【18】雪乃とココロリータ ②
ルナは自動ドアが作動する手前で立ち止まり、ガラス越しに店内の様子をうかがった。
蜂の姿は見えない。また奥へ引っ込んだようだ。
足を進め、開いた自動ドアから中へと入る。店内は静かだった。
雪乃がどてらの袖からガムを出し、一粒取り出して口に放った。くちゃくちゃとそれを噛む。コロンは微かにミントの香りを嗅いだ。
「雪乃さん、それは……?」
「んー? これ? クールミン○ガム。なんてね、ラボが作った魔法増強ガムだよ」
雪乃は小さな風船を作って、口の中で「コン」と割った。
「で、ルナさん、相手は何なんです? そろそろ教えてくださいよ。言っときますけど、こっちも心構えってのがあるんすよ」
先導するルナは、振り返らずに答えた。
「虫です。変温動物ですから、温度が低くなれば活動が鈍るはずです。最も冷気魔法が適した相手と言えるでしょう」
雪乃は大きくうなずいた。
「そーっすか、虫ですか。うんうん、冬は虫出てきませんですもんねぇ。なるほど」
三回ほどうなずいて顔を上げた雪乃は、思いっきりジト眼をしていた。
「めっちゃ、やな予感がしてきましたよ。ルナさんがものをハッキリ言わないときって、たいがいヤバイことが待ってるんすよねぇ。
コロンちゃんもすっごいビビってるし。ただ事じゃないっすよね? あたし何か熱上がってきたんですけど、帰っていいすか?」
軽口には答えず、ルナは足を止めた。目線は店の奥に向いている。
雪乃がその方へ眼をやると、店の奥で、何か煙のようなものがうごめいていた。微かにモーターのような音が、うねりを持って聞こえる。
「……何すか? あれ?」
眼を細くして雪乃が聞いた。
「蜂です」
「ほー、蜂……虫ってのは、蜂ですか? あたし、月影邸の軒下にできた蜂の巣、退治したことありますよ。まあ、蜂くらいなら……」
不定型な塊は、形を変えながら徐々に速度を増し、こちらへと迫ってくる。
羽音は際限なくその大きさを増し、ずいぶん遠くから蜂の形が見えたなー、と思ったら、3D映画みたいにどんどんその姿が大きさを増していく。
「えっ……? ひっ……! ぎ、ぎゃあぁぁぁぁ!!!」
蜂の群れが向こうの景色が見えなくなるほどの数で、一匹一匹がスズメほどの大きさだと知った雪乃は、熱に火照っていた顔を真っ青にして絶叫した。
「ひいぃっ!!! く、来んなぁっ!!」
大きく息を吸い、雪乃が冷気を吐いた。白い息が高速の吹雪となって蜂の群れに吹きつける。
冷気を浴びた蜂は瞬時に凍りつき、床に落ちて砕けた。羽音に混じって、ガラス細工が割れるような音が店内に満ちる。
「ひっ、ひいっ! うわぁっ!」
蜂の群れは冷気を避け、横や後ろに回り込んで雪乃を襲おうとする。
雪乃は必死になって群れの動きに合わせて向きを変え、冷気を浴びせた。雪乃のコントロールは正確で、蜂は三人に近づくことができなかった。
やがて、群れの全ての蜂が凍りつき、床に落ちた。
床にはバラバラになった蜂の死骸が大量に散らばった。凄惨な光景だった。
「はぁっ、はぁっ、はぁ……ぜぇー、ぜぇー……」
雪乃が膝に手を突き、身体全体を上下させて荒い息をした。顔にぐっしょりと汗をかいている。
「よくやりました、雪乃。あれだけの数を相手に、大したものです」
「た、『大したものです』じゃないっすよ! し、死ぬかと思った……」
鼻の下に鼻水が垂れていた。雪乃はティッシュを出して、びーっ!と鼻をかんだ。ポイ、とティッシュを後ろに捨てる。
「くっそぉ、やっぱろくな事なかったよ……何すか、あのサイズ? 刺されたら死にますよ。ま、まだいるんすか? あいつら?」
「まだまだいるでしょう。どこかに巣があるはずです。それを破壊しなくてはなりません」
「ぐえぇ、おっかねぇ……あたし、ほむらとチェンジしていいっすか?」
