マユミが流されて
小屋は無かった。
警官が来て、乞食は捕まり小屋は壊されたのか。パトカーが見れない。せっかく来たのに……皆はがっかりしていた。
河原へおりよう、と進が言いだした。
雑草に隠れていた石の階段を発見したのだ。男子三人、階段を下りた。そして川へ入っていった。浅瀬に足を浸けてるのが、気持ちよさそうで、女子も続いて河原に降りた。
川の水は綺麗でキラキラ、誘うように白く光っている。
……川へ入るのは怖い。
三年水神様に捧げ物してないから、飾が出るかもしれない、隣のお婆ちゃんの戒めを思い出し川へ入るのを躊躇していた。
でも操に腕を引っ張られた。
「ちょっと足いれるだけや」
尚美と真弓は既に川の浅瀬に入っていた。
気持ちよさそうに奇声を上げている。朝の光を浴びて笑い転げる様子に誘われ、私もサンダルを履いたまま川へ入った。
冷たくて流れの速い水は何て気持ちが良いんだろう。
水を掛け合ったり、対岸に向かって石を投げたり、時を忘れて遊んだ。
そこに茜がいなかったのはわからない。ただ心地よかった。
最初は足首までの深さのところに皆いた。……段々散らばり、いつの間にか男子が膝までの深さのところまで移動していた。
ビニールサンダルに藻が絡み、気持ち悪くて、河原へ向かった。そのとき、水の流れが急に早くなった。怖くて、さっさと川から出ようとした。でも何故か、すぐそこの岸に、たどり着かない。
水位が上がってる事に気がついたのは、「わーっ」と叫んで誰かが逃げてくる声を聞いたからだ。わーわー言って皆が来た。
ズ
真弓が誰かに押されたように川の中で倒れ、「ごめん」と言って尻餅をついた。
その格好が可笑しくて皆で笑った。
注目されて焦った真弓はすぐに立ち上がれずもたもたして、やっと中腰になった。
そのとき、操が大きな声で叫んだ。声が大きいのはザーザー川の音がうるさいからだ。
「真弓、血が出てるで」
私には真弓の血は見えなかった。けれど怪我して立ち上がれないと心配した。
「股のとこや、股から血が出てる」
また操が叫んだ。
真弓の白っぽいスカートの前が、もやっとピンク色になっていた。
真弓は泣きそうな顔をしていた。そうして不思議なことに私たちが居る方に来ないで川の中を中腰で移動を始めた。変な格好だ。
「何やってんの」
操が指さして笑う。皆も笑う。
真弓は右へ、川下へとゆっくり進み一つの岩の陰に隠れた。見物している私たちから身を隠した、そんな感じだった。
「お前、何やってるの?」
今度は讓が叫んだ。笑っていない、本当に何をしてるんだと聞いている。
真弓は腰まで水に浸かり岩にしがみついている。
何故、どうして、こっちに来ない?
