【15】可愛らしい影武者たち
三限目、クラス担任の青山による国語の授業中、あと十分で休み時間という時刻に、月子が「先生」と言って手を上げた。
「何だ? 月影」
月子は立ち上がり、「トイレに行ってきます」と言って、青山の返事も待たず教室を出て行った。
教室は十秒ほど時間が止まったようになったが、青山は何事もなかったように授業を再開した。
五十嵐シンディーが「せんせー」と言って手を上げる。
「五十嵐、トイレなら授業が終わってからにしろ」
「何で月子はよくてあたしはダメなのよっ!」
シンディーが喚いて抗議する。
こころは、(ひょっとして、“悪しきココロ”かな……)と思ったが、確かめる術もなく、大人しく授業を受け続けた。
授業終わりのチャイムが鳴る。月子はまだ戻らない。
んーん、と背伸びをしたこころは、太ももの辺りで何かが動くのを感じた。
「ん? 何?………っ!!」
こころは声を呑み込んだ。黒猫のキーホルダー、ミーが太ももの上からこころを見上げていた。鞄にぶら下げていたヒモは外れている。
ミーはパチパチとまばたきすると、太ももから飛び降り、ピューッと教室の外へと走っていった。足元をすり抜けられたクラスメイトが驚いて叫ぶ。
「きゃっ!? な、何!? ネズミ!?」
(あわわ、やっぱりただのキーホルダーじゃなかったよ)
こころはミーを追って教室を出た。廊下で左右確認すると、ミーは階段へ曲がる角のところから顔をのぞかせ、こころを待っていた。
追いかけて階段を登り、廊下を走って行き着いた先は、普段あまり使われることない視聴覚室の前だった。
「はぁ、はぁ……追いついた……」
ミーはドアの前にちょこんと座ってこころを見上げている。入れってことなんだろうな、と思って、彼女はドアを開けた。鍵はかかっていなかった。
「あ、月子ちゃん……へ? あれれ!?」
視聴覚室には――月子が二人いた。
一人は制服を、一人はゴスロリ戦闘服を着ている。服は違えど、顔かたちと背格好はそっくりだった。
「ふわぁ、月子ちゃんが二人いるよ」
こころは二人に近づいてみたが、近くで見ても区別がつかなかった。
「初めまして、こころ様。わたしは“キツネ”と申します。月子様の影武者ですわ」
制服の方がそう名乗ったが、声もお嬢様っぽいしゃべり方も、全てがそっくりだった。
キツネは両手を耳の前に当てると、カパッと顔を外した。月子の顔そっくりな面が外れて、現れたのは柔和な笑顔の美少女だった。
キリッとした月子とはタイプの異なる顔立ちだ。しかし再び面をつけると、月子そっくりになった。
面はまるで肌に溶け込むようで、縁も見えず厚みも感じられない。表情の動きも全く自然だった。
「すごーい、あたしでも見分けがつかないや……あ、月子ちゃんがその服ってことは、“悪しきココロ”が現れたってこと……?」
戦闘服の月子がうなずいた。
「そのとおりです、コロン。まだ確証はありませんが、シオンショッピングセンターで“悪しきココロ”が関与しているのではないかと疑われる事件が起こったそうです。すぐにそちらに向かいます」
「あ、あたしにも影武者さんがいるの?」
「いいえ、あなたにはもっといいものがあります。キツネ、お前はもう教室に戻れ。次の英語は出席番号からして当てられる可能性が高い。掃除は玄関の係だ」
「承知しました」
キツネは視聴覚室を出て行った。普段からよほど訓練しているのか、ピンと背を伸ばした歩き方までそっくりだった。
ルナは机の上で置物みたいにじっとしていたミーを、うなじをつかんでつまみ上げた。
「この子の名前の『ミー』は、『ダミー』の『ミー』なのです。コロン、ミーに“ココロ”を吹き込んでください」
ルナが手を伸ばし、ミーを差し出す。コロンは手のひらを出して、ミーを乗せた。
「コ、“ココロ”を吹き込むって、どうやるの? 魔法解除もしてないのに……」
困り顔をするコロンに、ルナは微笑んだ。
「大丈夫です。魔法解除していなくても、あなたは多少なら“ココロ”が操作できるはずです。意識するだけでよいのです。ミーに“ココロ”を注ぎ込むつもりで、息を吹き込んでください」
「よ、よくわかんないよ~!」
「やってみればわかるはずです。わたしは後ろを向いていますから」
ルナはくるりと後ろを向いた。耳を動かせない人が耳を動かせと言われたみたいに、コロンはさっぱり要領がつかめなかった。ルナが後ろを向いている理由もわからない。しかし、やらないと前に進まないので、取りあえずチャレンジすることにした。
手のひらを顔の高さに上げる。ミーはこっちを向いてじっとしていた。
吹き込むって、口に吹き込めばいいのかな……? え~と? “ココロ”を注ぎ込むように……?
