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【19】「瞳子様がお呼びです」その3

 

 

 眼を覚まして、最初に眼に映ったのは、見慣れた天井だった。二、三度まばたきしてから、ぼんやりとした頭で、月子は身体を起こした。

 ふわぁ、と、大きなあくびをする。室内が明るいと思ったが、時刻がよくわからなかった。

「……そうだ……蜂と……」

 月子は顔に手を当てた。断片的に、戦闘の記憶が蘇ってくる。

 何気に横を向くと、こころと如月が、じーっと見つめていた。月子はビクッとした。

「なっ……! 何ですか!? い、いるなら声くらいかけてください!」

 布団を引き寄せ、上半身を隠す月子。別に変な格好はしていないのだが。

「いやー、起き抜けでぼんやりしてる月子ちゃんってのも、何か新鮮だったから、思わず見入っちゃった。可愛かったよ」

 こころがにやにや笑う。月子はカァ~ッと顔を赤くした。

「き、如月! あ、あなたもあなたです! なぜ黙っているのですか!」

 如月は眉をひそめた。

「お目覚めの挨拶はこころ様の方がよろしいでしょう。わたしがこころ様を差し置いてお声をかけるわけがありません」

「う゛~……」

 顔を赤くしたまま、月子は猫のように唸った。それも可愛かった。

「元気そうで良かった。月子ちゃん、刺されたとこ、痛くない?」

 言われて、蜂に刺されたことを思い出した。月子はネグリジェの胸元を引っぱり、胸の刺し傷を確認した。

「ほとんど跡が残っていませんわ、痛みもないですし……お母様が治してくださったのですね……あっ! そうだ! 雪乃は、雪乃は大丈夫ですか!?」

 一緒に刺された仲間のことを思い出し、月子は身を乗り出して聞いた。

「心配ございません。傷は同じように回復されています。しかし、雪乃様は風邪が悪化しまして、そちらの具合が悪くて、寝込んでおられます」

 月子は安堵の溜息をついた。瞳子の回復魔法は、風邪や病気は治せない。しかし、蜂の刺し傷に比べれば、風邪など大したことはないだろう。

「そうですか……具合の悪いときに無理をさせてしまいました。ゆっくり休むよう伝えてください。蜂に刺された人たちはどうなりました? あの傷は、病院で治療できるのですか?」

 続けて聞く月子に、如月は居住まいを正して答えた。

「いいえ、一般の方たちの被害者は四十二名おられましたが、病院へは一人も行っておりません」

「病院へ行っていない? なぜです?」

 訝しげに聞く月子。如月は、その名を口にするのも恐れ多いという体で、理由を述べた。

「……瞳子様が、現場へ来られまして、月子様と雪乃様をはじめ、被害者の方々全員を、治療されました」

「お母様が!?」

 月子は眼を丸くして驚いた。

 

 

     ☆

 

 

 対スズメバチ戦のその後の顛末を、簡潔に述べる。

 戦闘中、如月は今回の相手は蜂で、一般人の被害者が多数出ていることを、月影家に連絡した。

 それを聞いた瞳子は、着物を脱ぎ、紫色の長いマントを羽織り同色のつば広帽を被った、コテコテの魔法使いルックで現場へと向かった。それも、飛鳥に連れられてである。

 防火服なしでマッハ2の飛行をした彼女は、涼しい顔でショッピングセンターに到着した。

 瞳子は四階駐車場で“ココロ”を失ったコロンと、倒れているルナと雪乃を発見し、先ず彼女たちを手当てした。

 その後、倒れた人々を店内を回って手当てしたのである。要した時間は約一時間。

 治療が終わると、瞳子がルナを、コロンが雪乃をお姫様抱っこして、店を出た。

 群衆の前で瞳子は指輪を外し、人差し指ではじいて放った。

 指輪は地面から十センチの高さに浮いて、長く伸びて広がり、カクカクと直角に何度も何度も複雑に曲がって――迷路のような模様の、二メートル角ほどの板になった。

 四人の体重を、指輪の板は難なく浮き上がらせた。瞳子たち一行はそれに乗り、空の彼方へと消えたのである。

 群衆は飛び去っていくココロリータたちに声援を送った。その後、ようやく店内に警察と救急隊員が入り、まだ気を失っている人たちを救出した。

 瞳子たちは事前に決めてあった合流地点で、如月と三宅の乗るリムジンと合流した。そうして、月影家へと帰ってきたのである。

 

 

     ☆

 

 

