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第二事案:後夜祭(一)

 五月に亡くなった妻のふりをして、誰かが嫌がらせをしてくる。

 通報は市内在住の会社員からのもので、要約するとそういうことだった。

「通報のたび、警察のほうで見回りはしてくれているようですが、何も見つからないし、通報は繰り返すようなので、まあ、何か変だなーとなりまして」

 俺の指示どおり水分を摂りながら、龍狩さんが言った。頷いて返す。

「夫に殺された妻が無念を晴らすために化けて出ていますね」

「……逸軌さん、ネットで怪談、読みました?」

「夢に出るほど読みました」

 最初の仕事から帰宅してすぐ、読み漁った。これまでの人生、せいぜいホラー映画や心霊番組をなんとなく観る程度で、ろくに触れてこなかった分野だ。勉強という意味でも、耐性をつけるという意味でも、仕事で出会うものと「似たような話」があるなら触れて損はないと思った。

「怪談は面白いと思えるくらいでやめといたほうがいいですよ」

 幾分顔色のよくなった龍狩さんが苦笑する。もう一度頷いて返した。

「おっしゃることは十分に、十二分にわかります……」

 縦に振る首に実感の重みが乗ってしまった。

 現実におばけを見る前であれば、これほどには怖がらず、ただ楽しめただろう。前任者との酒の肴にしようと、嬉々として調べまわった可能性すらある。しかし「おばけはいる」と知ってしまった今は、怖くなかったものまで怖くなってしまっていた。

「ただ、勉強になることも多いですし……」

 調べてみると、龍狩さんの言っていたとおりネットには前回の事案に感触の似た怪談話があったし、今回の事案に似たような話は唸るほどあった。過去の報告書と照らしても参考資料としての価値がある。真剣に学ぶ動機としては十分だ。

 しかし、ここまで必死になって読んだのには別の理由があった。

「……過去の事案にありましたよね。うちの調査をきっかけに殺人犯が捕まったことが」

 「怪現象をきっかけに事件が解決した」なんて内容の怪談をちらほら見かけたものだから、まさかと思って事務所の綴をひっくり返してみれば、現実にも似たようなことが起きていた。数こそ多くはないものの、特殊環境問題を調査した結果、刑事事件が解決したという事案がたしかに存在していた。

 そのきっかけとなっているのは、どれも今回のような幽霊騒ぎだ。

「異動しても自分は刑事のつもりです。事件解決の力になるなら、悪夢くらいなんてことはありません」

 特環の係員としての自覚が足りない、と言われてしまうかもしれないが、譲れない部分だ。正直に言い切り、沙汰を待つ。

「あったことは、ありましたけど……」

 返ってきたのは否定や嗜めではなく、やんわりした相槌だった。笑っていいのか、褒めればいいのかわからない顔をしている。龍狩さんは飲みかけの水をテーブルに戻して、膝に腕をついた。俺の考えなどお見通しなのだろう。視線をパソコンの画面に投げる。

「そういうのって、だいたい最初から事件化してるんですよね。不審死として、原因は何だ、犯人は誰だ、って」

「………」

 今回は病死ということになっているらしい。妻は出先で倒れて病院に搬送され、そのまま亡くなったそうだ。医者の調べでも不審な点はない。当時、本件の通報者である夫は商談中で、死に目に間に合わなかったという。これは状況的にやむを得なかったと結論が出ている。夫婦仲もすこぶる良好だったと近隣住民も話している旨が、通報を受けた部署の捜査結果として報告書に記載されていた。

 龍狩さんの経験から考えれば、今回は「事件解決」が必要な案件ではないということになる。

 だが。

「誰も疑わないからこそ、ということもあるのではないでしょうか」

「うぅん……一理ある気がしてきますね」

 嘘くさい。やる気を出している新人の熱意に水を差していいものかと迷っているのが、透けて見えた。笑った唇の形は、優しい。俺のじとりとした視線に気づいたようで、ペットボトルで隠した。水が跳ねる。

「龍狩さんは今回の件、どう考えているんですか?」

「私は、ほら。よくわからないなあ……と」

 ははは。

 例によってこれだ。ひょっとしたら先入観を持たないようにしているのかもしれないが、仮説くらい立ててもいいのではないか。向ける眼差しが、自然とぬるくなる。黒い眼がちらりとこちらを窺い見た。視線がぶつかり、押し返されるようにパソコンに戻る。そうしてやっと、「それに」と言葉を足した。

「犯人がいるとして、人間の事件を捜査するのは、警察の仕事ですしね」

 暗い瞳の奥がひんやりと閃く。

「——」

「さすがに、何か決定的な証拠とかそういうものが出れば、特環事案でもそうじゃなくても、共有はしますけど」

 私たちの仕事は、おばけに対処することですから。

「………」

「基本的には倫理的にいいか悪いかって話は、考慮の外なんですよ」

 つまり、被害者であっても、有害なおばけであれば通常通り対処する、ということだ。仮に今回の幽霊が夫に殺された妻だとしても、無念を晴らそうとしていても、生きている夫が困っているなら処理する。