「真弓、こっちへきいや」
口々に叫んだ。もう誰も笑ってない。叫び続けても真弓は動かない。
やがて皆、叫び疲れた。
川の音だけが絶え間なく聞こえる。
一瞬真弓から視線をそらせた私の目は、中州の雑草の中に何かが動くのを捕らえた。真弓の後ろだ。
「乞食や」
叫んだ。草の中に白い乞食がしゃがんでいるのだ。
警察に捕まっていなかったのか。
私の声に気づいたように乞食は立ち上がり、膝まで水につかり川を渡ってくる。真弓の方に、くる。
「真弓、うしろ、こじきや、後ろや、逃げや」できる限りの声を出した。
「大きな声だしな」
操が私の背中を叩いて、石の階段を駆け上がっていった。
真弓は乞食に気がついた。乞食との間は一メートル位に迫っている。
真弓は「あう、やあふ」と変な声を出しながら、川の中をパシャパシャ逃げた。
股から足へ血が流れていた。乞食が追いつき、真弓は今にも捕まりそうだ。
「潤、あんただけやで、おいていくで」
堤防の上から操が叫んでる。進も尚美も讓も聖も堤防にいる。早く来いと行っている。だから慌てて四つん這いで階段を上った。
一度だけ川を見た。
乞食は同じ場所に居た。背中を向けて立っている。微動だにしない。それがこの世の者とも思われぬ気配で、恐ろしい。
真弓は、何と、泳いで逃げていた。
すごい、とても早く泳いで、遠ざかって……ズボンと何かにひっぱられたように川の中へ頭が沈んだ。あっと、思ったが、すぐに頭を出した。そこまで、見ていたが
「あほ、捕まったら殺されるで」
護に怒られた。我先に自転車にまたがって、行ってしまおうとしている。昨日と全く同じだ。皆の動きは昨日より速い。誰も待ってはくれない。最後が私だった。
いや茜がいた。私の自転車の荷台に座って待っていた。
その時、茜は、ずっと此処にいたのか、と思った。速く逃げなければと焦っていたから、聞きもしなかった。皆に追いつこうと全力で自転車をこいだ。
「乞食、見える?」
茜に聞いてみた。
「うん、あれかな、川に立ってる」
「こっち見てる?」
「大丈夫、川見てる」
終着点は、また駄菓子屋だった。
「スリルあったなあ」「面白かった」「どきどきした」と、進と譲が昨日と違って楽しげに笑っていた。操と尚美はしゃがんでぼそぼそ喋っていた。
駄菓子屋のお婆ちゃんが
「今日は、どうしたんや、えらい早くきたんやなあ、どこで遊んでたんや」
と聞いた。
進は、川で遊んできたとは言わなかった。「秘密や」と皆に口止めするように怖い顔で言った。
その後どうしたか覚えていない。私は真弓が気になって仕方なかった。でもそれを口にしなかった。
操が、
「あれ、真弓は?」
当然の問いを私に投げかけたのは、公園でバレーボールを始めた時だ。
「泳いで逃げてた」
私の答えに、操は笑った。
丸々太った身体で、服を着たまま泳いでる姿を想像したら可笑しいと言う。午後は真弓の家に行こうと決めて、一旦解散した。
真弓の家は小学校から近い。田んぼの中に、三十軒ほど固まって建っている建て売り住宅だ。小さな家で、二階はお姉さんの部屋と二間しか無い。高校生のお姉さんとは時々狭い階段ですれ違ったりした。挨拶をしても、無視された。見た目は痩せて綺麗だけど感じの悪いお姉さんだった。
真弓は家に帰っていなかった。
「何で、一緒に遊んでたんちゃうの?」
真弓の母親に問い詰められた。真弓とそっくりの色の黒い太ったおばちゃんだ。
「遊んでたけど、先に帰ってん」
操がきっぱり、嘘をついた。母親は納得しなかった。
「帰ってきてないよ。あんたら、どこで遊んでたんや、」
いつもと違う怖い目つきと喋り方だった。
偉そうに言われて腹が立ったのか、操は「はあ?」と、ため息と一緒にはき出した。
真弓の母親が「あんたなあ、」と興奮して言いかけたのも無視して、「行こう」と、自転車にまたがった。私と尚美、そして茜も従って急いで自転車に乗った。
「ちょっと、待ち、」
母親は、追いかけてきた。バス通りの広い道路を渡ってきた。私たちは操を先頭に必死で自転車をこいで逃げた。
「こわかったなあ、乞食より怖いで」
操が笑うから私も笑った。
