第十四章 初めてのデート
その日のラウンジの営業が終わる頃。
時計は、もう深夜を回っていた。
店内に残っている客も少なくなり、スタッフたちが片付けを始めている。
俺は何度も迷っていた。
声をかけようか。
やめておこうか。
今日は久しぶりにつづみに会えた。
それだけで十分なはずだった。
なのに――。
このまま帰るのは、少しだけもったいない気がした。
「……あの」
俺が声をかけると、つづみが振り向く。
「はい?」
「このあと、もし時間があったら……少しどこか行かない?」
つづみが目を丸くした。
「このあとですか?」
「うん。無理なら全然大丈夫だから」
すぐに答えは返ってこなかった。
沈黙が続く。
俺は断られると思った。
やっぱり迷惑だったか。
そう思いかけた、そのとき。
「……行きたいです」
「……え?」
「行きたいです」
つづみが小さく笑う。
「ちょっとだけなら」
その言葉を聞いた瞬間、胸が跳ねた。
「じゃあ、行こう」
「はい」
店を出る。
深夜の街は、昼間とはまったく違う顔をしていた。
人通りも少なくなっている。
昼間は明るかった店の明かりも、一つ、また一つと消えていく。
「この時間だと、開いてる店あんまりないですね」
「そうだね」
スマートフォンで店を探す。
いくつか候補を見つけても、営業時間が終わっている。
「ここも閉まってる」
「こっちもですね」
「……思ったよりないな」
二人でスマートフォンの画面を覗き込みながら、思わず笑う。
「なんか、探してるだけで時間過ぎちゃいますね」
「確かに」
結局、遅い時間まで営業している店を探しながら、二人で歩くことになった。
隣を歩くつづみを見る。
ラウンジでは何度も見てきた。
それなのに。
こうして店の外を二人で歩いているだけで、妙に新鮮だった。
「なんか、変な感じですね」
「何が?」
「こうやって二人で歩いてるの」
「……俺も思った」
普段はラウンジで会っている。
店員と客。
それが二人の関係だった。
でも今は違う。
仕事でもない。
誰かに気を遣う必要もない。
ただ、二人で夜の街を歩いている。
それだけなのに。
少しだけ特別な時間に感じた。
「ここ、まだ開いてるみたい」
つづみがスマートフォンを見ながら言う。
「本当だ」
「入りましょう」
二人で店に入る。
遅い時間だからか、店内は静かだった。
棚に並んだ商品を見ながら、つづみが店内を歩いていく。
「何か欲しいものある?」
「え?」
「せっかくだし」
「いや、大丈夫ですよ」
「遠慮しなくていいって」
つづみが少し困った顔をする。
「でも……」
「いつも頑張ってるし」
「……」
「これくらいさせてよ」
つづみはしばらく考えてから、商品を見て回った。
そして、化粧品のコーナーで足を止める。
「あ……」
「どうした?」
「これ、ちょっと気になってたんです」
つづみが商品を手に取る。
「じゃあ、それにしよう」
「え、本当に?」
「うん」
「でも、高いですよ?」
「大丈夫」
「……ありがとうございます」
つづみは嬉しそうに商品を見つめた。
その笑顔を見ていると、俺まで嬉しくなる。
「これ、大事に使います」
「そうして」
「ありがとうございます」
「そんなに何回もお礼言わなくていいよ」
「だって……」
つづみが少し恥ずかしそうに笑う。
「嬉しいから」
その言葉に、俺も少し照れた。
「そっか」
「はい」
買い物を終えて、二人で再び夜の街を歩く。
さっきまでのぎこちなさが、少しだけ消えていた。
「今日、楽しいですね」
「うん」
「こういうの、初めてですよね」
「俺たちが?」
「はい」
つづみが笑う。
「ちゃんと二人で出かけるの」
「……そうだね」
ラウンジで会ったことは何度もある。
でも、店の外で二人きりで過ごしたことはなかった。
今夜が初めてだった。
仕事でもない。
客と店員でもない。
ただの男女として、同じ時間を過ごしている。
そんなことを考えていると。
「……デート、なのかな」
つづみが小さく呟いた。
「え?」
「なんでもないです」
「いや、今デートって言った?」
「言ってません」
「言ったよ」
「言ってないです」
「絶対言った」
「言ってませんって」
つづみが笑う。
俺も笑った。
くだらない会話。
それなのに、楽しかった。
こんなふうに笑ったのは、久しぶりな気がした。
時間は、あっという間に過ぎた。
駅へ向かう道で、つづみがふと立ち止まる。
「今日は、ありがとうございました」
「こちらこそ」
「本当に楽しかったです」
「俺も」
少しだけ沈黙する。
帰りたくない。
そう思った。
でも、今はこの時間を大切にしたかった。
「また……こういうのしたいですね」
つづみが言う。
その言葉に、胸が熱くなる。
「うん。また行こう」
「はい」
つづみが笑った。
その笑顔は、ラウンジで見るものとは少し違っていた。
仕事のときに見せる笑顔じゃない。
もっと自然で。
少し照れていて。
18歳の女の子らしい笑顔だった。
俺は、その表情を見ながら思った。
――やっぱり、この人が好きだ。
でも、今はそれを口にしなかった。
告白を急がない。
彼女を困らせない。
ただ、今日みたいな時間を少しずつ増やしていく。
それでいい。
つづみも、家へ帰る道で今日のことを思い返していた。
ラウンジの外で、蓮と二人で歩いたこと。
一緒に店を探したこと。
化粧品を買ってもらったこと。
くだらない話で笑ったこと。
そして――。
「……楽しかったな」
自然と笑みがこぼれる。
恋人ではない。
まだ、付き合ってもいない。
それでも。
今日の時間は、今までとは違った。
蓮の隣にいることが、心地よかった。
もっと一緒にいたいと思った。
もう一度、こういう時間を過ごしたいと思った。
そんな気持ちを、自分ではまだ認めきれない。
それでも――。
今日の夜が楽しかったことだけは、嘘じゃなかった。
二人は、それぞれの家へ帰る。
同じ夜を過ごしたのに。
まだ恋人ではない。
まだ答えも出ていない。
それでも。
離れていた二人の距離は、確かに少しだけ近づいた。
ぎこちなく始まった、二人にとって初めてのデート。
それは――。
思っていたより、ずっと楽しい夜になった。
そしてこの夜を境に。
二人の中にあった「会いたい」という気持ちは、少しずつ「また会いたい」という確かな想いへと変わっていった。:::




