コックリさん
「うち、引っ越してきてん」
私の不審な眼差しに弁解するように答えた。五年生だとも自分から言った。
これが水野茜との出会いだった。
一人で乗れないのに後ろに人を乗せるのは無理だと考えたが、さっさと荷台にまたがりつま先だけを地面に付けた。
「倒れそうになったら止めるから、な、」
積極的だ。やってみたら不思議なくらいスイスイ行けた。ちょっと傾くと地面を蹴って体勢を戻してくれる。華奢だからか、重みは全然感じなかった。
茜は、堤防に面して建っている文化住宅に住んでいると教えてくれた。畑の中にぽつんと立っている、工場で働く人の寮だ。
文化住宅は耳に新しい言葉で、村で噂になっていた。工場で働く人たちを大人達は見下していた。操の父親のように田んぼを売って工場を建て儲けた人が、貧乏人の余所者と言っていた。大人に習って茜に優越感を持ち警戒心は無くなった。登校班が同じになると言えば茜はとても喜んだ。仲良くしてな、と媚びてきた。 調子づいて明日からラジオ体操に来ないかと誘った。
「あかんわ、自転車ないねん」
という。
「のしたる、明日迎えにいったる」
軽いから大丈夫、それに明日茜を連れていけば皆が驚く、とも考えた。
次の朝、茜は家の前で待っていた。おおざっぱな説明、「畑の向こうや。細い路を降りて商店街までいかんと左へ行くねん」と教えはしたが、同じ「速水」の表札が並んでるのに、よくわかったと驚いた。
隣のおばあちゃんが大きな声で「どこの子や」と聞くから「文化住宅の子や」と答えた。
村の中を初めて自転車で走った。茜を乗せて、スピードを出すのが怖くてゆっくり行った。それでも歩けば二十分かかる児童公園まで随分早く行けた。
村の小学生全員が児童公園にラジオ体操に来ている。五十人程の、半分以上は親戚だった。私が夏休みに入って四日目にラジオ体操に顔を出した、そんな些細なことですら、ちょっとした事件だ。その上転校生を連れてきたから大騒ぎになった。茜は質問攻めにあった。
神戸に住んでいた、父親は居ない。母親は工場で働いている、と答えていた。
操が一番最初に茜に聞いたのは、月刊漫画の「なかよし」を買っているかどうか、だった。五年の女子四人で漫画の回し読みをしているのに加えようと思ったのだろう。茜は今までは買っていないけど、買えると答えた。
「付録はじゃんけんして分けるけどいいんか」
尚美が念押しに聞いた。尚美は月刊漫画「りぼん」担当で付録を分けるのが不満そうだった。付録を分けるのは「マーガレット」や「少女フレンド」の週刊漫画との値段差を考慮しての事だ。操が決めたルールだった。そして皆が読み終わった本は全部操が持っていた。操の部屋は広く大きな本棚があったからだ。茜は同意し、私たちは読める漫画が増えるのを喜んだ。
村の五年の女子は私と操・真弓・尚美の四人しかいなかった。隣の桜本村の友達は学校では仲良くしたが、村に遊びに来てくれない。桜本の子が川で死んでから、神流村には行くなと親に止められているという。でもそれ以前から神流村は不気味だと悪口を言われていた。
神流村の年寄り達は桜本を呪われた村だと言う。
昔、神流川が氾濫して桜本は洪水の被害に遭い、村の半分が流され多くの死者が出た。川に近い神流村に被害はなかった。それは神流は特別優秀な血筋で水神が守ってくれているからで、桜本とは格が違うと言うのだ。
操は村の優秀な血筋に違いなかった。スポーツ万能で、生徒会の副会長だった。美人で背も高かった。
私には優秀な血は入っていないに違いない。人並み以上に出来ることなど一つも無かった。幼いときから操と比べられ「潤はアカン」と言われ続けていた。慣れっこで自分でも認めていた。