操の家に行き、扇風機のある操の部屋で、真弓がどうなったか、操と尚美と三人で考えた。
「泳いで橋のとこまで行ったんちゃうか」とか「服乾くまで帰えられへんねんや」とか、最初は心配していたはずが、操が「こじきに捕まってこじきの子になったかも」と言ったのが可笑しくて、私と尚美は笑った。
茜が笑ってたかどうかは見ていない。真弓のことで興奮して、茜を気味悪く感じていたのは忘れていた。
珠算教室にも、真弓は来なかった。
その夜、夕ご飯を食べ、父とドリフターズが出ているテレビを見て大笑いしていた時だった。
ガンガン殴るように戸を叩いて、「誰か、おるんやろ」と怒鳴って、真弓の父親が家に来た。
母に玄関に呼ばれた。
真弓が帰って来ないが、知らないかと聞かれた。知らん、と答えた。真弓の父親は黙って暫く玄関に突っ立っていた。私の答えに納得していない顔だ。
「他を、あたりはったら」
母に促され、やっと帰った。
父は私に、本当に知らないのかと念を押した。朝、一人で先に帰ったと、嘘を言った。
行方不明、捜索願、両親が話す言葉に胸がドキドキした。
真弓はあれからどうなったか? 家に帰っていなかったらどこにいるのか。この番組を見ないなんて信じられない。身体の、下半身が熱くなって、今までに感じたことの無い、気持ちよさが不意に襲ってきた。戸惑いながらも、この快感は隠さなければいけない、と分かった。
昨日も茜が乞食につかまったかもと想像したがが、何も起こらなくて拍子抜けした。だから明日も真弓がラジオ体操にきて、普通の日になるんだと自分に言い聞かせた。
しかし真弓はラジオ体操に来なかった。
体操しながら私たちは喋った。操と尚美の家には真弓の母親と高校生の姉が来たという。茜の家には来なかったのは家を知らないからと思った。もちろん操も尚美も、川へ行ったのは言わなかった。真弓は先に帰ったと口裏を合わせた。
護と進は何も知らなかった。私たちの話に驚き、青くなった。真弓の身を案じてというより、自分を案じて。
午前中は公園に残ってヒミツ会議になった。この先何が起こっても川に行ったと親には言わないでおこうと誓いの指切りゲンマン、をした。そして午後は学校に男子の野球練習を見に行くことになり、昼ご飯に家に帰った。
母が家の前に仁王立ちで私を待っていた。
「えらいことやで、真弓ちゃん、川で死んだんやて、ガス管の橋にひっかかってたんやて。学校から電話かかってきたんや」
聞いた瞬間、身体がブルッと震えた。
茜はぴょん、と飛び上がった。
凄い、なんだか凄いことになった。
でも。ガス管の橋って何?
「黄緑色の鉄の管で中をガスが通ってるんや」
母は今電話で聞いたばかりの説明を反芻しているようだった。
PTAの役員をしているので、電話のある家に連絡しなければいけないともいう。
「あんたも、中で食べや。今日だけやで」
茜に家に上がるよういい、少し冷めた焼きそばを皿に取り分けた。
「あんたらは川に行ってないな、真弓ちゃんだけやな」
行ったと言えない雰囲気に、
「行ってないよ、なあ茜」
嘘をついた。茜は
「うん、美味しいなあ、」
と、焼きそばしか見ていなかった。
学校の運動場には車が数台あり、大人も生徒も大勢の人が集まってきていた。
男子は野球をしていないし、操も尚美もどこに居るかわからない。でも皆の自転車はあった。
茜と職員室の窓を覗きに行った。殆どの先生が居て校長先生が喋っている。
担任の水谷先生に見つかった。なんか雰囲気が違う。いつもズボンなのにグレーのスカートをはいている。定年ちかい白髪に不釣り合いの濃い化粧だ。それが凄い形相で走って来て窓を開けた。逃げる暇なんかない。
「あんたやな、速水潤、すぐに入ってきなさい」
言われて茜と、表玄関に回って校舎の中に入った。
先生は廊下で待っていた。私の腕を掴んで職員室の隣の校長室、開いているドアの中へ行けという。
茜は? と振り向いたが、もう廊下に居なかった。
校長室の長椅子に、操、尚美、聖、護、進、みんないた。尚美が泣いているのを見て、悪い予感がした。真弓と川へ行ったのがバレたのか。