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神代の王国 暁闇の乙女たち  作者: 菫野
永劫の国
4/6

途上の娘・1

金の小麦が豊かに実り、頭を垂れ始めたのはここ数日の事だった。


好天に恵まれた今年の稲作は、なだらかに広がる北の大地を金色に染め上げていた。

女は蒼天の抜けるような色を見上げてから、目深に頭巾を羽織り直した。

ごわりとした布の質感に眉根を顰めながら、顔を隠すように俯く。


眼下に広がるなだらかな斜面に築かれた、迷路のような白壁の街を見下ろした。

神代の王国といい伝わる大国・イオシアの領地も、随分とその中核に近付いて来た様だ。

最北の地から辿ってきた町村の静けさが嘘だったかのように、この地には活気があった。

麦の都とも呼ばれるこの街は交易の要所で、近隣では王都に次ぐ規模だと言う。

街の中心に向かって渦高く築かれた人口の丘陵街は、入り組んだ路地裏からであっても周囲の小麦畑を見渡すことが出来る。

この街には旅人も多いが、余所者が自由に歩き回ってもあまり迷うことはない。

目印となるのは地平に見渡せる山脈に聳えた、尖塔のような独特の峰だ。

霊峰、アストレア。

それはこの国の創生を成した女神の名前でもある。


女は、遥か遠くに離れてしまった"居城"を間違えようもなく見据えてから、幅の狭い石段を足早く降っていく。

狭く陰った路地でも乾燥しているからか、それとも塗り固めた白い漆喰の美しさのせいか、それ程陰鬱さは無い。

豊作の見通しに、収穫祭を控えた街はどこか浮ついている。

世慣れぬよそ者である女が一人、路地を行くのにも、それ程警戒するような雰囲気ではない。

それでも女は、先程からずっと気を張って居た。


街の裾に降りてきた女は、やや広い往来に突き当たった。

商用地のはずれだろうか、路面には行商が荷を広げている。

老若男女が物を運び、働き周り、喧騒で騒がしい。

通りの端で辺りを伺う女を気にするものなど居ない。

女はそろりと大通りに足を踏み入れ、牧の火種を抱えて歩く少年に声をかけた。


「あなた、少しいい?教えて欲しいの。国境の方に行きたいのだけど、馬車はどこから出ているかしら」

「…お姉さん、どこからきたの」


少年は棒切れの間から女を見上げた。

少し訝しげに顰められた眉根が覗く。

女は少年の目線に合わせて、屈んで微笑んだ。


「この町の外からよ。来るときに世話になった人とは別れてしまったから、勝手がわからないの」

「ふぅん。…あっち、広場を左に行くと商車がたくさん止まってる。行きたい所に行く奴を探して、交渉するのが一番早くて安いよ」

「ありがとう」


そうとわかると、足早に示された方向へ歩き出す。

往来を往く人々の合間を縫って歩いても、それほど目立つ事はなかった。

日差を遮る物のないこの街では皆外套を頭から足先まですっぽりと多い尽くしており、それらに紛れて移動できる。


「ここね」


少年の示した通りにそこは背の高い建物の並ぶ倉庫街であった。

其処彼処で荷が運ばれ、大小様々な馬車に積み込まれている。

大人から子供までが忙しく動き回って、目が回りそうな程だ。

広場とは違い人々の身なりも様々であり、貧富の差が伺える。

女は人と物の間を縫い、荷馬車の管理をする男に声を掛けた。


「こんにちは。北の国境の方へ行きたいの。乗せて貰えないかしら」

「金は」

「…これででどうかしら」


腕から銀の腕輪を覗かせた。

装飾は無いが、見れば質はいいのが誰の目にも分かる。

男はそれとなく女の様子を頭から足先まで伺う。


「無事着いたら渡すわ。乗せてくれる?」

「…いいぜ。俺のあっちの荷馬車がもうすぐ出発だ。夕方には宿場に着く、乗りな」

「ありがとう」


女は言われるがまま、幌のついた荷馬車に乗り込んだ。

中は荷物が詰め込まれていたが、何とか腰を落ち着かせる事ができた。

暫くして準備を終えた男がロバに鞭をいれ、緩やかに荷馬車は揺れ始める。

女は荷台の上から街を眺め、やがて遠ざかる風景を見つめた。


昼前に出発した馬車が速度を緩めたのは、街道から離れた農地に延々と広がる小麦畑が夕日に染め上げられた頃だった。

起伏の少ない道ではあったが、質の悪い車輪のおかげで随分と体力を削られた。

荷馬車が宿の荷留めに繋がれ、悪路の揺れで痺れかけた足を下ろすと、ロバに飼葉を与え終えた男が近寄ってきた。