尚美は余所者だった。鉄鋼所の中にあるプレハブの建物に住んでいた。丸顔で目も鼻も小さい。小柄でぽっちゃりしていた。運動が苦手で卓球もバレーボールも私と同じくらい下手だった。「工場の子」と村の大人は呼んだ。小さい弟が居た。
真弓も村の子では無かった。国道沿いの建て売り住宅に住んでいた。それで「建売りの子」と呼ばれていた。小学校に入る年に大阪市内から引っ越してきた。天然パーマで肌の色は浅黒く、丸い目に、厚い唇で、背は高く肥満体だったが操レベルに運動ができた。「だっこちゃんみたいな子」と母が言っていた。高校生の姉がいた。
茜は、おとなしく皆に着いてきた。誰にも逆らわず、わがままも言わなかった。無理に皆に会わせているのかと最初は思ったが、そうでもなく楽しそうに見えた。誰かが面白いことを言えば、押し殺したような低い声で一番に笑った。
そのうちに、茜がとても物知りだとわかった。私たちの話題の中心だったテレビと漫画にも詳しかった。そしてテレビドラマのストーリーを話すのが上手かった。
ビデオが無い時代で見逃したテレビ番組は、友達に教えてもらうしか無い。茜は夜遅い時間の大人のドラマも見ていて、せがめば快く話して聞かせてくれた。
私たち四人は一緒に珠算教室にも通っていた。操の母親が先生で教室は迫水家の敷地内にあった。操の家は鉄筋三階建で屋上があり、私の家に無い風呂も車もあった。
教室に使われていたのは木造二階建の簡素な建物で一階が教室、二階は予備の机と椅子、卓球台が置いてあった。この二階の鍵を操が持っていたので、私たちだけは自由に出入りできた。いつも少し早めに行き、卓球をしたりだらだら喋ったりした。帰りは向かいにある駄菓子屋に必ず寄った。ゆっくりお菓子を選んで店の前で食べ、店の時計が六時半になれば解散した。
茜は珠算教室には入らなかったが付いてきた。授業の間教室の外で待っていた。
ラジオ体操から珠算が終わるまで、朝食と昼食に二回家に帰る他はずっと五人一緒にいた。ざっと十二時間。とても長い。
私は茜をずっと自転車の後ろに乗せていた。「ゴメンな、乗せてな」と毎回済まなそうに言った。
食事に家に戻るとき、茜の家まで送っては行かなかった。「ここでいい」と私の家まで着たらいうからだ。食べ終わって外へ出ると、茜は家の前に居た。家に誰も居ないから帰らず、ご飯も食べず、ずっと待っていたのかと、思っていた。でも聞かなかった。そうだとわかっても私に出来ることは無かったからだ。
五年の男子、水田護、速水進,清水聖の三人も珠算教室に来ていた。時々珠算教室の二階で一緒に卓球した。三人とも村の子だ。
護は、切れ長の目と細い鼻筋で、冷たい、端正な顔立ちをしていた。医者の息子で操と同じく優秀だった。年の離れた兄がいた。やはり優秀で東京の大学で医学部だと村中の自慢だった。私は讓には緊張して普通に話せなかった。苦手だったのか惹かれていたからか今でもわからない。
進は辰の湯の一人息子だった。番台に座っている時もある。私は平気だったが真弓はひどく嫌がっていた。じろじろ見るだけで無く「お前、おっぱいでてきたな」とからかうらしい。ブスや、ブタや、と女子の悪口を言っては操に叩かれている。操の悪口は言わない。叩かれて喜んでいる。叩かれたくて言っているみたいだった。
聖は学校の勉強は全く出来なかった。でも、珠算だけは達者で、暗算が得意だ。人の話が理解できているのかも怪しい、と皆思っていた。「うん、いいよ」と、それしか喋らなかった。いつも護にくっついている。護がしたとおりに何でも真似をする。自分で何も考えられないように見えた。
