた嗄れ声をあげた。
◇
流星群で星が転がり落ちて、湖に沈んでいく空の元、私達は座り込み、宇宙船を取り戻す計画を話し合った。
平然と馬鹿げた事を言う津田に、ほとほと呆れながらも、真剣な風に話す彼を見て、少しでも期待を抱く自分がいる。そして朝焼けが訪れた。
「……もう、帰ろっか」
「うん」
兄がいたら、こんな感じなのだろうか。津田の背中に、ある種の尊敬の眼差しを向けながら、元居た洞穴へと、帰っていった。
◇6
津田と洞穴での生活を始めてから数日。朝包まっていた毛布を払い除けると、津田の姿がどこにも見当たらなかった。
寝惚け眼をこすってみても、彼は一向に見つからない。焦りを感じた私は、すぐさま洞穴から飛び出した。
「おはよう。アイビー」
「津田さん」
洞穴から出てすぐに、彼は姿を現した。手には何やら、布のような物を抱えている。
「てゆうか、そろそろアイビーも、僕の事優木って呼んでよ」
「ゆ、優木さん……?」
ここ数日の間で、津田は妙に馴れ馴れしくなった。いや、別に悪い意味ではない。
言い方を変えれば、距離が縮まった、からである。
「さん付けじゃダメ。優木にしてよ」
「……優木」
正体不明の気恥ずかしさに赤面する私。それを見て優木は、意地悪そうだけど、屈託の無い笑みを浮かべた。
「な、なに」
「いや、別にー? ……あ、そうそう。これ、あげるよ」
優木は持っていた布を、手渡ししてくる。折り畳まれているそれを広げると、シンプルなデザインの白いワンピースだった。
「私に、くれるの?」
「うん。あげる!」
きらきらと目を輝かせ、優木は私に着替えるよう、催促してきた。まんざらでもない私は、優木に後ろを向くよう促して、すぐに着ていた服を脱ぎ捨てる。
改めて手に抱えたワンピースに目を向けると、派手に飾られた、水色のリボンが目に入った。
私が着用していた物を、とびっきり可愛くしたような服。それを広げて私は、不安を感じ、優木に問いかけた。
「私に、私なんかに、似合うのかな……」
「似合うと思ったから、選んだんだよ」
優木は迷いなく、断言した。安心して、思わず頬が綻んでしまう。
「じゃ、じゃあ、着ようかな?」
「うん。そうしてよ」
袖に肌を通して、心地よい感触に身を預けた。そして優木を呼ぶ。
彼はワンピースを着た私を見るなり、わあと口を開かせ、近寄ってくる。
「凄い似合ってるよ!」
「そ、そうかな?」
肩辺りの袖を摘み、嬉しさを表すように両手で広げて見せた。
「でも、こんな服どこで見つけたの?」
「バイトして買った」
「バイト!?」
平然と言う優木に、相反して驚愕の色を隠しきれない私。
「いつの間に……」
「実は、夜にこっそり新聞配達しに行ってたんだよね。アイビー、代えの服持ってなかったし」
よく見ると優木の目元には、薄っすらとした隈が出来ていた。私の為に、徹夜して働いてくれていたのか。
「でも、どうして、私なんかの為に――」
「あ、そうそう。これも付けてよ!」
口を塞ぐように私の言葉を遮った優木は、頭に優しく、ゴム紐の付いた帽子をかぶせてきた。
麦わら帽子、というやつだ。彼は顔が見えなくなるほど、深く覆い被さった帽子のつばを後ろに引いて、私の目を見る。
「これは拾って来たやつだけど……これで、日向にも出られるんじゃないかな?」
優木の純粋な眼差しに惹かれていた私は、彼自身の一言で、ハッと我に返った。
そうか、日向に出るため……。しかしここで私は、重大な事実に気が付いてしまう。
「ワンピースを着てたら、陽に当たれない」
「……っ! しまった」
血の気が引くように真っ青な顔になって、ショックを受けている津田。
私はあまりにオーバーリアクションな彼に、苦笑しながらも、心の底から、ありがとう、と満面の笑みで口に出した。
◇7