 当然といえば当然のことに気づいて、ぐっ、と胸が苦しくなった。

 返事をしかねていると、龍狩さんが言葉を続けた。

「そういうのがしんどいようでしたら、今回は私一人で大丈夫ですよ」

 静かな眼が俺を観察する。

 言葉は気づかいの形をしていたが、その意図がそう単純なものではないことはいい加減わかっていた。

 線を引かれている。

 この男が不意打ちで露悪的な物言いをしてくるのも、そのあとに気づかいらしい台詞を吐くのも、俺との間に線を引くためのパフォーマンスにちがいなかった。追い払おうとしているのか、試そうとしているのか、はたまたこの仕事に深入りさせない配慮なのかは不明だが、素直に引き下がる気はない。

 しっかりと見つめ返す。

「いや、いきます」

 方針に文句はない、という顔をして見せる。

「……そうですか。では、今回もよろしくお願いします」

 薄い笑みと、軽い会釈。相変わらず手応えがない。押したぶんだけ、やんわりと受け入れられている。

「よろしく、お願いします……」

 わかりやすく嫌がってくれたほうが、まだましだった。足手まといだと邪険にされたのならば努力の原動力にできただろう。こうして諾々と許容されるのはかえってしんどい。

 自分が現場の構成要素のひとつとして処理されているようで、虚しかった。

 腹の底から息を吐く。お客様扱いは応えるが、それしきでへこたれるような鍛え方はしていない。膝の上で拳を固めた。

「……ということですので、話を続けますが」

 ここで萎れるほど素直なら、異動などしてこない。新人らしく、食い下がることにする。

「自分は奥さんの無念を晴らしたいというだけで、事件性について云々しているわけではなくてですね」

 言いながら、自分でも説得力のなさを感じた。正直にいうなら死者に無念があるなら晴らしたい。もっというなら悪人には罰を受けてほしい。感情面ではそれが一番大きい。龍狩さんも、見るからに信じていない。それでも真面目な顔で耳を傾けてくれる様子が逆につらい。しかしどちらも今は置いておく。置いて、胸を反らした。

「怨みがあるかないか——おばけに他者を攻撃する気があるかないかで、対処が変わってきますよね?」

 読みあさった報告書から得た情報だ。頭に詰め込んだのはネット怪談だけではない。

 つり眼が瞬くのを見ながら続ける。

「害獣は『潰す』で、現象は『消す』なのには、何か理由があるんですか?」

 黒い瞳が人工的な光を返す。鋭い眼が丸くなっていた。

 どうだ。

「……報告書、丁寧に読んでくださったんですね……」

 そこか。

 想像以上に期待されていないことがわかってしまった。めげない。

「読みますよ。自分のために書いてくださったわけですからね」

 暗に、俺はもう身内だぞ、あなたの相棒だぞ、と示してみる。なるほど、と頷かれる。

「その辺は、あんまり気にしなくて大丈夫ですよ。完全に私の感覚の問題ですから」

 通じていない。雑に流そうとする。黙って続きを待つ。

「………」

「………」

 空調の低い唸りが、狭い事務室を満たす。

「………」

「………」

 テーブルではノートパソコンのファンが回りだした。龍狩さんは呻きだす。俺が納得していないことは伝わったらしい。両手がふらふらと空気を丸めるような動きをした。何を示そうとしているのか、眼を凝らす。

「……なんか、害獣……攻撃するつもりのあるおばけ、って、がっしりしてるんですよ。で、現象のほうは、ふわっとしてます。そういうとこで、表現というか、やり方というか、ちょっと差があるというか……」

 本当に感覚的な話だった。

 曖昧な手振りは何かを形作ることなく解けてしまう。おそらく、何を表現したかったのか本人すらわかっていない。「これで許してくれ」と言いたげに首をすくめている。

「……もう一歩、もうひと息、わからせてくれませんか……」

 だめ元で食い下がってみる。痩せた首がふらふらと倒れる。前、後ろ、前、横。一応、考えてくれているらしい。大人しく待っていると、回されていた首は最後に天井を仰いだ。背もたれに後頭部が乗る。

「……焚火は踏み消す、灯火は吹き消す……という感じかなあ」

 想像する。

「どうですか?」

 理解し難い。

 が。

「なんとなくは……わかった、ような……気がします。気持ちの問題ですが」

「十分ですよ。私も、そのくらいしかわかっていません」

 ははは。

 自分のしていることだというのに、諦めて、割り切っている。俺もいつかこの境地に辿り着けるのだろうか。自信がない。

「まあ、対処のちがいはそんなところで」

 痩身が再び前のめりになった。萎れた植物に似ている。やる気よりも、気だるさが目立った。

「害獣か現象かの判断の前に、なんですが」

 痩せた指を二本立てる。ピースだ。

「幽霊騒動って二種類に分けられまして」

 どうやら、よくわからないなりに指標を示してくれるらしい。追い払おうとはするくせに、俺も行くと決まればちゃんと仕事の説明をしてくれる。根が真面目なんだろうな、と思う。背筋を伸ばし、傾聴の構えを取った。龍狩さんは俺の姿勢にはあまり興味がなさそうだった。

