盆踊り
その夜、父は村の集まりで居なかった。盆踊りの準備で急がしいのだろう。
母に西ちゃんのお姉さんから聞いた話を事実かどうか確かめたかった。
でもどう切り出して良いかわからない。
村の取り決めで子供には秘密にしているのかもしれない。それなら聞いても叱られるだけだ。
「あんた、明日はどうするんや?」
妙に優しい声で聞かれた。
操と銭湯で待ち合わせしたと伝えた。すると母は思いがけないことを言い出した。
「あんな、茜と一緒に行きや」
「へっ?」
それは操に怒られる、茜と行くなんて怖い。
茜は飾やで、一緒にいたら殺されるかも知れないんやで、と訴えた。母は怒った。
「何いうてるんや、みんな仲良く一緒に遊びなさい。茜も辰の湯へ連れていくんや」
訳が分からない。
「それより、あんた宿題してないやろ。日記、白紙やんか」
出かけている間にチェックされたのだ。
夏休みの宿題どころじゃ無かった。それでも夏休みはもうすぐ終わる。
翌日、遅くまで寝ていた父が家を出ると、母は盆踊りの約束をしてこいと、私を茜の家に行かせた。
茜は喜んだ。
抱きつかれ「ほんまに来てくれたんや、ありがと」と大歓迎された。
茜は飾だという確信が揺らぐ。
痩せっぽっちな身体が、青白い顔が痛々しい。ただの可愛そうな転校生じゃないのか。誰にも意地悪しない優しい友達ではなかったか。
茜は飾だと、あちこちで喋ったのが後ろめたい気がしてくる。また頭が混乱してきたのだ。
「ちょっと待ってや、すぐに用意するから」
茜は押し入れを開けて、何か捜し出した。
「まだやで、晩ご飯たべてからやで」
慌てて声を掛けたが茜は風呂敷包みを抱えて、付いてくる気のようだ。
「日記、書いてないやろ。写さしたるから、な」
と、いつになく押しが強い。
茜の家には誰もいなかった。お盆休みでも、母親は働いて居ないのだ。それも可哀想に思えた。
「なんや、もう来たんか、まだ昼やで」
母は呆れていた。それでも家に上がるのを許した。
茜は、私の部屋に入るなり、触らしてな、と机の上のバービー人形を手に取った。もう一体のバービーと服などが入った箱を出してやり、自分は、白紙のままの夏休みの日記を開いた。
「これ見て書いたら、あっという間に終わるで」
ノートから切り離したような紙を風呂包みから出した。
何、これ? 言いかけて、一学期は居なかったから宿題を貰っていないのだと気がついた。私たちが時々日記の宿題の話をしていたので自分も書いていたのだろう。
初めて堤防で会った七月二十三日から、天気と、何をして遊んだかが書いてある。
すごく綺麗な字だった。習っていない漢字も使っていた。そういえば茜の書いた字を見るのも初めてだ。珠算教室にいったとか、細かく書いてくれているので、それを写していけば私の日記はできあがった。
真弓の死も尚美の死も書かれてる。
川ではぐれたが今日死んでいたと分かった、ガス管橋から落ちて救急車で運んだが今日死んだ、とか。
茜は二人の葬式に来なかったのもわかった。
私たちと遊んだ以外にどこへも出かけていない。それがまた可愛そうに思えた。
いつもより早い夕食はいなり寿司だった。母は茜にも食べさせた。
茜は死んだ二人の友達の名を上げ、
「あの子らは盆踊り行かれへんで可哀想やなあ」
大人びた口調で何回も言っていた。
いっそ本人に水神と約束したのか、聞いてみようかと思った。しかしできなかった。そうだと聞くのが怖かった。
夕食後、浴衣を持って母も一緒に辰の湯に行った。
脱衣所は人で溢れかえっていた。
村では大晦日と盆踊りは家風呂のある人も辰の湯に来るのが慣わしだった。
湯船の中で、茜は河内音頭を口ずさんだ。そして歌詞の意味を教えてくれた。
怖い人殺しの、本当にあった事を歌っているのだと。
毎年聞いているが歌詞は断片的に耳に入るだけで、全然知らなかった。
怖い話を聞きながら、間近にある茜の顔がやっぱり変だと思った。
目は落ちくぼんで法令線が深く出てる。首にも皺、薄っぺらい胸にあばら骨が浮いて出ていた。
脱衣所では、身体を拭き髪も乾かした子供から順番に、村のおばあちゃん達が浴衣を着付けていた。
「お前は速水の潤やな、」
鼻の左に大きな黒子のあるお婆ちゃんが着付けてくれた。
私の浴衣は白地に赤い朝顔の柄で、去年隣のおばあちゃんに縫って貰った。
茜はぴったり私の側にいて、私の次に同じお婆ちゃんに着付けて貰った。ピンクの地に赤い牡丹の派手な柄だ。いつも地味な色のワンピースを着ているから、意外だった。そして、案外似合っていた。
「あらっ? お前は、水野の顔やな」
名字を言い当てた。超能力かと驚いた。茜は頷いた。
「ほんでも誰や、しらんで」
黒子のお婆ちゃんが大きな声言う。
名前は、家は、親は誰かと茜に聞く。茜は俯いて答えない。黒子のお婆ちゃんはさらに大きな声で、まるで脱衣場中に聞かせるように
「どこの誰や、この子は誰や、」
私に聞いた。
「余所者や、文化住宅の水野茜や」
仕方なく呟いた。
「そう、かあ、おまえが茜か、どれ、よお顔みせや」
