なんでもっとしろうとおもわなかったんだろう
「大丈夫?」
冷たい雨が降り注ぐ夜、ボロボロの段ボールで雨を凌いでいる小さな龍を心配するような声が聞こえた。
「……なに」
「こんな夜中に貴方みたいなちいさな子が座り込んでいたらそれは心配するでしょ」
「……そうだね」
「傘あげるから立って」
「……なんでやさしくするの」
「どういう意味?」
「ぼくをみるひとたちは、みんなつめたいめをしてた。ぼくにやさしくしてくれたのは、おねーさんがはじめてだよ」
「そうなんだ。まさかずっとここに? しばらく雨だったけど」
「そのまさかだけど」
「風邪ひいてない?」
「ひいてない、へいき。もういちどきくけど、なんでぼくにやさしくするの」
「それは……まだ言えないかな」
「そんなこといって、ぼくがかんたんにおねーさんのことをしんらいするとでもおもってる?」
「明らかに面倒ごとなのに、声をかけてきた。裏があるとしか思えない、って顔してるね。ただお姉さんは人助けをしたいだけなんだよ」
「………」
ぐぅぅ、と龍の腹が鳴る。
「とりあえず、一緒においで」
龍は空腹には勝てず、年頃の娘から差し伸べられた手を恐る恐る手に取って、ついていくことにした。
「お肉、おいしい?」
「……おいしい」
「好きなだけ食べて良いよ、お金はあるから。それで、どうしてあんな所に?」
「………すてられた」
「……もしかして、お父さんとお母さんに?」
「あいつら、ぼくのおとーさんとおかーさんなんかじゃない。ほんものじゃない。ぼくは、うまれたしゅんかん、ぬすまれたんだ。おかねになるから。でも、おおきくなって、かちがないって、すてたんだ」
「なるほどね」
「ぼく、みんなみたいにあたまよくないから、みんなみたいにおしごと? できないし、ごはんたべるのでせいいっぱいだったよ。ゆいいつしんらいできるのは、たまごのなかにいたときにきこえたほんとうのおかーさんたちのこえだけ。それだけがぼくのいきるりゆうだった」
「そうだったんだ。貴方、名前は?」
「……オーラム」
「オーラム、か。さ、ご飯はたくさんあるからたんとお食べ」
「……いただきます」
久しぶりにたくさん料理を食べたオーラムは、満腹による睡魔に襲われ、そのまま眠りについたのだった。
――――――――――――――――――
「おはよう」
「……おねーさん、ここは?」
「お姉さんの家だよ」
「なんで?」
「お腹いっぱいになったからか、そのまま眠っちゃったからね。そのまま家に連れてきたんだよ」
「………」
「あ、朝ごはんできてるよ。食べる?」
「……たべる。パンにたまごとおにくはさまってる」
「ベーコンエッグサンド。得意なんだ」
「……おいしい」
そこで、妙齢の娘の手がオーラムの頬に届く。自分が泣いているのだと理解したのは触れられてからしばらくのことだった。オーラムにとっては初めてのことだった、こうして誰かから温かさをもらったのは。
「それじゃあお姉さんはお仕事に行ってくるから、これ好きに使って」
そうして渡してきたのは封筒、中身を確認すると札束が入っていた。ざっと見て十万は入っている。いくらオーラムでも、これが大金であるということは理解できた。
「……もらっていいの?」
「お姉さんと一緒に暮らすんでしょ?」
「そんなはなししたっけ」
「まぁまぁ、どうせ行く所ないから良いじゃない。お姉さんからのお小遣いってことで。遊びに出かけても良いけど、暗くなる前には帰ってくること。良いね?」
「……いってらっしゃい」
嵐みたいだ、オーラムがあの娘に抱いた感想がそれだった。
「……どうしようかな」
オーラムは金の使い道がわからない、十万もあれば尚更だった。そういえば、人間達が建物の中に入ってはお金と食べ物を交換していたような気がする。あの娘の好きそうなものでも買っておこうか。
「でも、なにがすきなんだろう」
そこでオーラムは机の上の本に目をつけた。適当にパラパラとページをめくり、あるページでその手を止める。
「……まぁ、なんとかなるでしょ」
「戻ったよ〜」
「おかえり」
「……あれ、良い匂い。もしかしてご飯作ってくれた?」
「うん、これつくってるの」
「へぇ、ハンバーグか。ていうか、オーラム料理できたんだ」
