茜とあう
「徴が死んだんや。今日は学校休むんやで」
告げる母の声に、悲しい出来事がおこったというニュアンスはなかった。
死んだ「徴」は仏間で白い布で顔を隠し,赤い布団に寝かされていた。
「えらい臭いや、これは二晩おかれん、くさい」
呼ばれて仏間に行ったら父がぼやいていた。
「徴」の顔が見たくて白い布をはぐろうとしたが、やめた。
「お岩さんより怖いねんで、よう見るんかいな」
父が脅したから反射的に手を引っ込めた。
バスの待合室に貼られている映画のポスターのお岩さんが、何より怖かったからだ。バス停は学校の前にあるので嫌でも目に入ってしまう。
紫に膨らんだ瞼、髪が抜け落ちて気味悪い頭……あれより怖いなんて、じゃあ「徴」は化け者だったのか。死んで良かったと心から思った。
「徴」の体は布団の膨らみ具合から私と同じくらいだった。それなのに、飾られた写真は帽子を被っている赤ん坊の顔だ。白黒写真で目を閉じてる。普通の赤ちゃんで化け物じゃなかった。訳が分からなくなった。
「げんが悪いなあ、あかんなあ」
続々と家にやってきた村の大人達は、揃って同じ言葉を父に言った。広い和室は障子が外され数十人座ってもまだ余裕があった。
「徴」を隠すように座っているおじさん達の、中心になって良く通る声で喋っているのは村長さんだ。その横は操のお父さん。この二人が村の葬式でも祭りでもリーダーなんだとは知っていた。
父は背を丸めて座り、二人にへつらい酌をしていた。これも見慣れた光景だった。村の通夜には既に何度も出ていた。酔っ払った父達が歌い出す軍歌も覚えてしまい「同期の桜」なら最後まで歌えた。
その通夜の途中で、頭が割れるように痛んだ。訴えなければと母を探したが側にいない。泣きそうになっていたら住職のお経が始まった。すると不思議なことに少し楽になってきた。
龍宝寺の住職は女で、その美貌は村の宝だと年寄り達は言う。面長の白い顔、少し鷲鼻で彫りの深い顔。幼なじみの操にそっくりだ。住職は操と血が濃い。顔立ちが似ていても不思議ではない。
一夜明けて、私の症状は悪化した。それでも葬式にもでた。母は忙しそうで体調の悪さを訴える機会が無かった。
皆の焼香が終わりにちかい頃、次は棺桶の蓋を開け皆で花を入れる、「徴」の顔を見なくてはいけない、と怖くなってきた。だが缶桶の蓋は開られなかった。小窓も閉じたまま、早々に父と数人の男に担がれ、縁側から庭へ下ろされた。
ふらふらする頭を傾けて、そうれん行列にもついて行った。墓地にある焼き場まで村の中を通らず堤防から行くので道のりは遠い。雲一つ無い夏の日差しから逃げ場も無い。
今にも倒れそうだったが、子犬が列に混じっているのに気が紛れた。全身が黒くて足先と尾の先が白いかわいらしい犬だった。
「可愛いなあ、うちで飼おうかなあ」
隣を歩く操が抱き上げようとしたが、犬は逃げた。
「シロタビがついてきよるんか」
後ろで操の父の声がした。続いてキャンと犬が鳴いた。
それから先は意識が朦朧として焼き場まで行けたのか、倒れて母にでも背負ってもらったのか覚えていない。
私はただの風邪では無くソ連風邪に罹っていた。
高熱が一週間位続き体中痛く、呼吸も苦しくて、このまま死んでしまうのだと思った。
父が枕元で、「死んでしまうんか、どうや」と一度や二度で無く聞きに来た。 母はそれを夢だと笑った。水田医院の老先生が二回往診に来てくれたらしいが、それは夢だと思っていた。夢と現の区別もつかない状態だったらしい。
母は終業式に先生が通信簿と夏休みの宿題を届けてくれたとも話してくれた。
