Ⅳ Schatzi
「お前ら、明日は臨時休業で出かけるから予定空けとけよ?」
突然店長が言ったのは、私たちが閉店の作業をしている最中だった。
「いきなりですね。どうしたんですか?」
同僚が訊ねたら、店長は私たちに、「これだ」と、チケットを差し出す。
「……黒猫!?」
「……これって、レオンさんの!?」
私と同僚はほとんど同時にそう言って驚いた。
『黒猫』というのは彼が所属する奇術集団の名前であり、構成に奇術を取り入れたお芝居やショーを公演しながら世界を回っている。
『黒猫』というのは、団長の黒髪に因んでそう名付けられたのだと彼から聞いた。
なかなか人気の公演らしく、日本公演は軒並みソウルドアウトしていた気がする。
「店長、よく手に入れられましたねぇ……しかも、3人分」
「レオンと知り合いってのと……まぁ元々伝があった様なもんだからな」
「レオンさんは分かりますが、伝……?」
私と同僚は顔を見合わせる。
けれど店長は、そこは気にするな……と言って教えてくれなかった。
「常連で来てくれてる客の公演を観たことが無いってのもなんだろ?一度くらい見に行くってのもいいかと思ってな……どうだ?」
「もちろんっ!」
「行きたいです!」
私も同僚も1も2も無く賛成した。
なかなかチケットが取れない公演というのにも興味があったし、なにより、彼の喫茶店や食事会以外での普段の姿を見て見たかったというのもあったからだ。
こうして、私たちはみんなで黒猫のショーを観に行く事になった。
黒猫のショーは芝居仕立てなものがメインだ。
中心になるストーリー仕立てな劇が1〜3本
幕間に寸劇やちょっとした手品が入る。
黒猫の団員達には一人一人渾名が付けられており、幕間の際はその渾名で呼ばれていた。
彼の渾名は『伯爵』。
これは見た目の印象から付けられたものらしいが、実家が爵位持ちなので、あながち的外れな渾名では無いのだと、以前私は彼に聞いた事があった。
その幕間には彼がソロで行う奇術もあった。
“最高のトリックを君へ”
それが彼がトリックを仕掛ける際に使う呪文だった。
お店で私に奇術を仕掛ける時もいつも使っている言葉。
(あれ?でも……)
それは私がいつも聞いている言葉と少しだけ違っていた。
「店長、“シャッツィ”ってどういう意味の言葉だか知ってたりしますか?」
私がいつも聞いているその言葉は『君』の部分が『シャッツィ』になっていた。
一緒にイリュミネーションを見た日、彼が私を驚かせる為に使った言葉も、全ては聞き取れなかったが確かに『シャッツィ』という語が含まれていた。
『君』という言葉を彼の母国語で言っているのかとも思ったが、違う様な気がする。
「シャッツィって、お前それ……いや、レオンか」
店長はそこで少し声の調子を変えて私に言った。
「肝心な所をぼかすレオンも悪いが……ミズキ、S,C,H,A,T,Z,I,で、シャッツィだ。後でレオンの母国語で意味を検索してみろ。あいつがずっとお前に言いたかった事が解る」
店長の言葉に、私は舞台上の彼を見る。
明るい舞台と暗い客席でそんな事は無い筈なのに、彼がこちらを見た気がした。
すると私の胸は高鳴り、頭の中は彼の声で『シャッツィ』という言葉を繰り返した。
***
「奇術ショーってのは初めて見たが面白いもんだな。魔法を使ったエンターテインメントとはまた違った驚きがある」
「ですよね!あえて種と仕掛けを明かしておいてから、それでは不可能な事を同じ様にやってのけるのなんて、今のどうやったんだ!?って思いましたよ!芝居仕立てな内容があったのも面白かったですし!ミズキさんは……あれ?ミズキさん??」
ぼーっとしている私を心配して同僚が声を掛けてくれた事で、私は意識を取り戻した。
「あ、ええと……何だっけ?」
「今、感想を言い合ってたんですよ……ミズキさんはどこか気に入った所はありました?」
「あー、こいつはあれだ。たぶんレオンしか覚えてない」
「そっ……そんな事はないですよっ!」
そう言いつつ、私の顔は赤くなっていたと思う。
勿論ショーはちゃんと観ていたし、覚えている。
けれど、私の心を占めているのは、確かに彼の事だった。
――シャッツィ。
その意味を公演終了後に私は直ぐ調べていた。
Schatzi
彼の国の言葉で、意味は
『愛しい人』、『宝物』
自分の子供にも使うらしいけれど、私は彼の子供ではない。
そして、もしも勘違いや自惚れで無ければ、その意味は……。
「おい、ミズキ。もう直ぐあいつは休憩時間に入る。いつもうちに来てる時間だ。今日うちが開いてないのはあいつも知ってるが、外には出てくるだろ……ミズキ、お前レオンと連絡先は……」
店長の問いかけに、私は首を横に振った。
「ほんとお前ら世話が焼けるよな……連絡は俺がする。お前店へ行って裏口開けて待っとけ」
それに頷いて私は店へと向かう。
言われた通りにして裏口の鍵を開けて店の中で待っていると、程なくして彼が現れた。
急いで来てくれたのか、少し呼吸が乱れており、少し長めな銀色の綺麗な前髪が額に張り付いている。
「ええと……店長から聞いて」
彼はやや緊張した様な面持ちで、ぎこちなく笑った。
「今日、来てくれたんだよね」
「はい」
「客席にいるミズキが見えてちょっと緊張したよ」
「見えていたんですか!?」
目が合ったと思ったのは勘違いでは無かったらしい。
「良くみえましたね」と言ったら、「目は良いんだ」と返ってきた。
「それで……店長にお願いして、レオンさんをお呼びたのはお訊きしたい事があったからなんです。あの……ずっとレオンさんが私におっしゃって下さってた事で……」
そして、意を決して私は訊ねる。
「シャッツィ……今日、その意味を調べました。私の勘違いや思い込みだったらすいません。レオンさんがこの言葉を私に言って下さっていたのはもしかして……」
「勘違いじゃないよ」
私の言葉を遮った彼はとても柔らかな優しい顔をしていた。
「Schatzi……愛しい人……そういう意味で、初めから、僕は君にこの言葉を使ってた」
ゆっくりと近づいて来た彼に、私はふわりと抱き止められる。
「Es war liebe auf den ersten blick (一目惚れなんだ)」