「しゃしんがのってるから、それみてつくってる。おねーさん、ちゃんとごはんたべてる? れいぞうこのなかろくなものがなかったよ」
「最近は外で済ませてたからねぇ。だから、わざわざ作らなくてもよかったのに」
「いっしょにすんで、おかねももらってるのに、なにもしないわけにはいかない。おにくやいたらできあがりだから」
「わかった」
「できた」
「美味しそうだね」
「でもしゃしんしかみてないから、うまくできてるかどうかわからない」
「せっかくオーラムが作ってくれたんだ、文句は言わないよ。いただきます」
「……どう?」
「ん、美味しい。ハンバーグは好きだから」
「じゃあこのまえのときたのめばよかったじゃん」
「いやぁ、せっかくの外食はその店ならではのものを食べたいじゃん? ほら、オーラムも。あーん」
「……おいしい」
「そういえば、レシート持ってる? 材料買う時に紙貰ったでしょ」
「これ?」
「結構色々買ってくれたんだね。これくらいかな?」
「……え?」
出してきたのは、一万円札だった。
「お姉さんのために使ったようなものだし、その分ってことで」
「いや、ぼくがぼくのいしでかったんだ。それにこれいじょうおかねはうけとれない」
「今日はどこにも遊びに行かなかったの?」
「はんばーぐ、をかったくらいしかそとにでてない」
「そういえば、部屋がやけに綺麗になってたけど……まさか」
「あるきやすいようにした、あとおふろもあらったよ」
「……別に何もしなくて良いんだよ? お姉さんが全部やるから、好きに遊んで暗くなる前には帰ってきて、お風呂入って少しお姉さんとお話ししてくれればそれだけで良いんだよ」
「……おねーさん、なにがしたいの?」
「オーラムと一緒に居たいな……って?」
「………」
「あ、お風呂洗ってくれたなら入ろうかな。それとも先に入る?」
「……おねーさんがさきでいいよ」
「じゃあお先に」
オーラムは理解ができなかった。あの娘の目的を。本当にただ、オーラムと仲良くしたいだけなのか。信用しても良いのだろうか、とオーラムは悶々とする。いや、もうしているのだろう。そうでなければ既にこの家から抜け出しているはずなのだから。
「あがったよー」
「はやくない?」
「そう? 15分は経ってるけど」
「あれ、ほんとうだ。それじゃあぼくもはいってくる。……ねぇ、おねーさん」
「ん?」
「おねーさんにぜんぶやってもらうのはさすがにだめだから……いっしょにいろいろやっていく」
「そっか、わかった。……まるで恋人みたいだね」
「こいびと?」
「あぁ、わからないならいいよ。お風呂入っておいで」
――――――――――――――――――
「ふぁ……おはよ、美味しそうな朝ごはんだね」
「もうちょっとでできる」
「押し付けてごめんね」
「いい、ぼくにできるのはおねーさんがらくできるようにすることだけだから。はい、ごはん」
「ん、やっぱり美味しい」
「……あー」
「……自分の分は作らないの?」
「おねーさんからもらうのがいい」
「ますます恋人や夫婦みたいだね」
「……?」
「あー、お互いに好きな男女の組み合わせのこと」
「………」
するとオーラムは椅子から降りて、一冊の本を取り出して中身をめくりはじめた。辞典だった。
「………いいよ、おねーさんのだんなさんになっても」
「……え」
「いや、むしろおねーさんがいい。おねーさんのおむこさんになる。それで、ずっといっしょにここですごすの」
「……あはは、あまり大人をからかっちゃいけないよ。……嬉しいけどね」
「おねーさん、そろそろおしごとじゃないの?」
「おっと、確かにそうだった!」
「はい、かばん。いってらっしゃい」
「行ってきまーす」
彼女がオーラムを保護してからしばらく。オーラムが家事をして、彼女が仕事をしに行くという感じに落ち着いていた。大金の入った封筒を机の上に置いていくという所業は相変わらずだったが、それ以外は何かと楽しい生活だった。
「おふろあらって……そのあとなにしようかな」
「おひるごはんにははやい、せんたくはまだおわってない……ひまだなぁ」
そこで、オーラムはテレビのことを教えてもらったのを思い出した。リモコンを手に取って電源ボタンを押す。画面が光り、ニュースが流れてきた。