寝こんでいる間に夏休みになっていたと知って損をした気になった。
私はずっと仏間に寝かされていた。
仏壇には「徴」の骨があった。天井から聞こえていた「徴」の声は無い。死んでしまった後の静けさで、確かに屋根裏に一つの命が存在していたと知った。
熱が下がり、ご飯を食べたら無性に風呂に入りたくなり母と一緒に銭湯へ行った。母は私の身長と体重を量った。
「百四十三センチ、四十二キロか、おんなじやな」
三年まではクラスで一番背が高かった。それが四年の間にクラスの大半に追い越されて今は前から三番目だ。
父に「大女になるで。嫁のもらい手がないんちゃうか」とからかわれていたから、背が伸びないのを初めは歓迎していた。でもこのままでは一番チビになってしまう。それは嫌だと私自身が一番気にしている。
「そのうち伸びるわ」
母は自分に言い聞かせるように呟いた。
「そうか、背、伸びてないんか。明日から自転車でラジオ体操行きや。自転車こいだら足が長くなるで」
父に言われて、えらいことや、と忘れていた問題を思い出した。
一月前に自転車を買ってもらい練習していたが、まだ乗れない。夏休みまでには何とかなりそうだった。それが、「徴」が死んでソ連風邪に掛かって、すっかり予定が狂ったのだ「体がなまってるやろ、丁度ええ、練習してきいや」
言われるまでもなく慌てて自転車と一緒に外へ出た。
「まだ乗れんのか」
隣のお婆ちゃんに声を掛けられた。二、三回こいでは傾き、地面に足を付いてしまうのを見ては笑う。腹が立った。
「婆ちゃんはまだ死ねへんのか、遅いなあ」
と言い返した。
「まだや、まだ八十まで二年あるんや」
村の年寄りは八十まで元気が当たり前だった。村には病気で早死にするモノもいない、神に守られている、特別な血筋なんだと教えられた。そういう血筋だから余所者の血が混じってはいけないという。
特別な血筋だから「徴」が生まれるともいう。
「徴」は神からの預かり物、綺麗なままで早く神様にお返しするのが筋で、風にも当てず人にも触れさせず守って育てると。
「けど、お前とこの徴があんな死に方しよったから、ワシも早いお呼びが来るかもしらんで」
うちの「徴」はネズミに顔を囓られてショック死したらしい。
傷物にして神に返してしまった、罰が当たると通夜でも葬式でも年寄り達が話していた。
隣のばあちゃんは母方の曾祖母で父の伯母でもあった。村には曾祖母一人祖母二人もいて、四人とも、お婆ちゃんと呼んでいた。
隣のお婆ちゃんは耳が遠いが元気だ。それが仕事のように毎日塀にもたれかかるようにしゃがんで通りを眺めていた。
「操は片手離してのれるで」
操もひ孫の一人だ。いつも比べられるが、常に私が負けている。うんざりして、他の練習場所を求めて移動した。
「風邪、なおってんな」
「自転車の練習か」
すれ違う人ごとに声をかけられるのがうるさい。嫌になって家に帰った。
「ああ、暑いなあ、夕立こんかなあ」
玄関に父が居た。上がり框に腰掛けてコップ酒を飲んでいる。赤い顔をうちわで扇ぐ。上は裸でステテコだけ。
「人に見られるのが嫌か。けど、村の中なら仕方ないで。誰かが見てるのは、つまり守られてんや。ひとがおらんのは墓か堤防や。どっちも嫌やろ、行きなや」
父の足下にねずみ取りが置いてあり中に二匹いた。これからネズミを殺すのだ。 酒の勢いで無いと出来ないと前に言っていた。余所の家ではねずみ取りごと溝に沈めて放っておいた。父はそのやりかたは残酷だと言い、頭に熱湯をかけ、さっさと始末した。
ネズミがキューキュー啼き、のたうち回る様を見たくないし、外へ出た。