優木と出会って1か月が経った。私は深い森の奥底で、白いワンピースを風になびかせながら、山菜を摘んでいる。
しばし道に沿って進んでいくと、前に紫外線を防ぐために止む無く引き返した、果実の成る木があるという、草原が見えた。
辺りは夕闇に暮れ、そろそろ帰らないと、優木に心配されてしまう。しかし、これなら草原に出たとしても、直接肌が焼ける事はないかも。
私は麦わら帽子を右手で深く被り直し、夕陽に跳ね返って燃えるような深緑の草を、踏み込んでいった。
すると目の前には、思わず息を呑むほどに威圧感のある、老樹が堂々聳え立っていた。
背景の夕空も相まって、樹木の表情は一層険しく、近寄りがたさすら感じる。
あ、と声を漏らし、私はある発見をした。手に取れる場所に、丸い果実がなっていたのだ。
目を凝らして観察すると、広い樹葉の中には、葉に絡まるようにして沢山の実がなっている。
私は心中で謝りながら、手を伸ばして果実を毟り取った。
「遅かったね、アイビー」
「ごめん」
洞穴に帰ると、古びたお玉を手にした優木に、叱られてしまった。
このお玉は、前に偶然見つけたゴミだまりにあったもので、他にもボコボコになった鍋など、色々と発掘した。
説教を終え、優木は私の頭を撫でる。何せ昔亡くなった妹に似ている、という事だ。
私もこうされていて、別に嫌な思いはしない。
「ん、なにそれ?」
優木は私の手に持っている果実を見て、疑問を浮かべた。
「えっと、あの草原に成ってた果物だよ」
「あれ、もう夕方だったか。それじゃ、ご飯食べよっか」
「うん」
焚き火近くには、鉄の細い棒を支柱にして、鍋が設置されている。
そして川からとってきた魚に、私の摘んできた山菜を入れ、煮込んでいく。
私は、隣に座る優木の横顔を見た。瞳には、炎が反転して映り込んでいる。
「どうかした?」
前触れもなく優木が私の方を振り向いた。
「そういえば優木って、どうしてここで暮らしてるの?」
前々から気になってはいたものの、直に質問するのはこれが初めてだった。
すると優木は考える素振りを見せ、焚き火から舞い上がる灰を眺める。
「面白いもんじゃないよ」
「それでも、聞きたい」
「…………実は僕はね。ここに来る前、孤児院にいたんだよ」
優木の父は生まれた時既に他界していて、母はとある理由で迫害されて死んだ。近親者もいなかったため、孤児院に収容されていたそうだ。
その際に、妹も一緒に施設に入れられたらしいが、その妹はいじめられて、行方不明。ほぼ自殺と断定されているらしい。
妹といういじめの標的がいなくなり、更にいじめを庇っていた優木は、孤児院内でいじめに遭い、それに耐え兼ね、施設を飛び出した。
森の奥へ奥へと、人が絶対に寄り付かない所まで逃げ……そこで見つけたのがこの洞穴だということだ。
そして、それは去年の夏の出来事だったという。
「い、いじめ?」
「ひどいもんだよ。服の下の見えない所に、打撲痕や火傷跡が痛いほどあったんだから。まあ、柳に言われるまで気が付かなかった僕も、共犯だ」
「そんなの……!」
「アイビーの星では、有り得ないんだろう? 本当に、くっだらない」
優木の表情はみるみる曇っていく。その裏に、明らかな憎悪が垣間見えた。
視線を落とすと、優木は手を握り締めている。爪が深く刺さって痛そうだ。
「……それはそうと、宇宙船を取り返す計画の事なんだけど」
「…………」
「魚できたし、食べながら話そっか」
魚を入れた鍋は、静かに沸騰していた。
◇
作戦は3日後、作業員の目を掻い潜り、宇宙船に早々と乗りこむ。
宇宙船はほぼオート操作になっているため、私でも割かし簡単に操縦できるわけだが。それを知らない地球人は、警戒して下手に触れないようだ。
「宇宙船の周りは、フェンスみたいなので囲まれてたから、何かで引き付けるしかないかな」