「おいねぇちゃん、宿代はあんのか?一晩付き合ってくれんなら、一緒の部屋に泊めてやるぜ」

「…結構です。ご心配なく」


嫌ににたりと笑う顔を見ないようにして、女は足早に町へと出かける。

後ろから男の悪態が聞こえて、身を固くしながら町の明るい方へと誘われるように足を進める。

小さい町だが、繁華街があるようだ。

なるべく人に紛れられる場所を探しながら、女はお腹にそっと手をやる。

思えば先を急ぐばかりで、朝からなにも口にしていない。

暗がりから抜け出て、ランプの吊るされた軒先が並ぶ通りを歩き始める。





「あんたふざけんじゃねぇよ!食い逃げするつもりか?お情けで飯が食えるなんて思っちゃいねぇだろうなぁ?」


ガシャン、とテーブルの上の食器が跳ねた。


ランプの明かりで揺らめく天井の低い店内には、何組もの客がひしめき、始まった騒ぎに野次を飛ばす仕舞いだ。

柄の悪い店は避けたつもりが、女は見誤った自分を呪った。


「先程この耳飾りと交換で食事をさせて下さると言ったのはそちらです。話が違います」

「うるせぇなぁ、こんなやすっぽっちの耳飾りひとつじゃぁ、飯は食えねぇんだよ。きちっと金払うか、無理ってんなら持ってるもの全部置いてけや」

「だから、約束が違うわ」

「しらねぇな。さ、払うもん払えねぇってんなら、体売ってでも返してもらうぜ?」

「何を言って…」


店主は嫌な笑みを浮かべて、女の腕を捻り上げた。

屋内であってもすっぽりと姿を覆って隠していた外套がスルリと落ちる。

後頭部で複雑に編み込まれた長い金の髪が女の印象をガラリと変えた。

豊かな金のまつ毛が伏せられたその奥には、意思の強さを湛えた、夕焼けのような暁色の瞳。

その目尻の黒子が、涙を連想させる位置に着いていて、透き通る白い肌に上気した頬の血色が香るように女を匂わせる。


「ぉう?こりゃ上玉じゃねぇか」

「離しなさい」


女は気丈に言ったが、その声は震えていた。

それに気を良くした店主は嫌だとばかりに腕を引き上げる。


「痛っやめ…」

「あぁー、取り込み中悪いけどおやっさん。飯の味は良いのに後味悪くて残念だなぁ」


ガタリと木の椅子を引く音がして振り向いた店主は、その目の前に麻袋を突きつけられて、ひっと声を上げた。

そのまま懐に押し付けられた袋から、音を立てて貨幣がこぼれ落ちた。


「この娘がどれたけ大食いでも、それで釣りはくるだろ。ごちそうさん。じゃ」

「あ、おい」


店主も女も突然のことに、声の主の顔を確かめる間も無く、その男は身を翻し扉を押し開いた。


「ぁ…きゃっ」


目にも止まらない内に、女の腕は男に取られ、訳も分からぬ内に引っ張り出された。

そのまま引かれる腕に転ばないようついて行くのがやっとで、やっと歩調を緩めたかと思えば人目の多い水飲み場まで連れられていた。

少し乱れた息を整えるように女は胸に華奢な手を置いて、振り返った男を見上げた。

背は大きくなく小さくも無い、男性にしては逞しい方でもない。

どちらかといえば華奢な方と言えよう、顔立ちも中性的な柔らかさを持っている。

この大陸に多く見られる親しみやすい翡翠色の瞳に、栗色の髪は癖で遊んでいる。

どこにでもありそうな容貌。

その中で特筆すべきは左の瞳であった。

男は土埃の被った茶色の牛皮の眼帯で片方の目を覆っている。

物珍しさに見入っていると翡翠の目と視線がぶつかり、ふと笑みを湛えた。

不躾だと恥じ入って、女は下を向く。


「あの…ありがとうございました」

「何言ってんの」


慌てて礼を言うと、想像もしなかった冷たい声が返ってきた。

一瞬で蒼白になり顔を上げた女に、男は一歩迫る。


「タダ飯だなんて思わないでよね、野暮だな」


一度離された腕を再び取られ、ぐっと引き寄せられる。

優し気だと思った目元が、有無を言わさぬ強さを持って笑った。

女は背筋が冷え、反射的に腕を引く。


「いやっ」


次の瞬間強張った体が、簡単に自由になった。

腕を抱え込んで後ずさる女は訳が分からずに男を見張る。


「…ってね。こんな奴ばっかだよ、世間は。気をつけなよ御嬢さん。俺が下衆野郎じゃなくてよかったね」

「ぁ…え」


女の腕を離した手を、そのまま宙でひらひらと踊らせて男はまた笑う。

揶揄いの混じる男の顔に、すぐに状況を悟った女は怒りに


「それにしても物騒だなぁ。どちっちかって言うと、あんたの方がね。そんな美貌持ち歩いて文無しで一人フラフラしてちゃ、次の日には訳もわからず見せ小屋に並んでるって。それが普通ね」