父の言う通り誰にも見られたくないなら墓地か堤防に行くしかない。墓地は遠すぎる。でも堤防は近い。あそこなら車は通れないし、人も滅多に通らない。それに、そうれん行列で出会った子犬がいるかもしれない。
畑の中にある細い道を川の方へ向かった。脇に大きな肥だめが二つ、それが臭い。堤防へ上がる坂は自転車を押して登るのはキツかった。でも、登りきったら本当に誰もいないので嬉しかった。川の中州に鷺が二羽ぼーっと立っている。水は澄み、魚が跳ねているのが見えた。
こんなに美しい場所なのに誰もいない。
それには村の事情があった。今年も、まだ、川で人が死んでいないからだ。
「水神さまが毎年一人捕りはるんや」
村の年寄りは桜が散る頃になると子供達に言い始める。そして村の言い伝え、「飾伝説」を聞かせる
「昔な、飾っていう娘が川に流された。死んだと嘆いてたら生き帰って来たんや。ほんで飾が言うにはな、水神様に捕まって喰われそうになった。喰われるのはたまらんから、何でもするから助けてくれと命乞いしたんやて。水神様はな、殺すのをやめた。それは飾の綺麗な顔をみたからや。飾は村一番の別嬪さんやったんや。水神様は飾の命を助けたが条件を出した。助ける代わりに、毎年一人連れてこいと言うたんや。もしも滞る年があれば、三年は待ったる。三年遅れたら許さん。お前が三年分三人殺せと言ったんやで」
川で毎年のように死者が出るのは水神への捧げ物だという。
村では女の子に限って皆「飾伝説」を聞かされる。聞かせたくせに、この話は喋ってはいけない、飾を呼び寄せてしまうと口止めするのだった。
「飾伝説」など、五年生にもなって信じてはいなかった。信じてはいないが死者が出るまで川へ行けない、死者が出たらいい、その取り決めが何だか怖くては逆らいがたかった。
去年も一昨年も川で死人はなく、川遊びしないままに夏が終わった。
三年前は七夕の日に一人死んだ。顔も名前も忘れたが同級生だった。隣の桜本村の子で、遠足のバスの中で吐いてた子だとは覚えている。
あの日は七夕飾りを流しに河原に大勢行った。私は戒めを守って川へは入らなかった。あの子が溺れたのを見たのかどうか、まだ二年生だったから曖昧だ。
学校で「一人死んだから、もう水神様に捕られへんで。川で遊んでも怖ないねん」と喋り、操にひどく怒られたのは覚えている。次の日から川へ入ったのも確かだ。私が喋ったせいでは無いだろうが、あれから桜本村の子は川に来なくなった。
堤防はでこぼこ路で川へ向かってお辞儀するような格好で桜の木が並んでいる。その陰に入れば午後の強い日差しから、わずかでも逃れられた。
誰にもみられないから心置きなく、自転車の練習を始めた。でも、せいぜい二回こぐと傾いてしまう。急に面倒臭くなった。明日までに乗れるわけがない。ラジオ体操に一人だけ歩いて行くのだ。その後の移動も一人だけ、自転車で行く皆の後を走って付いていくのだ。「夏休みになったら、自転車や」そう操から言われてる。
五年になったら大人用自転車に乗るのが普通だった。暫く前から真弓と尚美は珠算教室に自転車で来ている。まだ乗れないのは私だけだった。憂鬱で車に酔ったみたいに胸のあたりが苦しい。
そのとき、
「後ろに乗ったろか」
声を掛けられた。驚いてきゃっと叫んだ。
いつからいたのか分からない。つばの広い麦わら帽子を被った知らない子が正面に立っていた。
長い髪をみつあみにして前髪は切り揃えられている。
ノースリーブのワンピースを着ていた。白地に黒の幾何学模様だった。自分より背が低くて痩せている。 子の陰に半分隠れた顔は細くて白い。二重のぱっちりした目をしていた。