「店を火事にするつもりですか? それに密閉空間で火炎魔法を使ったら酸欠で死んでしまいます。雪乃が頼りなのです。先へ進みますよ」
「うへ、もう行くんすか」
ルナは怯まず歩き出した。雪乃がそのあとをびくびくと周囲に眼を配りながらついていく。
コロンはしんがりを務めた。しばらく行くと、雪乃が歩きながら振り返って後ろのコロンを見た。
雪乃は珍しいものを見るような顔で、コロンをじーっと見つめた。意図がわからず、コロンは戸惑った。
「……あんた、よく逃げないねえ」
雪乃は手を伸ばし、コロンの頭を撫でた。
「コロンちゃんが逃げないなら、あたしも逃げるわけにいかないなぁ……」
そう言って雪乃は、前を向いた。気のせいか、雪乃の背中が、少しだけしゃんと伸びた気がした。
☆
蜂に出会うことなしに、一階奥のエスカレータに到着した。登り口のところに若い男が倒れている。
ルナが容体を調べた。顔色が悪かったが、呼吸はしていた。生きている。
背中にぽつんと血の染みがある。シャツをめくると刺された部分が直径十センチくらい赤く腫れていた。
「きゃあっ……すっごい痛そう……」
コロンは手で口を押さえた。
「命があったのは幸いですが……わたしたちでは治療ができません。早く蜂を全滅させて、医者に診せなくては……」
気の毒だが倒れた人はそのままにして、三人はエスカレータで二階に登った。
登った先の広いスペースに、六人の男女が倒れていた。まるで戦場のようで、ぞっとする光景だった。
年齢も服装もばらばらである。三人で手分けして生死を確認したが、いずれも息があった。
「死ぬほどの毒ではないみたいっすね……ああ、良かった……この人たちがみんな死んでたら、強烈トラウマっすよ……」
口をピーナッツみたいな形にして雪乃が言った。
「先へ進みましょう。わたしたちがすべきことは、早く“悪しきココロ”を倒すことです」
倒れている人たちを置いて、三人はさらに奥へと進んだ。
それからも何人も倒れている人を見かけたが、構わずに前進する。どのみち手の施しようがないのだ。黒い防弾着を着た特殊部隊らしき人たちも倒れていた。
遠くから羽音が聞こえた。数匹の蜂が、こちらを目がけて飛んでくる。
「わっ! ま、また来た!」
雪乃が冷気を吐く。蜂は容易く凍り付き、床に落ちてカシャン、カシャンと音を立て、バラバラになった。
「雪乃、ここまでガチガチに凍らせる必要はありません。先ほども言いましたが、こいつらは変温動物なのです。冷蔵庫程度まで温度を下げれば活動は止まります」
「そ、そんな器用なことできないっすよ! 言っときますけどあたし死にものぐるいっすから!」
雪乃は文句を言いながらティッシュで鼻水を拭いた。
「で、でも、さっきみたいに群れでは来なかったね?」
コロンが不思議そうに言った。ルナがハチが飛んできた方へ眼をやる。
「偵察――なのでしょうか。おそらく、巣からわたしたちの様子をうかがおうとしているのでしょう。好都合です。蜂がやってきた方向に進めば、いずれ巣にたどり着けるでしょう」
「……巣にはラスボスがいるんですよね、きっと……うう、怖えなぁ」
「何ですか、ラスボスとは? ともかく、前進しましょう」
ルナが再び歩き出す。雪乃とコロンはその後をついていった。
☆
蜂はその後も断続的に十匹くらいずつやってきた。その程度の数であれば、雪乃は問題なく対処することができた。
三人は蜂が飛んでくる方向へと進み、エスカレータを登った。
三階の駐車場フロアで一度群れが飛んできたが、最初の攻撃に比べると規模が小さかった。
しかし、規模が小さくても怖いものは怖いので、雪乃は恐怖で喚きながら冷気を浴びせた。結果、首尾よく全ての蜂を凍らせることに成功した。
「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……も、もういないっすよね……?」