 月子が眼を覚ますと、メイドが「瞳子様がお呼びです」と呼びに来た。月子はいつものゴスロリ服に着替えて、こころと共に瞳子の部屋へ向かった。

 二十畳の何もない和室で、瞳子と向かい合う。いつもの反省会だ。

 瞳子の向かいに、月子とこころが並んで正座し、その後ろに如月が控えている。雪乃は風邪で欠席だ。

「今回の戦いは、テレビでの中継がありませんでした。なので、わたくしもどのような戦いであったのか知りません。先ずは、戦況を報告してください」

 月子は詳細に、正直に戦いの内容を報告した。

「……そうですか。今回は、いつにもまして危うい戦いだったのですね」

 月子は頭を下げた。

「わたしが未熟なため、こころを大変危険な目にあわせてしまいました。申し訳ございません」

 瞳子は、顔を上げるよう月子に言った。

「確かに危うい戦いでしたが、特殊な敵を相手に、臨機応変によく戦ったと思います。雪乃も良い働きをしました」

「ですが……もしあの局面で、ハチミツ入りの菓子がなかったらと思うと……」

 月子はうつむいて唇を噛んだ。

「わたくしは、運命や縁というものを信じます」

 落ち込む月子に、瞳子は温和に語りかけた。

「逆に、偶然や運というものを、わたくしは訝しく思っています。

あなたは、『偶然』に『運良く』、それを持っていたのではありません。なにがしかの導きがあったのでしょう。

あなたの、こころさんへの想いが、『偶然』を引き寄せるのです。運が良かったのではありません。それもあなたの力なのです」

 月子は、胸を打たれたような顔をした。

 こころも意外に思った。イカスミのときはあんなにきつく叱ったのに、こんな優しい言葉もかけるんだなと思った。

「……ありがとうございます。今後も、精進いたします」

 月子は、深く頭を下げた。

「月子、それよりも、あなたはこころさんにお礼を言いなさい。こころさんが毒を吸い出してくださったから、あなたと雪乃はとても軽い症状で済んだのですよ」

「あ……そ、そうなのですか……」

 言われて初めて、“ココロ”を失ったコロンに毒を吸い出されたことを思い出した。蜂に刺されてからは、記憶がぼんやりしていた。

「あ、ありがとうございます、こころ……」

「や、そんな、あたし隠れてばっかだったし、お礼とか……」

 真摯に頭を下げる月子に、こころは困り顔で手をぶんぶん振った。

「お母様にも、お礼を申し上げます。まさか現場に足を運んでくださるとは、思っていませんでした」

「別に、あなたのために出向いたわけではありません」

 瞳子はツンデレみたいな物言いをした。

「如月から、敵が蜂の怪生物で、一般の方に被害者が多数出ていると聞いたから出向いたのです。実際あの毒は、通常の医療では対処できなかったでしょう。

年配の方で、命にかかわる容体の方もおられました。足を運んで良かったと思いましたよ」

「そうでしたか……わたしたちには何の対処もできませんした。その方に代わってお礼を申し上げます」

 月子はまた頭を下げた。そして、顔を上げたのだが、なぜか少し眉をひそめていた。

「……出向いてくださったことは大変ありがたいのですが……お母様、何なのですか? あの扮装は?」

 瞳子が珍しく、口の端をほんの少しだけ引きつらせた。こころと如月は、空気が張り詰めるのを感じた。

 今回戦闘が映像に撮られることはなかったが、店舗前での情景はテレビでも動画でも撮影された。

 如月から瞳子が現場に来たことを知らされた月子は、パソコンでその映像を見たのだった。瞳子のレトロな魔法使い衣装を見て、月子は呆れ顔をしていた。

「どういう意味ですか、それは?」

 険のある声で瞳子が問う。

「ですから、あの時代錯誤な魔法使いの扮装は、何のおつもりですか? お母様にあういう趣味がおありとは、知りませんでしたわ」

 歯に衣着せぬ言いように、こころと如月は青くなった。ここから逃げ出したい思いに駆られた。

「わたくしの趣味というわけではありません。普段の姿とギャップがある方が正体が疑われないので、そうしたまでです。

あなたは、普段と戦闘時の格好が似通っているから、学友から魔法使いではないかと疑われるのです。

普段からその……ゴシック・ロリータというのですか? その格好をするのをおやめなさい。普段と戦闘中が同じではないですか」

「わたしにゴスロリを着るなと!? お母様、聞き捨てなりませんわ!