聖はかつて「徴」だったという。幼稚園に上がるまで離れに置かれていた。「徴」が何故「徴」で無くなるのか、素朴な疑問は「聖は特別な徴」だという余計に謎の答えで納得させられていた。
操に聞いた話では産まれたときに男か女か分からなかった。だけど男だと分かったらしい。更に謎が深まった。変わったところのある聖だが、優しい顔立ちで華奢で可愛らしいと、真弓と尚美は気に入っていた。父親は村役場に勤めていて、兄弟はいない。
村は一人っ子が多い。操もそうだし、私も「徴」が姉と認識していなかったので一人っ子のつもりだった。
私たちは毎日のように一緒にいても、もめごともなく楽しい日々が続いた。
しかし夏休みの半分が過ぎた頃には登校日もプールも終わり、退屈な時間が増えていった。
雨の日だった。
午後は珠算教室の二階に居た。他に行き場が無い。
私の家は父が家に居てテレビの前に寝そべって酒を飲んでいる(物心ついてからずっと父は家に居た。何故かは知らない)。尚美の家は工場でうるさいし、それに小さい弟の面倒をみなくてはいけない。真弓の家は高校生の姉が友達を連れてくるので駄目。
「次、何する?」
卓球にも飽きた。お喋りも夕べのテレビ、漫画の続きの予想、おきまりの話題も出尽くして、皆が夢中だったザ・タイガースの歌を何回も歌って喉が痛くなった。
「なあ、何しようか」
それぞれが、誰かの返事が欲しくて聞いた。返事は無い。嫌な感じの沈黙の後、尚美がテレビで心霊写真を見て怖かった、と話し出した。そこから話題は幽霊、怖いマンガになった。
「こっくりサンをやろか」
真弓が、言い出した。こっくりサンは一学期に六年の女子の間で流行した。霊が取り憑いて失神した子がいたとかで、学校で禁止になった。
「学校ちゃうから、やってもいいやん」
操が乗り気だったので、じゃあやろう、となった。新聞広告の裏に、それぞれが聞きかじってる知識を集めてひらがなと数字と鳥居、はい、いいえ、を描いた。
「あとは五円玉」
私が言えば、真弓が違うという。
「十円玉って西ちゃんに聞いた」
桜本村の西ちゃんは大学生の姉さんがいて、大人びていたし,物知りだった。
「こっくりサンが、本当に来たら、どうする?」
用意は出来たが、ちょっと怖かった。
「どうする?」
操に皆が聞いた。何をして遊ぶかは常に操が決めていた。私たちはそれに不服もなかった。操はさっさと茜を除いた三人に座る位置を指示した。こっくりサンは四人でするものだ。
鳥居の中の十円玉に四人が人差し指を載せた。
「こっくりサン、こっくりサン、南の窓があいてます」
真弓が笑いを堪えながら唱えた。
「窓、あいてないやん」と私がいえば皆笑い、南がどっちかわからないからと茜が全部の窓を開ければ、それさえ可笑しくてまた笑った。
暫くたっても、鳥居の中の十円玉は動かない。皆笑い出して、指を放した。
「じゃあ、今度は茜が言うことにしよう」
操が茜と交代した。普段より低い声で茜が真面目くさった顔で唱え始めた。皆の笑いは鎮まっていった。一陣の熱い風が雨と一緒に窓から入ってきた。すると、十円玉がずるりと動き、鳥居の外に出た。
「あなたはこっくりサンですか」
茜が聞いた。十円玉はゆっくりと、いいえの方に動き、止まった。
十円玉に乗せている四本の人差し指は震えている。
「こわい」
真弓が言う。
「喋ったらあかん、絶対指離したらあかん」
立って私たちを見下ろしている操がたしなめる。十円玉は「いいえ」で止まっている。先を促すような視線が茜に向けられる
「あなたは誰ですか」
十円玉は五十音字の一覧を移動する。指を離してはいけないと緊張し、私は肘まで震えてきた。十円玉は「か」で留まり。また動きだし、「さ」と「る」で留まった。
かさる、ってもしかして、「飾伝説」の、かざるか?