『10〜20代の自殺率の上昇とそれによる問題について〇〇さんはどう思いますか?』
「じさつ……」
辞典で調べる。自分の事を自分で殺すこと……オーラムは理解ができなかった。何故自分で自分を殺すのか、と。考えながらテレビを見た、あっという間に時間が過ぎて、彼女が帰ってくるまで数時間というほどになった。
「……あ、おねーさんのふくほしてない! とりあえず、へやのなかでほして、ごはんつくって、おねーさんがくるまえにおわるかな?」
「ただいま〜」
「おかえりなさい。もうちょっとでごはんできる。そのあいだにおふろはいってきて」
「今日は一緒に入らない?」
「いいよ」
「良いんだ……」
「じゃあはやくごはんつくりおえないと」
「怪我だけはしないでね〜」
「できた」
「オーラムお得意のハンバーグだ」
「………」
オーラムはしばらく彼女を見つめると、よじ登って膝の上に座り込んだ。彼女も特に咎めることはなかった。
「……ん、これチーズ入ってる。すごく美味しい」
「てれびでやってた」
夕食を食べ終えた後、オーラムは彼女と共に風呂に入った。共に湯船に入り、身体を洗い、お互いを温める。
風呂を終え、共に映画を観ていた時だった。
「………」
「どうかした?」
「……おねーさんのからだ、きれいだった。とくにおしり」
「それは素直に喜んで良いのかなぁ……」
本当に幸せに感じる。あわよくばこの生活が続けば良いとオーラムは思っていた。せめて、彼女が許してくれる間はこの生活を堪能しようと思っていた。
大切な時間を大切な人と。
――――――――――――――――――
共同生活が始まって三ヶ月が経とうとしていた。相変わらず大金を渡してくるが、楽しく共に生活できていた。
「ただいま」
「おかえり。……どうしたのおねーさん、ぐあいわるいの?」
「……いや、なんでもない」
「……? ごはん、できてるよ?」
「ありがとう、毎日悪いね」
「たまにおねーさんがつくるじゃん」
「そうだね」
「……どうしたのおねーさん、なにかはわからないけど、おかしいよ」
「なんでもないって」
「ほんとうに? かくしてることとかない?」
「………オーラム、貴方は……死にたいって、思ったことある?」
「……すくなくとも、いまはない。おねーさんといっしょにすごせるの、たのしいから。ずっとおねーさんといっしょがいいから。おねーさんと、いきていたい」
「……そっか」
「どうして?」
「ふと、ね。そんなことより、早くご飯食べよう」
「うん」
「くぁぁ……おねーさん……あれ、いない」
今日は彼女は休みのはずだった。仕事でもまだ家にいる時間だった。
「おてがみ……?」
『今日は朝から用事で家に居ません。お金は封筒の中に入っているから好きに使ってください』
「これか。あいかわらずおかねわたしてくるんだか、ら……」
……量がおかしかった。普段の倍などではない、ざっと数百万は入っている。
「これを、すきにつかえって、むりでしょ……」
オーラムはそのまま彼女の帰りを待ち続け、いつしか時間は夜になっていた。
「……あ、でんわだ」
オーラム専用に置いてある電話の受話器を取り、耳に当てる。聞こえてきたのはオーラムがよく知っている声。
「おねーさん?」
「連絡できなくてごめんね、それで……今から言う場所にちょっと来て欲しいんだけど」
「………わかった、今から行く」
――――――――――――――――――
「……おねーさん、どうしてこんなところにいるの? あぶないよ?」
彼女の背後には、断崖絶壁。
「お姉さんね、今日ここで死ぬつもりなんだ」
「……え?」
思わず自分の耳を疑ってしまった。でも確かに言った。彼女は死ぬつもりだと。
「なん、で? なんで、しぬの?」
「こらこら、男の子なんだから泣かないの。お姉さん決めてたんだ、近いうちに死のうって」
「なんで、なんでおねーさんがしぬの? だれかにいじめられてるの? だったらぼくがやっつけるよ?」
「そういうのじゃないんだ、ただ……ふと死にたくなった、それだけ。それで、どうせ死ぬのなら誰かの為に尽くしてから死のうって思ってね。それに、今死ななくてもいずれ近いうちに死ぬ、そんな気がする、殺される……って」