この服はわたしの精神の表出、言わばわたしそのものです! 着るなというなら、裸で戦いますわ!」

 二人の眼からレーザーのような光がほとばしり、ぶつかり合って火花を飛ばした。こころは今日の戦いより怖いと思った。

「……あ、あの……」

 こころはおそるおそる手を上げた。

 瞳子と月子が、キッと睨みつける。いや、睨んだつもりはないのだが、一度鋭くした眼光はすぐにはおさまらないのだった。

「ひゃっ!……あ、あの……つ、月子ちゃんも、お母さんも、そんなに、怒んないでください……。

つ、月子ちゃんの、ゴスロリって、着るのに、覚悟がいる服なんです……ファッションで着てるわけじゃないので……。

お、お母さんの、魔法使いの服も……あたしは、素敵だなって、思いました……」

 暴走族同士の抗争に、間に入って仲裁しているような気持ちだった。

「こころは、あれが良いと思うのですか?」

 どちらかというと月子のフォローをしているのだが、月子は不服そうに聞いた。こころは、『後ろから鉄砲で撃たれる』とはこういうのを言うのだろうと思った。

「に、似合ってたし……お母さん、背が高いから、肩から地面までマントがふぁさーってなって、格好良かったよ……」

 こころは、都合良くおべんちゃらが言える性格ではない。本心からそう思っているのは、みなに伝わった。

「如月、お前はどう思うのです?」

 後ろを向いて月子が聞いた。如月は銃口を向けられような気がした。

 如月の頬を、冷たい汗がひとすじ流れた。如月は五秒間でひと月分くらい脳みそを働かせ、言葉を選んだ。

「……と、瞳子様のお召し物は……威厳と、神秘性が、ございました……よ、良い……かと……」

 考えた末、如月は瞳子に味方した。月子は不満そうだったが、溜息をついて、母に向き直った。

「……ふむ、あれが良いという見方もあるのですね……わかりました、この件については、わたしの了見が狭かったかもしれません。

個人の好みを、あたかも客観的評価のように申し上げたことを、謝罪いたしますわ。お母様の好きになさってください」

 瞳子は細い眼で五秒ほど月子を見つめてから、口を開いた。

「……先ほども言いましたが、別に好きで着ているわけではないのです。

正体を隠すという目的に、最も合理的に適した衣装を選んだまでです。そこをはき違えないように。あなたの衣装についても……」

「お母様、ゴスロリは仮装ではないのです。『衣装』という言葉は禁句ですわ」

 せっかく鎮火しかけた火に油を注ぐ月子だった。こころと如月はめまいがした。

 瞳子は一瞬頬を引きつらせたが、大人の寛大さでスルーした。

「……あなたの『服』についても、あなたなりのこだわりがあるようですから、許容しましょう。正体がバレないように、お気をつけなさい」

「承知いたしました、お母様」

 月子が頭を下げる。こころと如月は、悟られないように安堵の溜息をついた。手のひらが汗でびっしょり濡れていた。

 

 

     ☆

 

 

「それでは、失礼いたします」

 月子たち三人は、一礼して退室し、ふすまを閉じた。

 瞳子は思案顔で、そのまま和室に座していた。

 部屋の隅に控えていた瞳子お付きのメイド、美園が、足音も立てず瞳子の斜め後ろに立った。かかとを揃え、腹の前で手を重ね、主人の指示を待つ。

 瞳子は黙って座っている。美園も真っ直ぐに立ったまま、微動だにしない。指示を与えなければ何時間でもそうしていそうだった。

「……時代錯誤ですか? あの衣装は……」

 独り言のように、瞳子はつぶやいた。美園が微笑みを浮かべる。

「インターネットでは、ココロリータに関する様々な情報が飛び交っております。中には、ココロリータのファッションについて論じているサイトもあるようでございます。

有名なデザイナーが、本日初めて現れた魔法使いの衣装を評価していたそうです。モダン・クラシックで、エレガントなデザインだと。わたくしも、素敵だと思いますわ。

月子様は大人びていらっしゃいますが、まだ、十二歳でございます。審美眼が養われるのは、これからでございましょう」

 美園は眼だけを動かして、瞳子の後ろ姿を観察した。身じろぎ一つしないが、オーラの色が穏やかになったのが、美園にはわかった。

 ひざまずいた姿勢から、スッと美しく瞳子は立ち上がった。

「雪乃を見舞います。あれも労ってやらねばなりません」

「はい。果物を用意いたします」

 歩き出す瞳子に、美園は影のように付き添った。

「月子も、まだまだ子供ですね」

 微かに笑みを浮かべて、瞳子は言った。美園が微笑んで答える。

「はい、お若うございます」

 月影家を統べる女当主を、完璧に操縦する美園だった。




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