女は巻き込まれた騒動の中で思い当たる節がいくつかあるのを思い出し、恥ずかしさで顔を赤くしながらも虚勢を張るように背筋を正して男を見た。


「…助けて頂いてありがとう。そしてご忠告も感謝します。次からはご心配頂くこともないわ。それじゃ」

「あ、まだ終わってないんだけど」

「ひゃっ」


そそくさと身を翻し、どこへともなく去ろうとする女の頭巾を男は容赦なく掴みに掛かった。

勢いよく止められた女は眉間にしわを寄せて振り返った。


「なんです」

「おお、美女が怒ると迫力があるって本当だな。まぁ落ち着きな」


男はにやりと笑って手を離すと、場違いにも土に膝をつき、慣れた様子で初見の礼を取った。


「私の名はセルジオ・トリス。イオシア国通商会の3級商人の位を頂戴する、旅の行商の者です」


急にかしこまったかと思うと顔を上げ、胸に下げた銀製のプレート女に見せる。

そこに刻まれたのはイオシア王国の通商協会の印だ。


「そこいらのガラの悪い商売人とは違いますよ。かと言ってお役人の後ろ盾を奪い合う1級2級の汚い争いとも無縁の、しがらみも金もない3級商人ってね」


女は眉根を顰めたまま黙ってそれを聞いている。


「そんな俺は先ほど、有り金の半分叩いちまったんだ。大事な荷もあるってのに帰りの路銀がない。しかし流石に人助けで金を溝に捨てる程バカでもねぇんだな」

「有り金半分って…あなた何を」


女は売られた恩を棚に上げて、呆れたと言わんばかりに半眼になる。

あはは、と呑気に笑う男が益々わからない。


「俺も商人の端くれだから、その耳についてるもんの価値がわかるわけ。その腕のと、胸元のもね」


女は言われて、身を抱くようにして男を睨んだ。


「油断ならない人」

「まぁ、あの店主みたいに身ぐるみ全部なんて事は言わない。耳のそれ一つで、あのボロ店なんか簡単に買えるからね。これは取引だ」


話の展開に混乱しながらも、見上げる形の男の目に邪な物がうつらないか、女はじっと見つめて聞き入った。

女の方も物分かりは悪くないのだろう。


「訳ありのご様子で、御嬢さんの素性は聞かないでおくよ。こっちも厄介ごとには巻き込まれたくはない。ただ見たところ旅の途中だろう?今夜の荷馬車の動きは北…つまり、国境に向けて旅してる。あいにく俺も国境近くに用がある。さて」


ゆっくりと立ち上がり、膝を払ってから顔を上げた。

からかうような色もなく、真っ直ぐに女を見遣る。


「どうかな。不慣れな不毛の旅を続けるよりも、その耳飾り一揃えで、北の街まで送らせてもらうよ?ついでに宿、食事付き。身の安全は保障する。可能な限り部屋も別」


言うと腰に手をやってから、思い出したように付け足した。


「俺、奥さんは居ないけど心に決めたひとがいるからね。あんたを襲ったりはしないよ」

「…いいわ」


女は思案したのちに真剣な面持ちのまま男を見据えた。


「あなたを信用した訳じゃない。怪しい所があればすぐに破断よ。…でも他の人よりは、良さそうだから。わたしを、北の地まで…連れて行って」


視線を外さないまま言い置くと、きゅっと唇を結んだ。

語尾はどこか、思いつめたかのように堅い表情で。


「…セルジュと」


男は片目の笑みを崩さぬまま、小さく礼をして手を差し出す。

見上げた女の目線を受けて、首を傾げた。

女は硬くなった表情を解いて、綻んだように笑みを浮かべた。


「…リアよ。よろしく頼みます」


華奢な手が男の手を取る…まるで舞踏の誘いのように。

ふわりと重ねられた手は、互いのぬくもりを伝える間も無くするりと解かれていった。


イオシアの都より遥か北の北…日陰の国、フォーレンワイスと領地を隔てる険しい山脈。

尾根の道に聳える関所の麓近くの街を目指す。

途につく娘の、短い旅の最中である。


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