09 豹変
その日の放課後、クラスは昼休みの話題のことでもちきりだった。
誰もかれもが、明日の結城さんと諸星君の「お話し」とやらに意識を向けていた。
その一方で、今日の諸星君には興味を示さず、教室を出ていく彼に対して一切目もくれなかった。
私以外は。
帰路に就こうと下駄箱に向かう生徒達の流れに逆らうように、諸星君は歩いていた。私はその流れに身を隠すように彼を追っていた。階段を上がり、五階まで来る。
ここまで来れば、彼の行き先に対してもう大体の目星はついてくる。
私は、諸星君が屋上に向かう階段を上りきり、外に繋がる扉を開けたところで、彼を追う。閉められたドアノブをそっと回しながら中を覗き見た。
当然、そこにいたのは諸星君だ。彼が見つめる先には、風によって黒く、美しい髪がなびいている結城さんの後ろ姿があった。
「それにしても驚いたよ。大勢の前であんな誘い方をしてくるなんてね」
「だからあなたにメモの切れ端を渡したのよ。今の私達なんて誰も気にしてないわ」
諸星君はひらひらと、手に持ったメモを風になびかせた。
つまり結城さんは、口頭では嘘の時間と場所を伝え、こっそりと諸星君に本当の時間と場所が書かれたメモを渡していたのであった。
「それで、話って?」
気だるそうに諸星君は本題を促す。
「……諸星君、私ね? あなたには本当に感謝してるの。彩ちゃんは私にとって、たった一人の大切な妹」
結城さんは、大切なものを抱きしめるように、胸の前で拳をてのひらで包み込んだ。
「家族関係が上手く行ってなかった時も、あの子がいてくれたから頑張れた。私とお母さんはあの子に救われてきた。私にとってあの子は暗がりを照らす灯りだった」
「…………」
目を細め遠くを見るように、諸星君は虚空を見つめている。
「その大切な光を、私は一時の不注意で失うところだった。あなたがいなければ、今の私はきっとなかったと思う。一生自分を責め続けて、きっと学校にだって来れなかったと思うわ。だから彩ちゃんだけじゃない。あなたは私にとっても恩人なの」
結城さんは一歩踏み出して諸星君との距離を詰める。
「だからあなたをもっと知りたいと思った。これまで男友達なんて必要ないと思ってたけど、あなたとならいい関係を結べるんじゃないかって、そう思った。病室での数週間、あなたと共に過ごして、あなたの内面に触れた気になっていた。でも、それは違った。あなたは私なんて必要としていなかった。あなたの孤独に、私は気づけなかった」
結城さんは立て続けに想いの丈を吐露した。息を整える為に一拍、二泊と間を設ける。
「でも……だからって……あんな終わり方はあんまりじゃない……!」
ギュッとこぶしを握り締め、結城さんはわなわなと震えながら諸星君に遺憾の旨を訴える。
「納得……できないわ……あれだけのことをしてもらって……これだけ私を救っておいて……無責任だわ……生き方が違うとか……一定の関係になるつもりはないとか……そんな、それらしい理由を並べただけの言葉じゃ納得できない……うまく言えないけど……それじゃ終われない……そんなの私は絶対に嫌」
握った拳が、爪が、てのひらに食い込んでしまいそうに見える程、結城さんの固く握られた両の拳は彼女の曲げられない意志を表していた。
「きっと……今度は……私の番……」
諸星君をまっすぐに見据え、結城さんは決意したように彼を見つめた。
「だから教えて。どうしてあなたがそう生きるのか。どうしたらあなたの孤独を癒せるのか。……きっと一人は寂しいわ……。でも、私がいる。彩ちゃんだってまたあなたに会いたがっているわ。だから、ね? 諸星君、また一緒にりん――」
「……んだよ」
結城さんの言葉を遮るように、真っ黒な感情が渦巻くようなドスのきいた声が私の耳に入る。
結城さんにもその声が届いたようで、思わず彼女の口は噤んでしまう。
「鬱陶しいんだよ。お前」
低く、重苦しく、ドス黒い声が辺り一面を覆った。
髪をかき上げながら諸星君は結城さんを睨み付ける。
今まで前髪に隠れてはっきりと見えなかった、カミソリのように触れるものすべてを切りつけるような鋭さをもった眉毛、ギラギラと相手を射て刺すような鋭い眼光があらわになった。
「手前勝手にベラベラと語りやがって。知らないんだよ。お前の事情なんて」
「諸星……君……?」
唐突な諸星君の豹変に結城さんが慄く。
今まで彼が向けてきた笑顔が全て嘘だったんじゃないかと思えるほどの変貌に、私も背筋が凍った。
「ちょっと助けたからって擦り寄って来やがって。邪魔なんだよ。お前みたいに頼んでもいないのに纏わりつく奴はな」
「そんな……私はそんなつもりじゃ――」
「そんなつもりじゃないだ? ふざけるなよ! 空気も読まずに、周りのこともろくに見ずに教室まで押しかけてきやがって! うざったいんだよ! お前のやることなすこと全部!」
弁明しようとする結城さんの言葉を遮り、尚も諸星仁海は捲し立てる。
彼の眼光から発せられる鉾のような、ひと際鋭く尖ったベクトルが、彼女を刺し貫いてゆく。
「大体、なんだ私の番って? 俺を助けようっていうのか? 笑わせるな! お前なんかに何ができる!? 思い上がるな!」
諸星は声を荒げながら結城さんを怒鳴りつける。イラついたように、こめかみに青筋を浮かべている。
肉食動物が相手を噛み殺そうとするように、剝き出された彼の犬歯は、まるで鋭く研がれているように見えた。
「いいか? 勘違いするなよ? 俺はお前たち姉妹のことなんざ知ったことじゃない。俺にとっては偶々助けただけの赤の他人にすぎないんだよ。それなのに、なにかしらのヒロインみたいに気取りやがって。いい迷惑なんだよこっちは」
ただでさえ泣き出しそうになっていた、結城さんの輝くような瞳孔からとうとう涙がこぼれる。声一つ出さずに、大粒の涙が彼女の頬を伝ってぼろぼろと、重力の流れに沿って落ちていった。
「大体、光だの灯りだの。その大切な妹やらをほったらかした挙句、野郎一人に粘着し続けてよくそんなことが言えるよな? 俺なんかに構ってる暇があるのなら妹に会いに行ってやったらどうだ?」
諸星は尚も続ける。否定する。詰る。捲し立てる。
「結局そんな程度なんだよ、お前にとっての妹は。失いそうになったってのにまだ他に目を向ける余裕がありやがる。生憎だが、俺はもうお前なんか眼中にないんだよ。わかったならとっとと家にか――」
「あんた、いい加減にしなさいよ!!」
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