黒子のお婆ちゃんは
「きれいな顔して。水野の血筋に違いないわ、どれもっと綺麗にしたろ」
言って茜の頭に白い粉をはたき、口紅を塗り「ほれ別嬪の茜やで、みな、よお見ときや」とまた大きな声で言う。
皆の視線が茜に集まる。茜は困った顔で私に救いを求めた。
「もう、行くから」
と茜を引っ張った。黒子のお婆ちゃんは、
「まだや、操がきてからや」
という。
「わかってます」
答えたのは母だった。
母は見たことが無い真面目くさった顔になっている。
茜は村の女達が自分に注いでいる視線をさけるように、両手で顔を覆って座り込んだ。
何だか胸騒ぎがした。
茜と母が黙っているのが不安だ。
操は、浴衣姿で入ってきた。家で着付けてきたらしい。
紺地にあやめの柄。去年と違う。また新調したのかと少し羨んだ。
「はよ、きいや」
茜を見て、操がどんな顔をするか心配でしっかり見た。
機嫌の良いときの顔で、安心した。母からお金を貰って茜の手を引いて外へ出た。
通りには浴衣を来た人が大勢いた。
いつもなら店じまいしている時間なのに龍神通りにある全ての店先が明るい。
太鼓の音が聞こえていた。歌い手の野太い声も聞こえる。
一瞬、真弓と尚美の死も「飾伝説」も忘れた。
私の手をしっかり握り、嬉しそうな茜が可愛い。
先を行く操の真っ直ぐな背中と早い足裁きが今更ながらに格好よく見える。
境内の真ん中に櫓、右端にテントが二つ。テントの一つに父と操の父親がいた。二人は、私たち三人に気がついた。酔っ払ってるのか、赤い顔でこちらを指さして何か言ってる。唄と太鼓で聞こえない。
「呼んでるのかな」
操に行くかと聞いた。操は首を横に振った。
踊りの輪に入るか、露店をまわるのか相談していると
「あんたが茜やろ」
大きな声で呼ばれた。
「かわいいなあ」
声を掛けたのは背中の曲がったおじいちゃんだ。もちろん顔は知っている。
「この子が茜やて」
おじいちゃんは、側を通る男の二人連れに言う。
「そうか、茜か、どれ顔見せてみ、えらい別嬪さんや」
茜は三人に囲まれてる。なんだ、これは?
他の男のひとも、「茜やな、べっぴんやなあ」と寄ってくる。なんで茜ばっかり褒められるの? 思った通りを茜と操に言った。
操が、
「今日の主役は茜やねん。わかったか」
茜を守るように肩を抱き、大人ように掠れた声で、私では無く茜に答えた。
新入りの茜が珍しくて盆踊りの注目の的という訳なのか?
それからも茜は大人に声を掛けられた。頭を撫でられ頬に触られてもいた。嫌とも言わず、かといって嬉しそうでも無くゴメンナと私と操に謝る。
茜だけに注がれる視線、愛想。私と操はいないかのように無視されている。「かわいい」と聞くのもうんざりしてきた。
一人だけ化粧して貰ったから目立つのかな、と最初は思った。
可愛いと言われても、聞こえないふりしてればいいのに、私たちに気を遣って、操ちゃんと潤ちゃんのが、ずっと可愛いねんで、といちいち答えるのも気分が悪い。
操が私に話しかけてくれないのも嫌だ。いつの間にかずっと茜と手を繋いで守るように先を歩いてる。
かき氷を売ってるオジサンまで、あんたが茜ちゃんか、待ってたでと大盛りにする。
楽しくないままに時間が過ぎていく。
櫓の上では、村で一番唄が上手いと言われている酒屋のお兄ちゃんが唄い始めた。
「なあ、そろそろ踊ろうや」
操は、そうやな、と踊りの輪を眺め入れそうな隙間を捜し出した。
その時、茜はまた男達に囲まれた。
「さわらしてな」「きれいなこや」三人、四人、増えていく。
「じっとしてや、かわいいなあ」「可愛らしいあしや」跪き膝をさすっているのは……、なんと操の父だ。
気持ち悪くないのかと、操を横目で見た。
操は、何故か私の手首をしっかり握って後ずさった。
一歩、二歩、茜から離れる……茜の白い顔が私に向かって微笑んだ。白い肌に赤い唇……人形のように綺麗だ。化粧してるから、とても綺麗だ。
浴衣の赤い牡丹が提灯の黄色い明かりの下で浮き上がって見える。
化粧した顔、赤い……尚美の死装束に似ていた。
男達に囲まれた茜はずんずん私から離れていく。
「茜、待ってえや」
叫んでいた。
「あんたは飾ちゃうやろ」
言うつもりの無かった言葉が口から出た。
勝手に取り憑かれたように溢れ出るのを止められない。
「真弓を殺してないやろ、アンタは堤防におったやんな、尚美も勝手に落ちたんやろ、水神と約束なんかしてないやんな、水神なんかおれへん、アレは乞食やろ、」
声は唄と太鼓に消され、自分の耳にも届かない
「四年から下は帰りや」
一斉に言いだした大人達の声にかなわない。盆踊りは終わりに近かったのだ。
小さい子供は居なくなり踊り手が櫓の方をむく。踊りが変わる合図だ。
「マメカチや、あんたも入り」
操に引っ張られた。
「あ」
茜が居ない。
キョロキョロ探していたら、操に今度は頬を打たれた。
「見たらあかん、もう茜、って言うのもあかん」
「はあ?」
茜とは遊ぶなと言っといて、盆踊りには一緒に行けと言う。それで今度は見るのも駄目って?