優木は遠出する際に、たまたまそれらしき施設を見つけ出したらしい。遠目に観察した結果、あまり大勢の警備が居るわけでもないようだ。
「町に出た時、特に宇宙人の噂は流れてなかったし、きっと事実が隠蔽されてる。少人数の部隊で形成されていると考えて良さそうだね」
「なんで私は見つからなかったんだろう?」
流石に少数精鋭の隊だとしても、疑問に残る。
「んー。多分だけど、探す必要が無い、とかかな。どちらにせよ、宇宙船が無いと帰れないし」
「必要が無い……?」
「それか、宇宙船の研究か、操作法を知るために、誘き出そうとしてるのかも? いや、不自然か。それなら無理やり拉致してでも、聞き出そうとするか……」
真意が分からないままだが、いずれにせよ、明々後日がチャンスだった。
その理由は、戦争で人員補強がされる、とのことで、見張りが少なくなるから。この国も、かなり切羽詰まった状況みたいだ。
「とにかく、明日もう1度偵察に行くよ」
「ありがとう、優木……!」
「うん。絶対に、宇宙船を取り返そう」
優木は握り拳を突き出してくる。私は力強く返事をして、優木の手を両手で握った。
その時何故だか、優木は微妙な顔をしていたが、おそらく気のせいだろう。
◇
煮魚を食べた後、優木は錆びれた包丁を使って、果実を切り分けていた。
六等分になったそれを、優木はつまんで私の口にあてる。
「あーん」
「…………」
私は半目に彼を見ながらも、果実を口にした。ただ、やってみて恥ずかしい事に気が付き、赤面する。
そんな束の間、柔らかい果実を噛んだ瞬間。嫌なイメージが脳裏をよぎった。
「美味しくない?」
優木の一言で、現実に戻される。
「ううん。美味しい」
それに笑顔で返すと、彼もつられてはにかんだ。
あの時、果実を食べた時。体に不明瞭な違和感が生じた。支柱を無くした朝顔のように、体から何か抜けていくような。
そして、今度は確実な、瞼の裏に映ったイメージ。
果実の成った老樹が枯れて、ボロボロと崩れ去っていくような、そんな情景が浮かんだのだ。
◇8
作戦実行2日前。私と優木は、何か使える物は無いだろうかと、例のゴミだまりへと歩を運んだ。
付近の木々は伐採されていて、平地となった場所に、多種多様なガラクタが積み重なって山になっている。
新月、深夜の空の元、優木は手近なゴミを漁る。夜目の利かない私は、ランプの灯りを頼りに、有用そうな物を探していく。
空き缶に袋ゴミ、綻びたぬいぐるみなど、分別されていないゴミを、手のひらをスコップの形にし、掻き分けていった。
「いたっ!」
「だっ、大丈夫!?」
優木が悲痛な声を上げる。慌てて優木に駆け寄ると、彼の手の甲に、刃物で裂いた切り傷のようなものができていた。
そこからは血が溢れ出し、瞬く間に手は血塗れになる。
「ゴミの中にナイフが混じってたみたいだ」
優木が指をさす方に視線を向けると、掻き分けたゴミの隙間から、鋭利な刃が飛び出ている。試しに指先だけ掠めると、ちくりとした痛みと共に、つーっと血が流れ出した。
優木は手を手で押さえつけ、止血を試みるも、当然流血は止まらない。
「あの、本当に、大丈夫?」
「これくらい平気だよ」
歯の隙間から弱気な笑い声を絞り出す優木。
「…………」
「大丈夫だから」
優しく語りかけながら、優木は軽く頭突きしてきた。唐突な出来事に戸惑いを感じていると、冷や汗をかいた彼が、無理に精いっぱいの笑みを浮かべていた。
「さて、続き続き、と」
「分かった……でも優木は休んでて」
私は優木を制すが、腕をすり抜けてまた探しに行ってしまう。仕方が無い。彼の出血は心配だが、後回しにするとしよう。…………。
気になって何度か優木に視線を移していると、それを察したのか、彼は優しい愛想笑いを浮かべた。