肩で息をする雪乃。冷気を吐きすぎて、顔や髪に氷の粒がつき、キラキラと光っていた。
「上出来です、雪乃。偵察も群れによる攻撃も、無計画な感じがしますね。あまり知能は高くないのでしょう。さあ、進みますよ」
「ちょ、ちょっと休ませてくださいよ……群れが来たときにガス欠になったらどうするんすか……」
「これより上は四階駐車場と屋上しかありません。屋上は、ここへ来るときに上空から見ましたが、不審な物はありませんでした。巣はおそらく四階でしょう。そこを攻めればお終いです、さあ、早く片付けましょう」
「……ったく、人使い荒いったら……」
雪乃は不平を言いながらルナの後に続いた。
☆
エスカレータを登り、四階駐車場のフロアへ。
明るい店内とは異なり、アスファルトや打ちっ放しのコンクリートがむき出しで、暗い灰色の風景だ。
開店したばかりだったので、駐車場は空いており、停まっている車はまばらだった。
しかし倒れている人の数は、この階が一番多かった。車のドアの窓ガラスが割れ、車内で気を失っている人も多かった。蜂が体当たりして割ったのだろう。
倒れている人たちの中には、子連れの家族もいた。子供をかばおうとしたらしく、男の子の上に母親が被さって倒れている。コロンは胸がキュ~っと痛くなった。
「いたたた……胸が痛いよ……」
「コロンちゃん、あんま見るんじゃないよ。死んじゃいないからさ」
胸を押さえるコロンを、雪乃が気遣う。
ルナは周囲に注意を払いながら、やや歩みを遅くして前進した。
このショッピングセンターは東西に長い。順路に従い、前の角を曲がれば、駐車場の西端のはずだ。
ルナは注意深くゆっくりと角を曲がり――不意に足を止めた。真後ろをついてきていた雪乃が、背中にぶつかる。
「あたっ、どうしたんすか、ルナさん」
雪乃はひょいっと身体を傾けて、ルナの背中越しに前を見た。そして、その姿勢のまま固まってしまった。
駐車場の西の隅に、直径六メートルほどの、大きな丸い玉があった。
茶色と白の、美しいマーブル模様――超特大の、スズメバチの巣だ。
「ひゃぁっ! お、大っきい……!」
コロンも巣を眼にして息を呑んだ。耳を澄ますと、カサカサと虫の這う音が聞こえる。巣の中で無数の蜂が蠢いているのだろう。
雪乃は声も出ず、カタカタ震えていた。顔が真っ青だった。
見張り役なのだろうか、巣の周りを数匹の蜂が飛んでいる。「奴らが来たぞ」と巣の中に伝えているような気がした。
一人冷静なルナが、雪乃とコロンに指示を出す。
「……群れが出てくる前に仕掛けましょう。その方が有利です。合図したら、雪乃はわたしと一緒に巣の手前までダッシュしてください。
巣を丸ごと凍らせるつもりで冷気を浴びせなさい。巣が断熱材となって中心まで凍らせるのは無理でしょうが、中が冷えれば蜂の動きを止めることができるはずです。
コロンはここで待っていてください。目立つと狙われますから、気づかれないように大人しくしていてください」
「わ、わかった……」
コロンは真剣な顔でうなずいた。雪乃も青い顔で黙ってうなずき、どてらの袖からガムを出して、三ついっぺんに口に含んだ。
「たはは、おっかないなぁ……子供のころはプリキ○アに憧れてたけど、実際なってみると、魔法少女ってきびしーっすねぇ……」
くちゃくちゃとガムを噛みながら、泣きそうな顔で雪乃は言った。
「軽口を叩く余裕があるなら大丈夫でしょう。……準備してください、1、2の3、でダッシュします」
ルナが巣に向かい、身を低くしてスタンディングスタートの姿勢を取る。雪乃もそれに習った。
「いきます……1、2の……」
前に出した足にぐっと体重をかける。
「3!」
いっせいにダッシュ! 雪乃もその気になれば足が速い。二人は並んで走った。
巣の手前で急停止、雪乃は胸一杯に息を吸い、全力で冷気を吹きつけた。
ゴオオォォォォォォ!!