「おばけが出ている気がするだけか、おばけが出ているかです」

 指が順番に存在を主張する。ぱたぱたと冷えた空気をかき回した。

「…………ほかの事案もそうですよね?」

 拍子抜けして問い返すと、龍狩さんは空気を切るように細い指をちょきちょきと遊ばせた。

「そうなんですけど、ほかの事案だと『超常的なものが出た』っていう直球の通報、実はあんまりないんですよね」

「たしかに」

 過去事案を見て感じたことだ。最初はだいたい、日常に混じった些細な違和感から始まる。しかし、今回はそうではない。

 亡くなった妻の姿をしたものが——幽霊が現れている。

「……となると、正体がおばけかどうか、ではなく、おばけの正体が何なのか、という話になるわけですね」

「そうです、そうです」

 鋭い瞳が笑みの形を作った。

「こういう場合って、何かが偶然おばけに見えていた、っていうことはほぼほぼないです。通報者の言うような誰かの嫌がらせか、本当におばけが出ているか」

 そこで龍狩さんは指をもう一本立てた。

「通報者の気持ちの問題か」

 気持ちの問題、と言われると真っ先に「罪悪感」を連想してしまう。罪の意識は人の挙動を簡単に狂わせる。通報者犯人説に気持ちがいっそう傾く。

「……聞き込みが大事になりそうですね。誰が、何を、どう見たのか」

 先入観が強まってしまったのを隠して、当たり障りない相槌を打った。ごまかされてくれたのかどうか、龍狩さんはゆるく頷く。

「基本はほかの事案と同じですけどね。関係者に話を聞いて、目撃情報を辿って、原因を探します。で、おばけなら私たちで対処すると」

 刑事の捜査とやることはそう変わらない。人の代わりに、おばけを警戒する。そのおばけの正体がなんであろうと、出れば対処する。

 ふと、涙ながらに無念を訴える女性が頭に浮かんだ。打ち消した。怪談話は案外、勧善懲悪のものが多かったな、と思った。

 龍狩さんが腰を浮かせる。

「というわけで、必要な事前準備は特にないです。出発時間まで、のんびり仕事していてください。今日も歩きますから」

「あ、すみません」

 説明が終わったのを感じて、慌てて呼び止める。暗い瞳がこちらを向く。

「もうひとつ、聞いても?」

「なんでしょう」

 再び、腰を落ち着ける。持ち上げかけたパソコンを机に戻す。ソファベッドが軋んだ。固いくせに、くたびれている。

「好きじゃないのは、どちらですか?」

 本当に出ているのと、気のせいなのと。

 害獣と、現象と。

「え?」

 そんなこと言ったっけ、という顔だ。とぼけているのかと思ったが。

「ああ……」

 言ったな、という顔になった。言ってしまったな、という顔に。熱中症が、あとを引いているようだ。ちゃんと回っていないらしい頭を軽く下げてくる。項垂れるついでのような仕草だった。

「余計なこと言って、すみません。不安にさせましたよね。土地のものと相性が悪いとか、不利とか、そういうのじゃないので、大丈夫ですよ」

 ほんのりと、線を引かれた感覚があった。露悪的になるときとはちがって、このやんわり遠ざける感じを出されると逆に踏み込むのをためらってしまう。踏み荒らしたくて聞いたわけではなかった。

「……それもありますが、それだけじゃないです」

 結局、どちらとも取れる言葉を吐く。卑怯な気もしたが、判断を委ねた。話すか、隠すか。

 無言のまま、暗い瞳は俺を見つめた。ふっと逸れる。机の上に並ぶペットボトルを順繰り眺める。ごまかし方を考えているのかもしれない。

 と、思ったのだが。

「……どちらが好きじゃない、というわけでもなくて、なんというか……」

 言い淀んだ。その口ぶりは、いつもの、よくわからないが故のものとは少しちがって聞こえた。睫毛が照明の光を遮り、黒い瞳に濃い影を落とす。

「……関係者が感情的になるでしょう、こじんが絡むと」

 こじん。個人、いや。

「——、そう、ですね」

 故人か。

 俺がいつも使っていた「被害者」とはなんとも、印象がちがう。

 乾いて、寂しげだった。

「関わり方に、迷うんですよねえ」

 告げられた理由は、思いのほか感傷的だった。虚を突かれて、尖った横顔を見つめる。龍狩さんはへらへらと笑った。

 生きた人間の悪行は視界の外で、死者を寂しい言葉で呼ぶ。

 この人は刑事ではないのだな、と今更のように思った。

 礼を言うと、そこで事前の打ち合わせは終了になった。出発までまだ時間がある。おばけの正体が人間なら、刑事としてやることは決まっている。おばけが出ている場合に備えて、過去の報告書を読み込むことにした。

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