「……なんだろう? あれ」
ゴミ山を見上げると、頂点には、細長く黒い筒状の物が放置されていた。すると勘付いたように優木は、慎重にゴミの山を登り始めた。
私は仰天して、彼を制止するために抱き寄せる。しかし、その行為を茶化され、呆気なく腕を振りほどかれてしまった。
「やっぱりそうか」
不安定な足場を踏みしめて、優木は頂に立つと、そこに放置されていた物を手に取って嘆息を漏らす。
彼の手には、猟銃が握られていた。
「なんで銃なんかがそこに?」
「分からない。でも見た感じ壊れてもいないし、いざとなったらこれを使うか……」
優木の発言に顔をしかめる。彼はそんな私に対して、苦笑した。
「やっぱりアイビーは、使ってほしく無いの?」
「……うん。それは嫌、かな」
うしろめたさを煩いながらも、伏し目がちに呟く。すると優木は態度を一変させ、怒気を纏った表情で私を睨んできた。
「なんで?」
優木はまるで、私が身の上話を打ち明けた時のような、鋭い視線をぶつけてくる。
その迫力に、思わず私はたじろいだ。
「この銃を使ったら、見張り役が1人いなくなる。これ以上に無い、好都合じゃないか」
いつも通りの温和な声音。しかしその形相は、無表情に等しい。
「で、でも。そしたらその人は……」
「死ぬかもね。だけど、計画が失敗すれば、アイビーは殺される。それだけは避けたいんだ!」
優木は眉をぎゅっとしかめる。彼はこれまでにないほど、苦痛に顔を歪めていた。
私が死ぬ事を想像しているのだろうか。今にも泣きそうだ。
「僕は不条理が許せない。見た目なんかで差別されて、理不尽に蹂躙されるのが許せないんだ!」
普段の柔和な雰囲気の、面影もなくなった優木は、猟銃を握り締めながら、力説した。
その手は血みどろになっている。
「優木……」
息を切らした優木は、私に向き直って、我に返ったように笑顔を取り繕う。
その引き攣った笑みは、私を怯えさせまいとしているらしいが、むしろ不安が募っていった。
「ご、ごめん。取り乱しちゃったな。はは……」
「優木は……なんでそんなに、私の為に怒ってくれるの?」
私が返事を求めるよう、強い口調で問い掛けると、優木は少し悩んで、枯れた笑い声をあげた。
「妹に、似てるから」
「そう、なんだ。妹は、首元が変色した、銀皮症で――」
バン。辺りに破裂音が轟いた。直後にカラスが騒ぎ立てながら、散乱と木々をあしらっていく。
愕然と目を見張った優木の手から、力なく銃が零れ落ち、彼は膝をついた。そのまま、私の方に倒れ込んでくる。
「優木!」
私は落ちてきた彼の体を受け止め、座り込んだ。腹部から血が染み出していく。
やがて血は、溢れかえって土に血だまりができ、優木の口から、粘着質な血液が吐き出された。
私はただただ狼狽える。一体何が起こったのか。考えられない。頭が回らない。
真っ白になった頭の中に、がちゃり。鍵をかけた時のような、金属音が反響した。
「意外と簡単に罠にはまったな。動くなよ、人外。お前にはまだ、聞かないといけない事がある」
後ろから、知らない男の声が届く。四方から、歯車の作動音のような複数の音が聞こえてきた。
私はその男を背に、固まったまま動けないでいた。
「おっと、意外に素直だな。まあ、お前の仲間みたいに、殺されたくなけりゃ、大人しくついてこい」
優木は項垂れて、一言も発さない。ただ、私の頭の横で、拙い呼吸を繰り返すだけだ。
「優木……優木……!」
私は優木を抱き締める。久しく目から涙が滑り落ちた。
嫌だ。失いたくない。優木を。家族も、仲間達も亡くして。優木まで、逝ってしまったら。
私は悲しさに唇を噛み締める。鉄錆の味が舌に広がった。
「逃、げて」
「え……?」
耳元で優木が囁いた。その言葉の意味を理解することができず、私は彼の横顔を見る。
