東京
聖の家は目黒駅に近い四階建てのマンションだった。私は、そのまま居着いた。
聖は本当に出張が多く殆ど居ない。一月に二三回帰ってくるだけだった。
私は、少女の服を着うっすら化粧して、子供に化けて生活に必要な買い物に行った。
それ以外は朝から晩までテレビを見て過ごした。
聖が時々外へ連れ出してくれた。
浅草、上野、四谷、近場の町をウロウロした。聖以外の人と関わる必要が無い、誰とも触れあわない生活に満足していた。
聖はいつも温厚で優しかった。それを肉親への愛情と受け止めた。
私たちは、母同士が従姉妹で父同士も血が繋がっている。一見違って見えても、たとえば足の指の形とか髪の毛の手触りとか全く同じ部分を備えていた。
四十を過ぎても外見が十一歳の私は、人に聞かれれば聖の娘で通した。
聖は「潤は可愛い、ずっと可愛い」と褒めてくれた。
艶のある肌は家からあまり出ないから以前より白くなった。
「テレビ出ている若いタレントに負けてない」と言ってくれてから、鏡を見る時間が増えた。
聖は、両親とは電話でやりとりする位の関係だと説明した。
潤の事は秘密にしてると言う。もし、聖の両親が東京に来たら、私の居所もバレてしまう、最初は恐れたが、絶対大丈夫と言ってくれた。
親にこの身体を見せたくない。
操にも知られたくない。
村に知れたら「徴」のように屋根裏部屋に置かれるかもしれない、それが怖かった。
再び、幸せな暮らしが十年続いた。
時代の流れ通りに私の生活も変わった。
欲しいモノは出かけなくてもインターネットで買えるようになった。退屈しのぎに見る映画もレンタルショップで借りて見た。
そして今ではネット配信で見れるので出かける用事は更に減った。
永遠の少女らしく、どろどろした大人の性愛ドラマは拒否し、漫画も映画も読む本もファンタジーの世界を好んだ。
何度か、聖は何故結婚していないのか、今からでも相手を探さなくていいのかと聞いた。
聖は短く笑うだけで答えてくれなかった。
もちろん子供の身体の私を女と扱うことは無かった。
幼なじみの肉親に近い関係だからというよりも、聖は一見男性だが、男でもない女でも無いのではと感じる時があった。いやむしろ男でも女でもあるような過剰な色気があった。
産まれながらに両性を身体に備え持つ異形の存在は知っていた。それで「徴」だったと勝手に納得していた。
でもいつからか私は心の中で聖を夫と呼ぶようになった。兄弟でも友達でもなく、夫と妻だと思いたかった。
……このまま、聖に守られて東京で生涯を終えるなら少々短い一生でも悔いはない。今年の春、満開の桜の下で、何故かそんなことを思った。
それが前触れだったように、夏になって私の身体に変化が起こった。
風邪のような症状が長引き全身のだるさで食欲はなくなり、少女だった外見が急速に老けていった。
聖は、当然のように病院に連れて行こうとしたが、私が強く拒んだ。
医者に身体を見られたく無いし、治る病ではないと確信があった。
聖が居る日には、寄り添ってテレビを見て過ごす時間が長くなっていった。テレビなんて普段は全く見なかったけれど、パソコンを操作したり、映画を見通す元気も無かったから、何となくテレビをつけっぱなしにしていた。
そして一緒に、神流村の事故のニュースを見てしまったのだ。