白い冷気が奔流となってスズメバチの巣に吹きつける。瞬く間に表面に氷が張った。
巣の裏側から大音量の羽音とともに蜂の群れが飛び出してきた。
雪乃は冷静に群れに冷気を吹きつけ、出てきたそばから凍らせた。凍った蜂が次々とコンクリートの床に落ち、ガラスが割れる音を立てバラバラになった。
群れは第二波、第三波と出てきたが、雪乃は落ち着いて全ての蜂を凍らせた。群れを片付けると、巣を凍らせる作業を再開する。
やがて、蜂の巣全体が厚い氷に覆われた。辺りが急に静かになり、氷が軋む、キン、キン、と硬質な音だけが、微かに響いた。
雪乃が冷気を止め、ぜぇぜぇと肩を揺らして荒い息をする。ルナが肩に手を置いて彼女を労った。
「よくやりました、雪乃。……これから巣を破壊します、気を抜かないように」
「はぁ、はぁ……りょ、了解……」
雪乃はまだ息が荒かったが、ルナは大丈夫と判断した。
蜂の巣を見上げる。ルナは三歩助走して、タッ!とジャンプした。
空中で長剣を振りかぶる。刃をいっぱいに使い、ルナは蜂の巣を氷ごと縦一文字に切り裂いた。
膝を突いて着地し、すぐに立ち上がる。巣にはザックリと縦の裂け目が入っているが、さすがに真っ二つにできるほど深くは切れていない。
ルナは、今度は横に切り裂こうと腰を低くした。その時、蜂の巣が全体にぐらりと揺れた。危険を察知したルナは、剣を構えたまま静止した。
巣は最初小刻みに揺れ、そのうち、中からメリメリと音がし始めた。内部から破壊しているようだった。
ルナが切りつけた裂け目が、どんどん広がっていく。凍り付き、あるいは著しく動きが鈍った蜂が、隙間からぼろぼろとこぼれてくる。
雪乃とルナは用心して数歩後ろに下がった。
巣の破壊は急に勢いを増した。バリバリと大きな音を立て、巣が引き裂かれていく。
やがて巣は二つに大きく割れ、自重で繋ぎ目が割けて、ごろりと転がった。
――中から出てきたのは、人間大のスズメバチが五匹、それと――牛ほどの大きさの、でっぷりと太った女王蜂だった――。
「ひぃっ……!」
雪乃が身をすくめ、息を呑んだ。ルナがそばにより、耳打ちする。
「ひるまないで。見たところ女王蜂は針もなく、攻撃能力があるようには見えません。繁殖に特化しているのでしょう。相手は五匹の兵隊蜂、あれを倒せばわたしたちの勝ちです」
「その五匹がえらい強そうなんですけど……あたしの冷気効くんすか? こいつら……」
「巣の奥に潜んで冷気を避けただけです。あなたの魔法は通用します。気をしっかり持って」
「うう……見て下さいよ、あの針。あれで刺されたくないなぁ……」
五匹は耳障りな羽音を立て、ホバリングを始めた。身体を「つ」の字に曲げ、腹部の先の針をこちらに向けている。
針は長く鋭く、手術器具のように不気味な輝きを放っている。毒がなくても急所を刺されたら死ぬ長さだ。
「コロンを襲わせてはなりません、一匹も逃がさないように」
「……了解」
コロンの名を聞いて、雪乃はキッと顔を引き締めた。
五匹の兵隊蜂が、いっせいに左右に散った。四方から二人に襲いかかる。