“ココロ”を注ぐイメージを思い浮かべながら、コロンはミーにキスをした。
ふ~~~……と、長く息を吹き込む。ミーは風船ガムみたいに、ぷく~っと膨れた。
膨張速度はどんどん早くなり、コロンの肺活量を遥かに超えて膨らんだ。
ミーはだんだんと肌色に、人間の形になり――もう一人の、素っ裸の「コロン」が出来上がった。
それは風船みたいにふわふわしたものではなくて、しっかりと女の子ひとり分の体重を備えた、完璧なコピーだった。
「……あ……ん?……えっ!? きゃ、きゃぁっ! あ、あたし裸っ!?」
ミーが慌ててしゃがみ込む。どうやら記憶や性格など、中身までそっくり同じらしい。
「わ、す、すごい! あたしそっくり! で、でもあたし裸んぼだよ!? ル、ルナちゃん! 服ないの!?」
自分そっくりな女の子が裸でいるのは、自分が裸なのと同じである。誰が見ているわけでもないが、コロンはミーに身体を被せて身体を隠した。
「分身の作製は成功したようですね。コロン、ミーは制服を着て戻らなくてはなりません。あなたの服を着せてください。あなたには戦闘服を用意してあります」
背を向けたままルナは言った。コロンの顔がカ~ッと赤くなる。
「あ……そっか、今度はあたしが裸んぼにならなくちゃならないんだ……」
「急いでください、恥ずかしがっている場合ではありません」
「う、うん、そうだよね」
コロンは急いで制服を脱ぎ始めた。ミーがしゃがんでそれを眺めている。
「わー、あたしが視聴覚室でストリップしてる……何かドキドキするね」
「も、も~、ミーちゃんそんなこと言わないでよぉ……はい、制服。早く着て」
「って、ブラくれなきゃ着れないよ」
「あ、そっか……ってことはあたしが先ずすっぽんぽんになんなきゃいけないんの!?」
「そうそう、早く脱いで、にへへ」
「あ~ん、恥ずかしい……」
「ぺちゃくちゃ喋ってないで早く服を換えてください!」
ちょっと顔を振り向けてルナが怒鳴った。全裸のミーと半裸のコロンがわずかに視界に入り、ルナは鼻血が出そうになった。
「ぬ、脱ぐから! ルナちゃんこっち見ないで!」
背中で衣擦れの音を聞きながら、ルナは胸の鼓動が激しくなるのを感じた。
「ミ、ミーちゃんごめんね、こんな、あたしが脱いだパンツなんか……」
「ううん、全然平気だよ、自分のだもん。わ、あったかい」
「ちょ、も~、ミーちゃんったら、恥ずかしいよぉ!」
「わ~、人肌のパンツはくのって変な気持ち~! 変態さんみたい」
「も~、やだぁ、ミーちゃんったらぁ」
「うふふ、でもあったかくて気持ちいいよ」
「ふふ、も~」
「自分とイチャついてないで早くしてください!」
ルナが激しく突っ込む。コロンとミーが「てへ」と揃って舌を出した。
「ごめんごめん。あのね、ルナちゃん、あたし、ミーちゃんとすっごい気が合うと思う」
「そりゃそうそうでしょ自分なんだから!」
ルナは鋭く突っ込んだが、そうと決まったものでもないな、と思い直した。
例えばこれが、人格に劣り容姿も優れない人物だったらどうだろう? 録音した自分の声を聞くと気持ち悪く聞こえるように、分身に対し嫌悪感を持つのではないだろうか?
そう考えると、自分の分身を好きになれるのって、すごいことなのかもしれない。人柄が良く容姿も可愛らしいコロンだからこそだ。
ルナが注意したにも関わらず、背後ではラブラブな二人の会話が続いている。
「はい、ブラ」
「おほほ、あったかいよ~。よっと……お、ぴったりだ」
「当たり前だよぉ、自分のなんだから」
「へへ、わかってて言ったんだよ~」
「も~、ミーちゃんったら」
「えへへ、今度はコロンが裸んぼだ~」
「やぁん、恥ずかしい……」
「恥ずかしくないよぉ、見てるの自分だもん。コロンの身体、きれいだよ」
「も~、自分の身体でしょ~、そんなに見ないで~」
「うふふふ」
「やぁん、うふふ」
ルナはもう突っ込む気力をなくした。こんなに変身がもたもたした魔法少女が他にいるだろうかと思った。
「……コロン、いま裸ですね? ついでに魔法解除をしましょう」
「えっ!? は、裸で?」
ルナの背中にコロンは言った。胸と大事なところを手で隠す。
「魔法解除の前にすることがあるでしょう。裸のほうが都合がいいです。ミー、コロンの身体にある星形の痣を探してください」
「はーい、って、もう見えてるよ。首筋だよ」
「首筋ですか、まあまあですね。わかりました。コロン、そこでしたら戦闘服を着たまま魔法解除できます。そこにあるバッグを開けてください」
何が「まあまあ」なのか突っ込もうかと思ったが、休み時間は限られているので、コロンはスルーすることにした。
「これだね、開けるよ」