「いいから、はやく」
「優木を置いてくなんて!」
苦悶の表情を浮かべる優木。彼を他所に、1人だけ逃げるなんて。
そこで唐突に父の顔が思い浮かぶ。そうか。あの時、私は、逃げて……。
「呑気にまた、逃げられると思ってんのか? なぁ」
後ろを振り返ると、迷彩色の服を身にまとった、軍人らしき人達に囲まれていた。
私はその人達を、ねめつける。
「なんで、こんな事! それに優木は、関係ない」
「はっ、何が関係無いだ。そいつも宇宙人なんだろう? 隠そうとしたって、背中の色でばればれだ」
男の言葉が気にかかり、私は優木の首まわりを覗き込む。肌の一部が、灰色に変色していた。
「どうして……」
「――僕の母さん、病気だったんだ。それで、遺伝して……」
途切れ途切れに語る優木に、もう喋らないでと諭す。背後にいる男の口から、微かな動揺が漏れていた。
そのまま優木を抱擁していると、後ろから土を踏む音が、一歩一歩、着実ににじり寄ってくる。
「近づかないで!」
私は素早く猟銃を手に取り、男と対面する。片方の腕で優木を支えているので、銃を持つ手は、重さに震えていた。
涙ながらに引き金に手を伸ばす。本当はこんな事、したくない。でも、優木の事を思うと、易々と撃ててしまいそうだ。
今なら優木の気持ちが、分かる気がする。
「悪いがその銃に、弾は入ってねえんだ。おとりだっつってんだろーが。さっさと大人しくしろよ!」
男が足蹴りし、銃は払い除けられる。銃を握っていた手に、強烈な痛みが走った。
私は苦痛に悶えながらも、不機嫌そうに眉をひそめる男を見上げ、睨んだ。
「私達は、何もしてないのに!」
必死に男に抗議するも、お構いなしな様子で、周りの男達も、どこ吹く風と聞き流している。
優木は目を剥いていて、息も絶え絶えだった。男は徐に、小型銃を持つ右手を振りかぶる。
その刹那、鈍い音が響いたのと同時に、優木が腕から抜け落ちた。
「優木!!」
どうやら男がグリップを使い、私を気絶させようとしたのを、優木が庇ってくれたらしい。
優木は動かなくなった。懸命に体を揺さぶっても、名前を呼び掛けても、一切の動きが無かった。
男は小さく舌打ちすると、もう一度銃を振り上げる。流石にその手には乗らないと、私は優木を引き寄せ、後退した。
「手間かけさせんな!」
理不尽に憤怒する男を一瞥し、優木の頬に手を当てる。彼の瞼は綺麗に、固く閉じられていた。
もし優木が、私なんかと出会わなければ、この先、もっと長く生きていられたのだろうか。
「…………」
優木の唇を指でなぞる。後悔と厭世の気持ちが重なり合って、ふいに笑みが零れた。
私は、優木の顔をぎゅっと抱き締め直して、ゴミ山から飛び出たナイフに、自ら首を突き刺した。
私と優木の世界は、身勝手な大人達に征服されたのだ。
◇
真夏の炎天下、日射が肌に照り付ける、嫌な季節。1人の少女は、1人の少年を抱きかかえながら、自殺した。
その真っ白なワンピースは、彼女の血潮で赤に染まり、日の光を直射した肌は、ボロボロに剥げてしまっていた。
解剖された死体は、ほとんど地球人と変わらなかったという。
この後、国は戦争に負ける。宇宙船が来航した事、そして厚意を踏みにじった事を公表すれば、国に将来は無いと見越し、それらの事実は後世、ひた隠しにされた。
しかし、時間の問題だろう。マスメディアが発達し、情報交換が多分に行われるようになれば、いつか必ず、事件は発覚する。
人間の『悪意』が、剥き出しになる事だろう。
人間という種族は、悪意で世界を征服したのにも関わらず、その悪意で、人間同士を征服しあう。
一番最初に世界を征服したのは、紛れもなく、悪意そのものだった。
練習中です。どうかお手柔らかに。
今回は『悪意』をテーマに執筆させて頂きました。
評価してくださるとうれしいです。