「喰らえっ!」
雪乃が一匹に照準を合わせ、冷気を吹き付ける。狙われた蜂は空中で凍り付き、床に落ちて砕けた。
二匹から同時に襲われたルナは、床に伏せながら針を避け、不安定な体勢で剣を振るい、一匹を両断した。
「雪乃! 上っ!」
ルナが叫ぶ。雪乃がハッとして頭上を見上げると、真上から兵隊蜂が襲ってくるところだった。
「んぎゃぁっ!」
雪乃は針を避けてのけぞり、仰向けに倒れた。なおも蜂が顔を狙って針を突いてくる。雪乃は両手で針を握って、攻撃を食い止めた。
「ぎゃあぁっ!」
暴れる蜂の針を必死で握りしめる雪乃。針先が顔の五センチ前で揺れる。
「雪乃っ!」
駆け寄ったルナが、雪乃を襲う蜂の頭部を切り飛ばした。羽ばたきが止まり、頭を失った蜂は、ぼたりと雪乃の横に落ちた。
「ひいぃ……あ、危なかった」
雪乃が急いで立ち上がる。ダメージはないようだ。
残りは二匹。警戒しているのか、二匹は並んでホバリングしており、すぐには襲ってこなかった。
ルナと雪乃は、女王蜂に背を向けている。二匹の兵隊蜂の向こうに、柱に半身を隠しているコロンが見えた。
――そうです、ちゃんと隠れていて下さい、コロン――
ルナが心の中でそう思ったその時、コロンは急に驚いた顔をして、柱の陰から飛び出した。
「ルナちゃん危ないっ! 後ろっ!」
コロンは、女王蜂の口の中から二匹の蜂が飛び立つのを見た。スズメサイズの蜂だ。
女王蜂の口の中で冷気を免れた蜂は、真っ直ぐにルナと雪乃へ向かい飛行した。
コロンの警告に、ルナと雪乃は急いで振り向いたが――間に合わなかった。ルナは胸を、雪乃は腹部を、刺された。
「ひっ……い、痛っ!……んぎゃあぁぁぁっ!!」
「くっ……ぐあぁっ!」
二人はばたばたと倒れた。耐えがたい痛みに、全身のしびれ。戦うどころか立っているのも不可能だった。
「ぐぎぎぎ……コ、コロンちゃん……!」
雪乃は激痛に堪えて顔を上げ、まだ円を描いて近くを飛んでいた蜂に、冷気を浴びせた。
二匹は凍ってぽたぽたと落ちた。雪乃はそこで力尽き、気を失った。
うつぶせに倒れたルナは、しびれる身体を何とか操って、顔を起こした。
「うう……コ、コロン……」
兵隊蜂二匹は、先ほどの声でコロンに気づき、彼女の方を向いてホバリングしていた。
コロンはガタガタ震えて、立ちすくんでいる。胸の痣は、ようやく淡い光を灯し始めたばかりだ。兵隊蜂が、飛行に備えて身体を水平にしていく。
ダメだ、間に合わない――どうすれば――
ルナが絶望感に捕らわれたとき、うつぶせた身体の下で、何かが砕ける音がした。
ハッとして、ルナはしびれる腕でゴスロリ戦闘服のポケットをまさぐった。
二匹の兵隊蜂が、ホバリングから水平飛行へと動き出す。
ルナはポケットから小さな包みを取り出し、口を閉じたリボンを引きちぎった。
今朝、コロンにもらったラスク――最後の力を振り絞り、ルナはそれを蜂に向かってばらまいた。
微かなハチミツの香りに、兵隊蜂は敏感に反応した。空中で反転し、ホバリングして匂いの元を探す。
ぽんっ!