アタッシュケースを開けるとロリータファッション戦闘服が這い出てきて、コロンに着られた。念のため述べておくが、ノーパンではなく、ドロワーズをはいている。
「わぁ、自分が着てるとこ初めて見た。可愛いね、この服」
「そう? 似合ってる?」
「うん、似合う似合う、すごい可愛い」
「へへ、照れちゃうよ」
「うふふ」
「ふふっ」
これから戦闘だというのに脱力感を感じつつ、ルナは振り向いた。コロンは戦闘服、ミーはコロンが着ていた制服に着替えている。
「よろしい。では、魔法解除をしましょう。コロン、そばへ」
「はい」
コロンがルナに寄り添う。コロンがチラッと横目でミーの様子をうかがうと、彼女は両手をグーにしてわくわく顔をしていた。初めて見る自分の変身シーンに、とても期待しているようだ。
「コロン、いきますよ」
ルナは戦闘服の胸に空いた穴から、ハート型の痣に手を当てた。首を傾げて、首筋を覗き込む。
コロンの首は、白くて、肌が滑らかだ。幼いながらも妖艶さを秘めていて、ルナはごくりと生唾を飲んだ。
「で、では……」
ルナは少し緊張しながら、首筋に唇を近づけていった。
「わ、わひゃっ……!」
コロンが身を引いてルナの唇を避けるような仕草をした。ルナは傷つきそうになったが、この前のイカ戦のことを思い出した。
「コロン、くすぐったいのですか?」
「そ、それもちょっとあるけど、な、なんか……」
いつの間にか、コロンの顔が真っ赤になっていた。
「なんかって、なんですか?」
「エ、エッチくて……これ、もっと大人になってからすることのような気がする……」
「少女じゃなくなってるでしょうが、それじゃ!!」
ルナが強めに突っ込んだ。しかし、首筋に口づけるということに、予想以上にディープな艶めかしさを感じているのは、彼女も同じだった。
「フィクションの魔法少女は危機が迫ると素早く変身するのに、何でわたしたちはこうモタモタと……コロン、恥ずかしがっている場合ではありません。他に方法はないのです。いきますよ」
「う、うん……頑張る」
何を頑張るのかよく分からなかったが、ルナは気を取り直して、唇を首筋へと近づけていった。
「うひゃっ……ふわっ……んにゃあっ……」
ルナが近づいてくるにつれ、いい匂いがして、長い髪が首筋に触れ、温かい吐息を肌に感じる。コロンはそのたびに甘ったるい声を漏らした。ミーはドキドキしながらその様子を眺めている。
「んっ……!」
ルナの唇が、首筋に触れた。不思議な感覚が、コロンの身体を通り抜ける。
「あっ……あぁっ……!」
ほのかな光がコロンの全身を包む。ゆっくりと輝きが収まると、コロンの髪はピンク色の長いツインテールになっていた。
「ふわあ……なんとか変身できたよ」
「ふう……もっとすんなり変身したいものですね……」
ルナは安堵の溜息をついた。ミーは頬に手を当て、顔を赤くしている。
「ふわ~、見ててドキドキしたよ~。恋人同士みたいだった」
恋人といわれ、コロンもルナも、ボン! と顔を赤くした。
「こ、言葉を選びなさい、ミー!! こ、恋人などと……恋人……恋人に見えましたか……恋人に……うひひ」
「ルナちゃん! 顔緩みすぎ!」
恵比寿みたいな目になっていたルナに、コロンが強めに突っ込む。我に返ったルナは、シャキッと背を伸ばした。
「コロン、準備は整いました。これから戦いの場へ向かいます」
「は、はいっ! ルナちゃん!」
ルナの顔にいつもの凜々しさが戻っている。コロンも気を引き締めた。
ルナは視聴覚室のカーテンをめくり、ガラス窓を開けた。
「わたしたちはもう出動します。ミー、出たら窓を閉めて鍵を掛けてください。アタッシュケースも隠して」
「はい、了解しました」
ピシッと敬礼するミー。ルナはむかつくけど可愛いなと思った。
胸のリボンを解く。リボンはシュルシュルと巻いて渦巻き形の円盤となった。コロンと二人でそれに乗る。
ルナは腰に付けたパラソルを取り、頭の上に差した。おもちゃみたいに小さな傘が広がり、ホウセンカの種袋のような形になって二人を包み込む。そして、ふっと消えた。
「わっ、見えなくなっちゃった、すごーい」
ミーがのんきに手を叩く。
「それでは、ミー、後を頼みます」
「いってきまーす」
何もない空間から声だけがした。
「いってらっしゃい、コロンもルナちゃんも気をつけて」
肌に風を感じた。姿は見えないが、空気の動きで二人が窓から飛んでいったのが、ミーにはわかった。ミーは窓の向こうの見えない二人に向かって手を振った。
しばらくそのまま青い空を眺めていたが、授業開始のチャイムにハッとして、ミーは慌てて窓を閉め、教室へと駆けていった。
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