Ⅰ Trick or Trick
現代日本には魔法がある。
魔法は元々海外の文化だったそうだ。
江戸時代に日本を開港させるために来航した海軍軍人さんが連れて来た一人の魔法使いによって、この国の魔法文化は急速に発展したらしいと歴史の授業で習った。
私はと言えば。魔力なんて持たない、ファンタジーの世界とは一切無縁な、しがない喫茶店の店員である。
そんな私が勤める喫茶店に、お昼を少し過ぎた頃、その人はいつも現れる。
「こんにちは、ミズキ」
「いらっしゃいませ、レオンさん」
流暢な日本語に似合わない、プラチナの髪に青い瞳、高身長でスマートな彼が来店すると、町中の小さな喫茶店がさながら異国のオシャレなカフェへと変貌を遂げた。
「最高のトリックをシャッツィへ」
彼は現れると直ぐに私の元へやって来て挨拶をする、そして決まって私の前に跪きこの一言を言う。
言葉の後に彼は必ず何かを手にしている。
今日はカラフルな包装紙に包まれたキャンディが3つと、マントと帽子を被ったちっちゃなクマの縫いぐるみが乗っていた。
キャンディはいきなり彼の手に現れた訳だけれど、これは魔法ではない。
先ず魔法というのは気軽にひょいひょい使って良いというものではなく、特に……私は魔力を持たないのでそんなに詳しくは無いが……私の様に持たざる者の前でそれを行使する際にはそれ相応の許可がいるそうなのだ。
したがって、気軽にひょいひょい使えている彼のコレは魔法ではない。
彼が使うのは偽物の魔法。彼が使う魔法にはちゃんと種と仕掛けがある。
彼は、偽物の魔法使い……奇術師だった。
本物の魔法が当たり前に存在するこの時代、奇術師というのはとても珍しい。
手品というものは存在しているが、持たざる者達の間でちょっとした余興に使われる程度。
本物の魔法が在るなかで、偽物の不思議で勝負するのは分が悪く余程大変な事だったが、彼はその中でちょっとずつ名を上げており、時々色んな国を渡って公演の依頼を受けている。
そんな公演の為に日本にやって来て、たまたまこの喫茶店に立ち寄り、この店を気に入ったというのが、彼がこの店へ現れる様になった切っ掛けだった。
彼は何時もの小さなマジックショーを済ませると、何時ものカウンター席に腰掛ける。
「ご注文は何時ものものですか?」
「うん。店長のラテと……今日は本日のオススメケーキを頼もうかな」
「かしこまりました」
私も、ピークを過ぎるこの時間は片付けやら仕込みやらしながらになる為にカウンターに入っている事が多いので、注文を通すと何時も通りそのままカウンターへ入って作業を開始しながら彼に話掛けた。
「今日はどうしてお菓子なんですか?」
彼が小さな贈り物をくれるのは、これも何時もの事だが、お店に飾れる様な花を1輪差し出すのが常だ。
今日みたいに別の物が出てくるのは珍しい。
「ハロウィーンだからね。ミズキがイタズラされない様にお菓子を渡しておこうと思って」
「ハロウィンと言えば Trick or Treat だけど……ハロウィンはそんなイベントじゃ無いんでしょう?」
「僕はミズキにだったらイタズラされても良いんだけれど」
「だったら、それこそレオンさんからお菓子をもらっている訳だから、私にはイタズラ出来ないと思いますよ」
天然なのだろうか彼は時々こうしてちょっとずれた事を言う。
うっかりそれを笑ってしまったら、彼は嘆く様に言った。
「店長〜〜通じない〜〜」
「彼女のそれは年期が入ってるからちょとやそっとじゃ通じないと思うぞ?お前のその仕掛けで通じる様なら、とっくに彼氏の5、6人は出来てる」
「何で私の彼氏の話になってるんですか!」
彼がたまたまこの喫茶店に立ち寄り、店長のラテアートに感動して通う様になってから、店長と彼は仲良しだ。
「5、6人どころか1人でも他の彼氏は歓迎出来ないなぁ……」
「だったらもっと精進しろや奇術師殿」
「そこで奇術は関係ないよ」
「魔法だったら分からないけどね」と言って彼と店長は笑い会った。
彼らはこうして私には分からない会話を繰り広げる事もよくあるので、蚊帳の外な私は少し寂しい。
そんな私を宥める様に、店長の手がぽんと私の頭に置かれた。
すると今度は彼の方が眉を寄せ、それを見た店長がニヤリと笑った。
「ほい、ココアとケーキだ」
「Fantastische!さすが店長!」
目の前に置かれたケーキとラテアートの施されたココアを見て、彼は感嘆の声を上げる。
ラテアートが施されるのは通常スチームしたミルクを乗せたエスプレッソである事が多いが、店長のラテアートはココアに描かれる事もある。そこが彼のお気に入りの1つでもあるらしい。
今日のケーキはカボチャのケーキ。ココアとカボチャ……甘そうだ。
「店長のこれは最高のトリックだね」
そう言って彼は私を見ながらにこりと笑みを浮かべた。
その笑顔は彼の顔立ちも相まってかココアの様に甘くて、どきりとしてしまう。
「そういう誉め言葉は本人に向かっていうもんだと思うが?」
そんな私と彼を見比べて店長がニヤニヤしながら言った。