「あなたは、かさる様ですか」
茜は少しも怖がっていない様子だった。飾が誰か知らない、と気づいた。
「えらいことや、こっくりサンと違う、飾さまを呼んでしもうた」
私の指は十円玉から外れた。他の三人はしっかり指を置いていた。
真弓も尚美も「飾伝説」を知らないのか。知っていても余所者だから怖くは無いのかも。
でも、操は、
「有り難うございます、お帰りください、って早く言い、」
思った通り、私と同じ反応をした。怖い顔で茜の肩をバン、と叩いた。
茜は、初めて見せる不満げな目付きで操を見つめながら小さな声で、終わらせる呪文を唱えた。
私は再び指を乗せた。十円玉は動いた。鳥居の方へ動いていく、これで終わる……。ところが、十円玉は途中で方向を変え、いいえ、で止まった。
「どうする?」
茜は、操に聞いた。
「どうすんの、あんた、知ってるんやろ?」
質問は真弓に回された。真弓は、えーっつ、と言いながら、指を離して椅子ごと後ずさった。
「帰らないって……今此処にいるんや」
尚美も椅子から立ち上がって真弓の方に逃げた。操が大きなため息をつく。この状況に怒っている。かわいそうに茜は誰かが指示してくれるのを待ってる。いつも操が決めてくれるから、私たちは、自分の意見を言い慣れていない。
「やめてもいいんやな?」
茜の声には怒りがあった。十円玉から指を離し、紙を、きちんと四つに畳んだ。
「なんか、茜の顔こわいで、飾さまが取り憑いたんちゃうか。はは、嘘や。飾は、美人やった。不細工なあんたが飾にはならへんで」
何故か操が、からかった。「かざるさま、って何?」茜は聞き返した。操が黙ってるので、私は説明しようとした、
「あんたらは知らんやろ。昔、この村でな、飾っていう綺麗な女の子がな、川に遊びに行って水神様に捕まって食われそうになったんや、」
そこまで喋ったら、操に口を塞がれた。
「喋りな」
そうだった、みだりに喋ってはいけないのだ。喋ると祟られる。茜はそれも知らない。意地悪されたと思ったのだろう。黙って、出て行った。
「あの子帰ったで、気持ち悪いな」
操は長く笑っていた。そんな操が怖くて、こっくりサン騒ぎがどこかへ飛んでいってしまった。
操が茜を虐めた。なぜか。理由はすぐに見当がついた。昨日、男子対女子で卓球の試合をした。あの時のアレにちがいない。
休憩中に、テレビドラマ「サインはV」の話題になった。進は主人公のユミが可愛い、と言い出した。ユミよりライバルの麻里が女子には人気があった。それで真弓が「ユミなんかブスや麻里が美人や」と言えば、「ブスは、お前や」と進が言い返し、口げんかが始まった。
私と尚美も加わって、ユミと麻里、どっちが可愛いかと言い争った。護は黙っていた。話に加わらないのではなく、うーん、と腕を組んで真剣に考えている。
「護はどっちが好きなん、やっぱりユミ?」
話に入らず笑って見ていた操が聞いた。護は、
「麻里は美人で、ユミは可愛い顔やな。ユミの目って、茜に似てるやろ。鼻も似てる。口は茜のが小さいか」
わざわざ顔のパーツを指さして、言い出した。女子が一斉に「えーっつ」と驚きの声をあげた。じゃあ茜は可愛いのか? 操が美人とは知っていたが。だから、 つい
「それやったら操は美人やで」
操の機嫌を取る習慣もあって、口から出た。結果、余計まずい展開になった。
女子は茜も含め同意の声を上げたが、護と進は驚いたように顔を見合わせて、ふっと笑った。聖まで、分かっているのかいないのか、笑ってた。
「何おかしいの、はっきり言いや」
操本人が男子に突っ込んだ。この時は笑って。次に護と進が言った言葉に私は凍り付いた。
「操の顔は男やろ」
「女の顔ちゃうやろ」
それが男子の間での評価だと、受け取れる言い方だ。操の表情は怖くて見れなかった。
「悪かったなあ、ほっといて」
言い返す声が裏返っていた。
「あ、あんな、うちの姉ちゃんな、ヤンリクに葉書だしてん」
唐突に、真弓が深夜ラジオの話題に変えようとした。
それなのに茜が、
「操ちゃん、気にしたらあかん。操ちゃんの顔は彫が深い顔。それは美人やねん」
褒めたつもりだろうが、プライドの高い操の逆鱗に触れた。隣にいて、操の唇が歪むのを見てしまった。