明日は? あしたは、どうしろって?
「あほやなあ、お父さんと、あんたとこの、おっちゃんが連れていったんや。だからうちらは茜の名前も言うたらあかんねん。ええか、あんたと、私を助けてくれたんや。『飾伝説』は終わったんや」
父が連れていった?
飾を恐れなくていい、嬉しいやろ。と操は言うけど、茜がどうなるのか考えずにはいられない。
飾伝説は終わったのでは無くて、終わらせるつもりではないのか。
「なあ、操、どう思う」
詰め寄った。
「あんたがまだ茜のこと言うって、お父ちゃんに言うで」
操の顔は怖かった。
そして私を見ている沢山の目、私の言葉を聞いてる沢山の耳が操の背後にある気がした。私は黙った。黙って踊りの輪に入りれば身体が勝手に動いて、踊っていた。
お酒の臭いのする大人達がどっと入ってきて自然と輪は二重になった。
歌い手が変わる。同時に私と操の間に護達三人が入ってきた。去年までは浴衣を着ていたのに今年は普段着だった。
「肝試し、五年も来てもええんやて」
と誘いに来たのだ。
肝試しは中学生が参加で、六年は参加自由だが、ことしは六年の人数が少ないから五年にも声を掛けているという。
肝試しより茜が気になる。でもそう言えば操に怒られる。私は多分泣きそうな顔をしていたのだろう。
「潤、どうしたんや?お腹痛いんか」
譲が顔をくっつけるように近づいて聞く。
思いがけなくて返事も出来なかった。こんな風に譲に優しくされたのは初めてだ。
「なあ、潤も一緒に行こう」
進まで、操より私に声を掛けてくれる。
聖も、私だけを見て笑ってる。
「皆で一緒に肝試し行ってみよう、な」
最後には操に手を握られた。指の長い大きな手だ。
……四対一の力に負けた。
茜を一旦忘れ、皆について行った。
村はずれの墓地へ移動する最後尾が、私たち五人だった。
境内を出る時、一度振り返った。子供は誰もいない。大人達が踊っている。唄っているのは父かも知れない。声が似ている。役が最後の歌い手と決まっている。
声は父だと思うのに一生懸命声を出しているからか、首が長く見える。
ぶら下がってる電球の黄色い明かりのせいか、随分長身にも見えた。
父のはずなのに違うような不思議な感じがした。きっと家では寝ているか座っているかで立ってる格好を余り見ていないからだと思った。
最後なら踊り手は長老の筈だ。隣のお婆ちゃんも、駄菓子屋のおばあちゃんも、きっと踊っている。
村の中を抜け畑の中の一本道をぞろぞろ行く。先頭の中学生は懐中電灯を持っている。その明かりは一番後ろの私には見えない。月は出ていない。闇の中を操に手首を握られて、行った。
広い墓地の入り口にある一番大きな墓石の周りに皆がいた。
小雨が降ってきた。火照った身体に気持ちがいい。
墓地の中に一カ所だけ屋根があるところがある。それが焼き場だった。長方形の穴があるだけで囲いも無い簡素な焼き場で、その穴に入るのが肝試しだ。
真弓と尚美は、この穴では無く遠い火葬場に霊柩車で行った。ここで最後に焼かれたのは私の家の「徴」だ。
自分の番になって、さして怖いとも思わず穴に入ったが「徴」を思いだしてしまった。
声と気配を生々しく感じた。でも思い出に顔がないのは不便だ。だから、茜の顔だと思うことにした。
肝試しが終わって、またぞろぞろと来た道を戻る。
明るい通りで親達は子供を待っている。
私の両親は銭湯の前に並んで立っていた。
「茜は?」
母が、私に聞いた。
試されているとわかった。だから答えなかった。父は満足したように、頷いた。