「………」
「お姉さんがお金たくさん持ってる理由、教えてあげようか。あの家元々はお姉さんの家じゃないんだ、貰いものなの」
「え?」
「お姉さん、元々浮浪孤児だったんだ。でも優しいおじさんに拾われて、お世話になったの。でもそのおじさんはね、お仕事の都合で遠くに行っちゃったんだ。その時に家を貰ったんだよ。それで、おじさんの仕事を引き継ぐような形で、今までお金を稼いできたって感じ」
彼女が一歩、後ろに下がる。
「まって、おねーさん、ほんとうにしぬの? しんじゃうの?」
「もう決めたことだからね」
「ねぇ、まって、ぼくをおいていかないで、ぼくおねーさんがいないといきていけない、おねーさんといっしょがいい、なんで、いっしょにくらすっていったのはおねーさんじゃんか」
オーラムは泣きながら、あの大金が入った封筒を取り出す。
「おねーさんのおしごと、どれくらいおかねもらえるの? じきゅーいくらなの? いままでもらったおかねで、おねーさんのじかんをかうから……」
その言葉に、彼女はただ首を振る。
「……オーラム、貴方と出会ったあの日……偶然だと思ってる?」
「……え?」
「お姉さんのお仕事はね、『探偵』なの。それで、依頼の内容は『誘拐された息子を捜してほしい。息子は自分によく似ている』って。依頼主は……貴方のお父さん」
「……おとー、さん?」
「ずっと捜してたみたいだよ、愛されていたんだね。……さてと、最後の依頼も完了したし、ゆっくりしようかな」
「まって、おねーさんまって、おねがい、しなないで、いっしょがいい、いっしょにくらしたい」
「ダメだよ。お姉さんのことは忘れて、貴方はもっと幸せにならなくちゃ。お姉さんの家でしばらく待っていれば、お父さんが迎えに来るからね」
「いやだ、いやだいやだいやだいやだ!!」
「オーラム、短い間だったけど楽しかったよ。お姉さんみたいな悪い子になっちゃだめだからね」
そうして彼女は一気に背後に身を投げた、オーラムが彼女に近づいて、彼女がいつもきているコートを掴む。しかし、それを見越していたのか、するりと体勢を変えて、コートを脱ぐ。そのまま、彼女は……
――――――――――――――――――
オーラムはずっとコートを抱えながら蹲り、丸まっていた。コートに染みついた彼女の匂いをひたすら嗅いでいた。自分のことを忘れろだなんて、ひどい事を言う人間だ。こんなにも自分に優しくしてくれた人間のことを、忘れられるわけがないじゃないか。いじめられていたわけでもない、何か辛い事があったわけでもなさそうだった。なのに、なぜ彼女は自殺したのか。本当に、ただ軽い気持ちで自殺したのだろうか。
「……?」
オーラムはコートのポケットに何かが入っていることに気がつく。取り出してみると、一枚の紙切れだった。文字が書かれている。
『雨月 楓』
それが、彼女の名前であったのだと、オーラムは直観的に理解した。
「……おねーさんのなまえ、いちどもくちにしてない……むずかしくてよめない……」
またコートに顔を埋め、泣き出す……その時
「息子が見つかったと報告を受けたのですが」
玄関から聞こえた厳かな声、オーラムは立ち上がって玄関を開ける。
「……って、もしかして、オーラムか?」
「……うん」
「オーラム!! 本当にオーラムじゃないか!! よかった、無事だったんだな!!」
「……おとーさん?」
「ああ、信じられないだろうか、お父さんだ。まさか産まれて間もない子供が誘拐されるとは思わなかった。あれからずっと捜してて拉致が明かなかったんだが、探偵さんに頼んで正解だったぜ!」
「………」
「噂通り、依頼は必ず遂行する探偵だったってわけだな。それで、依頼の報酬を渡したいんだが、どこに居る? オーラムを保護してくれた礼も言いたいしな」
「………おねーさんは」
「?」
「おねーさん、は……ちょっと、おしごとにつかれちゃったみたいで……いまは、おやすみしてるの……ぅぐっ……おねーさんは、いまは、いないの……ぐ、うわあああああああああ……」
目頭がひたすら熱かった、胸の奥がひたすら苦かった。
こんなことになるのなら、もっと話しておけば良かった。