コロンの胸から、“ココロ”が飛び出した。ルナは霞んでいく視界の中で丸い光を認め、気を失った。
ただならぬ気配を感じて、蜂が再び反転する。コロンは無表情で立っていた。頭の上では、“ココロ”が山吹色の炎を纏って、輝いている。
蜂は、本能で強敵だと察知した。タイミングを合わせて、コロンに向かい猛スピードで飛んでいく。
途中でY字に分かれ、左右から彼女を襲う。
コロンは片手で剣を、片手で矢筒から矢を抜いた。
左右から同時に攻撃する蜂を、一匹は矢を突き刺して動きを止め、もう一匹を剣で両断する。
胴体を真っ二つにされた蜂が床に落ちるよりも早く、コロンは矢を刺した蜂も斜めに切り落とした。
ドサドサと、肉の落ちる音が連続で響いた。足元を巨大な蜂の死骸に囲まれながら、コロンは剣を鞘にしまった。
女王を守る蜂は、これで全滅した。コロンはゆっくりと女王蜂に向かって歩き出した。
倒れたルナと雪乃の間を、眼もくれず歩いて行く。彼女の“ココロ”は、頭の上にふわふわと浮かびながらついてきた。
割れた巣の手前で、コロンは立ち止まった。
女王蜂は、巣の欠片と凍った蜂の死骸が散らばる中で、ただ、じっとしていた。コロンは、感情のない顔で女王蜂を見つめた。
「……お前は、攻撃する術を持たないのだな」
矢筒から矢を抜く。コロンは宙に浮く“ココロ”を突き刺し、矢に“ココロ”を纏わせた。
「しかし、ここにお前の居場所はないのだ」
弓に矢を番え、弦を引く。小さな弓が、コロンの背丈ほどもある大弓となる。
「寂滅せよ!」
コロンが矢を放った。矢は女王蜂の頭から胴を貫いた。
山吹色の炎が、女王蜂を包み込む。女王蜂はわずかに身じろぎした程度で、静かに焼き尽くされた。
女王蜂は、黒い霧となって消えた。他の蜂たちの死骸も、殻の一部だけを残し、霧となって消失した。
後には豆殻のように散らばる殻と、二つに割れた巣だけが残された。蜂の殻は薄く軽く、風が吹くとサラサラと音を立てて転がった。
コロンは弓をしまい、振り向いて、倒れたルナに歩み寄った。
肩のそばに立つと、うつぶせに倒れた彼女を、足でひっくり返して仰向けにした。
腰の剣を抜く。切っ先をルナの戦闘服の胸元に差し入れ、胸の谷間を切り裂く。
剣をおさめると、コロンは膝を突いて座った。
切り裂いた戦闘服をめくる。十二歳とは思えない豊かなルナの胸が、露わになった。乳房の上には、真っ赤に腫れた、蜂の刺し傷――。
コロンは身をかがめ、刺し傷に口をつけた。毒を吸い出し、ぺっ、と床に吐き出す。彼女は何度もそれを続けた。
「……うう……コロン……?」
ルナが眼を覚ました。しかし、まだ身体が痺れているようで、喋るのも苦しそうだった。
「……無事だったのですね……良かった……」
コロンは答えず、毒を抜く作業を続けた。
「……せっかく、コロンにもらったラスクを、ばらまいてしまいました……申し訳ないです……」
コロンは、ぺっ、と血を吐いた。口の周りが、赤く汚れていた。
「……あれは、パンの耳があれば、また作れる」
そう言うと、コロンは、またルナの胸に屈んだ。ルナの頬を、涙が伝う。
「……では、また……作ってください……」
コロンは「わかった」と答えたのだが、その声が届く前に、ルナはまた気を失った。まだ毒が効いて苦しいはずだが、その顔は安らかだった。
ルナは、夢を見た。子供のころの夢だった。
母の膝枕で、ルナは眠っていた。修行には厳しい母だが、ときどき、母は優しくしてくれた。
髪を撫でられ、ルナは心地良い眠りに落ちる――。




